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第14話 母は強敵
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「つ、疲れた」
これほど徹夜を後悔する日があるだろうか。家に辿り着いた時、翼はそのままリビングのソファに倒れ込むことになる。
大学院での研究がどんなものか、全く想像していなかったわけではない。それに何冊か本を読んでいた。それなのに、太刀打ちできないと思ったしまった。今のままでは無事に進学できても落ちこぼれることが目に見えていた。
慶太郎の話は、どれも非常に刺激的だった。今まで漠然と描いていた研究が、具体的なイメージとして掴めた。しかし、だからこそ実力不足もよく理解できた。素粒子理論を理解するには、かなり高度な数学の知識が要求される。そして使いこなせないと駄目なのだ。間違っても基礎的なシュレディンガー方程式で躓く奴は選んではならない。
一応、昴は数学が出来る方だと思う。それは翼も認めてくれていた。しかし、上には上がいるという当たり前の事実を忘れていたのだ。これはかなり焦る。しかし慶太郎はあれほど忖度はないと言っていた割に、質問があるならば明日も来ていいと言ってくれれた。この機会にしっかりと勉強しておきたいところだ。
とそこに、コーヒーを二つ持った恵が入ってきた。そして一つをはいと渡してくれる。が、元気のない昴はそこに置いておいてと、近くのローテーブルを指差した。
「もう。規則正しく生活しないからでしょ。まあ、研究者に規則正しい生活なんて、説くだけ無駄なんだけど」
そして母の何かがずれた言葉が疲れを倍増させる。絶対に兄貴の天然はこの母からの遺伝に違いない。今、確信した。しかしどうして研究者なのか。ふと疑問に思うって顔を上げると、恵がにっこりと微笑む。
「あんた、もう大学院の受験勉強を始めているんですって。良かったわ。ずっと小説ばっかり書いていて、この子、ひょっとして研究者にならないんじゃないかと心配していたのよ」
「――」
どこから訊ねればいいのか。昴は見事にソファから顔を上げた状態でフリーズすることになる。まず、どうして小説を書いていることを知っているのか。だが、翼が言ったのではないらしいことは、大学院受験云々で解る。昨夜の騒動を、翼は毎夜勉強しているのを邪魔されたくないだけだったと報告したに違いない。
そんな恵は目の前のソファに座り、悠々とコーヒーを啜っている。だから昴は種明かしをしろと、戸惑いの目を向けることしか出来ない。
「あ、あの」
「ああ。こういうノート見つけちゃって」
掃除していたら足の上に落ちてきたの。そう言ってソファ横の新聞ラックから取り出し、恵が高々と掲げたノートは、数年前に行方不明になったと思っていた構想ノートだった。中学から高校入学ぐらいまでに使っていたもので、それはもう思い出しても出来の悪いものばかりである。絶叫しそうだ。そして顔が真っ赤になる。顔から火が出るとはまさにこれだ。
「高校生で多感な時期だし、まあ仕方ないわねって思っていたのよ。でも、大学生になってからも毎日徹夜しているってことは、もしやと思っていたのよね」
思っていたのよね、ではない。昴はすでに恵にも知られていた事実が衝撃でしかなかった。しかも絶対、ノートの中身を隅々まで読まれている。
「真面目に勉強してますよ」
昴は張り付いた笑みを浮かべるしかない。今日の慶太郎の講義と相俟って、ますます研究に専念しなければなと反省することになるのだった。いつまでも現実逃避ばかりはしていられない。しかし、研究の傍らにでも出来ることだとも思う。
「そうそう。研究者といえば、お母さん、ちょっと大学で教えることになったのよ」
恵はごそごそと体勢を立て直して、近くにあった新聞を広げる昴に向けて、さらなる衝撃的言葉を述べた。
「えっ」
「私が昔にやっていた研究を応用したいっていうことでね。その実験の前に講義をしてくれって頼まれたのよ」
そう語る恵はとても嬉しそうだ。やはり根っからの研究者なんだなと、我が母だというのに昴は眩しく感じた。
「そ、そうなんだ。俺も頑張るよ」
「そうよ。お互いに頑張りましょう。私も久々のことだから、ちゃんと復習しとかないとね」
