異世界の落としもの、返却いたします

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プロローグ『邂逅』

四話

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 見も知らぬ人間が家の中に居る状況で気を抜きすぎるのもどうかとは思ったのだが、とりあえずいつもと変わらず風呂に入り、ラフな格好に着替えてスッキリしたところでソファーにボスリと腰を下ろす。
  風呂の中でも【落としもの】について散々思考を巡らせていたが、空腹では考えが纏まるはずもなく、葵はとっとと考えを放棄して机の上に置きっぱなしだったサンドイッチに手を伸ばした。
  とりあえず男が起きてから考えればいいや。そんな適当さ加減が明らかに両親仕込みであることを、葵自身は微塵も知らない。

  葵は行儀が悪いのを承知の上で、ソファーに寝そべりながらサンドイッチを片手に読みかけの古書を開く。
  静寂に包まれた室内。容赦ない空っ風に晒された家が、時折キシキシと切ない悲鳴をあげる。しかしそんな音に不安感を募らせることもなく、葵は気にも留めない様子でサンドイッチを頬張りながら、色褪せたページを丁寧に捲っては紙の上に広がる文字の羅列を目で追いかけた。
  その古書は珍しくもすべて手書きで、端から端まで美しい異国の文字がつらつらと綴られている。色褪せたページの角を指でつまんでパラリと捲ると、緻密な文様の挿絵が中央に描かれ、何やら説明文らしき文章が添えられていた。葵はそれを丁寧に読み込みながらフンフンと無意識に頷くと、どんどん読み進めていく。
  そうしてしばらくの間本に夢中になっていた葵だが、ふと本から意識を引き上げて壁かけ時計に目を向ける。既に深夜を過ぎて朝方と言ってもいいような時刻を指しており、思いの外集中してしまっていたことに苦笑した。
   
  そういえばあの男はどうしているだろう。本に気を取られていた葵は、すっかり拾った男のことを忘れていて、さすがに様子を見に行かなければと思い、席を立つ。
  歩く度にギシギシと軋む廊下を進んで男を寝かせた客間に着くと、静かに障子を開けて中の様子を窺う。どうやら男はまだ眠っているようで、葵は安堵に小さく息を吐くと、起こさないように男の傍に近づいて顔を覗き込んだ。
  だいぶ身体が暖まってきたのか、寝かせた時よりも唇の色が随分とよくなっている。そっと額に触れてみたが熱は上がっていないようで、思いの外頑丈なのだなと思いつつも、男の眼元を覆っていた前髪を、邪魔にならないように指で軽く払った。
  予め持ってきていた水差しを枕の傍に置いていると、丁度男の意識が戻ったのか、息が抜けるような声と共に薄っすらと瞼を開けた。

 「んっ……」

  男はしばらくの間天井の木目をぼんやりと見つめていたが、徐々に意識が覚醒してきたのか、額に手を当てながらもゆっくりと身体を起こす。
  電灯の下で美しい琥珀色の瞳を晒した男は、すぐ傍で座り込んでいた葵をその目に捉えると、すぐさま警戒するように布団から這い出ようとしたが、起きがけで思うように動かないのか、ぐらりと大きく身体を揺らし、慌てて手を伸ばした葵に支えられる。

 「急に動かない方がいいよ」

  男は自分の置かれている状況を把握しきれていないのか、咄嗟に葵を振り払うとピリピリとした空気を纏い、キッと睨みつける。しかしそんな状況であっても葵に手をあげて脅すようなことをしてこない辺り、きちんと理性が働く人物ではあるようだ。
  葵は男の刺すような視線を感じつつ、コップに水を入れて男に差し出す。しかし青年はそれをなかなか受け取ろうはせずに、噛みつかんばかりの鋭さで葵を観察する。その警戒心の強さに思わず苦笑しながらも、毒見をするように彼の眼前でクイと一口飲んで見せてから人好きのする笑みを浮かべた。

 「これで平気?」

  そしてもう一度彼の前に差し出してみる。彼は先ほどまでの視線を一変して少し戸惑うように瞳を揺らすと、おずおずといった様子で手を伸ばしてコップを受け取った。喉を鳴らして一気に水を飲み干し、今度は気まずげにコップを握りながら視線を逸らす。

 「ありがとう……ございます」

 「どういたしまして。もう飲まなくて大丈夫?」

 「いや、あの……」

 「遠慮しなくていいよ。ほら、コップ貸して」

  結局もう一杯水を飲み干した男は、だいぶ落ち着きを取り戻したようで、背筋をスッと伸ばして琥珀の瞳を真っ直ぐ葵に向ける。その瞳には未だ警戒心が見えるものの、起きた時に比べるとだいぶ和らいでいて、葵がどのような人物であるかを見定めるような色を宿していた。

 「先ほどは失礼しました」

 「いいよ。突然知らないところに居たら誰だって混乱するもの」

  律儀にもペコリと頭を下げた男……いや青年は、端整な顔に感情を乗せないまま、どこか人形めいた無表情さで話を続ける。

 「それで、その、ここはいったい……」

 「ここは私の家よ。君が庭で倒れてたのを見つけてね。さすがに放っておくわけにもいかないでしょう? だから運んだの。倒れる前のことは憶えてる? よかったら聞かせてくれないかな」

  なるべく刺激しないように優しく、諭すような言い方をするが、青年は僅かに困惑するように眉を下げ、申し訳なさそうにキュッと唇を結んで俯く。

 「言えない理由があるの? ……あぁ、もしかして首輪の効果が怖いのかな? だったら大丈夫。ちょっと自分の首元、触ってごらん」

  葵にそう言われて青年はハッと顔を上げると、すぐに自身の首元に手をやった。そして首にあるはずのものが無いのを何度も確認するように撫でると、今度は信じられないとばかりに驚愕に目を見開いたまま固まっってしまう。
  葵はそんな青年を見て、ようやく人らしい顔が見れたなぁなどと呑気に思いながら、ヘラリと笑みを浮かべて小首を傾げる。

 「あれさ、[隷属の首輪]っていうんでしょ? なんかここに来た時点で壊れてたみたい。でもまぁ名前の通り胸糞悪い代物だったから、勝手に外しちゃった」

 「はっ、外したって……あれは一度付けられたら一生取れない物なのに……どうやって?」

 「ええっと、それはそのぉ、ちょちょいっと、ね。そういうのが得意なの」

  青年の絞り出すような問いに、葵は少し気まずそうに視線を外して指をクイクイと動かす。しかし青年はそれきり言葉を発することもせずに黙り込んでしまい、もしかして外さない方がよかったのだろうかと不安になって、チラリと青年の方を盗み見る。

 「……うぇっ?! ちょっ、えっ、泣いてるの?」

  青年は無表情のまま、声をあげることなく泣いていた。両手で布団を握り締め、透けるような琥珀の瞳がひと際揺れて、耐え切れず溢れた涙が頬を伝ってはらはらと落ちていく。その姿がひどく儚く見えて、葵は動揺しながらも、そっと彼の頭に触れてて壊れ物を扱うように優しく撫でた。

 「ちょっ、ちょっとぉ……泣かないでよぉ」

  困ったようにそう言って一生懸命あやそうとする葵を、今度は払い除けることなく受け入れた青年は、止まらない涙を幾度も手の甲で拭いながら、気の済むまで涙を流し続けた。
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