笹井くんは知らない

秋月みゅんと

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出会い

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 春風が心地よい高校の入学式。
 静かに流れる花びらの行く先で、笹井の視線は止まる。自分の妄想から抜け出したような理想の顔がそこにあった。

 笹井洋太ささいようたは、カフェが好きだ。
 幼い頃から祖父と古い映画をよく見ていたが、そこからカフェに憧れを持つようになった。インテリアにこだわった落ち着きあるカフェが好みだが、流行りのカフェもネットで検索する。お店の雰囲気だけではなく、スイーツやドリンクもチェックし、理想の姿をした架空の人物が映画のワンシーンさながら、その景色に溶け込んでいるのを想像するのだ。
 笹井は、素晴らしい夢の世界に自分が入り込んではいけないと思い込んでいるので、あくまでカメラ目線でその空間を思い描いていた。
 その理想的な顔を持つ人物が実在する事に、笹井は驚いていた。

 笹井が理想とする顔の主、掛川修かけかわしゅうが同じクラスだと知った時、笹井は毎日その顔を拝めると、神様に感謝した。
 笹井の席から、掛川は隣の列の三つ後ろ。
 これだけ条件のそろった状態に舞い上がったのは二日程だった。誰とでも気さくに接する掛川に、近寄る事さえできずにいた。正確にはビビった笹井が、掛川が話しかけるタイミングで、ことごとく交わしてしまっていたのだが、本人は知る由もない。
 朝、一度だけ教室の入り口で鉢合わせた事がある。
「おはよう」
 掛川は笑顔を向けたが、目が合った途端に緊張で笹井は下を向いてしまった。
「おは、おはよう、ございます」
 俯いたまま素早く横を通り抜ける。挨拶はきちんと交わしたから大丈夫、変な行動はしていないと自分に言い聞かせた。しかし、その時以外、言葉を交わした事はない。
 掛川との距離が近すぎてもても、見る事ができないもどかしさと、声を掛けられない自分にため息をついていた。

 笹井の前は倉田恵吾くらたけいごの席で、教室で初めて会話したのも倉田だった。初日に笹井より遅れて席を見つけた倉田は、着席していた笹井に「よろしく」と声を掛けた。その声に視線を向け、辺りを見回してから自分に向けられた言葉だと気付くのに数秒かかり、慌てて「よろしくお願いします」と笹井は頭を下げた。
 初日から教室を移動する時、倉田は笹井を待ってくれる。誰かに待たれる事に慣れず、緊張してしまう。笹井は「気にせず先に行って良いよ」と言いたいが、それさえも伝えられずにいた。逆に「慌てなくて大丈夫だから」と気を使われてしまう。
 それから毎日、倉田の気遣いで話しかけてもらい、徐々に倉田とは話しても緊張する事が少なくなっていた。

 そんな倉田は掛川と親しく、楽しそうに話している姿をよく見かける。実は教室移動の時、掛川も二人に声を掛けた事がある。笹井はその声に驚いたが、倉田に視線を向け「先に行って」と小さな声を出した。だが、それを遮る様に女子が掛川を誘ったので、先に行くよう倉田が促した。
 笹井と倉田の会話にも途中から掛川が入って来る事もしばしばあったが、笹井はまともに顔を見る事ができず、口をつぐむ。そのうち明るい性格の木下も来て、話が弾むと逆に安心して本に視線を移したり、席を外す。たいてい後で倉田に「邪魔してごめん」と謝られる。笹井は、「そんな事はないから、気にしないで」と答えながら、気を使わせた事を申し訳なく思う。


 その日は美術室への移動があり、倉田と共に廊下を歩く。一ヶ月も経つと、皆より遅れて二人が移動するのは当たり前になっていた。時々、先生にプリントや授業で使う教材運びも手伝わされるが、それも日常と化している。
 倉田はいつも移動しながらゲームや音楽、スポーツにファッションと色んな話題を振ってくれる。笹井はあまり知らなくて、聞きながらいつも感心してしまう。この日も倉田は朝の情報番組の内容を話す。
「紹介してた人気カフェのシフォンケーキってのが頭から離れないんだよ。笹井見た?」
 笹井は話題が、スイーツだったので、これは初めてちゃんと返せると嬉しくなる。
「見たよ。濃厚な味だけど後味さっぱりって、どんな感じだろうね。プレーンだけじゃなくて、色んな味もあったし、どれも気になるよね」
 笹井は、人と話す時は緊張しがちだが、興味のある話題だったので、落ち着いて話せたと自分でも気付く。
「あ、わかる。期間限定のやつも全種食べたいよな」
 倉田が同じ意見なので、嬉しくなり、笹井は数回頷く。
 教室に着き始業ベルが鳴ってから、倉田が今日も気を使って話しかけてくれたのだと反省する。少しは、倉田との会話が続くよう、せめて最新映画や音楽にも目を向けようと思った。しかし、これ以降、倉田からの話題がスイーツやカフェ中心になった事を笹井はだいぶ後になってから気付く。

 美術の授業は人物デッサンで、掛川がモデルになった。思う存分眺められる嬉しさで顔が綻ぶ。折角の機会だからと、気を引き締めて、よく観察して描く。柔らかそうな髪、二重まぶたに少し明るい瞳、鼻筋が通っていて、唇の輪郭がとても美しいと思った。何度も描き直したが授業が終わる頃、上手く描けたと笹井は、自分の絵に満足していた。
「笹井、うまいな。特徴捉えてる」
 覗き込んだ倉田が笑顔を向ける。笹井は、「ありがとう」と返しながらも恥ずかしくて赤くなった。

 皆が教室を移動して、倉田が待っている時にふいに質問される。
「掛川の事が苦手なのか」
「違うんだ……その、なんて言ったら良いのか……」
 どう説明したら良いのか、笹井は考えるが、言葉が出ない。
「生理的に受け付けない、とかではないんだよな」
 笹井は思い切り首をふる。
「そ、そんな訳ない。むしろ、逆、というか……」
 笹井は、真っ赤になった。
「嫌いじゃないなら良かったよ。俺の時みたいに、ゆっくりと慣れてくれたら良いなと思った」
 倉田がいつも気にかけてくれるのが嬉しくて、笹井は必死に口を動かした。
「く、倉田君も! 格好良くて、憧れる凄い人だよっ……いつも、ありがとう」
 倉田は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに嬉しそうに笑う。
「俺こそありがとう、仲良くしてくれて」
「そんな……俺の方が……」
「あら? 何か忘れ物?」
 ふいに教室の入り口から声を掛けられ、二人の視線はそちらへ向く。
「大丈夫です。ちょっと話しこんでました」
 戻って来た美術担任に頭を下げた倉田を、笹井も真似る。
 廊下を歩きながら、倉田は思った事を聞く。
「ちなみに笹井は俺の事、友だちと認識してる?」
「と、とんでもない。そんな……倉田くんの友だちだなんて、恐れ多いよ」
「恐れ多いっておおげさだな。俺は友だちだと思ってるよ」
 笹井は真っ赤になる。
「く、倉田くんは、本当に優しいね」
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