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一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ
一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ(2)
しおりを挟むそれから、今度はバイト募集のチラシを手にする。
額も当然十分だが、「即払い」がなにより魅力的だった。今月はどうにかなるにしても、来月以降のキャッシュは苦戦が予想される。とはいえ、それで就活が疎かになっては本末転倒だ。プチ脳内ディベートを開催していると、
「興味がありますか? バイト」
誰かに話しかけられた。
顔を上げると、さっきの金髪店員だ。カウンターを越えて注文した品を置きながら、
「今、店員が私一人しかおりません。私、江本はじめ、と申します。もしよければ、考えてみてください」
一言ずつ区切るように言う。物静かなのを思わせる口ぶりだった。服装どおりというべきか、髪に似合わずというべきか。
思いつつ彼の胸元にあった刺繍に、私は目をしばたいた。名前の上、「店長」と記してある。
「また後でまいります。賄いもつきますので」
「はぁ」
と私は固まるしかない。
大いに驚かされるとともに、不安になった。
若者が思いつきだけで、適当にお店を始めたのではなかろうか、と。イカした風の若者が、アイデアのみで開業するのは、よくある話だ。そして往々にして、それは失敗する。であれば、ネットの評価が低いのも頷けた。
突如として、ゲテモノにチャレンジする気分。私は長い髪を赤のバレッタで留める。よだれというより生唾を飲んでから、恐る恐る箸を伸ばした。まずは、どて煮。口に入れて、
「……美味しい、なにこれ」
下馬評はすぐに覆った。
これは、ゲテモノどころか、とんだ上物だ。
私は、味覚にはちょっとした自信がある。一度食べたものの味は忘れないし、味のいい悪いには敏感だ。そんな私が思うのだから、まず間違いなく垂涎物の絶品だった。
モツ特有の臭みはまるでなく、芳醇な味噌の香りと肉のうまみに身体が満たされる。濃いのだが、くどくないのは生姜のキレがなすところだろう。
なめろうも昆布巻きも絶品と言って差し支えなかった。なめろうは、アジの身がよく叩かれていて、ほんのりの味噌とシソが合わさることで、絶妙な口当たりを織りなす。昆布巻きは、にしんの卵ではなく、ブリを包んだもので、初めて食べたがなぜこれを知らなかったのだろうと後悔してしまったほど。
郷土料理、おそろしや。畏ったもの、というイメージしかなかったが、百八十度見方が変わった。見かけや想像で決めてはいけないというわけだ、店主の容姿しかり。
お酒を飲みにきたはずなのに、主役をうっかり忘れるくらいには、レベルが高かった。忘れているといえば、運命への怒りも。
今はもう、すぐにでも、店主に感想を伝えたかった。そうなると、うずうずしてたまらなくなるのが私。店内に金色を探すと、彼は客と和やかに歓談をしていた。
「なによ、さっきと全然違うじゃない」呟く。
もしや私の顔が怖かったから、畏っていたのだろうか。
「はじめくん、今度うちの会社の女の子紹介してあげようか。三十だけど」
「いえ結構ですから」
「そう言わずに! 姉さん女房ってのもなかなかいいのよ」
「……えっと」
いや、そうではないようだ。ほとんど一方的に絡まれているといっていい。むしろタジタジといった様子だった。
世間話などは苦手なのだろう。だがそこを含めて、彼はおばさまウケが良さそうだ。私がすっかり料理をさらえ終えた頃、ようやく話がひと段落したらしい。店長が私のところへ戻ってきた。
「いかがでしょう、お料理の方は」
私は彼の若干不安そうな表情を吹き飛ばすくらいのつもりで伝える。
「文句なしです! かなり美味しかったです! とくに、もつ煮。おかわりしたいくらい!」
「そうですか」
言葉は相変わらず飾りがなかったが、頬が緩むのが分かって、私はさらに付け加える。
「あ、もちろん他の二つもよかったです。郷土料理ってお固いイメージがあって、あんまり食べたことがなかったんですけど、見方が変わりました!」
今度は、分かりやすくパッと表情が晴れた。花がついたようだな、のほほんと思っていたら、前触れもなくそれは見舞われた。
「それに気付けるあなたは、素晴らしいです。地域の名産で、その場所独自のものを作る。本来、郷土料理はより人に身近なものなんですが、イメージで敬遠されがちなのです」
熱いスピーチだった。さっきまでの冷静さはから一転、自信と熱意がありありと分かる。郷土料理への愛がはっきりと滲んでいた。こちらがつい引いてしまうほど。
