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プロローグ『邂逅』
十一話
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しばらくの間、互いに交わす言葉もなく唯々息を整える。
葵は振り乱した黒髪をゆるゆると手櫛で整えながら、青年の目があるのも憚らず立膝をついて項垂れた。次第に真冬の凛凛たる寒さが火照った身体に染みていくのを感じて、ようやく人心地着いたとばかりにハァと長い息を吐いた。
「青年、放り投げてごめんね」
したたかに打ち付けた臀部を擦りながら顔を顰めていた青年は、葵の謝罪に若干弱々しい声で大丈夫だと告げる。
「いえ……あれは仕方ないかと……」
「そう言ってもらえると助かる。はぁ……もー、何から説明すればいいかなぁ、これ」
色々と諦めたように乾いた笑いを浮かべる葵に、どう接すればよいのかわからないまま座り込んでいた青年は、ふと【異界の回廊】で彼女が口にしていた言葉を思い出す。
『出口が消滅とかちょっとヤバいどころじゃないわこれ……っ!』
出口が消滅という言葉、それはつまり……そこまで考えたところで聞きたくない答えに辿り着いてしまい、サッと血の気が引く。
「あの、もしかして、もしかしなくとも……」
そう零れるように口にした青年の顔色は真っ青を通り越して紙のように白くなっていた。答えを聞きたいけれど耳を塞いでしまいたくもあるような気持ちをごちゃごちゃと織り交ぜながら、不安と絶望に揺れる瞳を葵へと投げる。
彼女は僅かに震える青年の声で項垂れていた顔を上げると、気まずそうに目を背けながら言葉を濁した。しかし青年の顔色がますます悪くなっているのを感じとると、眉間にグリグリと指を押し当てながらようやっと重い口を開く。
「まぁ、当事者である君には説明しないわけにもいかないからなぁ……。とりあえず信じられない話だとは思うけど聞いてほしい」
「はっ、はい」
「端的にいうと、君のところの【創造神】が、君の世界を放棄したんだよ」
「放棄……ですか?」
「そう。神なんてめったに人の前に出てこないから、君からすれば馴染みも薄いだろうけど、神は本当に居るの」
「……その神が私のいる世界を放棄したから、回廊が崩れたと。そういうことでしょうか」
「うん。……まぁ、そういう反応するよね、普通は」
言葉にするのを躊躇っていた彼女の口から飛び出したのは、所謂神話と呼べるものだった。昔話にしてもあまりに真実味の無いそれに、青年は思わず首を傾げる。
しかし異世界に飛ばされたことや【異界の回廊】でのありえない出来事は紛れもなく真実であるし、目の前の彼女の眼差しは揺るぎない輝きを湛えていて、至って真剣だということが窺い知れる。
葵は青年がそれ以上口を挟むことなく沈黙したのを見て続きを話すべく小さく頷くと、気だるげに扉へと寄り掛かりながら煙草を取り出し、年代物のトレンチライターで火を点した。
「……君の世界では神を信仰していたりしたかな?」
「え? えぇ、一応は……。私のいた世界、コンスヴィアでは魔道を極める者たちに恩恵を与えると言われる魔道の神アスミルと、武に秀でた者や武具を作り出す者たちに恩恵を与えると言われる戦の神アステリカ、そしてその双子の神を両の眼から流した涙で創造した主神セレステが信仰されていました。私は神など信じたことはありませんが」
「ははっ、言うねぇ。……にしても、セレステ、ねぇ」
葵は主神の名を聞くと、何故か嫌そうに顔を顰めた。何か思い当たる節があったのか、これまでの会話では聞いたことのないような低さで神の名を呟く。表情や声に含まれるそれは間違いなく嫌悪であり、彼女がコンスヴィアの主神セレステを知っているどころか憎々しいとさえ思っていることは一目瞭然だった。
