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一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ
一章 山梨・ほうとう、群馬・おっきりこみ(1)
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一
運命なんて、もう信じない!
人で溢れた御徒町駅前の交差点、私・佐田結衣はその決意に拳を固めた。
すーっと桜の匂いがする春の空気で深呼吸。信号が赤から青に変わると、誰よりも先に道路へと躍り出て、我先にと反対に渡る。湧き水のように人を吐き出すアメ横を、一人ずんずんと遡っていく。
「──お姉ちゃん、大学生でしょ? だったらさぁ就活の合間、うちのクラブで働かない……あっ、いややっぱり大丈夫! です!」
あんまりひどい形相になっていたのだろう、お水の勧誘が勝手に引き下がっていったが、気にしない。
元々私はそういうツラなのだ。
細く尖った目は、キツネのようとよく言われてきた。少し機嫌が悪くなると、人を怖がらせることもあるのは承知している。
そんなことより、今はとにかく酒だ。
行くあてはなかった。飲み屋で、すぐに座れるところ。条件はそれだけ、アルコールに浸れればどこでもいい。
そのくらいの店は、この雑多な繁華街にはざらにある。居酒屋にバーやバル、露店まで。国籍さえさまざまな飲み処が客を奪い合ってひしめき合う街なのだ、私のホームタウンであるここ、台東区・上野の御徒町は。
まだ七時だが、もう道の真ん中には酔っぱらいがへたり込んでいた。昼から飲んでいたのだろう。すっかり出来上がって、なにやら叫んでいる。
私もそうしたい、好き勝手喚いて、子供じみてしゃがみこみたい。したいのは山々だったが、まだそこまで自分を捨てられもしないのが私だった。
世間体も、リクルートスーツへのダメージも気になってしまう。だから私は密かに、運命とやらへの憎しみをボロになってきたパンプスにこめる。
「なんなのよ、ほんと」
せいぜい、こう呟くぐらい。
これまで私は、何度裏切られても、最後には運命を信じてやまなかった。信じては裏切られ、もう懲り懲りだと思うのだが、それは喉元にいる間だけ。また気づけば、私は運命にすがりついてきた。
でも、その運命は、なに一つ私にいいものを残してくれなかった。
うんと小さな頃に抱いた料理人になる夢、小学生の頃の初恋、さらには就職活動。見事に全てうまくいっていない。料理人どころか無職だし、初恋の人はさよならも言えないうちに転校していった。そして、今日。
「大学まで行って、あなたはなにを学んできたんですか?」
さっき面接官に突きつけられたばかりの台詞がフラッシュバックして、心がささくれていく。
いわゆる圧迫面接だった。記念すべき一社目の面接だからと、勝手にそこに運命を求めていた私をずたずたにするには、十分すぎる十五分間だった。
この傷を癒せるのは、やっぱり酒しかない。
そう改めて思い立った時、──りんと。涼しげな音が、後ろから耳を撫でた。
音の方を振り仰げば、派手に装飾したフレンチ店。でもそこからではない。音は、その裏手からしたようだった。
のぞき込むと、細い路地がある。暗がりをぼんやり照らすのは、表とは対照的な古めかしい和風の店だった。その軒先に、風鈴が揺れている。
なんとなく懐かしい。でも時期外れだ、まだ春なのに。ただそう思うだけで通り過ぎるには惜しい気がするほど、その音は不思議と耳奥にとどまった。
私は、小窓から店を見てみる。人はまばらだった。小さくまとまった間取りに、はっと思い出した。ここは長いこと空きテナントだったはずだ。それも私が小学生の頃から。勝手に中に入って、遊んだ記憶があるから間違いない。
扉に掲げられていた店名は、『郷土料理屋・いち』だった。郷土料理とはまた珍しい、どこの地方のだろうか。
案内板に立てかけてあった分厚いメニュー表に興味本位で手をかけようしていたら、またリンと。今度は、ポケットの中からだ。
『上野あたりで飲まない? 地元のメンツで』
友人からの連絡だった。
正直言って、気乗りがしない。行けばそれなりに楽しいだろう、場の雰囲気に合わせて、はしゃぐこともできるとは思う。
でも今は違う、人に合わせてやる気分ではなかった。
『あんたの幼馴染・タツキもいるよ』
そして追伸で、完全に行く気が失せた。
その秋山達輝は、元カレなのだ。ただ付き合ったのは、もう何年も前、中学生の頃である。それ以来、なぜか粘着されていて、この間も告白をされたばかりだった。きっぱりと断っても「いい加減頼むよ」などと縋り付かれたので、就活が終わったら答える、と半端な答えで逃げていた。
