先輩はときどきカワウソになる!?

渋川宙

文字の大きさ
44 / 44

最終話 実数VS虚数!対決を制するのは

しおりを挟む
「わ、私?」
 美織からすれば寝耳に水のような話だ。自分が予想外とはどういうことなのか。まったく理解できない。
「――俺が傍に寄せるのは、お前の推測では伶人だけだったってことだな」
 しかし、さすがは史晴。向こう側の自分が言いたいことを瞬時に理解した。住んでいる空間が違うだけで、思考形態は同じというわけか。
「そういうことだ。あの男を上手く導き、こうやって殺す手筈まで整ったというのに、まったく、その女は予想外の変数というわけだよ」
「なっ」
 あまりの言い様に、美織はむっとしてしまう。同じ顔をした史晴という人物であるはずなのに、虚数の方は腹が立つ。
「ぐいぐい来る奴だからな」
 しかし、史晴は同意している。おい、こらと注意したい気分だ。やっぱりムカつき度は違っても同じ人物。
「そう。どういうわけか、この女の傍では磁場が変わる。お前もよく笑うし、よく呆れるし、ともかく変化が多い」
「おおい」
 虚数史晴。マジで殴りたくなってきた。こいつ、自分のことを喧しい女だと思っているのは間違いなかった。
「そうだな。俺もびっくりだった。でも、どういうわけか、それが心地いい」
「っつ」
 しかし、不意打ちのように史晴がそんなことを言うものだから、美織はドキッとしてしまった。それに、虚数史晴は舌打ちする。
「が、それも終わりだ。お前もその女も消してやる」
「っつ」
「徳井先生!」
 美織が息を飲むのと同時に、史晴は美織を引き寄せて怒鳴っていた。なぜか、そうしなければならないと、身体が勝手に動いた。
「おうっ。みんな、後で文句は言うなよ」
 そんな声がしたかと思ったら、どんっと再び空間が揺れた。そして、それは確実に虚数史晴と、史晴が出てきた穴を揺さぶっている。
「こ、これは」
「伶人は確かに俺を恨んだだろう。なんせ、お前は俺だからな。でも、気づいた。向こう側にいたお前と俺は違うって」
 だから、この最終兵器と、美織を大事にしろと言ったんだ。史晴はぎゅっと美織を抱きしめる。唯一の違い。唯一、何かを与えてくれる人。それが美織なのだ。だからこそ、こうやって違う結果が現れた。単純に死を受け入れるのではなく、そしてただ伶人を恨むのではない。正しい答えへと導かれた。
「くそっ。そんな」
 虚数の史晴が揺らぐ。いや、無理やりこちらに干渉していた虚数が揺らいだ。
「伏せろっ」
 これもまた、なぜか勝手に口をついて出ていた。史晴と美織はしっかりと抱き合ったまま、床に伏せる。
「こんな、結末が。俺と同じやつを消すこと。それが総ての安寧のはずなのに」
 諦め悪く、虚数史晴が手を伸ばしてくる。しかし、その手に美織は思わず噛みついていた。
「っつ」
「あんたと先輩は違うんだから。占部史晴は、この世界の人ただ一人よ!」
 美織が言い切ると、虚数史晴に食らいついた手から崩壊が始まった。それはプラスとマイナスが出会ったことによる、ゼロになる作用。
「ああっ。何故だ?どうしてこちらの世界にだけ」
「教えてやろうか」
 苦悶の表情を浮かべながら消えゆく虚数史晴に向けて、実数たる史晴が睨みつける。
「なんだ」
「空間に穴を開けることは可能だ。干渉も可能。しかし、どうして普段、干渉もし合わなず、しかもどちらの空間も成り立つと思う?」
「!?」
「そう。僅かに違うんだよ。この世界の物質と反物質の関係のように、僅かに違いが出る。それが、お前の世界では椎名がいないという事実だ」
「そ、そんなっ」
 自分が完璧だと、自分が証明したことが正しいと信じていた史晴が消えていく。それは過信が生み出した傲慢だったのだと、身をもって知らせるように。
 この結末を用意したのは、それこそ本当の神じゃないだろうか。美織は悶えながら消えた史晴を見ながらそう思った。
 そして、総ては終わった。空間の捻じれや揺れは消え、元の静かな実験室へと戻った。
「終わった、のか」
「みたいですね」
 史晴と美織は互いに見つめ合い、そして健闘を称えるように抱き合った。すると、周囲からヒューヒューと囃し立てる声がする。
「ちょっ」
「これで二人が付き合うのは確定だな。よし、結婚式は椎名が無事に博士号を取った年だ」
 動揺する美織を放置して、葉月がそんなことを宣言する。すると、裕和と学からいいぞと拍手が上がった。
「まったくもう。いいところは見れなかったし、あの箱は消えちゃうし。でもまあ、新しい門出か」
 そして徳井もそんなことを言って笑っている。
「ちょっ」
「その」
 こうして二人を放置して、周囲が勝手に盛り上がっていた。しかし、終わったんだと温かい気持ちになる。だから、美織はまあいいかとにっこり笑った。でも史晴はどう思っているんだろうと、そう思って史晴を見ると、にっこりと微笑み返された。
「俺は、俺を恨んでいたんだな。科学しか信じないのは駄目だ。そのために、今回のことがあったんだと思う」
 そして史晴が不意打ちにそんなことを言って、ぎゅっと抱き締められる。もう実験室は大パニックだ。
「うっせえぞ」
 どこからか、文句の声が飛んできて、いつもの大学の光景が戻ってきたのだと知った。ようやくもう、カワウソになることもなく、死を意識することもない。もう史晴は自分の家に帰ってしまうけど、それは関係ない。
「ああ。今日からゆっくり眠れるな」
 美織はそう思って笑ったのだったが――




「どうして?」
「どうしてだろう」
 その日の夜。いつものようにカワウソ姿の史晴がいた。しかし、今度は苦しむことなく、するんと変化してしまったのだからびっくりだ。
「――あれだ。最後の意地悪じゃないですか?」
「それか――お前の傍を離れるなという、伶人の善意なのかも」
 虚数史晴の悪あがき説と伶人の善意説。そんな二つを出し合って、結局二人は笑ってしまう。
「まあ、もうしばらくは」
「そうだな」
 たぶん、そう。二人が何の遠慮もなく何の疑いもなく一緒にいられるようになったら、変化しなくなるはず。
 それまでは、ときどきカワウソに変化しちゃう史晴に付き合うしかない。
「じゃあ、これからもよろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ頼む」
 そうして、何だか強制的に同棲生活は続くことになるのだった。


―おわり―
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

処理中です...