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寛人の野望
職場にて-3
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抵抗の意思を示したにもかかわらず、華乃子の婦人部移動はあっけなく行われた。婦人部で出迎えてくれたのは、佐藤だった。
「藤本さんは退職されたの。代わりに私が企画の担当になっているので、よろしくお願いします」
丁寧に挨拶をされて、華乃子も頭を下げた。
「出戻りですけど、婦人部の為に努力の限りを尽くします」
目を合わせると、佐藤はふふっと微笑んだ。華乃子もまた、口許を緩める。
複雑な気持ちだが、また職業婦人の後押しをする仕事が出来るのは嬉しい。早速街を観察に行こうと思い、鞄と筆記具をもって婦人部を出た。
廊下を歩いて階段を下りるために角を曲がる。すると廊下の先にある文芸部の部屋から、丁度雪月が出てくるところだった。
あれ程雪山で助けてもらえなかったことを恨んだというのに、会えなかった時間の所為か、遠目に姿を見ただけで、胸の動悸がどくんと鳴った。
文芸部の扉からは女の人も出てきて、雪月はその女性と微笑みながら言葉を交わし、向こうの方へと歩いて行った。たったその一瞬がまるで永遠であるかのように華乃子はその場に立ち尽くし、二人が廊下の角を曲がるまで、彼らの背中をぼんやりと見ていた。
(……先生、お変わりなかったみたいだわ……)
何を期待していたのだろう……。編集担当が変わったのを、落胆していて欲しかったのだろうか。
(……だって、直々にだって編集長もおっしゃってたし……)
いや、何を考えているんだ。ついこの前、一人で生きていくと決めたじゃないか。雪月が華乃子の力に惹かれたのであれば、寛人と同じだ。愛して欲しいと思う華乃子の心には応えてくれないだろう。
(……でも、約束したもの……。それに、愛してる人の中にご自分も加えて欲しいとおっしゃってたのよ……)
思い出すのは雪月の言葉だが、その真意は何処にあったのかと考えると、雪月に問い質すのが怖くて華乃子は俯いた。
考えないようにしよう、雪月のことは。彼があやかしである以上、力を理由に行動することはあり得ると思っておかなければならない。その時に自分が傷つかなくてもいい方策を、華乃子は張り巡らせておかなければならないのだ。
復帰後一発目の企画は靴にした。洋装の時に合わせる履物で、着物に合わせる草履とは全然作りも違うし、履き心地も違う。女性が脚をきれいに見せる為の必需品で、中には飾りのついた靴もあり、店に展示されているものを見るだけで心が躍る。
こういう気持ちを、雑誌を手に取ってくれる読者の人に届けたい。出来れば洋装がもっと一般的になって、誰もが気軽に楽しめるようになると良い。華乃子はそう考えて婦人部に戻ってからの仕事を精力的にこなした。
企画会議でも藤本と意見を交わしていた時のようなぎすぎすした感覚ではなく、佐藤とお互いの企画の良いところ悪いところを指摘し合う、非常に建設的な会議が行われていた。
結果、『婦人百科』の企画ページは充実し、ますます売り上げを伸ばしていった。
「いやあ、やっぱり鷹村さんに帰ってきてもらってよかったよ!」
満足げに言うのは浅井だ。婦人部に戻ってから感じていたが、今は浅井も鷹村を気にしていたという素振りは見せず、純粋に佐藤の案と華乃子の案を天秤に掛けて良い方を採用するというやり方になっていた。
それが健全な仕事のやり方なので、華乃子も自分が提案した企画が通らなかったからと言って、何か文句をいう訳でもなかった。……勿論、藤本と一緒にやっていた時も、そんなことをしたことがなかったのだが。
今日は来月発行される『婦人百科』のゲラ刷りが届く予定だった。やはり紙面を華やかにするモダンガールのファッション写真を添えたゲラ刷りが届くとわくわくする。華乃子が次の企画を何にしようかと考えながら廊下を歩いていると、立ち話をしている社員たちから談笑が聞こえた。
「そういえば文芸部に寄稿している雪月先生の結婚話は本決まりらしいな」
決して大声を張り上げたわけでもないその声が、華乃子の鼓膜を大きく震わせた。
「あの方、大人しそうだから女性とも縁がないと思っていたよ。編集となら、納得って感じだったな」
「指輪は特注らしいじゃないか。そんな金、よくあったなあ。今までの原稿料、全部貯金していたんじゃないのか」
どくん、と、大きく心臓が跳ねる。
(……先生が、結婚……?)