私は返事をしないことにして、代わりにこの目の前の店を飲食店評価サイトで検索にかける。
万が一にも、彼らに出くわしたくなかった。人気店なら諦めようと思ったのだが、評価はほぼ最低ランクにあたる5点中の3点を下回る2.9点。
レビュー欄は、古い、昭和、前時代的などと悪評で埋められていた。
私も立派なネット世代。日頃ならまず選択肢から外すだろうが、今この状況では、実にうってつけの店だった。
えいやと扉を引いて、私はまず面食らう。
出迎えてくれたのは、水色の三角巾に、黒の割烹着、和装姿の男だった。三角巾だけはやたら年季が入っているように見えたが、小綺麗な格好をしている。大学生くらいだろう。ただそれだけなら、気にもならなかったと思う。
だが、その髪はブロンドだったのだ。綺麗にムラなく、端まで金色。そして顔立ちも、くっきりと彫りが深く、格好いいのだけれど日本人らしくはない。
まるで西洋人形が、和服を着せられているかのようだった。
「いらっしゃいませ、どうぞカウンターのお席へ」
「……はい」
喋った、動いた。
当たり前のことなのに、私は驚いてしまう。
声は静かで少し低く、辺りに響くようだった。独特の間合いの中に入った感じがする。
こんなに雰囲気のある格好いいバイトもいるものか、と思う。まぁそれにしたって「郷土料理」の看板を掲げている店に、金髪はそぐわないのだけど。
バイトをより好みできないくらいには人手に困っているにちがいない。実際、テーブルの上にはバイト募集のチラシが束でラックに刺してあった。
流し見ると、「すぐ払い」「時給1600円」「特別な技能なし、年齢不問」なんて恐ろしいくらいの好条件が連ねてある。つい先に手にとりかけて、すんででメニューブックの方を開いた。
そして、また驚かされる。
てっきりどこかの地方の郷土料理かと思えば、なんと全国の郷土料理を扱っているらしい。それも一つの県につき、最低でも五つ以上のメニューが載っているではないか。溢れた分は、店の壁にまで。
運命への苛立ちはどこへやら、私はページをめくるごとに、単純にも少しワクワクとしてしまう。
よくいえば切り替えが早く、悪くいうなら考えなし。昔からよく、周りにそう評されてきた。それを今さら気にしてもしょうがない。
いぶし銀な酒のアテが多かった。目に止まったのは、愛知・どて煮に、千葉・アジのなめろう。近くの席にいた一人客の男が写真に収めていた、昆布巻きも気になった。北海道のものらしい。
ビールで始めようと考えていたが、こうなれば日本酒しかない。それも口当たりの辛いものがいいだろう。銘柄に迷いつつも、私は注文を済ませた。
運命なんて、もう信じない!
人で溢れた御徒町駅前の交差点、私・佐田結衣はその決意に拳を固めた。
すーっと桜の匂いがする春の空気で深呼吸。信号が赤から青に変わると、誰よりも先に道路へと躍り出て、我先にと反対に渡る。湧き水のように人を吐き出すアメ横を、一人ずんずんと遡っていく。
「──お姉ちゃん、大学生でしょ? だったらさぁ就活の合間、うちのクラブで働かない……あっ、いややっぱり大丈夫! です!」
あんまりひどい形相になっていたのだろう、お水の勧誘が勝手に引き下がっていったが、気にしない。
元々私はそういうツラなのだ。
細く尖った目は、キツネのようとよく言われてきた。少し機嫌が悪くなると、人を怖がらせることもあるのは承知している。
そんなことより、今はとにかく酒だ。
行くあてはなかった。飲み屋で、すぐに座れるところ。条件はそれだけ、アルコールに浸れればどこでもいい。
そのくらいの店は、この雑多な繁華街にはざらにある。居酒屋にバーやバル、露店まで。国籍さえさまざまな飲み処が客を奪い合ってひしめき合う街なのだ、私のホームタウンであるここ、台東区・上野の御徒町は。
まだ七時だが、もう道の真ん中には酔っぱらいがへたり込んでいた。昼から飲んでいたのだろう。すっかり出来上がって、なにやら叫んでいる。
私もそうしたい、好き勝手喚いて、子供じみてしゃがみこみたい。したいのは山々だったが、まだそこまで自分を捨てられもしないのが私だった。
世間体も、リクルートスーツへのダメージも気になってしまう。だから私は密かに、運命とやらへの憎しみをボロになってきたパンプスにこめる。
「なんなのよ、ほんと」
せいぜい、こう呟くぐらい。
これまで私は、何度裏切られても、最後には運命を信じてやまなかった。信じては裏切られ、もう懲り懲りだと思うのだが、それは喉元にいる間だけ。また気づけば、私は運命にすがりついてきた。
でも、その運命は、なに一つ私にいいものを残してくれなかった。
うんと小さな頃に抱いた料理人になる夢、小学生の頃の初恋、さらには就職活動。見事に全てうまくいっていない。料理人どころか無職だし、初恋の人はさよならも言えないうちに転校していった。そして、今日。
