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三章 恋人のフリ?

42話 一代限りの王様

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「すいません、不機嫌なわけじゃないんです。いつもあんな感じなんで」

一番奥の席に通されると、まず中年くらいの男性従業員がそれを釈明した。いえいえと首を振って少し、話へと入る。

依頼書に書いてあった内容は、端的だった。

「最近毎日のようにレジ締めの計算が合わない、とのことですけど……」

いわゆる、会計の不備だ。

「はい、そうなんです。それがまた気持ち悪くて、合わない額はいつもちょうど百円だけなんです」
「……えっ、それだけですか。てっきり一万円は抜かれてるのかと」
「す、すいません。金額を書いてしまえば来てもらえないかと思いまして。大きな問題じゃないかもとは考えたんですが……」

従業員が申し訳なさげにおどおど手をこすり合わせた後、

「会計の責任者はいらっしゃいます?」

鴨志田が尋ねる。

従業員はキッチンへと目をやった。
それだけで、誰のことかは分かった。岡は奥まった調理台で、なにやら仕込みをしているようだ。

包丁の音が規則正しいリズムを刻んでいる。

「責任関係は全部、店長です。でも普段は、私やアルバイトの子までみんなが関わってます。……基本的に私たちはホールにしかいませんので」
「えっと? ということは、キッチンはいつも一人でやられてるんですか?」

希美は、すぐに問い返した。

「そうですね、どんなに忙しい時も入ることさえ許してもらえていません。岡店長は、料理にとてつもないこだわりを持っています。聖域に、誰にも踏み込まれたくないんでしょう。逆に、それ以外のことは知らぬ存ぜぬなんですが」
「あ。だから今回も従業員の方がご依頼を?」
「まぁ、はい。僭越ながら……」

それからは、より詳細に何人かから話を聞いた。

監視カメラも設置しておらず、怪しげな人物にも心当たりはないそうだ。

すぐその場で犯人探しというわけにもいかず、実際にレジスターの操作や履歴を確認したあと、店を出る。岡は最後まで、カウンターから出てこなかった。


「太閤様だな、ありゃあ」

玄関ポーチで、さっそく髪をぐしゃりと丸め、鴨志田が言う。せっかくのオールバックから、前髪が数本べろりと垂れてきた。もう、特別仕様は終わりらしい。

「どうして豊臣秀吉?」

やっと見知った彼に会えた気がした。残念なようで少しホッとして、声が上ずった。

「あぁ、一代で終わりの王様だって話だよ。店長一人に実力があっても、長くは続かない。今回の会計不一致だって、根本の問題はそこにあるかもな。指導が行き渡っていればこんなことにはならない」
「……たしかに代替わりが進んでる気はしませんね。キッチンに入れないだなんて。店員さんたちはなにも言えないんですかね」

「ま、今の会社があるのは半分、岡さんのおかげって言っても過言ないからな。現場では触れられない感じになってるんだろ。でも、俺たち本部まで腫れ物を扱う感じになることはないよ、本来はな。あくまで中立的に、一店舗として扱うべきだ」
「……えっと?」

「一号店だからと言って、特別扱いをしてしまえば、他の店舗に示しがつかなくなるだろ」

希美は、なるほどと相槌を打つ。

本部は本部として芯を保って、店舗とは接する必要があるわけだ。
特定の店に頼られすぎたり、舐められてもいけない。

「昔はあぁじゃなかったんだけどな、岡さん」

鴨志田の足運びがやや緩くなる。

例のメモ帳を取り出すと、指先でふわりと撫でてから、手と一緒に腰ポケットへとしまった。その意味深な行為に、希美の『気になるスイッチ』が押されてしまった。

「昔を知ってるんですか?」
「それがなんだよ」

ちょうど赤信号にさしかかる。

ぐいっと上半身を捻って、希美は鴨志田のポケットを凝視した。

「近いんだよ。そんなことするから変な誤解されるんじゃないのか」
「なっ。いいんですよ、ここには会社の人なんて誰もいませんし!」

信号が青に変わった。希美を振り切らんとするかのごとく、横断歩道を早足で行く彼の真横にぴったりついて、追いかける。

渡り切ったところで、やっと観念したようだ。鴨志田は、わざとらしくため息をつく。

「……大したことじゃねぇよ。昔はもっとよく笑う人だった、ってだけの話。陽気すぎて困ってたくらいなんだ。うちの名誉会長と二人、酔ったら絡まれると面倒でな」
「あぁ会ったことがあるんですね。……って、あれ、でもじゃあなんで偽名なんて」

それでなくとも、普通はそんな嘘をつく必要がない。

「万一にでもばれたくなかったんだ。そのために変装だってした。ばれてたら色々と面倒だったからな」
「私には言ってくれてもよかったのに」
「あいにく、後輩のひどい演技力は承知済みなんだよ。この格好はそういうわけだ」

ようやく一つ疑問が解けたが、『なぜ見られたくなかったのか』という、肝心のところは省略されてしまっている。
それを知ってか知らずか、鴨志田は言葉を継ぐ。

「……ま、そもそも最後に会ったのはかなり昔の話だ。いつも通りにしてても、分かんなかったかもしれないけどな」
「昔ってどれくらいです……?」
「二十年くらいだな。その時は、まだうちの会社は『天天』一店舗だった。あそこが繁盛した結果、支店化計画が始まったんだ。じっくり時間をかけて」

掘れば掘るほど、芋の子式に謎が出るわ出るわで、希美は混乱しはじめる。

二十年と言うと、鴨志田はまだ小学生のはずだ。誰かからの伝聞というなら分かるが、語り口は体験談のようにしか受け取れない。

「えぇっと、……鴨志田さんって実は四十歳……?」

あえなく、首を振られた。

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