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四章 アレンジ料理

四章 アレンジ料理(7)

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「……またいらっしゃったのですね」
「ダメかな? なら次からは普通にお客さんとしてくるけど」
「僕は料理の味を見る店をやっているわけではありませんよ」
「まぁまぁそう言わずにさ♪」

カウンター席に座り、ひふみさんは、またタッパーを広げる。にこにことして、お茶を注ぐ江本さんに視線をやった。

私は、店の履き掃除をしながら、彼女の様子をちらりと観察する。

どこか落ち着かないように椅子をゆすり、指を曲げ伸ばししていた。そして江本さんが彼女に声をかければ、前のめりに耳を傾ける。

ここまでこれば、分からないわけがなかった。はじめに思った通りだ。アレンジ料理という要素を除いて考えれば、実にシンプルなことだった。

彼女は、単に手料理を作り続けてきたわけだ。ただただ、江本さんに食べてもらうために。それが意味することなんて、一つしかない。

簡単な話、ひふみさんは、江本さんが好きなのだ。それもずっと前から。
知りたくなかったな、と少し思う。でも、かまととぶることはできそうもない。江本さんが倉庫の裏へ下がったのを見計らい、

「ひふみさん、江本さんのこと好きなんですか」

一応の礼儀、ほうきをカウンターへ立てかけて、尋ねる。

「あ、分かる? って普通気づくか~」

 いつもは外れる私の推理が、こんな時だけ当っていた。
支点を誤ったようで、滑ったほうきは、床へ打ち付けられた。からんと、竹の軽い音が静かな店内に響く。

「全然気づかないんだよね、えももってば。もしかしたら知っててこうなのかもしれないけど」
「……えっと、いつから?」
「ここで働き出してすぐかな。もう一年以上前だよ。バイトで雇ってくれた時から」

そう聞いて一目惚れかと思うが、彼女が語ったのは、もう少し深い話だった。
ひふみさんは、高校を卒業するも、大学への進学も就職先も決まらず数年間フリーターとして働いていたらしい。
その間、仕事を転々とすること十回以上。その理由は、

「どこも最近は見た目に厳しくてさぁ。雇ってくれるのがそもそも少しで、いざ働き出しても髪染めろだとかそんなのばっかり。
 この髪色はね、私なりのこだわりがあるの。別に見た目なんて関係ないじゃん! っていう私なりの勝手な意思表明なんだ。けど、それを全然誰も分かってくれなかった」

そうして探し回っているときに、たまたま見つけたのが『郷土料理屋・いち』の求人だったらしい。

「最初はとにかくびっくりだったよ。オーナーが金髪だなんて思わないもん。で、理由聞いたら少しでも明るくいるためってウケるよね」

金髪にそんな理由があったとは、初めて聞いた。
この三ヶ月で彼のことを大概知った気になっていたけれど、それは自惚れだったらしい。私の知らない江本さんのことを、彼女知っている。

「で、採用になったの。こんなあたしを拾ってくれたって時点で高ポイントなのに、料理もできて優しいって惚れるよ、そりゃ」

少し呼吸が苦しくなる。
そりゃあ江本さんは、クールなようで結局優しい。でも、それを知っているのは、私だけかな、なんて少し思っていたのに。

むしろ、私が知らないことの方が多いみたいだ。

「毎回ヘンテコな料理を持って行ってたのは、構ってもらえるからなんだ。どれだけダメでも突き放したりしないでしょ、えもも」
「……そこまで思ってるのに、やめたのはどうして?」

「駆け引きのつもりだったんだ。押しても押してもびくともしないから、一歩引いてみようってそういう作戦。バイトを辞めるって言って、引き留めてくれたらって思ったんだけど、分かりましたってそれだけだった。で、ちょっと強がっちゃって、本当にやめたの。工場の内定は実際貰ってたからさぁ」

本当はすぐにでも戻ろうかと思ったらしい。
けれど、それでは工場にも迷惑がかかる。そうこうしているうちに、

「……私がバイトとして入ってたってことですか」
「まぁそうだねー。でも、別にそれはねたんでないよ? 普通のことじゃん。人が抜けたら、代わりの人が入るものだよ、仕事って」

 じんと罪悪感がわき起こる。つもりはなかったとはいえ、私は彼女の恋路を邪魔してしまったわけだ。

「……私のせいで、すいません」
「謝らないでよ、さたっち。まだ、あたしは諦めてないしね。だから、またこうして来てみたの」

 彼女はぐっと胸元で拳を作って、笑ってみせる。

「謝罪してもらうくらいなら、少し手伝ってくれるほうが嬉しいかな、あたしとしては!」
「えっと、手伝う? なにを?」
「あたしはなんとしても、えももを振り向かせたいの! そのお手伝いとかお願いできないかなーって」

ひふみさんは、片目だけを開けてちらりと私を見た後、お願い! と手を合わせる。
その手はわずかに震えていて、言葉以上に本気度合を物語っていた。思えば他の行動もそうだ。その端々から、江本さんへの好意が滲み出ている。

じゃあ私は? と自分に問いかけてみる。私の江本さんへの気持ちは──。
たしかに彼と話すと胸の奥は温かくなるけれど、まだはっきりとはしていなかった。

ならば、私がでしゃばる幕でないな、と思った。人の恋を邪魔をしてしまったうえ、曖昧な自分の気持ちを押し通せるほど傲慢にはなれない。

 きっとここらが境界線だったのだ。郷土料理と同じである。

人間関係だって、元あるべき「基本」の形に戻らなくてはいけない。

私は、ここで働ければそれでいい。江本さんとはただの雇い主と従業員、それが基本だ。幸い私は、ひふみさんが踏み越えた最後のラインはまだ跨いでいない。まだ私は、元の関係に引き返せるはずだ。

「……いいですよ」

だから、躊躇いながらも、こくりと頷いた。協力できることがあるのなら、私なりの償いにもなる。

「ほんと!?」

ひふみさんが私の手をぱしっと握り、結ばせた。少し手のひらがヒリヒリする。自分で出した答えのくせに、胸がきゅっと痛い。

「嬉しい! 助かる~。あ、でも、さたっちはどうなの? あたしに遠慮してるとかならやめてよ?」
「……私は、大丈夫ですよ」

でも、振り切れた。
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