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一章
第6話 冷酷と噂の隣国王子と二人で、脱国のために山を登る
しおりを挟む人違いかもしれない。
そう思って何度か目を瞬くが、何度見ても、間違いなくルベルト王子本人だ。
なにせ一度見たら忘れられないのが、その顔なのだ。
まずもって、その顔立ちはすべてが整っている。
僅かな光すら弾き返す白い肌、綺麗に筋の通った鼻梁、センターでふんわりと分けた艶やかな青髪。
極めつけには、長くうっすらとカールしたまつ毛と、その中にいただく星空を切り抜いてきたみたいな瞳である。
その美しさには衝撃を受けて、かつてミュラ王国を訪問した際には、一目で覚えてしまった。
うっかり、本来の会談相手であるミュラ王の顔が霞んでしまうくらいの、圧倒ぶりだったのだ。
その性格などは、直接話をしたことはあいさつ程度しかないから、よく知らない。
ただ、辺境地の領主になったのは兄を追い落として王座に就くための実績づくりでやっているとか、非常に冷酷な人間で小さな失敗で部下を切り捨てたとか、そんな噂はオルセン王国の貴族の中でも流布していた。
綺麗な顔の裏でなにを企んでいるか分からないから、『氷の仮面王子』などと、オルセン王国ではもっぱら言われていたっけ。
なぜ、そんな人がこんな時間に、こんな場所にいるのか。
疑問に思ってすぐ、私によぎったのは、ミュラ国からオルセン国へ侵攻をかけにきたという可能性だが……
周りを警戒してみても、兵士などの気配は一切しない。
どうやら本当に彼一人らしい。
じゃあ、いったいなにをしにこんな場所に?
私はうっかり聞きそうになって、すんでのところで言葉を飲み込む。
下手なことを言って、私が王妃・アストリッドと同一人物であることが露見したら、大問題になる可能性もあるのだ。
「ここは立入禁止区域だ。なぜここにいる」
髪型を変えたこともあってか、幸いなことに、今のところ気づかれている様子はない。
ならばと私は意を決して、
「えっと、薬草類の採集のために朝にトレールの街から入ったのですが迷ってしまいまして……」
こんな理由をでっちあげる。
はっきり言って、ある種の賭けだった。
少しでも疑われてしまったら、ここで斬られてもおかしくない。
ただ正直にオルセン側から来たと白状するのは、リスクが高いだけで、リターンがない。
こう言っておけば、信じてさえ貰えたなら、こそこそせずにミュラ国へ入国できる可能性もある。
ルベルト王子は私のほうを、その心の機微の読みにくい目をきっと細めて、こちらを見つめてくる。
もともとアーモンド型の切れ目をしている彼だ。
その視線には、なかなかの迫力があるし、心の奥を見透かすような力を感じる。
が、それでたじろがないくらいには、私も貴族社会で多くの場数を踏んできた。
「あなた様は……? い、いえ! 誰でもいいので助けてもらえませんか」
相手がたとえ、『氷の仮面王子』だろうと関係ない。
これくらいの演技なら、顔に出さずにやり通せる。
その自信が私にはあった。
私は請うように手を結び、眉をほんのりと下げて声を絞る。
完ぺきに困っている人を演じられた。
私はそう思っていたのだが、それに対する返事はというと、
「……俺は、ただの冒険者だ」
これだけだった。
目を隠すように髪を引っ張りながら、彼はそっぽを向く。
どうやら彼にも、身分を隠す事情があるらしかった。
まぁ、高貴な人がこんな場所にいるのだから、事情があるのは、当然と言えば当然か。
なんて私がひっそり納得していたら、彼はこちらに背を向けて、とぼとぼ歩き始めてしまう。
置いていかれても、おかしくはない。一瞬、私はそう覚悟をするのだが、そういうわけではなかった。
ルベルトは、少し先で立ち止まる。
「……ついてくるなら、来い。ちょうど俺も切り上げようと思っていた」
そして、背を向けたまま、ぶっきらぼうに呟いた。
冷え切った声でこそあれ、見捨てられはしなかったらしい。
もしかして、あれはただの噂だったのだろうか。
どういうことか現時点では判断がつかないが、なんにしても、私にとっては好都合だった。嘘をついている以上、あまり探りを入れられては困るのだ。
私は「待ってください」と言って、木陰から出る。
そうして嘘つき二人による、夜の山登りが始まった。
その間、会話はほとんどない。
ペースも合わせてくれるわけではなく、ルベルトはどんどんと先を行ってしまう。
が、この逃避行の結果、かなり体力もついてきた。
私は彼の腰元の光を頼りに、それに必死に食らいつく。
そうして、やっとそのペースに慣れ始めた頃に、彼がばっと右手を広げて、私の行く手を阻んだ。
「どうかしたのですか」
「魔物だ。この感じ、猪型の魔物といったところか。……下がっていろ」
剣がしゅらりと音を立てて抜かれる。
そのすぐあとのことだ。
獣が地を這うような唸り声とともに草陰から飛び出してきた。
大きな身体に立派な角を持つその魔物は、彼が言う通り、体長二メートルほどの猪型の魔物だ。
角が大きいほど強者の証とされている。
目の前の猪魔はといえば、かなり立派なものを持っていた。
あんなものに勢いよく突っ込んでこられたら、簡単に貫かれてしまいそうだ。
が、ルベルトはその突撃の斜めに入ることで、剣でその攻撃をいなす。
そのうえで、彼はまず一太刀、その背中に食らわせる。
が、皮膚が固いのか、はじき返されてしまっていた。
「……厄介だな。しょうがない」
ルベルトはそう呟くと、剣に風を渦巻かせる。
どうやら彼は、風の神から加護を受けているらしかった。それも、その魔力量はかなりのものだ。
その柄からは、肌がぴりぴりするほどの大きな魔力が噴き出す。
それに恐れをなしたか、魔猪は突進を躊躇する。
これで後は引き下がってくれればよかったのだけれど、その大きな角が向いたのは、私のほうだった。
「え」
私が反応できずにいると、魔猪は勢いよく地面を蹴り、こちらへと駆けてくる。
私はとにかく、とっさの判断で頭を抱える。
が、しかし。衝撃が襲ってくることはなかった。
すんでのところで、ルベルトの剣が、魔猪の身体を弾き飛ばしたのだ。
どうやら守ってくれたらしい。
やっぱりあの噂は嘘だったのかもしれない。
私がそんなふうに思っていると、彼は魔猪に追い打ちをかける。木に打ち当たった猪の腹に、何度も何度も剣を突き立てていた。
いっさい動かなくなってからも、トドメとばかり、もう一度剣を刺す。
……これは前言撤回だ。本当に恐ろしい人間の可能性もある。
私が刺し傷だらけの猪の身体を見つつ、しばし唖然としていたら、彼は剣をしまいながら、大きく息をついた。
「……早く行くぞ」
ルベルトは胸元から取り出した布で剣を拭いながら、再び歩きだそうとする。
私はそれに慌ててついていこうとして、ふと気づいた。
倒れ込んだ猪の身体についた傷に、なにか違和感があったのだ。
いったいなにが理由なのだろう。私が考え込んでいたら、
「なにをやっている」
ルベルトからこう声がかかる。
ちょうどそのときに、違和感の原因に思い当たるものがあった。
「……あなた、魔力異常になっているんじゃないですか」
私はつい、はっきりと言ってしまう。
先に助けてもらったことへの礼が必要だったとは、あとから気づいた。
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