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第28話 恋する男に訪れる試練
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朝になって、この人物は驚くしかない状態だった。まさか頼みにしていた二人がいなくなってしまうとは。というより、どうしてそうなったのか、その二人からまったく知らされていない。どちらも智史に連絡を入れることなく西日本に向かってしまった。
「緊急事態だからねえ。しかし安心したまえ」
そう呑気に告げるのはもちろん知行だ。わざわざ朝一番に智史の研究室にやって来た知行は、今日の飲み会を延期するかそれとも自力でどうにかするかを問いに来たのだ。しかし急にそう言われても智史は困惑するより他はない。
「安心しろって。友部は大丈夫なんですか。それに俺はどうにかなるんですか」
混乱から二つのことを同時に訊いてしまう。しかし、それに知行はにっこりと笑った。が、それは普段から付き合いのある龍翔ならばヤバいと直感する類の笑みである。
「友部に関しては大丈夫だよ。彼は家族の危機を救いに行っただけだ。彼にとってとても大切な人だからね。それはもう酷い慌てようだったよ。君も、浜野君をそういう相手にするつもりなんだろ」
物は言いよう。事実を述べてはいるものの勘違いを助長するものだった。当然、天翔の存在を知らない智史は、龍翔が婚約でもしている好きな人を救いに行ったのだと思ってしまう。
「も、もちろんです。俺は、浜野さんのことを真剣に愛しています。その想いがなかなか伝えられないだけなんです」
智史はそれが罠と気づかず、正直な思いを吐き出していた。今日という日に掛けた意気込みが滲み出る。
「よし。そこでだ。飲み会作戦よりももっといい作戦を君に授けよう」
「えっ」
いきなりの展開に智史は戸惑った。飲み会でどう振舞えば異性と接近できるか。そういうハウツー本を昨日の夜にむさぼり読んでいた智史からすれば、いい作戦といえど違う状況になるのは困った事態でしかない。しかし相手は教授。無下にできるはずもない。
「あの」
「大丈夫。君の得意なことだからさ」
そう言って知行は一冊のファイルを智史に手渡した。智史は訝しみつつも中を確認する。
「これって、浜野さんの研究ですか」
「そうだ。巨大ブラックホールの有力な数式を探している。が、そろそろ手計算では無理だと思ってね。数学の出来過ぎる友部君はまだシミュレーションに頼ることはないと考えているようだが、それは間違っている。という指摘から君がやって、手伝うよと共同研究を申し入れるんだ。計算物理の立場から違う視点を与えるということで、浜野君も興味を持つだろう。いいね」
ここが肝心だぞと、知行は手順をゆっくりと話す。つまり、いつも頼りにしている龍翔よりも智史の方が的確なアドバイスができ、さらに手助けしてくれたとの好印象を与える。
「はあ、それって騙したことになりませんか」
何だか姑息な手段ではないか。そもそもそれを感じたのは知行なのだ。何も知らなかった、というか今まで何の接点もなかった智史がそれを指摘するのは不自然である。
「そこは大丈夫。君は友部君の友人だろ。それとなく相談を受けていたことにすればいいよ。あいつはその辺を察するのが上手い。嘘を吐いてもちゃんと合わせてくれることだろう」
うんうんと、知行はすでにこの作戦で成功すると確信しているらしい。非常に不安な智史としては、その無根拠な自信は怖さしか感じない。
「浜野君はもう研究室に来ている。俺と一緒に現れることでより説得力が増すというものだ。行くぞ」
そんな不安たっぷりな智史の手を引っ張り、知行は無理やりその作戦を実行させようとする。智史は机にしがみ付いて抵抗してみたものの、あっさりと引き剥がされてしまった。年齢差が二十以上あるというのにパワフルだ。
「せ、先生」
「俺に任せなさい。どうせ今日を逃したら君はうじうじとまた悩むんだろ。あの二人の帰りを待っていたら覚悟が揺らいでしまうぞ。それに女性に振り向いてもらいたかったら時には強く出ないと」
そんな持論を展開する知行は真っ直ぐに自らの研究室へと向かう。そして荒々しくドアを開けた。
「きゃっ。って、先生ですか」
朝早くから一人で資料と自らの数式が合っているかという確認をしていた千佳は、突然音を立てて開いたドアに驚くと同時に呆れた。教授が荒々しくドアを開けて入ってくるとはどういうことか。
「あれ、そちらは」
「あ、どうも」
知行の後にいる智史に気づいた千佳に、智史は何とも小さな声で挨拶をする。これでは一向に進展しないことは、呑気な知行でも気づいた。
「この人は知っているよね。隣の研究室の新崎先生。たまたま君の研究に関して彼に意見を求めたら、シミュレーションを手伝ってくれることになったよ。ほら、彼は計算物理という、コンピュータによる研究をメインとしているから」
ほぼ作戦の根幹を知行が喋ることになる。すでに先行きが怪しい。
「え、でも」
「物は試し。やってみたらどうかな。共同研究という形で引き受けてくれるそうだし」
ほら、後は自分で喋れと知行は智史の背中を叩く。このまま知行が喋っていては何も進展しない。
「そ、その。この方程式を」
「ああ、それですか。ずっと悩んでるんですけど、現実の宇宙では起こりえない結果が出てしまうんですよね」
智史が勇気を出してファイルを捲って一つの式を示すと、それまで胡乱げだった千佳は、納得したように話し出す。それに智史もすらすらと答え始めた。
「この数値を基準に計算してみてはどうかな。一つでもモデリング出来れば、問題点が見えてくると思うよ」
それまでの緊張はどこへやら。智史はそうアドバイスを始める。
