上 下
45 / 55

第45話 恨み

しおりを挟む
「ちょっとマジックをやってみてくれって、海外だと持ち掛けられることがあるんですって。だから普通のトランプでも、いくつかマジックが出来るように練習しているそうですよ」
「へえ。無茶振りされることがあるってわけか。って、マジックはいいよ。その時間、何か変わった音や声を聴いたというのは」
「ないですね」
 こうして犯人になり得るのは一人しかいないとなり、雅人たちは神田への聞き取りをするのではなく、青龍を呼んだ。今後どうすべきか、腹が立つもののあの男に相談すべきだろう。
そして、その青龍は居間に現れるなり
「刑事さん、マジックショーに付き合いませんか」
 そう人差し指を口元に立てて笑ったのだった。



 その日の夜遅く、犯人である神田はこっそりと移動していた。時間が遅くなったから、と自分の聞き取りだけ翌朝に回されたことが、今日中に片付けなければならないという思いを強くしたのだ。
 もはや完全犯罪は見込めない。自分の手際の悪さというより、あのマジシャンのせいだ。あいつがちょろちょろと動くせいで、大幅に計画が狂ってしまった。
 奴が警察と一緒に動き出したのもそうだし、些細な、見落としてもいいようなことに気づき、あれこれと引っ掻き回すせいだ。あのことを梶田が聞かれたと言っていたことも、もう後がないと思った原因である。
 それにしても、どうして車はパンクしていたのだろう。もし車が動くのならばトンズラ出来るというのに。
 そうそう、ここに刑事がいたというのも誤算だ。それも、あのマジシャンのせいだ。しかし、刑事が真っ先に奴を押さえてくれていれば、疑われることなく動くことが出来たというのに。
 野々村を殺すのは当初からの計画だった。あいつのせいで、俺は会社で軽んじられるようになったんだ。だから、この場で滅茶苦茶にしてやりたかった。あれを使えば誰がやったか気づかれない。さらにマジシャンが大好きだというあいつに相応しい、しかもその大好きな氷室青龍にやられたように見える、不可解な死に様になるはずだった。
 そう、あの氷室青龍にはよからぬ噂がある。裏で人を殺しているというのだ。そこで殺人事件となれば、まず間違いなくあのマジシャンが疑われるだろう。そう思っていた。
 呼ばれたのがあのマジシャンで、しかも野々村が好きだと知った時、これぞ天啓だと思ったほどだ。それなのに、まさかその男のせいで計画が潰れるだなんて。
 神田ははあはあと荒い息を吐きつつ、そっと一階へと下りていた。目的の人物も先ほどこっそりと一階に下りていくのを確認している。ここで、今日中にやってしまわなければ後がない。
 総ては、最初からいた俺を軽んじたあいつが悪いんだ。そうだ。だから、破滅するならばあいつも一緒じゃなければ意味がない。
「存分に苦しめ。杉山を殺したのだって、それが狙いだったのに」
 まさかただの当てつけだっただなんて。どれだけあの男にぞっこんなんだ。会社を興す当初、あいつとの関係は聞かされた。しかし、それは学生時代の気の迷いみたいなもんだろうと思っていた。
 昔から何かと目立ってモテる庄司のことだ。女に少々飽きて男に走ったのだと思っていたのに、本気になったのはあいつだけなんて皮肉にもほどがある。
「そうだ。何もかもあいつのせいで」
 それが単なる被害妄想であることを、殺人という衝動に取り憑かれた神田は気づかない。
 一緒に成功の道を走っているのだと思っていた庄司史門が、一人だけ成り上がっていく様。
 庄司だけが総てを得ていく様。
 そして、それが当然と思っている右腕のあの男。名前を呼ぶのも汚らわしい、庄司に抱かれているだけでいい思いをしているあの男。
 さらにはそんな庄司の財産目当てで近づいて来た杉山。いや、別にあの女はいいのだ。結局は庄司との結婚、そして贅沢な生活しか夢見ていないような奴だった。いたところで邪魔ではあるが目障りではなかった。
 目障りだったのは、野々村勇悟。そしてあの男。その二人だった。俺が庄司から軽んじられるようになったのはあの二人のせいだ。
 せっかくデータサイエンティストとして、大手から採用が決まっていたのを蹴ってまで選んでやったというのに。
「人工知能は万能じゃねえんだ」
 もちろん、神田だって人工知能の開発は行っている。しかし、出来ることは限定的であり、顧客が望むだけの結果を出すには最終的に人間の解析力によると考えている。だから、野々村の何でも人工知能にやらせるというスタイルは好きではなかった。
 しかも、学習パターンの算出さえ別の人工知能とのやり取り出させるだなんて。
 知っている。そういう技術があるのは知っていた。だが、それが実用化レベルにあるとは思っていなかった。いや、今だって、ちょっとした範囲で成功しているだけに過ぎない。それなのに、自分よりも野々村を気にするだなんて。
「この会社が軌道に乗ったのは俺のおかげだ」
 ぎりっと奥歯を噛みしめ、神田は目的のあの男が、岩瀬が入っていった書斎のドアへと手を掛ける。
 ここでもまだ、自分が女房役だと振舞うつもりだとは。書斎への立ち入りはあの杉山さえ許さない男だというのに。
 一体何があるのかは知らないが、庄司はあの書斎への立ち入りを杉山だけでなく他のものにも命じているほどだ。
しおりを挟む

処理中です...