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恋をしよう
異変(3)
しおりを挟むそれから数週間後の金曜日。業後に薫子から連絡があり、明日、また出張料理をしてくれないかとお伺いが来た。久しぶりなのでわくわくする。
何を作ろう。何を食べたいと言うだろう。薫子の喜ぶ顔が見られると思ったら、その夜はなかなか寝付けなかった。
土曜日午後四時。薫子の部屋を訪れると、以前と変わらない様子で出迎えてくれた。
「この前はごめんね。みっともないところを見せて」
薫子が開口一番、あの時のことを謝ってきた。でも病気だったのだから仕方ないと思う。
「薫子さんが病気やったなんて知りませんでした。僕こそずかずか押しかけてもーてすみませんでした」
「良いのよ、佐々木が連れてきたんでしょう」
まあ、そうだ。彼女が気を利かせてくれただけで、佳亮が積極的に行きたいと頼んだわけではない。
「そうですね。じゃあ、買い物に行きましょうか。今日は何が食べたいですか?」
薫子は既に小さな鞄を持って出かける準備は整っている。佳亮も玄関を上がってないから、そのままスーパーに行ける。
「ええとね、私、オムライスが食べたいわ」
「オムライス?」
今までのリクエストから比べるとやけに簡単なメニューのリクエストだ。それでも薫子が食べたいというのならそれを作ろうじゃないか。
冷蔵庫に一つも卵がないことを確認して、買い物に出掛ける。並んで歩くのも久しぶりだ。
「お米も炊きますよね。あと、オムライスに入れるものは何か好きなものはありますか?」
「何が入ってたかしら? オムライスって、小さい頃の食べた記憶しかないのよ」
なるほど、あんな豪邸に住んでいるくらいだから、きっとお抱えのシェフなんかが居て、普段はそれはそれは高級な食事を食べていたんだろう。オムライスなんて庶民や子供の食べ物だから、大人になった薫子が覚えてなくても仕方ない。佳亮は直ぐに、鶏肉とニンジン、マッシュルームとコーンを入れることを提案した。薫子も笑顔で承諾してくれる。
「しかし、薫子さんがあんなお嬢様やったなんて知りませんでした。社長やって知った時も驚きましたけど」
佳亮が思い出して言うと、薫子は不機嫌そうに眉を寄せた。
「私、お嬢様じゃないわ。全然お嬢様っぽくないのよ。昔からわんぱくだったし、小学校の頃は男子と喧嘩して生傷が絶えなかったわ。中学に入ったらぐんぐん背が伸びて周りの男子を威圧していたし、後輩の女子に囲まれたりしてたし」
薫子から語られる過去が新鮮に聞こえる。
「社長になったのも、全然偉くないのよ。嫁入り修行をしろって言われたから、それが嫌で仕事がしたいって言ったらあの会社を提示されて、それを受けただけ。全然偉くないのよ。小さい頃から弟さんや妹さんの為にお料理作ってた佳亮くんの方がうんと偉いのよ」
そんなことない。会社が忙しい時、泊まり込みで業務にあたる薫子は責任を全うしていると思う。
「僕やって与えられた役目をこなしてただけですよ。もし両親が弟妹の面倒を見てたら、きっと遊び呆けてたと思いますし」
「そんなことないわ。小さい頃から役目を負って、偉かったと思うわ」
薫子はこうやって、料理に明け暮れた佳亮を肯定してくれる。ありがたい存在だとしみじみ思った。
スーパーで卵など必要な材料と米を買うと、やはり薫子が荷物を持った。佳亮も慣れてしまって、薫子に持たせている。部屋に帰って材料をいったん冷蔵庫に入れると、手を洗って包丁とまな板を出した。薫子は何時も通りラグの上に寛いだが、キッチンを振り向いてこう言った。
「ねえ、佳亮くん。今日、私、卵を割ってみちゃ駄目かしら?」
言われたことに驚いて、佳亮は薫子を見た。薫子がじっと佳亮のことを見てきていて、おふざけで言ったのではないとわかった。
「…どうしたんですか、急に。前、やってみたらって言うた時にやらなかったやないですか」
「うん。…ちょっと、やってみたくなったのよ。…駄目?」
駄目かと問われれば駄目ではない。大体卵を割るくらい、誰だって出来る。そう思って鶏肉を細かく切ってしまうと、一旦薫子にキッチンを明け渡した。
キッチンに立つ薫子、なんて初めて見る光景を、佳亮はラグの上から見ていた。薫子は注意深く冷蔵庫から取り出した卵を手に持ち、ボウルの縁で割ろうとして……、失敗した。薫子の手の中で卵がぐしゃりと形を崩す。
ボウルに落ちた殻の混じった卵液を捨てると、もう一度。やはり上手く割れない。その後も潰したり、中身が飛び出したりして、結局上手く出来ずに卵を六つ無駄にしたところで佳亮と交代した。
「やっぱり私駄目ね…」
薫子がしょんぼりして言うので、何事も最初は上手くいきませんよ、と励ました。
「練習すれば割れるようになりますよ」
「…なるかしら」
「なりますとも」
にっこり返すと、薫子は頼りない笑みを浮かべて、それじゃあ、と言った。
「これから毎回一つ、卵を割る練習をするわ。出来るようになったら褒めてね」
おそらく料理を一度もしたことがないだろう薫子の、十分すぎる前向きな考えを、佳亮は全力で応援したいと思った。
「頑張りましょうね」
佳亮が言うと、薫子がきれいな笑顔になった。
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