笹井くんは知らない

秋月みゅんと

文字の大きさ
2 / 12

遭遇

しおりを挟む
 初夏のとある休日、笹井は家の近くで掛川を見かける。
 信号待ちをしていると、右方向から女の子たちの声が聞こえた。普段なら気にもとめないが、聞き覚えのある声が混ざっていた気がして、思わず視線を向ける。少し離れたコンビニの前に、見知らぬ女の子三人に囲まれた掛川の姿が目に映った。
――え、何で……
 咄嗟に正面の信号を見る。実際に掛川本人が居るとは思いもせず、似た声だと思ったから視線を向けたというのが正しく、驚きが大きい。道端で大好きなアイドルに遭遇するファンは、こんな気分なのだろうかと考えてしまう。舞い上がる気持ちを落ち着けながら、また視線を向ける。
――やっぱり、格好良いな。しかも、私服が見られるなんて……
 私服はほとんど女の子たちで隠れてしまっていたが、休日の掛川の姿についつい見惚れてしまう。すると気付いた掛川が、笹井の方角へ手を振ってきた。
 笹井は誰か居るのかと振り返って確認するが、誰も居ない。まさか自分に手を振ったのかと、ぎこちなく視線を戻す。その間に掛川は女の子たちに「ごめんね」と謝り、羽織ったシャツを翻しながら向かって来たのだ。走り寄るその姿も格好良いと思ったが、信号が変わる音で我に返り、その場を離れるため慌てて歩き出す。だが、掛川は笑顔で話しかけてきた。
「ごめん、待たせて怒った? 道に迷ってさ」
「えっ……」
 理解できずに笹井は思わず立ち止まる。掛川は笹井の背中にそっと手を当てて歩くよう促した。促されるまま前に進むが、突然の事に緊張し過ぎて青ざめる。
「笹井ごめん。待ち合わせてたフリで歩いてくれる?」
 さらに追い打ちをかけるように、耳打ちをしてきた。
――わー! ち、近い近い近すぎるよーっ!
 笹井は一瞬叫びかけた声を飲み込んで、数回頷く。
「ちゃんと時間通りに出たんだよ。途中で迷子になったんだけど、連絡つかないし……」
  掛川は少し声を大きくして、待ち合わせていたていで話すので、笹井はがくがくと頷いて歩く。
 だいぶ歩いてから、笹井は自分からも何か会話をしなくてはと頭を回転させはじめた。
 角を曲がって、数歩進んだ所で掛川は一度背後を振り返り、ひと息吐くと笹井から少し離れる。
「ありがとう」
「えっ」
 笹井は突然の感謝に、捻りまくっていた頭が空っぽになった。
「いきなり声かけられて困ってたら、笹井がヒーローの様に颯爽と現れたんだ。ほんと助かったよ」
 掛川は安心した様に笑みを浮かべる。笹井は、その表情を見る勇気もなく、話し声だけで笑顔なのだと、感じていた。
「いや、た、ただ……歩いてただけ、だから……」
 笹井は、パンを買った帰りだった。スーパーへ行くだけなので、襟の伸びきったサイズの大きなTシャツにジャージパンツ、すり減って変色したサンダルのだらしない格好だった。今更の様に恥ずかしくなる。
「笹井の家ってこの辺り?」
「う、うん」
「へぇ……近所なのに初めて会うね」
 掛川の言葉が頭の中でこだまする。少し間を置いてから笹井は、驚いて掛川に目を向けた。
「えっ! 近所!?」
 やわらかい笑顔で頷かれ、ぎこちなく視線を前へと戻す。
「そんなに緊張しなくても……。もうあの子たち、見えなくなったから」
「う、うん」
 緊張の原因は、そこじゃあないけどと思いながら、先程から感じている小さな違和感に気付いて、足が止まる。掛川は『笹井』と名前を呼んでいる。
「どうかした?」
 掛川が問いかける。
「いや、まさか……まさか、掛川くんに、名前覚えてもらってるとか……顔も、認識してもらってるとか、思ってなくて」
「そりゃ覚えるよ。席も近いし」
――それだけで、覚えた?
 クラスが一緒、係が同じ、席が隣、一学年を共に過ごしても、何となく居たというくらいで記憶されない。担任でさえ忘れていた事もあった。笹井はそんな存在だった。
 それが、ただ一度挨拶しただけの掛川に記憶されていた。笹井からすると奇跡だと思えた。
「あ、ありがとう」
「何で感謝されてるの? 笹井だって俺の顔と名前、ちゃんと覚えてくれてるのに」
 掛川は笑顔を向ける。
――いや、もう、それは憧れの顔なので
 思わず言ってしまいそうになるのを笹井は抑えた。
「家、ここ?」
 立ち止まったまま動かない笹井に掛川が聞く。
「もっと、向こう」
 歩き出した笹井に、掛川は歩調を合わせる。
「元々この辺りに住んでるの?」
「うん。そ、そうだよ」
「俺はね、高校入学前に越してきたんだよ」
 笹井は、掛川と並んで歩くこの状況が夢を見ている様だった。

 家の前に着くと掛川は頭を下げた。
「急に巻き込んでごめんね。でも本当に助かったよ、ありがとう。笹井の家、教えてもらったから、今度は俺の家も教えるね。じゃあまた、学校で」
 爽やかに去って行く後ろ姿を見送った。緊張が解けてから、風の涼しさを感じ、汗が滲んでいたのだと気付く。
 笹井はその日、掛川と過ごした貴重な時間を何度も思い返していた。そして、何気なく家まで送ってもらった事に気付いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

悪役Ωは高嶺に咲く

菫城 珪
BL
溺愛α×悪役Ωの創作BL短編です。1話読切。 ※8/10 本編の後に弟ルネとアルフォンソの攻防の話を追加しました。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

処理中です...