「セレステ神を知っているのですか……?」
青年の問いに、葵はしかめっ面をしながらも否定も肯定もせずに煙草を吹かす。口元からふぅと吐きだされた白煙がゆるりと溶けゆくさまをぼんやりと目で追いながら、少しの沈黙ののちに言葉を続けた。
「青年……世界っていうもんはね、いわば神の箱庭なの。世界を作る神……【創造神】と呼ばれる者が自身の力で自分だけの箱庭を作り、その中であらゆる命を育み恩恵を与える。その世界の中で起きることすべてが【創造神】が存在する為の糧になり、【創造神】という存在を更に明確なものにしていく……神ってのは元々が曖昧な存在だからね。より神格を得て確固たる存在でありたいと渇望するんだ」
【創造神】と呼ばれる者たち。それらはいったいいつからそこに居たのかもわからないほど曖昧な存在。彼らは自身の役割を植え付けられ、それを無意識のうちに処理し続けている。その知識が誰の手によって植えつけられたものなのかも知ることなく、ただ自身を創世の神だと言って延々と箱庭を愛で続けるのだ。
「【創造神】たちは自身の曖昧さを明確なものにする為に、世界の中に渦巻くあらゆる念を取り込もうとする。そこに善も悪もない。何度も世界を崩壊へ導いて負の念を得ようとする神もいれば、自分の世界を愛して大切に生を育み、慈愛に満ちた念を得ようとする神もいる。そのすべては自身を満足させる為にある。それが世界の成り立ち……もちろん私の居る世界も、君の世界もそうだった」
そこまで言い切ると、彼女は咥えていた煙草を指でつまんでペロリと乾いた唇を舐める。
「セレステ、その名前を聞いたのはこれで三回目だよ。彼女は負の念を得て神格を上げようとする神なの。これまでに二度世界を終末に導いたことのある、世界で生きてるこちらからすれば悪神ってやつだね」
「それが、私の世界の【創造神】だったと?」
「恐らくね。……【異界の回廊】が崩壊したのは、君の世界が終末を迎えたから。……もう、君の世界はないんだ。創造した本人が熟した果実を収穫したから、ね」
葵は振り乱した黒髪をゆるゆると手櫛で整えながら、青年の目があるのも憚らず立膝をついて項垂れた。次第に真冬の凛凛たる寒さが火照った身体に染みていくのを感じて、ようやく人心地着いたとばかりにハァと長い息を吐いた。
「青年、放り投げてごめんね」
したたかに打ち付けた臀部を擦りながら顔を顰めていた青年は、葵の謝罪に若干弱々しい声で大丈夫だと告げる。
「いえ……あれは仕方ないかと……」
「そう言ってもらえると助かる。はぁ……もー、何から説明すればいいかなぁ、これ」
色々と諦めたように乾いた笑いを浮かべる葵に、どう接すればよいのかわからないまま座り込んでいた青年は、ふと【異界の回廊】で彼女が口にしていた言葉を思い出す。
『出口が消滅とかちょっとヤバいどころじゃないわこれ……っ!』
出口が消滅という言葉、それはつまり……そこまで考えたところで聞きたくない答えに辿り着いてしまい、サッと血の気が引く。
「あの、もしかして、もしかしなくとも……」
そう零れるように口にした青年の顔色は真っ青を通り越して紙のように白くなっていた。答えを聞きたいけれど耳を塞いでしまいたくもあるような気持ちをごちゃごちゃと織り交ぜながら、不安と絶望に揺れる瞳を葵へと投げる。
彼女は僅かに震える青年の声で項垂れていた顔を上げると、気まずそうに目を背けながら言葉を濁した。しかし青年の顔色がますます悪くなっているのを感じとると、眉間にグリグリと指を押し当てながらようやっと重い口を開く。
「まぁ、当事者である君には説明しないわけにもいかないからなぁ……。とりあえず信じられない話だとは思うけど聞いてほしい」
「はっ、はい」
「端的にいうと、君のところの【創造神】が、君の世界を放棄したんだよ」
「放棄……ですか?」