「なるほど。たしかに観測結果の一部分から合わせていくのも、いい手かもしれません」
千佳も真剣にその提案を検証し始めた。
「やっぱり研究の話題が一番だな」
あとは何とかなるだろうと、二人で話せるようになったところで席を外すのだった。
「緊急事態だからねえ。しかし安心したまえ」
そう呑気に告げるのはもちろん知行だ。わざわざ朝一番に智史の研究室にやって来た知行は、今日の飲み会を延期するかそれとも自力でどうにかするかを問いに来たのだ。しかし急にそう言われても智史は困惑するより他はない。
「安心しろって。友部は大丈夫なんですか。それに俺はどうにかなるんですか」
混乱から二つのことを同時に訊いてしまう。しかし、それに知行はにっこりと笑った。が、それは普段から付き合いのある龍翔ならばヤバいと直感する類の笑みである。
「友部に関しては大丈夫だよ。彼は家族の危機を救いに行っただけだ。彼にとってとても大切な人だからね。それはもう酷い慌てようだったよ。君も、浜野君をそういう相手にするつもりなんだろ」
物は言いよう。事実を述べてはいるものの勘違いを助長するものだった。当然、天翔の存在を知らない智史は、龍翔が婚約でもしている好きな人を救いに行ったのだと思ってしまう。
「も、もちろんです。俺は、浜野さんのことを真剣に愛しています。その想いがなかなか伝えられないだけなんです」
智史はそれが罠と気づかず、正直な思いを吐き出していた。今日という日に掛けた意気込みが滲み出る。
「よし。そこでだ。飲み会作戦よりももっといい作戦を君に授けよう」
「えっ」
いきなりの展開に智史は戸惑った。飲み会でどう振舞えば異性と接近できるか。そういうハウツー本を昨日の夜にむさぼり読んでいた智史からすれば、いい作戦といえど違う状況になるのは困った事態でしかない。しかし相手は教授。無下にできるはずもない。
「あの」
「大丈夫。君の得意なことだからさ」
そう言って知行は一冊のファイルを智史に手渡した。智史は訝しみつつも中を確認する。
「これって、浜野さんの研究ですか」
「そうだ。巨大ブラックホールの有力な数式を探している。が、そろそろ手計算では無理だと思ってね。数学の出来過ぎる友部君はまだシミュレーションに頼ることはないと考えているようだが、それは間違っている。という指摘から君がやって、手伝うよと共同研究を申し入れるんだ。計算物理の立場から違う視点を与えるということで、浜野君も興味を持つだろう。いいね」
ここが肝心だぞと、知行は手順をゆっくりと話す。つまり、いつも頼りにしている龍翔よりも智史の方が的確なアドバイスができ、さらに手助けしてくれたとの好印象を与える。
「はあ、それって騙したことになりませんか」
何だか姑息な手段ではないか。そもそもそれを感じたのは知行なのだ。何も知らなかった、というか今まで何の接点もなかった智史がそれを指摘するのは不自然である。
「そこは大丈夫。君は友部君の友人だろ。それとなく相談を受けていたことにすればいいよ。あいつはその辺を察するのが上手い。嘘を吐いてもちゃんと合わせてくれることだろう」
うんうんと、知行はすでにこの作戦で成功すると確信しているらしい。非常に不安な智史としては、その無根拠な自信は怖さしか感じない。
「浜野君はもう研究室に来ている。俺と一緒に現れることでより説得力が増すというものだ。行くぞ」
そんな不安たっぷりな智史の手を引っ張り、知行は無理やりその作戦を実行させようとする。智史は机にしがみ付いて抵抗してみたものの、あっさりと引き剥がされてしまった。年齢差が二十以上あるというのにパワフルだ。
「せ、先生」
「俺に任せなさい。どうせ今日を逃したら君はうじうじとまた悩むんだろ。あの二人の帰りを待っていたら覚悟が揺らいでしまうぞ。それに女性に振り向いてもらいたかったら時には強く出ないと」
そんな持論を展開する知行は真っ直ぐに自らの研究室へと向かう。そして荒々しくドアを開けた。
「きゃっ。って、先生ですか」
朝早くから一人で資料と自らの数式が合っているかという確認をしていた千佳は、突然音を立てて開いたドアに驚くと同時に呆れた。教授が荒々しくドアを開けて入ってくるとはどういうことか。
「あれ、そちらは」
「あ、どうも」
知行の後にいる智史に気づいた千佳に、智史は何とも小さな声で挨拶をする。これでは一向に進展しないことは、呑気な知行でも気づいた。
「この人は知っているよね。隣の研究室の新崎先生。たまたま君の研究に関して彼に意見を求めたら、シミュレーションを手伝ってくれることになったよ。ほら、彼は計算物理という、コンピュータによる研究をメインとしているから」
ほぼ作戦の根幹を知行が喋ることになる。すでに先行きが怪しい。
「え、でも」
「物は試し。やってみたらどうかな。共同研究という形で引き受けてくれるそうだし」
ほら、後は自分で喋れと知行は智史の背中を叩く。このまま知行が喋っていては何も進展しない。
「そ、その。この方程式を」
「ああ、それですか。ずっと悩んでるんですけど、現実の宇宙では起こりえない結果が出てしまうんですよね」
智史が勇気を出してファイルを捲って一つの式を示すと、それまで胡乱げだった千佳は、納得したように話し出す。それに智史もすらすらと答え始めた。
「この数値を基準に計算してみてはどうかな。一つでもモデリング出来れば、問題点が見えてくると思うよ」
それまでの緊張はどこへやら。智史はそうアドバイスを始める。
「なるほど。たしかに観測結果の一部分から合わせていくのも、いい手かもしれません」
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