嬉しそうな恵の笑顔に押され、ますます逃げ道がなくなる昴だった。
これほど徹夜を後悔する日があるだろうか。家に辿り着いた時、翼はそのままリビングのソファに倒れ込むことになる。
大学院での研究がどんなものか、全く想像していなかったわけではない。それに何冊か本を読んでいた。それなのに、太刀打ちできないと思ったしまった。今のままでは無事に進学できても落ちこぼれることが目に見えていた。
慶太郎の話は、どれも非常に刺激的だった。今まで漠然と描いていた研究が、具体的なイメージとして掴めた。しかし、だからこそ実力不足もよく理解できた。素粒子理論を理解するには、かなり高度な数学の知識が要求される。そして使いこなせないと駄目なのだ。間違っても基礎的なシュレディンガー方程式で躓く奴は選んではならない。
一応、昴は数学が出来る方だと思う。それは翼も認めてくれていた。しかし、上には上がいるという当たり前の事実を忘れていたのだ。これはかなり焦る。しかし慶太郎はあれほど忖度はないと言っていた割に、質問があるならば明日も来ていいと言ってくれれた。この機会にしっかりと勉強しておきたいところだ。
とそこに、コーヒーを二つ持った恵が入ってきた。そして一つをはいと渡してくれる。が、元気のない昴はそこに置いておいてと、近くのローテーブルを指差した。
「もう。規則正しく生活しないからでしょ。まあ、研究者に規則正しい生活なんて、説くだけ無駄なんだけど」
そして母の何かがずれた言葉が疲れを倍増させる。絶対に兄貴の天然はこの母からの遺伝に違いない。今、確信した。しかしどうして研究者なのか。ふと疑問に思うって顔を上げると、恵がにっこりと微笑む。
「あんた、もう大学院の受験勉強を始めているんですって。良かったわ。ずっと小説ばっかり書いていて、この子、ひょっとして研究者にならないんじゃないかと心配していたのよ」
「――」
どこから訊ねればいいのか。昴は見事にソファから顔を上げた状態でフリーズすることになる。まず、どうして小説を書いていることを知っているのか。だが、翼が言ったのではないらしいことは、大学院受験云々で解る。昨夜の騒動を、翼は毎夜勉強しているのを邪魔されたくないだけだったと報告したに違いない。
そんな恵は目の前のソファに座り、悠々とコーヒーを啜っている。だから昴は種明かしをしろと、戸惑いの目を向けることしか出来ない。
「あ、あの」
「ああ。こういうノート見つけちゃって」
掃除していたら足の上に落ちてきたの。そう言ってソファ横の新聞ラックから取り出し、恵が高々と掲げたノートは、数年前に行方不明になったと思っていた構想ノートだった。中学から高校入学ぐらいまでに使っていたもので、それはもう思い出しても出来の悪いものばかりである。絶叫しそうだ。そして顔が真っ赤になる。顔から火が出るとはまさにこれだ。
「高校生で多感な時期だし、まあ仕方ないわねって思っていたのよ。でも、大学生になってからも毎日徹夜しているってことは、もしやと思っていたのよね」
思っていたのよね、ではない。昴はすでに恵にも知られていた事実が衝撃でしかなかった。しかも絶対、ノートの中身を隅々まで読まれている。
「真面目に勉強してますよ」
昴は張り付いた笑みを浮かべるしかない。今日の慶太郎の講義と相俟って、ますます研究に専念しなければなと反省することになるのだった。いつまでも現実逃避ばかりはしていられない。しかし、研究の傍らにでも出来ることだとも思う。
「そうそう。研究者といえば、お母さん、ちょっと大学で教えることになったのよ」
恵はごそごそと体勢を立て直して、近くにあった新聞を広げる昴に向けて、さらなる衝撃的言葉を述べた。
「えっ」
「私が昔にやっていた研究を応用したいっていうことでね。その実験の前に講義をしてくれって頼まれたのよ」
そう語る恵はとても嬉しそうだ。やはり根っからの研究者なんだなと、我が母だというのに昴は眩しく感じた。
「そ、そうなんだ。俺も頑張るよ」
「そうよ。お互いに頑張りましょう。私も久々のことだから、ちゃんと復習しとかないとね」
嬉しそうな恵の笑顔に押され、ますます逃げ道がなくなる昴だった。
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