「そう。神なんてめったに人の前に出てこないから、君からすれば馴染みも薄いだろうけど、神は本当に居るの」
「……その神が私のいる世界を放棄したから、回廊が崩れたと。そういうことでしょうか」
「うん。……まぁ、そういう反応するよね、普通は」
言葉にするのを躊躇っていた彼女の口から飛び出したのは、所謂神話と呼べるものだった。昔話にしてもあまりに真実味の無いそれに、青年は思わず首を傾げる。
しかし異世界に飛ばされたことや【異界の回廊】でのありえない出来事は紛れもなく真実であるし、目の前の彼女の眼差しは揺るぎない輝きを湛えていて、至って真剣だということが窺い知れる。
葵は青年がそれ以上口を挟むことなく沈黙したのを見て続きを話すべく小さく頷くと、気だるげに扉へと寄り掛かりながら煙草を取り出し、年代物のトレンチライターで火を点した。
「……君の世界では神を信仰していたりしたかな?」
「え? えぇ、一応は……。私のいた世界、コンスヴィアでは魔道を極める者たちに恩恵を与えると言われる魔道の神アスミルと、武に秀でた者や武具を作り出す者たちに恩恵を与えると言われる戦の神アステリカ、そしてその双子の神を両の眼から流した涙で創造した主神セレステが信仰されていました。私は神など信じたことはありませんが」
「ははっ、言うねぇ。……にしても、セレステ、ねぇ」
葵は主神の名を聞くと、何故か嫌そうに顔を顰めた。何か思い当たる節があったのか、これまでの会話では聞いたことのないような低さで神の名を呟く。表情や声に含まれるそれは間違いなく嫌悪であり、彼女がコンスヴィアの主神セレステを知っているどころか憎々しいとさえ思っていることは一目瞭然だった。
「セレステ神を知っているのですか……?」
青年の問いに、葵はしかめっ面をしながらも否定も肯定もせずに煙草を吹かす。口元からふぅと吐きだされた白煙がゆるりと溶けゆくさまをぼんやりと目で追いながら、少しの沈黙ののちに言葉を続けた。
「青年……世界っていうもんはね、いわば神の箱庭なの。世界を作る神……【創造神】と呼ばれる者が自身の力で自分だけの箱庭を作り、その中であらゆる命を育み恩恵を与える。その世界の中で起きることすべてが【創造神】が存在する為の糧になり、【創造神】という存在を更に明確なものにしていく……神ってのは元々が曖昧な存在だからね。より神格を得て確固たる存在でありたいと渇望するんだ」
【創造神】と呼ばれる者たち。それらはいったいいつからそこに居たのかもわからないほど曖昧な存在。彼らは自身の役割を植え付けられ、それを無意識のうちに処理し続けている。その知識が誰の手によって植えつけられたものなのかも知ることなく、ただ自身を創世の神だと言って延々と箱庭を愛で続けるのだ。
「【創造神】たちは自身の曖昧さを明確なものにする為に、世界の中に渦巻くあらゆる念を取り込もうとする。そこに善も悪もない。何度も世界を崩壊へ導いて負の念を得ようとする神もいれば、自分の世界を愛して大切に生を育み、慈愛に満ちた念を得ようとする神もいる。そのすべては自身を満足させる為にある。それが世界の成り立ち……もちろん私の居る世界も、君の世界もそうだった」
そこまで言い切ると、彼女は咥えていた煙草を指でつまんでペロリと乾いた唇を舐める。
「セレステ、その名前を聞いたのはこれで三回目だよ。彼女は負の念を得て神格を上げようとする神なの。これまでに二度世界を終末に導いたことのある、世界で生きてるこちらからすれば悪神ってやつだね」
「それが、私の世界の【創造神】だったと?」
「恐らくね。……【異界の回廊】が崩壊したのは、君の世界が終末を迎えたから。……もう、君の世界はないんだ。創造した本人が熟した果実を収穫したから、ね」
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