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恋人のふりと婚約者
恋人のふり-1
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今日は会社で原稿のチェックをしていたら、雪月が文芸部を訪れた。会社で雪月と会うのは、実に配属になって以来のことである。
「華乃子さん」
「まあ、先生! わざわざおいで下さらなくても、仰って頂ければ伺いましたのに!」
思いもかけない場所で雪月と会ってしまい、動揺と興奮で声が大きくなってしまった。同僚たちにくすくすと笑われ、華乃子は自分のはしたなさにハッとする。
「す、すみません、大声で……」
「いえ……、僕も唐突にお伺いしてしまい、すみません」
ぺこりと頭を下げる雪月は何時ものシャツに着物の書生姿ではなく、見たこともないスーツ姿だった。この姿にも驚いてしまって、驚きが大きくなったと言ってもおかしくなかった。
「先生……、洋装をお持ちだったのですね……」
「はは……、着ないので持っていないも同然ですが、一応仕立てておりまして……」
パリっとしたスーツを着る雪月は居心地悪そうに笑った。確かに寛人のように着慣れている様子ではない。
「それで先生。お召しになられないスーツをお召しになって、どんなご用事でしたのですか?」
「はい。実は華乃子さんにお付き合いいただきたい場所がありまして」
「私に……、ですか?」
「はい。華乃子さんにしか、頼めないのです」
華乃子にしか頼めないこと……。なんだろう……。
思いもかけない訪問の次は思いもかけない頼みごとだった。真剣な雪月の表情に期待すまいと思ってもどきりとする。
「な、なんでしょう……。私でお役に立てると良いのですが……」
あやかしの体験談だったら雪月の家で話せばいいことだ。一体何だろうと思っていると、一緒に来て欲しい場所があるのです、と言って、雪月は華乃子を会社から連れ出した。
華乃子は雪月に連れられて訪れた店の前で口をあんぐりと大きく開けた。其処は帝都でも有名な宝飾品店だったのである。
「せ……っ、先生……、こんなお店に何の御用ですか……?」
こういう店の店主が継母に美しい品を見せては継母が気に入って買っていたのを思い出す。じわっと染み出す、嫌な思い出。華乃子がぐっと奥歯を噛みしめると、その思いから庇うように雪月が華乃子の手に触れた。
「……っ!」
不意のことで顔が赤くなる。華乃子は隠しきれない頬の熱さをごまかそうと俯くと、良いですね、と雪月が微笑んだ。
「え……っ?」
折角誤魔化そうと俯いたのに、思いもかけない雪月の言葉につい、顔を上げてしまう。しかし雪月は華乃子に向けて、いつも通り穏やかに微笑んでいた。
「これからこんなお店に入ろうとする、漸く結婚の決まった恋人同士のようで、実に良いです」
「は……? は……っ!?」
け、結婚!? 恋人!?
急に降りかかって来た恋しい人からの言葉だ。動揺しない方がおかしいだろう。しかし雪月は穏やかな微笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「そう……。これから僕と華乃子さんは結婚の決まった恋人として、この店で結婚指輪(エンゲージリング)を選びます。これは今新しく書いている、華乃子さんをモデルにしたお話の一節で使いたい一場面でして……」
ぽかーん、と。
すらすらと話を進める雪月の意図を漸く知った時、華乃子はやっと何とか間抜けな顔を改めることが出来た。そして今度こそ、顔がばあっと真っ赤になる。
「あ……っ! 振り!! 真似!! お話の!! 資料として!!」
「かっ、華乃子さん!!」
往来で突然叫んだ華乃子は行き交う通行人から注目された。隣ではそんな華乃子を雪月が庇って慌てている。そこで華乃子は漸く自分の失態を知るのである。
「あ……っ、す、すみません……」
恥ずかしさに身を縮めるとは、まさにこのことだな、と華乃子は消え入りたいくらいの気持ちだったのに、雪月はそんな華乃子の手を取った。
「え……っ? ええ……っ!?」
「行きますよ、華乃子さん。今からこのお店を出るまで、僕たちは恋人です」
