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四章 ゲームから出てきたサキュバスのために
第31話 バイト!
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二
パリッと固めた七三ヘアに、スマートさを演出するタキシード、そして鏡のように光を照り返す革靴。男はこれら完全な正装に身を包んだうえで、特大の花束を後ろ手に隠し、女を待つ。そして、女がきたらその前へ跪いて花を捧げ、情熱的な愛の告白をする。
この誰もが思い描くだろう、恋愛映画のようないわゆる完璧な告白。
夜に結愛と相談をして、僕はこのフィクションをリアルで実行しようと決心した。なにせ結愛の命がかかっている。万に一つも断られるわけにはいかないから、完璧である必要があった。
だが、誰もが共通して抱く理想というだけあってハードルは高い。
我が家にあるのはタキシードではなく、せいぜいスーツ。それも仕事疲れでよれてしまった親父のものしかないから、買うしかない。調べてみると花束というのも立派な値段がする。まず思い浮かぶような薔薇の花束は、百本で最低でも一万五千円なのだとか。
「ご主人様が無駄に課金するからですよ」
「し、仕方ないじゃないか! こんなことまで想定してなかったんだ。大体、半分以上は結愛がやれって言うからだなぁ」
つまりは、現実的にお金が足りなかった。
夜どおし結愛と二人、求人票を漁るけれど、僕らが求める「高時給、高校生OK、即支給」の神バイトは中々ヒットしない。もう最低賃金でもやむなしと妥協しかけていた時、奇跡のようなタイミングでその仕事の誘いはあった。
和食料理屋での皿洗いとホール、時給なんと千二百円。東京ならまだしも、この田舎でこれは格別の待遇だ。
「おうおう、しっかり働けよ。俺が恥かくからな」
紹介してくれたのは、吉田くんだった。
友人関係に意固地にならない方がいい。結愛のアドバイスのことがあったから、僕は昨夜、彼に謝罪のメッセージを入れたのだ。『腹が立ったとはいえ、やりすぎた部分もあった』と。すると彼からは思いの外丁寧な返事があって、『俺も大人気なかった』こう詫びられた。
埋め合わせに何かさせてほしいと言うから、バイトを探しているというと、彼の働き先を紹介してくれた。
店もよっぽど人が足りないらしく、応募用紙は形式だけで、すぐに採用になった。結愛は職業欄にひらがなで「さきゅばす」と書いたのにだ。
僕は皿洗いをしながら、ホールを覗き込む。
「いらっしゃいませ~、ご主人様」
結愛はバイトをしたいと言っていただけあって、実に生き生きと動いていた。料理を運んでは、済んだ皿を下げ、新しい客に向けても明るげに声をかける。
定食屋なのにメイド喫茶風になっているのはどうかと思うが。
あの分なら、まだ身体は大丈夫そうだ。すぐに消えてしまいはしないはず。ほっと一息ついていると、店長から怒号が飛ぶ。
「皿じゃんじゃん洗ってくれよ!! お前が洗わなきゃ誰が洗う? おい、誰だ!!」
腕組みの似合う、相当押しの強い人だった。催促されて僕は「僕です!」と声を張る。
「ちがーう!! 食洗機だ!!」
じゃあそんな熱くならないでくれない? 思いつつも、僕はやってくる皿たちを次々に機械へ流していった。
最初は苦戦していたが、徐々に慣れてきて、そのうちに昼時が過ぎてピークが落ち着く。キッチンから手の空いたのだろう吉田くんが、僕の手伝いに入った。
「しっかし結愛ちゃん可愛いよな。エプロン姿も似合ってるしよ」
彼は、僕にグラスの入ったラックを渡しつつ、結愛のいるホールに目をやる。
「そうだね、やっぱりメイドっぽいけど」
「それがいいんじゃねぇか。男の憧れだって。なぁ、さっきからちらちら見てるけど、もしかしてお前、結愛ちゃんのこと好きなのか?」
「えっ」
不意の質問に、否定も肯定もできず、僕はグラスを布巾で拭く。
「いや分かってるぜ、俺。お前の好きな人はすみちゃんだろ。昨日はごめんな、俺どうかしてたわ」
「……いいさ、済んだことだしね」
僕はあの悪魔のことをどう思っているのだろう。帰って欲しくない、それはもしかすると特別な感情があるから?
