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第46話 罠

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「杉山。あいつは消されて当然だ」
 あれはとても印象的な出来事として、神田に刻み込まれた。航介があの青龍にも言い触らしていたように、初日に杉山はいきなり庄司と揉めたのだ。
 それも刑事たちが気にしていた荷物に関して。
 宛がわれた部屋が狭いと文句を言い、だったら荷物は書斎に置いてよ。そう言い合いになった。しかし、荷物を置くことは同意した庄司だが、勝手に一人で立ち入ることは許さないと言い、大いに揉めた。
 それを見て、これは使えると思ったのだ。他にも立ち入らせないだけではなく、恋人にまで立ち入りを禁じる場所。ここは何かあっても捜索されることがない。そう思ったのだ。
 できれば野々村まで滞りなく殺したい神田にとって、この出来事は天啓のように思えたのは言うまでもない。しかも、総てが露見した時に庄司が見せるであろう反応を思い描き、胸がすく思いだった。
 そんな場所に、あの岩瀬は躊躇いなく入ることを許されているのか。何とも腹立たしい。そもそも、杉山を殺したことで意気消沈するかと思った庄司が、これ幸いとばかりに岩瀬に言い寄っていたことも腹が立つのだ。
「ふん。気に食わない」
 そうだ。やはり総ての歯車を狂わせたのはあの男だ。野々村を引き入れたのだって、あいつが採用すると言わなければ叶わなかったことだろう。そう考えると、野々村を恨んだことは筋違いのように思うが、目障りだったのは事実だ。
 すでに自らの身の破滅は決まっているのだ。やはりあの男を道ずれにせねば。神田は覚悟を決めて書斎のドアを開ける。
 二度目となる書斎は、驚くほど普通の空間だった。
 あの日、庄司が朝食へと出掛けたのを確認して潜り込んだ時、そのあまりに普通である空間に拍子抜けしたほどだ。壁一面に本棚があり、そこに隙間なく本が詰まっている。入って右側に小さな机があり、反対側の左側にはソファベッドがあるだけだ。机の傍には、あの杉山の荷物が無造作に置かれている。
 すでにあれに気づいて騒ぎ出すかと思っていたのだが、意外にも庄司はカバンを確認しなかったらしい。途中でバレると面倒になると厳重に密閉してあるが、少々面白くない話だ。
 ここで寝るのは息苦しいだろうな。神田はそう思ったものだ。そんな狭苦しいソファベッドに、岩瀬がすでに寝転んでいた。庄司はここにいないのは先ほど確認しているから、用意を済ませて待っているというところか。
 まったく、やはり秘書というよりは性処理の相手でしかないな。
 神田はそうせせら笑い、これならば油断しているだろうと、用意していた刃物を取り出した。登山用としている大ぶりのナイフだ。
 こちらに背を向け、毛布に包まっている岩瀬は寝てしまったのか、神田の気配に気づく様子もない。これは楽に終わるな。復讐するからにはビビらせたいところだが、そうすると仕留め損ねる可能性がある。
 ここではもう無駄な作業をせずに一思いに殺してやろう。そのナイフを振り上げたのだが――



「なっ」
 振り下ろそうとした寸前、違和感を覚えて神田は動きを止めた。薄暗い、ソファ横にある読書灯しか灯っていない部屋だが、その違和感はよく解る。
 そう、光を受けた部分の髪が青いのだ。普段は黒に見えるが光を当てると青く輝く髪の持ち主。そんな人物は一人しか思い当たらない。
「おや、意外と早く気づきましたね」
 固まってしまった神田に対し、毛布に包まっていた岩瀬と思い込んでいた青龍が、にやりと笑ってこちらを見る。
 どういうことだ。
 確かにここに入っていくまでは岩瀬だった。それは間違いない。
 すると、ぎいっと音を立ててドアが開き、狙っていた岩瀬が立っていた。その奥には庄司、それに雅人と楓という刑事コンビが控えている。
「諮ったか」
「ええ。必ずあなたは今日、行動を起こすと思っていましたからね。そこで私なりに一計を案じてみたというわけです」
「ふっ、マジシャンらしい」
 振り上げていたナイフを下ろし、苦々しい面持ちで寝転んでいる青龍を見下ろす。その青龍の顔は、どこか毒々しく怪しい雰囲気を醸し出している。
 男に惹かれるというのはこういう瞬間か。なぜか、神田は場違いにもそんなことを思っていた。
「それにしても、こんなにあっさり馬脚を露すものか」
 だが、そんな幕切れに納得がいかない様子なのが刑事たちだ。
 岩瀬の後ろ姿に引かれて神田がやって来るはず。
 そんな青龍の読みが当たるだなんて、この部屋に入っていくのを見届けるまで信じられなかった。
「ラストチャンスですからね。雨だっていつまで降り続いてくれるか解らない。明日の朝には、パンを届ける梶田の手伝いの人がやって来てしまう。電波を乱して連絡を取れなくし、混乱させるところまでは良かったですが、その先の詰めが甘かったですね」
 青龍はようやく身を起こすと、呆然とする神田に向けて笑った。
 その余裕綽々でありながら毒々しい笑顔に、神田は緊張が途切れたように笑ってしまう。その笑いが一通り収まると、お前のせいでとばかりに睨んでいた。
「総て、お前のせいにしてやろうと思っていたのに」
「でしょうね。そうでなければ、苦労して死体をバラバラにする意味はないでしょう。不可解なトリックを用いることが氷室青龍のやり口だ。そういう噂を知っているのならば、尚更ですよね」
 糾弾されようと、この場に刑事がいようと、青龍の余裕の態度は変わらない。それは単に舞台慣れしているからというだけではなく、どれだけ探ろうと青龍が犯人ではないからだ。
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