会社をクビになった私。郷土料理屋に就職してみたら、イケメン店主とバイトすることになりました。しかもその彼はーー

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】

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一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ

一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ(3)

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ちょうどサイズの合うものがあるから、と制服たる藍色の割烹着を借りて、ホールに出る。胸元に「斎藤」とピンクの糸で刺繍のしてあるものだった。

その上から、裏紙で拵えた仮のネームプレートをつけ、借りた赤色の三角巾を巻いたら格好は見習いバイト程度にはなった。

まさかここで働く日がくるとは思っていなかった。昔遊んだボロ店舗だと思うと、なんだか感慨深い。内装は以前が想像もつかないくらいシックに作り替えられているとはいえ、だ。

店全体が、和モダン風にまとめられていた。

机や椅子は全て木製で、昔落書きもしたことのあるボロ壁は綺麗な白に張り替えられている。少し寂しい気がするのは、私の勝手だ。

光沢を放つ白は、オレンジの間接照明に薄く照らされることで、温かみを演出していた。さっきは店主の容姿に驚きすぎて、気付けなかったが、かなり洒落ている。

そこにワインラックがかけてあるのを見つけて、ん、と不和を感じた。店の雰囲気に合わないわけではないが、郷土料理屋らしくはない。

「ものによっては、ワインが合う和の郷土料理もあるのです」

眺めていると、横から江本さんがそう教えてくれる。

「和食にはこのお酒、という絶対的な組み合わせはありません。それに最近では和食のためにわざわざ作ったワインもあるくらいです」
「……たしかに。聞いたことはあります」
「それはそうと、制服お似合いになってるかと」
「えっ、あぁ、ありがとうございます」

あまりに唐突かつトーンも一定だったから、一瞬なにのことか分からなかった。

疑う余地なく、お世辞だろう。無表情だし。だがそれでも慣れていない私は簡単に嬉しくなった。母親に夏祭りの浴衣を褒められた少女みたい。

「そ、それで、仕事はなにでしょうか?」

切り替えなければ。
私は緩んでしまった頬を引き締めて、こう尋ねた。すると、江本さんの澄んだ目だけが気まずそうに動く。

「大変申し訳ないのですが。あれを片していただけると……」

その先、すぐ目についたのはシンクにうずたかく積み上がった皿の山だった。これは江本さんの目とは反対に、はっきりと淀んでいる。

たしかに、手が回っていないと見えた。

「任せてください。得意なんです!」

私は袖を捲って快諾する。
皿洗いは、ファミレスでバイトをした時に手が荒れるまでやらされたのだ。その時は、もっとひどい量だった。捌いても捌いても、ひっきりなしに皿が流れてきた。それに比べれば、軽いものである。
山を崩すように、私は洗い物に取り掛かりはじめる。最初こそ苦戦したけれど、

「驚きました。お早い」
「一応、数年くらい前に少しやっていたんです。バイトリーダーだったんですよ」

徐々に薄れていた勘が戻ってくると、ペースが上がっていく。みるみるうちに、かさが減っていった。
この店の小さな規模に、まばらな人だ。一人では持て余すだろうが、決して途方もない業務量ではなかった。三十分もやっていると、手が空き始める。

私は、ゆっくり丁寧に皿を拭くことにした。そうしながら、ついうっかり江本さんに見とれてしまっていた。
といってもその美しい顔にではなくて

「……すごいですね、包丁さばき」

ネギを切る、その手つきに。次々と小口ネギを生み出すその刃には、寸分たりとて無駄がなくそして狂いもない。まな板を叩く音が、小気味よくキッチン内に響いていた。惚れ惚れとする。羨ましいくらいだ。私は練習しても、彼の半分の速さにも満たなかった。

「ネギを切るのは十八番です。郷土料理に使われることが多いので」
「それにしたって、そこまで正確でもあるなんて」
「いえ、正確さでは機械にはかないません」

そういう話ではないのだけど。私はくすりと笑ってから、まだまだ江本さんに目を奪われる。なにを作っているのかが、今度は気にかかった。

次に彼が移動したのはコンロの前だった。フライパンの蓋を開けると、もわりと磯の香りが広がって、アサリだと分かる。それも大粒だ。彼はそれを取り出して殻を剥ぐと、剥き身だけを手鍋に放った。そこに酒、味噌と入れたところで、気づく。

久しぶりに見たけれど、これは私にも分かる。

「手、止まってますよ」
「あ、えっと! すいません!」

そこまで夢中になっていたとは自分でも思わなかった。私は焦って空布巾を動かし始める。臨時バイトがサボりじゃ、雇い主は商売あがったりだ。叱られるかと思ったが、江本さんに咎める気はないらしい。

「深川めしです。汁ごとご飯にかけて食べる、東京の郷土料理です」
「……知ってます。私、ここらの出身なので」
「そうですか、それはいい。僕、これが好物なのです。米にたっぷりと出汁が染みるのが好きでして。佐田さんも?」
「はい、まぁ」勢いに押されて、頷く。

本当は食べたことなど一度きりしかない。けれど、美味しかったとは記憶している。たしか小学校の調理実習で作ったのだった。思い入れもある。。

「ぶっかけと炊き込みとあるんですが、僕はぶっかけ派で」「僕、一気にかきこむのが好きなんですよ」
江本さんは、また少し早口になる。こう繰り返されると、突っ込まざるを得ない。
「自分のこと、僕って言うんですね」
「……申し訳ありません。大変失礼いたしました」
「いえ、こちらこそ。ちょっと気になっただけですから。むしろ使ってください」

一人称が「僕」とこれば、やはり基本的には寡黙な方なのだろう。

ただそうなると、金髪という要素だけが、異質なものに思えた。なにか訳があるのだろうか。

「店員さん、これ下げてくれるー?」

と、そこへ客席のおばさまたちからお呼びがかかって、私は反射的にホールへと出た。ファミレスのバイトはとっくにやめているのに、身に染みついていたようだ。

任された仕事ではなかったが、下げ膳くらいならできる。片腕に乗せた盆で済んだお皿を運ぶ。
少し得意げな気分になっていた。

求められていた以上のことをするのは、仕事ができる人の条件だ。なになら就活のアピールポイントにもなるのではないか。それにバイト自体も楽しい。やはり私は、食に関わるのが好きみたい。
だが、そんな風に浮わついてしまっていた矢先、事故は起きた。視界がぐらりと崩れて真っ黒になる。
パリンと甲高い音が、耳をつんざいた。

目を開けると、顔と同じ高さにグラスや陶器の破片が散らばっている。
私は、盛大にこけてしまったのだ。
ひとりでに躓いたのではない、明らかに足をかけられた。すぐ横のテーブルに座っていた男、さっき昆布巻きを食べていた一人客に、だ。

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