「これ、よろしくお願いします~」
ぼんやりホールを眺めていたら、視界が遮られた。
結愛が大量の食器を一気に下膳してきたのだ。詰め放題の袋みたいに、皿が積み上げられる。その隙間という隙間にスプーンやフォークといった小物が刺さっていた。
僕と吉田くんはなんとも言えない気持ちを共有して笑う。雪解けの一時といえたのかもしれない。そこへ店長が再び一喝した。
「お前らがくっちゃべってて、誰が皿洗うんだ!!」
「食洗機です!!」
吉田くんと二人、声が揃った。
バイトは、夜の二十時まで計十時間も詰めてもらった。明日も夕方までシフトを入れてもらえるよう話をつけてから、退勤する。
身体はくたくただったが、僕らはまだ家には帰らない。
パリッと固めた七三ヘアに、スマートさを演出するタキシード、そして鏡のように光を照り返す革靴。男はこれら完全な正装に身を包んだうえで、特大の花束を後ろ手に隠し、女を待つ。そして、女がきたらその前へ跪いて花を捧げ、情熱的な愛の告白をする。
この誰もが思い描くだろう、恋愛映画のようないわゆる完璧な告白。
夜に結愛と相談をして、僕はこのフィクションをリアルで実行しようと決心した。なにせ結愛の命がかかっている。万に一つも断られるわけにはいかないから、完璧である必要があった。
だが、誰もが共通して抱く理想というだけあってハードルは高い。
我が家にあるのはタキシードではなく、せいぜいスーツ。それも仕事疲れでよれてしまった親父のものしかないから、買うしかない。調べてみると花束というのも立派な値段がする。まず思い浮かぶような薔薇の花束は、百本で最低でも一万五千円なのだとか。
「ご主人様が無駄に課金するからですよ」
「し、仕方ないじゃないか! こんなことまで想定してなかったんだ。大体、半分以上は結愛がやれって言うからだなぁ」
つまりは、現実的にお金が足りなかった。
夜どおし結愛と二人、求人票を漁るけれど、僕らが求める「高時給、高校生OK、即支給」の神バイトは中々ヒットしない。もう最低賃金でもやむなしと妥協しかけていた時、奇跡のようなタイミングでその仕事の誘いはあった。
和食料理屋での皿洗いとホール、時給なんと千二百円。東京ならまだしも、この田舎でこれは格別の待遇だ。
「おうおう、しっかり働けよ。俺が恥かくからな」
紹介してくれたのは、吉田くんだった。
友人関係に意固地にならない方がいい。結愛のアドバイスのことがあったから、僕は昨夜、彼に謝罪のメッセージを入れたのだ。『腹が立ったとはいえ、やりすぎた部分もあった』と。すると彼からは思いの外丁寧な返事があって、『俺も大人気なかった』こう詫びられた。
埋め合わせに何かさせてほしいと言うから、バイトを探しているというと、彼の働き先を紹介してくれた。
店もよっぽど人が足りないらしく、応募用紙は形式だけで、すぐに採用になった。結愛は職業欄にひらがなで「さきゅばす」と書いたのにだ。
僕は皿洗いをしながら、ホールを覗き込む。
「いらっしゃいませ~、ご主人様」
結愛はバイトをしたいと言っていただけあって、実に生き生きと動いていた。料理を運んでは、済んだ皿を下げ、新しい客に向けても明るげに声をかける。
定食屋なのにメイド喫茶風になっているのはどうかと思うが。
あの分なら、まだ身体は大丈夫そうだ。すぐに消えてしまいはしないはず。ほっと一息ついていると、店長から怒号が飛ぶ。
「皿じゃんじゃん洗ってくれよ!! お前が洗わなきゃ誰が洗う? おい、誰だ!!」
腕組みの似合う、相当押しの強い人だった。催促されて僕は「僕です!」と声を張る。
「ちがーう!! 食洗機だ!!」
じゃあそんな熱くならないでくれない? 思いつつも、僕はやってくる皿たちを次々に機械へ流していった。
最初は苦戦していたが、徐々に慣れてきて、そのうちに昼時が過ぎてピークが落ち着く。キッチンから手の空いたのだろう吉田くんが、僕の手伝いに入った。
「しっかし結愛ちゃん可愛いよな。エプロン姿も似合ってるしよ」
彼は、僕にグラスの入ったラックを渡しつつ、結愛のいるホールに目をやる。
「そうだね、やっぱりメイドっぽいけど」
「それがいいんじゃねぇか。男の憧れだって。なぁ、さっきからちらちら見てるけど、もしかしてお前、結愛ちゃんのこと好きなのか?」
「えっ」
不意の質問に、否定も肯定もできず、僕はグラスを布巾で拭く。
「いや分かってるぜ、俺。お前の好きな人はすみちゃんだろ。昨日はごめんな、俺どうかしてたわ」
「……いいさ、済んだことだしね」
僕はあの悪魔のことをどう思っているのだろう。帰って欲しくない、それはもしかすると特別な感情があるから?
「これ、よろしくお願いします~」
ぼんやりホールを眺めていたら、視界が遮られた。
結愛が大量の食器を一気に下膳してきたのだ。詰め放題の袋みたいに、皿が積み上げられる。その隙間という隙間にスプーンやフォークといった小物が刺さっていた。
僕と吉田くんはなんとも言えない気持ちを共有して笑う。雪解けの一時といえたのかもしれない。そこへ店長が再び一喝した。
「お前らがくっちゃべってて、誰が皿洗うんだ!!」
「食洗機です!!」
吉田くんと二人、声が揃った。
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