「大学まで行って、あなたはなにを学んできたんですか?」
さっき面接官に突きつけられたばかりの台詞がフラッシュバックして、心がささくれていく。
いわゆる圧迫面接だった。記念すべき一社目の面接だからと、勝手にそこに運命を求めていた私をずたずたにするには、十分すぎる十五分間だった。
この傷を癒せるのは、やっぱり酒しかない。
そう改めて思い立った時、──りんと。涼しげな音が、後ろから耳を撫でた。
音の方を振り仰げば、派手に装飾したフレンチ店。でもそこからではない。音は、その裏手からしたようだった。
のぞき込むと、細い路地がある。暗がりをぼんやり照らすのは、表とは対照的な古めかしい和風の店だった。その軒先に、風鈴が揺れている。
なんとなく懐かしい。でも時期外れだ、まだ春なのに。ただそう思うだけで通り過ぎるには惜しい気がするほど、その音は不思議と耳奥にとどまった。
私は、小窓から店を見てみる。人はまばらだった。小さくまとまった間取りに、はっと思い出した。ここは長いこと空きテナントだったはずだ。それも私が小学生の頃から。勝手に中に入って、遊んだ記憶があるから間違いない。
扉に掲げられていた店名は、『郷土料理屋・いち』だった。郷土料理とはまた珍しい、どこの地方のだろうか。
案内板に立てかけてあった分厚いメニュー表に興味本位で手をかけようしていたら、またリンと。今度は、ポケットの中からだ。
『上野あたりで飲まない? 地元のメンツで』
友人からの連絡だった。
正直言って、気乗りがしない。行けばそれなりに楽しいだろう、場の雰囲気に合わせて、はしゃぐこともできるとは思う。
でも今は違う、人に合わせてやる気分ではなかった。
『あんたの幼馴染・タツキもいるよ』
そして追伸で、完全に行く気が失せた。
その秋山達輝は、元カレなのだ。ただ付き合ったのは、もう何年も前、中学生の頃である。それ以来、なぜか粘着されていて、この間も告白をされたばかりだった。きっぱりと断っても「いい加減頼むよ」などと縋り付かれたので、就活が終わったら答える、と半端な答えで逃げていた。
私は返事をしないことにして、代わりにこの目の前の店を飲食店評価サイトで検索にかける。
万が一にも、彼らに出くわしたくなかった。人気店なら諦めようと思ったのだが、評価はほぼ最低ランクにあたる5点中の3点を下回る2.9点。
レビュー欄は、古い、昭和、前時代的などと悪評で埋められていた。
私も立派なネット世代。日頃ならまず選択肢から外すだろうが、今この状況では、実にうってつけの店だった。
えいやと扉を引いて、私はまず面食らう。
出迎えてくれたのは、水色の三角巾に、黒の割烹着、和装姿の男だった。三角巾だけはやたら年季が入っているように見えたが、小綺麗な格好をしている。大学生くらいだろう。ただそれだけなら、気にもならなかったと思う。
だが、その髪はブロンドだったのだ。綺麗にムラなく、端まで金色。そして顔立ちも、くっきりと彫りが深く、格好いいのだけれど日本人らしくはない。
まるで西洋人形が、和服を着せられているかのようだった。
「いらっしゃいませ、どうぞカウンターのお席へ」
「……はい」
喋った、動いた。
当たり前のことなのに、私は驚いてしまう。
声は静かで少し低く、辺りに響くようだった。独特の間合いの中に入った感じがする。
こんなに雰囲気のある格好いいバイトもいるものか、と思う。まぁそれにしたって「郷土料理」の看板を掲げている店に、金髪はそぐわないのだけど。
バイトをより好みできないくらいには人手に困っているにちがいない。実際、テーブルの上にはバイト募集のチラシが束でラックに刺してあった。
流し見ると、「すぐ払い」「時給1600円」「特別な技能なし、年齢不問」なんて恐ろしいくらいの好条件が連ねてある。つい先に手にとりかけて、すんででメニューブックの方を開いた。
そして、また驚かされる。
てっきりどこかの地方の郷土料理かと思えば、なんと全国の郷土料理を扱っているらしい。それも一つの県につき、最低でも五つ以上のメニューが載っているではないか。溢れた分は、店の壁にまで。
運命への苛立ちはどこへやら、私はページをめくるごとに、単純にも少しワクワクとしてしまう。
よくいえば切り替えが早く、悪くいうなら考えなし。昔からよく、周りにそう評されてきた。それを今さら気にしてもしょうがない。
いぶし銀な酒のアテが多かった。目に止まったのは、愛知・どて煮に、千葉・アジのなめろう。近くの席にいた一人客の男が写真に収めていた、昆布巻きも気になった。北海道のものらしい。
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