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第54話 真相は闇の中

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「田辺が天井を通って向こう側に行き、安全を確認して安達に連絡。安達は渡り廊下を通って普通に向こう側に渡ったっていうのが真相だ。水の音に驚いて、動物は逃げた後だったらしい。さすがに一人で天井に死体を隠すのは無理だからな。そこを手伝ったことは間違いない」
「そうか」
 事件の中心は完全に田辺に移動したわけかと、千春は納得できた。だからこそ、友也は親子関係をはっきりさせたくないのかもしれない。案外、罪を被ってやるつもりはないらしいなと思わず苦笑してしまう。それが最も友也らしく思えた。
 そう、友也はこの事件が起こる可能性を予測できなかったはずだ。いくら桃花が腹違いの妹とはいえ、安西を好きになっているなんて知る由もなかった。あの家を設計した時、いつか殺してやると思っていたのかもしれないが、あのタイミングではなかったはずだ。
「こんなややこしい事件は二度とごめんだな。そう簡単には起こらない事件だろうが、どう説明してもすっきりしないし、ややこしくて敵わん」
 犯人も逮捕され、あらかた事件の様相も解ったというのに、喉に魚の小骨が刺さったような気持ち悪さが残ってしまう。それに、将平は顔を顰めて困ったもんだとぼやいているのだ。動機というのは、後付けであっても事件をはっきりさせるためにある。それなのに、今回はどう説明されてもはっきりしない。
「人間の感情なんて、そんなもんだ。そこから起こされる行動も、割り切れるものではない」
「おいおい。お前の研究に関わることだろ。そんな奴がそうやって割り切っていいのか」
「人間の感情の総てを理解する必要はないんでね」
 呆れる将平に、千春はふんっと鼻を鳴らして言い切った。その開き直りとも取れる発言に、いいのかと翔馬と英士を見てしまう。
「俺は最初から、総てを含んでいないと言ったぞ」
 英士は説明をちゃんと聞いていないお前が悪いと、千春の肩を持つ。翔馬はといえば、曖昧に笑ってどちらにも付かないつもりらしい。
「でもよ。お前がその訳の分からない研究をしているから、嫌がらせしたり事件を解かしたりしたんじゃねえのか」
「さあ。興味あったとは聞いたけど」
「けっ。筆跡や指紋からカエルの死体や刃物類を送り付けたのは安達がやったと解ってんだぞ」
「でも、被害届を出さないから意味がない」
「ちっ」
 ああ言えばこう言うと、将平は苦々しげに舌打ちした。結局、あの悪戯に関しても曖昧なままだ。あれだけ執拗な嫌がらせが、本当にただの警告だったのか。真相は闇の中ということになる。
「一つの警告ではあったんだろうね。どれだけ単純化するか。それを見誤ると何もかも違う答えを導き出してしまう。まさに今回の事件のようにね」
「ふん。気障ったらしい」
 千春の言葉に、馬鹿馬鹿しいと将平は立ち上がった。どいつもこいつも、曖昧で気にならないのか。そんな気持ちだけが残る。が、自分だって刑事だから解っている。後から語られる解りやすい動機なんて、それこそ後付けなのだ。その時のそいつの心理を反映しているかどうか怪しいものだということだろう。
「さあ、煩いのも帰ったことだし、研究に専念だ。もう嫌がらせの手紙も届かないだろうし」
 英士がそう言うと、千春と翔馬の顔が微妙になった。えっ、まだ来ているのかと英士の目が丸くなる。
「ええ。カレーせんべいは別だったんです。ほら、宛名は一部が手書きで他は印刷されたラベルだったじゃないですか。で、今日ですね」
 届きましたと、翔馬はビニール袋に入れた手紙を差し出した。そこには油に濡れて変色した茶封筒があった。
「はあ。世間にはしっかり勘違いして、そしてこんな暇な悪戯をする奴がいるってことだな」
「まあ、いいんじゃないか。人工知能そのものが反発を食いやすいんだ。そのくらいの悪戯なら許容するしかない」
「こっちが大人になるしかないってことな。まったく、研究者ってのものんびりしていられない時代なのかね」
 本人が納得しているならいいかと、英士は笑って立ち上がった。こちらも自分の研究室に帰る気になったようだ。
「じゃ、健闘を祈る」
「お前もさっさと論文を仕上げろよ」
 互いに励ましの言葉を掛けると、三人はいつもの日常へと戻っていったのだった。
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