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第52話 疑問

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「ええ。不可解なバラバラ死体を実現してくれるトリックですが、実際には大型の機械がないと難しいことを、浴槽でやったというわけです。そうなると、あちこちで誤差が生まれるのも仕方がないことでしょう。まあ、一番の誤差は私でしょうけどね」
 そう言って、青龍は自嘲気味に笑った。
 実際、神田の計画は青龍が殺人計画を売っているという情報に完全に依拠している。その前提部分が崩れてしまえば、どれだけ策を弄したところで、完全に成し遂げることは難しかっただろう。
「でも、次の事件では短時間にバラバラに出来たんだろう。どうして杉山の時にはそんなに時間が掛かったんだ?」
 だが、雅人は次のトリックは本当に同じだったのかと疑問になってしまう。今、死体が凍り難かったはずだと提示されたのに、野々村の時は短時間に犯行が行われた。この齟齬はどう説明する気なのか。
「ああ。それは簡単ですよ。杉山さんは自分の手でバラバラにしたから時間が掛かったのであって、野々村さんは自分の力でバラバラにしなかったからですよ」
「はあ?」
「何だって」
 方々から意味が解らないと抗議の声が上がる。
 それはそうだ。自分の力でバラバラにしなかった。その意味するところが解らない。
「ここでも凍らせたんですよね。それも今度は寒剤だけでなく、液体窒素を使用してカチカチに」
「はい」
 しかし、そんな中で思いついたと岩瀬が手を挙げる。青龍に見つめられて顔を赤くした岩瀬だったが、それならば簡単だったはずと言い切った。
「どういうことだ?」
 庄司がすかさず質問をする。他もまだ思いついていないのか、視線が岩瀬に集中した。それを、青龍が面白そうに見つめている。
 岩瀬は少し戸惑ったようだが、事件のきっかけを作ったという責任感からか、積極的に発言しようと決めたようだ。
「その、完全に凍らせることが可能だと昨日の段階で解っているのならば、高いところから落とせばそれで済むと考えたのではないですか」
「えっ」
「ああ、そうか」
 楓はまだ解らないと首を捻ったが、雅人もそこまで言われれば理解できた。
 なるほど、高いところから落とせば、完全に凍っていたのならば簡単に割れるはずだ。しかも応接室にはテーブルや椅子、さらには青龍が使用したステージの台座がある。そこにぶつけることが出来れば砕けるだろう。それを利用したということか。
「ええ。野々村さんの死体は明らかに、ナイフで切り分けられたものではありませんでした。金井さんも確認しましたよね。切り口が真っ直ぐではなかったのを。だから、凍ってしまえば後は一瞬だったんですよ」
「ううむ、しかし」
 それでもまだ、総ての疑問に答えていることにはならないだろう。雅人はもっと詳しく説明しろと青龍を睨んだ。
「そうですね。まず、どうしてこの寒剤を用いたと見破ることが出来たのか。この説明から始めましょうか」
「そうだな。お前は風呂場のお湯だけが出ないという事実から気づいたみたいだが」
「ええ。それはそうですよ。配管が凍ってしまったから使えなくなったのだろう。そう気づけば後は簡単ですからね」
「えっ」
 またさらっとそういうことを言う。しかし、雅人にも楓にもさっぱりの内容だ。どうして配管が凍ったと見破ることが出来たのか。その点が明らかではない。
「工学系だとあまり経験のない話ですけど、理学系の方ならば一度くらいは経験のしたことがある、もしくは耳にしたことがある現象なんですよ。液体窒素で配管が凍ってしまうというのは」
「そ、そうなのか」
「ええ。実験で使った液体窒素を誤って配管に流してしまった。この失敗は意外と多いようで、私も何度か耳にしました。だからすぐに、それではないかと思ったんですよ。すると、不可解な現場の理由もすんなりと理解できる、というわけです」
「ふうん」
 そうなると、神田の誤算は青龍が理系であったことにもあるのだろうか。下手な工作が見抜かれるというのも、想定していなかった出来事に違いない。
「そういうわけで、何とかして凍らせたのだろうというのは簡単な推測でした。では、どうして一件目で大量のエタノールを使って凍らせたか。これは先ほども説明したように、一度隠す必要があったからです。
 当初の計画でも、野々村さんの死体はすぐに発見されても問題ないものでした。だから、最初の杉山さんが念入りになったのは、当然というところです。ただ、予想以上に凍らせるのに時間が掛かったこと、バラバラにして隠すのに時間が掛かったのは、神田さんの計画としては困ったことでしょうね」
 そう言って、青龍は神田をちらっと一瞥する。
 だが、神田は総てを見抜かれているその洞察力にただただ驚いて、呆然と青龍の推理を聞いている状態だった。
 確かに、雅人もこの洞察力には驚かされてしまう。普段から計画を練っているから考え方が解っているだろうとはいえ、あっさりと犯人の手口をなぞってしまえることに驚かされていた。それも、僅かなヒントから総てを見抜けるなんて。
 その時、得も言われぬ恐怖感を覚えた。
 もし、青龍が自ら犯罪を行ったら。それを見抜くことは到底不可能なのではないか。
 そんな想像から込み上げてきた恐怖だ。
 もちろん、世界的に成功をしている青龍が、マジシャンを捨てて犯罪者になることはないだろう。計画を売っている理由は定かではないが、彼自身が犯罪に手を染めるというのは想像できないことだった。
 と、そこまで考えると、今まで感じていた違和感が急速に膨らむのにも気づく。
 そう、マジシャンであることを誇りに思い、客を楽しませることを心底喜んでいる青龍が、果たしてバレることはほぼないと言い切れるからと言って、犯罪計画を売るだろうか。
「っつ」
 いやいや。それこそ神田のように前提条件ごとひっくり返されることになる。それだけは受け入れられない事実だ。
 それよりも、青龍が何かのきっかけで自ら犯罪を行う方が怖い。そちらを警戒すべきだ。雅人はぐっと腹の底に力を入れる。
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