いつもの穏やかで、日常生活ではどちらかというと遠慮するばかりだった雪月は何処へ行ったのだろう。今の雪月はもう既に、『恋人を連れている』男の人だった……。
「華乃子さん」
「まあ、先生! わざわざおいで下さらなくても、仰って頂ければ伺いましたのに!」
思いもかけない場所で雪月と会ってしまい、動揺と興奮で声が大きくなってしまった。同僚たちにくすくすと笑われ、華乃子は自分のはしたなさにハッとする。
「す、すみません、大声で……」
「いえ……、僕も唐突にお伺いしてしまい、すみません」
ぺこりと頭を下げる雪月は何時ものシャツに着物の書生姿ではなく、見たこともないスーツ姿だった。この姿にも驚いてしまって、驚きが大きくなったと言ってもおかしくなかった。
「先生……、洋装をお持ちだったのですね……」
「はは……、着ないので持っていないも同然ですが、一応仕立てておりまして……」
パリっとしたスーツを着る雪月は居心地悪そうに笑った。確かに寛人のように着慣れている様子ではない。
「それで先生。お召しになられないスーツをお召しになって、どんなご用事でしたのですか?」
「はい。実は華乃子さんにお付き合いいただきたい場所がありまして」
「私に……、ですか?」
「はい。華乃子さんにしか、頼めないのです」
華乃子にしか頼めないこと……。なんだろう……。
思いもかけない訪問の次は思いもかけない頼みごとだった。真剣な雪月の表情に期待すまいと思ってもどきりとする。
「な、なんでしょう……。私でお役に立てると良いのですが……」
あやかしの体験談だったら雪月の家で話せばいいことだ。一体何だろうと思っていると、一緒に来て欲しい場所があるのです、と言って、雪月は華乃子を会社から連れ出した。
華乃子は雪月に連れられて訪れた店の前で口をあんぐりと大きく開けた。其処は帝都でも有名な宝飾品店だったのである。
「せ……っ、先生……、こんなお店に何の御用ですか……?」
こういう店の店主が継母に美しい品を見せては継母が気に入って買っていたのを思い出す。じわっと染み出す、嫌な思い出。華乃子がぐっと奥歯を噛みしめると、その思いから庇うように雪月が華乃子の手に触れた。
「……っ!」
不意のことで顔が赤くなる。華乃子は隠しきれない頬の熱さをごまかそうと俯くと、良いですね、と雪月が微笑んだ。
「え……っ?」
折角誤魔化そうと俯いたのに、思いもかけない雪月の言葉につい、顔を上げてしまう。しかし雪月は華乃子に向けて、いつも通り穏やかに微笑んでいた。
「これからこんなお店に入ろうとする、漸く結婚の決まった恋人同士のようで、実に良いです」
「は……? は……っ!?」
け、結婚!? 恋人!?
急に降りかかって来た恋しい人からの言葉だ。動揺しない方がおかしいだろう。しかし雪月は穏やかな微笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「そう……。これから僕と華乃子さんは結婚の決まった恋人として、この店で結婚指輪(エンゲージリング)を選びます。これは今新しく書いている、華乃子さんをモデルにしたお話の一節で使いたい一場面でして……」
ぽかーん、と。
すらすらと話を進める雪月の意図を漸く知った時、華乃子はやっと何とか間抜けな顔を改めることが出来た。そして今度こそ、顔がばあっと真っ赤になる。
「あ……っ! 振り!! 真似!! お話の!! 資料として!!」
「かっ、華乃子さん!!」
往来で突然叫んだ華乃子は行き交う通行人から注目された。隣ではそんな華乃子を雪月が庇って慌てている。そこで華乃子は漸く自分の失態を知るのである。
「あ……っ、す、すみません……」
恥ずかしさに身を縮めるとは、まさにこのことだな、と華乃子は消え入りたいくらいの気持ちだったのに、雪月はそんな華乃子の手を取った。
「え……っ? ええ……っ!?」
「行きますよ、華乃子さん。今からこのお店を出るまで、僕たちは恋人です」
いつもの穏やかで、日常生活ではどちらかというと遠慮するばかりだった雪月は何処へ行ったのだろう。今の雪月はもう既に、『恋人を連れている』男の人だった……。
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