丸くなって話し込んでいる男性社員たちは口々に羨ましいことだ、と言っている。そして話題は別の人の話へ移っていった。
華乃子は今度こそ動悸が止まらなくなった。
どくん、どくん、どくん、どくん。
心臓は鳴りやまない。
それどころか、じっとりと手も汗ばんできた。
膝が震えているのを何とか踏ん張ってその場に立ち尽くす。
「…………」
編集とだって話をしていたから、この前見かけたあの女性となのだろうか。
だとしたら、あの女性もあやかし……? 彼女は半妖ではなく、同族のあやかしなのだろうか……。
だとすると、やはり雪月は華乃子の力しか見ていなかったことになる。
ぐわんぐわんと頭が回るような感覚に陥りながら、なんとかその場で足を踏ん張った。
(……なにをこんなに動揺しているのかしら、私……)
一人で生きていくと決めた筈だった。だけど、心の何処かで、何時か雪月があの郷での非礼を詫びてくれて、また元のように仲良く過ごせると思っていたらしい。
雪月への未練ばかりが頭に渦を巻いて何も正常に判断できない。こんな風に後悔するくらいなら、あの時肩を揺さぶってでも雪月の真意を聞いておけばよかった。そうしたら少なくとも、こんな未練がましい想いはしなくて済んだのかもしれないのに……。
(裏切られた気持ちになっていたのに、私は……、私はこんなにも雪月先生に惹かれていたの……?)
裏切られているというのに、それでも雪月を求めて心が恋焦がれている。
やり直したかった。あの雪女の郷での時間から、やり直したい。
でも時計が巻き戻らないことも知っている。
流れた時間の中で、雪月は華乃子ではなく、あの女性を選んだ。きっと力の強いあやかしなんだろう。だとしたら、華乃子に力を求めて求婚する寛人と結婚しても同じことではないか……?
あやかし同士の婚姻には愛はなく、力があるのみ。
それで判断するなら、雪月から遠いところが良い。
華乃子は、寛人の求婚を受け入れることを決意した……。
「藤本さんは退職されたの。代わりに私が企画の担当になっているので、よろしくお願いします」
丁寧に挨拶をされて、華乃子も頭を下げた。
「出戻りですけど、婦人部の為に努力の限りを尽くします」
目を合わせると、佐藤はふふっと微笑んだ。華乃子もまた、口許を緩める。
複雑な気持ちだが、また職業婦人の後押しをする仕事が出来るのは嬉しい。早速街を観察に行こうと思い、鞄と筆記具をもって婦人部を出た。
廊下を歩いて階段を下りるために角を曲がる。すると廊下の先にある文芸部の部屋から、丁度雪月が出てくるところだった。
あれ程雪山で助けてもらえなかったことを恨んだというのに、会えなかった時間の所為か、遠目に姿を見ただけで、胸の動悸がどくんと鳴った。
文芸部の扉からは女の人も出てきて、雪月はその女性と微笑みながら言葉を交わし、向こうの方へと歩いて行った。たったその一瞬がまるで永遠であるかのように華乃子はその場に立ち尽くし、二人が廊下の角を曲がるまで、彼らの背中をぼんやりと見ていた。
(……先生、お変わりなかったみたいだわ……)
何を期待していたのだろう……。編集担当が変わったのを、落胆していて欲しかったのだろうか。
(……だって、直々にだって編集長もおっしゃってたし……)
いや、何を考えているんだ。ついこの前、一人で生きていくと決めたじゃないか。雪月が華乃子の力に惹かれたのであれば、寛人と同じだ。愛して欲しいと思う華乃子の心には応えてくれないだろう。
(……でも、約束したもの……。それに、愛してる人の中にご自分も加えて欲しいとおっしゃってたのよ……)
思い出すのは雪月の言葉だが、その真意は何処にあったのかと考えると、雪月に問い質すのが怖くて華乃子は俯いた。
考えないようにしよう、雪月のことは。彼があやかしである以上、力を理由に行動することはあり得ると思っておかなければならない。その時に自分が傷つかなくてもいい方策を、華乃子は張り巡らせておかなければならないのだ。
