会社をクビになった私。郷土料理屋に就職してみたら、イケメン店主とバイトすることになりました。しかもその彼はーー

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】

文字の大きさ
32 / 41
四章 アレンジ料理

四章 アレンジ料理(8)

しおりを挟む



 とにかく会う回数を増やすこと。基本に忠実に、江本さんの好物を作ってもらうこと。この二つが、ひふみさんと考えた末に捻り出した江本さん攻略作戦だった。

私は仕事中、江本さんにさりげになにを食べたい気分か、と尋ねて、それをこっそりひふみさんに伝える。

そして、ひふみさんはその料理を持って閉店時間ごろにやってきて、江本さんの好みを満たす、とこういう寸法だ。
普通の男の人相手に胃袋を掴むだけなら、容易い話かもしれなかった。アレンジを封印したひふみさんの料理は、ほとんど全て十分な味を保っていた。

けれど、自分が一流料理人の江本さんには簡単には通じない。美味しいですね、とは言うものの、ただそれだけだった。

余計なことを考えないため、徹底的にやるつもりだった。なにか他の方法はないかなと、開店前、私はキッチン内の清掃に勤しみつつ、もつ煮鍋の前に立つ江本さんを観察する。すると、

「今日の気分はたこめしです」
「えっ」

おたまとスプーンで味見をしながら、先回りされた。
ということは、作戦がバレていたということにはならないか。そして、もしそうならば、江本さんはなんのためにこんなことをしているのかも──

「……このような偶然がないことくらいなら、分かります」
「もしかして、どういう目的かも分かってますか」
「……なんとなくならば。けれど、人の気持ちを決めつけるほど傲慢にはなれません」

こう言われて、私は、それ以上踏み込めなかった。ラインの後ろにそっと身を引く。

ここで真相を聞いても、誰のためにもならないだろう。そうですかとだけで濁して、掃除に戻る。
二日目だけれど、手詰まりになっていた。

本当は気乗りしないのを、どうにか知らない振りを決めて懸命に考える。どうすれば、二人をうまくいかせられるだろうか。

そうやって思い詰めていたら、

「佐田さん!」

積み上がっていた調理器具の山を崩してしまっていた。高いところからボウルやらが降ってくるのを見て、とっさに手を頭にやる。

最近はこんなことばかりだ。自分のドジ加減を恨みながら、目を瞑るのだけれど、

「申し訳ありません。ここの片付けまで手が回っておらず」

なにも当たらなかった。江本さんが、私に被さるようにして、守ってくれていた。

そんなことをされれば、振り切ったはずなのに、胸がどくどくと鳴った。目が合うと、息が苦しくなる。優しくしないでほしかった。勝手だけど、そう思ってしまう。

またいらないことを、と突き放してくれればそれで済んだのに。ごまかそうしていたのに、これではその努力が無駄になってしまう。

ダメだ、もう胸がたまらなく熱い。
少しうるっときた目に、江本さんの腕にできたあざが滲んで見えた。

「これくらいはなんてことありません」
「でも、湿布くらいは」

私は手当てをしなくちゃと、少し大げさに振る舞って、一度カウンター側へ避難する。救急箱を手にしてから、彼に見えていないことを確認した。壁に背をつけ、ふーっと深呼吸。
落ち着かなくてはいけない。私はただ従業員として江本さんと過ごせればそれでいいのだから。それが基本なのだ、それが戻るべき形なのだ。頭ではよく理解していた。なのに、心がままならない。

そうこう一人で葛藤していて、気づいた。

私だけが彼と二人きりになるからいけないんだ。

「今日はちょっと用があるので」

その日の終業後、私は適当な理由をつけて、ひふみさんが来るより前、早々にタイムカードを切って、店を出た。

早く帰って、なにも考えないためにも、すぐに寝るつもりだった。けれど、足が鉛をくくりつけられたように重い。
店を出てすぐは降っていなかった小雨がちらつきだして、気分をさらに沈ませる。傘は店へ置いてきてしまっていた。

