偽りの島に探偵は啼く

渋川宙

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第1話 唐突なお誘い

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ようやくこの時がやって来た。

 船のデッキから静かな海に浮かぶ島を眺め、私はにやりと笑ってしまった。

 ああ、この時まで、どれだけ自分を押し殺してきただろう。
 様々な期待の目、疑惑の目を掻い潜るのに、どれだけ苦心したことか。
 それに適度に応えつつ自分を保つことの、なんと精神力のいることだったか。しかし、これでそんな努力ともおさらばだ。
 今日この日、この島を離れることで、俺の総ての努力は報われる。何もかもが終わるのだ。もう、自分に嘘を吐く必要はない。
「終わったんだ。ようやくあの呪縛から逃れることが出来る」
 私は遠ざかっていく島に向け、うっとりと独り言を漏らしていた。
 ようやく、これで終わるのだ。これで、この偽りの人生を終わらせられる。
 そして今日この日から、本来の自分に戻ることが出来るのだ。
「この瞬間から、新しい人生は始まるんだ」

 何年と苦しめられた柵からの解放。
 偽りだらけの人生の終結。
 なんと甘美な日。

「さようなら」
 総てに終わりを告げ、そして新たに始まる人生のために。
私は海に浮かぶ島に向けて、にっこりと微笑んでいた。





「はあっ、一か月だって?」
 なかなか梅雨明けせずに、じめじめする空気に辟易していた、七月の上旬のこと。都内にある、進学校として有名な私立高校の教室に、そんな間抜けな声が唐突に響き渡った。
 一体何事だ、とスマホから顔を上げた川瀬美樹かわせみきが見てみると、声の主は同級生であり同じ科学部に所属する、小宮山朝飛こみやまあさひが発したものだと解った。朝飛は姿勢悪く椅子に座り、文庫本を片手に持ったまま、スマホで誰かと電話している。ここが高校の中だと忘れたかのような振る舞いだ。
「またトラブルかな」
 美樹は要警戒と、その電話の内容に耳を傾けた。もちろん、聞き耳を立てていることがバレないように、スマホから目を離さずにだ。恐ろしいことに、朝飛は何かと目敏く気づくタイプで、聞き耳なんて見逃さないような細かな性格をしているのだ。
 と、そこだけ聞くと嫌味なねちっこい奴かと思われるだろうが、朝飛は学年トップの成績を誇る優等生である。顔は整っており、身長も百七十五と高身長で、これもまた女子からの受けをよくしている。
 が、そんな優等生もモテない要因が一つあった。それは朝飛が興味津々なものが物理学という、世間では小難しくて理解できない代物と見なされるものだということ。
 しかも、その中でも量子宇宙論りょうしうちゅうろんなんてものだから余計に、何ですかそれは、と言われて終わってしまう。明らかに普通の高校生が理解できるものではない。
「いや、まあ、そういう理由ならば、協力してもいいけど。でも、藪から棒だな。ううん。ああ、じゃあ、いいかも」
 と、そんな朝飛考察をしている間にも話は進んでいた。
 同じ科学部の美樹としては、この謎の電話が最も問題だ。またよからぬトラブルを拾っているのではないか。そしてまた、科学部を巻き込んで問題を起こすのではないか。
 細かなことに気づく性格のせいか、朝飛はトラブルに巻き込まれやすい。そして頻繁に誰かから依頼を受ける。高校の中では便利屋さんと認識されている部分がある。
 ツチノコがいると度々話題になるのは何故かなんて、本当にどうでもいい。そもそも物理に、いや、科学に関係ない質問を受け付けてどうするというのか。そんなものは民俗学を追い掛けている文芸部に任せておけばいいのに、あえて地球外の生物である可能性はあるのかなんて、話に乗ってあげるんだから。
「困ったものよねえ」
「ううん。じゃあ、同じ部の川瀬さんを連れて行っても大丈夫かな」
「はっ!?」
 自分の名前を呼ばれ、思わず大きな声を上げてしまった。美樹はしまったと思うも、整った朝飛の顔がこちらを向いている。首を竦めようとしたら、ちょっとこっちにと手招きされた。
「川瀬さん、夏休み、暇だよね」
 断定かよ。
 美樹は少し見栄を張ってやろうかと思ったが、朝飛に対してそんなことをしても無駄であることは学習済み。ああそうの一言で済まされる。会話が続かなくなる。
「暇だね。何かあるの?」
「一か月、小笠原近辺の島で研究しないか」
「は?」
 しかし、お誘いは素晴らしく予想外のもので、美樹は思わず訊き返す。
 一か月、小笠原で研究だって。
「いやあ、そうなるよね。ともかく、七月の二十五日から八月の二十四日まで暇かな」
「はあ、まあ、暇だけど」
 それで一か月。
 美樹は返事をしつつも嫌な予感満載だ。それも島で研究。意味が解らない。自分たちは科学部とはいえただの高校生。しかも小笠原諸島になんて、縁もゆかりもない。
「あっ、大丈夫だって。うん、じゃあ、俺は川瀬さんと共同研究という形でお願いするよ。じゃあ」
 だが、悩んでいる間にも一か月の小笠原での研究が決定してしまい、困惑するしかない。
「あの」
「ああ、説明するから待ってくれ」
 電話が終わったので説明をと言おうとすると、資料が来ているからと、先にメールを開いた。そしてそれをすぐに美樹のスマホに転送してくれる。
「一体何なんなの?」
 勝手にどんどん話が進んでいることにイライラしつつ、転送されたメールに目を落とした。そして、より一層怪訝な顔をしてしまう。
「そんな顔をするなよ。俺だって電話の相手が佐久間じゃなければ、こんな突飛な話は信じていない」
 朝飛は困ったもんだろとスマホを振る。
 確かに困ったものだ。こんなこと、普通は起こり得ないだろう。そんな内容なのだ。
「そう。日本有数の金持ちとして知られる佐久間一族。そこの現トップというか会社的には会長にあたる佐久間繁明さくましげあき。この人が企画したことだ。何でも昔から宇宙の始まりを知りたくて仕方なかったらしくてね。今回、研究のための財団を立ち上げたんだ。そして、その夢を高校生や大学生たちに託したいと考えているんだ。さらに、びっくりなことに加速器まで自前で用意してしまったらしい」
「か、加速器まで」
 加速器とは物理学の素粒子研究において欠かせない機械なのだが、これが途轍もなく大きい代物なのだ。有名なのはヨーロッパにあるCERNの加速器で、その円周は山手線と同じと言われている。
「で、島なんだよ」
「ひょっとして、個人所有の島にそれを作ったと」
「ご名答」
「マジか」
 さすがにそれはやりすぎだろうと、美樹は呆然としたものの、企画したのが佐久間繁明とすれば、そのくらいはやりかねないかもとも思ってしまう。この間も一千万もする宇宙旅行に行く権利を、ぽんとキャッシュで買ったと話題になっていた。
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