復帰後一発目の企画は靴にした。洋装の時に合わせる履物で、着物に合わせる草履とは全然作りも違うし、履き心地も違う。女性が脚をきれいに見せる為の必需品で、中には飾りのついた靴もあり、店に展示されているものを見るだけで心が躍る。
こういう気持ちを、雑誌を手に取ってくれる読者の人に届けたい。出来れば洋装がもっと一般的になって、誰もが気軽に楽しめるようになると良い。華乃子はそう考えて婦人部に戻ってからの仕事を精力的にこなした。
企画会議でも藤本と意見を交わしていた時のようなぎすぎすした感覚ではなく、佐藤とお互いの企画の良いところ悪いところを指摘し合う、非常に建設的な会議が行われていた。
結果、『婦人百科』の企画ページは充実し、ますます売り上げを伸ばしていった。
「いやあ、やっぱり鷹村さんに帰ってきてもらってよかったよ!」
満足げに言うのは浅井だ。婦人部に戻ってから感じていたが、今は浅井も鷹村を気にしていたという素振りは見せず、純粋に佐藤の案と華乃子の案を天秤に掛けて良い方を採用するというやり方になっていた。
それが健全な仕事のやり方なので、華乃子も自分が提案した企画が通らなかったからと言って、何か文句をいう訳でもなかった。……勿論、藤本と一緒にやっていた時も、そんなことをしたことがなかったのだが。
今日は来月発行される『婦人百科』のゲラ刷りが届く予定だった。やはり紙面を華やかにするモダンガールのファッション写真を添えたゲラ刷りが届くとわくわくする。華乃子が次の企画を何にしようかと考えながら廊下を歩いていると、立ち話をしている社員たちから談笑が聞こえた。
「そういえば文芸部に寄稿している雪月先生の結婚話は本決まりらしいな」
決して大声を張り上げたわけでもないその声が、華乃子の鼓膜を大きく震わせた。
「あの方、大人しそうだから女性とも縁がないと思っていたよ。編集となら、納得って感じだったな」
「指輪は特注らしいじゃないか。そんな金、よくあったなあ。今までの原稿料、全部貯金していたんじゃないのか」
どくん、と、大きく心臓が跳ねる。
(……先生が、結婚……?)
丸くなって話し込んでいる男性社員たちは口々に羨ましいことだ、と言っている。そして話題は別の人の話へ移っていった。
華乃子は今度こそ動悸が止まらなくなった。
どくん、どくん、どくん、どくん。
心臓は鳴りやまない。
それどころか、じっとりと手も汗ばんできた。
膝が震えているのを何とか踏ん張ってその場に立ち尽くす。
「…………」
編集とだって話をしていたから、この前見かけたあの女性となのだろうか。
だとしたら、あの女性もあやかし……? 彼女は半妖ではなく、同族のあやかしなのだろうか……。
だとすると、やはり雪月は華乃子の力しか見ていなかったことになる。
ぐわんぐわんと頭が回るような感覚に陥りながら、なんとかその場で足を踏ん張った。
(……なにをこんなに動揺しているのかしら、私……)
一人で生きていくと決めた筈だった。だけど、心の何処かで、何時か雪月があの郷での非礼を詫びてくれて、また元のように仲良く過ごせると思っていたらしい。
雪月への未練ばかりが頭に渦を巻いて何も正常に判断できない。こんな風に後悔するくらいなら、あの時肩を揺さぶってでも雪月の真意を聞いておけばよかった。そうしたら少なくとも、こんな未練がましい想いはしなくて済んだのかもしれないのに……。
(裏切られた気持ちになっていたのに、私は……、私はこんなにも雪月先生に惹かれていたの……?)
裏切られているというのに、それでも雪月を求めて心が恋焦がれている。
やり直したかった。あの雪女の郷での時間から、やり直したい。
でも時計が巻き戻らないことも知っている。
流れた時間の中で、雪月は華乃子ではなく、あの女性を選んだ。きっと力の強いあやかしなんだろう。だとしたら、華乃子に力を求めて求婚する寛人と結婚しても同じことではないか……?
あやかし同士の婚姻には愛はなく、力があるのみ。
それで判断するなら、雪月から遠いところが良い。
華乃子は、寛人の求婚を受け入れることを決意した……。
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