でも、もしもうひふみさんが来ていたら、そう思えば取りにはいけない。

徒歩にして十分やそこら、近いはずの家がかなり遠くに思えた。
かと言って、飲み屋でお酒をひっかけるような気にもなれず、私はネオンの照らす道をよたよたと歩く。

上野御徒町は、今日も活気に溢れていた。いつもは楽しげに映るその光が、今日はお前は場違いだと、突きつけてくるようだった。

街から逃げたかった。それだけ考えているうち私が辿り着いていたのは、上野公園の噴水前だった。
もう十時過ぎ、それもあいにくの雨だ。夜の公園には、私以外の姿がなかった。数日前の昼とは大違い。それは私も。

大きなベンチの端、縮こまって、噴水と雨粒の音を聞く。雨に打たれて髪が頬に張り付いていたけれど、もう気にならないくらいには濡れていた。いっそ雨に溶けてしまえればいいのに、私は溶け残る。
馬鹿だなぁと思う。余計なことを望むからこうなるんだ。ただ料理屋で働ければそれだけでよかったのに、欲を出すから痛い目を見る。

昔と同じだ、昔も恋に破れて一人でここに来た。全く変われていないなと思う。

ふと、足音がした。俯いてやり過ごそうとしていたら、目の前でそれは止まる。顔をあげると、傘がこちらへ傾けられた。

「こんなところでなにしてんだ」

その透明なビニールの奥、ほとんど見えない暗がりからしたのは、耳に染みついた声だった。いたのは江本さんではなくて、

「どうしてここにいるの」

幼馴染・秋山達輝だった。
映像が昔の光景とだぶる。けれど、彼は大きく変わった。それは見た目に限ったことではない。

「たまたまだぞ。上野を歩いてたら結衣を見かけたんだ。それで、様子が変だからついてきた。なんだ、また失恋でもしたか」
「……達輝に関係ない」
「どうせバイト先の店長にでも絆されたんだろ」

なにも話していないのに、どうして知っているんだろう。そう思ったら、

「この間、紗栄子さんに聞いたんだ」

叔母に会っていたらしい。世間話の中で悪気なく漏れてしまったのだろう。

「まだバイトしてたなんて、まずそこに驚いたよ。就活してたんじゃなかったのか」
「……うるさい。ご飯やで働くのは私の夢で」
「また夢……か」

達輝の声が呆れを含んでいるようで、これ以上話したくなくなった。そもそも話したいことなんてない。
私はベンチを勢い立ち上がって、彼の前から立ち去ろうとする。背中から、

「なぁ好きだ。付き合ってくれ」

こう四度目の告白をされた。

こんな時に現れて、卑怯だ。計算ずくで、狙ってやってるようにしか思えない。その好きは、なんの好きなんだ。その優しさは、江本さんのものとは全然違う。つけ込むようなずるさでできている。

「何回も嫌だって言ってるでしょ!」
「いい加減受けてくれよ。もしかして本当に店長に恋でもしたか? そろそろ、現実見ろよ。お前にとっても俺を選ぶ方が楽だろ」

 とても告白の台詞とは思えなかった。私はなおも首を振る。それから、踵を返して、背を向けた。

「もう一回考え直せよ」

 かかった声には無視を決めた。また、振り切れなかったとも言えるかもしれない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

鑑定持ちの荷物番。英雄たちの「弱点」をこっそり塞いでいたら、彼女たちが俺から離れなくなった

仙道
ファンタジー
異世界の冒険者パーティで荷物番を務める俺は、名前もないようなMOBとして生きている。だが、俺には他者には扱えない「鑑定」スキルがあった。俺は自分の平穏な雇用を守るため、雇い主である女性冒険者たちの装備の致命的な欠陥や、本人すら気づかない体調の異変を「鑑定」で見抜き、誰にもバレずに密かに対処し続けていた。英雄になるつもりも、感謝されるつもりもない。あくまで業務の一環だ。しかし、致命的な危機を未然に回避され続けた彼女たちは、俺の完璧な管理なしでは生きていけないほどに依存し始めていた。剣聖、魔術師、聖女、ギルド職員。気付けば俺は、最強の美女たちに囲まれて逃げ場を失っていた。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~

ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。 休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。 啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。 異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。 これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ

天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。 ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。 そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。 よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。 そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。 こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。

処理中です...