「でもその実、郷土料理はむしろ生活に合わせて変わっていくことのできる料理です。レシピは地域や家庭ごとにさまざまあっていい。
今の時代、ネットにレシピが載ります。たまに自治体が公式として発表しているものもありますが、それさえ絶対的なものではなく──」
と、彼はなぜかここで我に返ったらしかった。白地の頬が、みるまに赤くなっていく。
「……申し訳ありませんでした。今のは、忘れてください」
つい、くすりと笑ってしまった。
料理のクオリティに加え、店主は容姿端麗かつ人柄も面白いときた。そうなると、不可思議なことがひとつ。
「人気出そうなのにな。なんでネットの評価は低いのかしら。やっぱり場所とか印象の問題?」
言ってから、しまったなと思った。明らかにいらない台詞だ。
もし気にしていたら、ただただ気分を害してしまうだろう。
私は、あははと笑って、必殺「忘れてください」を繰り出す。失言の多い私には、必要不可欠の秘技だ。
でも、そういえば彼もさっき使っていた。
ガサツを自認する私と、いかにも繊細そうな店長・江本さん。正反対のようで、実は似ている部分もあるのかもしれない。
「点数は気にしておりません。いらっしゃる方は来店していただけますから。その方へ、郷土料理を提供するのみです」
でも、新しいお客さんが少ないと、店として経営が大変なんじゃ。思ったけれど、二度目の失言になるかもしれないと、私は喉元に堪えた。
「それで、バイトの方はいかがでしょう」
そうだ。さっきは、結論がまだ出ていなかったのだった。
「その格好、就活生様とお見受けします。もちろん、そちらを優先したうえで邪魔にならない程度で結構です。お願いできたらなと」
本音を言うなら、「バイトをしたい」に心の天秤はかなり傾いていた。
お金や店主だけが理由ではない。元来、私は料理をするのが好きなのだ。小学生の頃などは本気でシェフを目指していたくらいで、危ないからと釘を刺す母の目を盗んではよく台所に立っていた。
才能がないと分かってからも好きなのは変わらず、料理に携わりたいという理由で、ファミレスでウエイターのバイトをしたこともある。
これまでなら、即決ものだっただろう。けれど、この無鉄砲さで痛い目を見たことは数知れない。もう私もいい年齢だ。冷静に俯瞰して思いとどまるということも、やっと覚えてきた。
だが断ろうとしたところ、
「無理にとは申しません。もしバイトの内容が不安だとかなら、まずはお試しで一日バイトというのでも結構ですので」
風向きが変わった。
「えっそうなんですか。……それは単発でも?」
「最近人が辞めてしまったばかりなのです。手を貸してくれるなら、今日すぐにでもお願いしたいくらいでございます」
「今日、すぐに……。あの、その場合もその場で手渡しですか!?」
私は机に両手をついて、身を厨房カウンターへ乗り出す。
江本さんは、若干のけぞっていた。背後の木製食器棚、迫り出した鍋の取手に、高い頭をぶつけてしまいそうだ。
おっとまずい。さすがにがつがつ行きすぎたかもしれない。いくらお金を手にしたいからといって、情けない。
「……もしそうだったらなぁ、と」
私は控えめに腰を下ろしながら、二度目、秘技「忘れてください」を繰り出す。だが、効果はなかったらしい。
「問題ありません。むしろお願いしてもよろしいのですか」
「……はい」
「後で色々と書類をいただくことにはなりますが」
「それくらいなら、何枚でも書きます」
「では二十枚ほど、お願いいたします」
私ははたと固まらされた。飛び込みのバイトってそんなに手続きが煩雑だったっけ。
「むろん冗談でございます」
なにそれ、仏頂面のまま言うものなの? 別に面白くもないし。
なんだったのだろう。江本さんは、私の反応を全く気にしていないようだったから、なおさら分からない。もしかして、彼なりに打ち解けようとしてくれた、とか。
「ではひとまず今日一日だけということで大丈夫でしょうか」
だが、それにしてはあまりに事務的だった。
「えっと……」
時給1600円、即払い、ここまで好条件なバイトは他にそうない。そして、一日だけなら就活への影響を気にしなくとも済むだろう。地元の友人たちへ返事をしなかったことの言い訳にもなる。
私の望みにしては珍しく、リスクの回避もできていると見えた。そのうえ困っていそうな店長を助けることもできるとなれば、自分の想いに従っていい時もある。
「はい、よろしくお願いします! 私、佐田結衣と申します」
新人らしい自己紹介を試みたが、どうも面接っぽくなってしまった。
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