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第三章 森の薬師編
68 戦場の姫君
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三対の騎馬が戦場後方の野営地に滑り込んだ。瞬間的に景色が変わって、マナは慄きのあまり震えはじめる。覚悟しろとは言われていたが、想像よりもはるかに上を行く状況だった。
救護所に入りきらないけが人が、その辺に寝転がっていた。重症の者は少ないようだが、地の底を思わせるような呻き声と、眩暈を起こしそうな血の臭い。マナが馬上に慄然としていると、全身血まみれの兵士が看護師に両肩を支えて歩く姿を見てしまい、気分が悪くなった。
「重傷者はこちらに運んでください!」
テントの中から出てきた少女は白衣の天使だった。その姿は血で汚れていたが、顔にはねた鮮血や白衣に付いた赤黒い染みさえも美しく見える。見た目ではなく真実の美しさだ。
「ティア様……」
ティア姫は、看護師に支えられてきた重症の兵士を抱え込んで、テントの中に引き入れていた。血で服が汚れる事などお構いなしだった。
「行きますよ」
ゼノビアが先に馬から降りてマナを助ける。メラメラはマナの頭の上に乗った。
二人は護衛の騎士を残してティア姫のいるテントに入った。そこは外などとは比べ物にならない悲惨な状況であった。ひしめく様にけが人が横たわり、その誰もが体の半分以上を包帯で隠して血を滲ませていた。
嘔吐でもするような叫び声が上がった。そこに人が集まっている。けが人を避けながらそれに近づくゼノビアにマナも震えながら付いて行く。
七転八倒の苦しみを呈す兵士を数人がかりで抑えつけていた。その中にはマナの見知った女性もいる。
「ティア様、お願いします」
かつて姫の侍女として働いていたナスターシャが言った。ティア姫が何事か始めると、兵士が余計に苦しむ。マナは様子を除き込んで冷や水を浴びせられるようにぞっと立ちすくんだ。兵士の、槍を突かれて裂けたわき腹から内臓が露呈していた。姫は手袋を血で濡らしながら懸命に処置していた。裂けた腸を素早く縫い合わせて手袋を取る。そして手の平から穏やかな緑の光を発して傷を照らすと、縫い合わせた傷口が修復されていく。
「見事だわ」
隣でゼノビアの感嘆を聞いたマナは、足を震わせながらもティア姫の治療を見つめていた。姫は次の処置に移り、裂けたわき腹を縫い合わせ、先ほどと同じように手のひらから発する不思議な力で傷を癒す。
「あれは?」
「ティア姫様は回復魔法の使い手なのです。それと医術を組み合わせる事で、魔法だけでは回復不能な傷を癒し、かつ効率的に素早く回復する事ができる。魔医混合療法、これこそがメルビウスで生み出された最先端の医術です」
それにしても、とゼノビアは続ける。
「ティア姫様の腕は一流です。一国の姫としての責務の傍らで、これほどの医術を身に付けるとは並大抵の事ではありません」
ゼノビアの話が終わる頃には、死んでもおかしくなかった兵士の容体は安定していた。先ほどまで怪我の痛みで地獄の苦しみを味わっていた彼は、すっかり穏やかな表情になって姫に語りかけていた。
「ありがとうございます。よろしければ、あなたのお名前を聞かせて下さい」
ティア姫に看病してもらった兵士の殆どが、これと同じような事を聞いてくる。姫の持つカリスマ性と気品は、どんな場所においても燦然と光り輝いている。誰もがそれを感じて、聞かずにはいられなくなるのだ。
「わたくしの名は、ティア・アーティア・ミク・メルビウス。メルビウス国の姫です」
ティア姫はいつでも包み隠さずに自分を明らかにする。これは完全に父王アリメドスへの当てつけだった。権威主義者で何よりも体裁を気にするアリメドスが、もし姫が戦場で血にまみれて怪我人の世話をしているなどと知ったら卒倒するかもしれない。そう思うと、少しだけ気が晴れるのだ。
ああ、そうか。マナは思う。王妃候補として自分の入り込む余地などなかったのだと。アルメリアの国を憂う高尚な精神、ティア姫のその身を投げうつ慈愛、それは学校の成績とかテストの点数などでは計れない。もう彼女らは、普通の人間とは違う地平にいるのだ。最初から、マナの敵う相手ではなかった。
マナはまだアルカードの事を思っている。大好きだ。それでも、アルメリアやティア姫がアルカードと結婚するのなら、素直に祝福できると思う。
マナは我知らず、涙を零していた。アルカードの事が好きな気持ちはどうにもできないが、ティア姫の献身的な姿を見て、ようやく諦めがついた。
ゼノビアは時を見計らってティア姫に近づいた。
「あなたは、こんな所で何をしているのですか?」
「ゼノビア様!? どうしてここに……」
「姫様を連れ戻すように、エリーナ王妃に頼まれました」
「……わたくしは、帰る気はありません」
ティア姫の強い意志と声が、周囲の者の注目を集める。ナスターシャを初め、ティア姫に付いてきた人々も集まり、衆人環視の中で姫と侯爵令嬢が向き合う。
「姫様は、この救護所において中心的な存在となっているようですね。そうだとしても、国に戻って頂きます」
「嫌です! ここには、わたくしを必要とする方が多くいらっしゃいます。それに、大切な友人を平気で傷つけるような父の元には帰りたくありません。わたくしはこのまま#出奔_しゅっぽん__#するつもりです」
「何の後ろ盾もない庶民の娘であれば、称讃もされましょう。しかし、あなたは一国の姫です。これは我儘にしかなりません」
これを聞いたマナには話の意図がまったく分からない。一国の姫がこんな陰惨な救護所で兵士の怪我の手当てをする行為が我儘とは。
ゼノビアはナスターシャの事を一瞥して言った。
「ナスターシャ様は伯爵家の御令嬢でしょう。それだけではありません、姫に付いてきた者全てが大なり小なり貴族です。それがどういう意味なのか、分からないはずがありません」
ティア姫は何も言えなくなって目を伏せてしまう。それにゼノビアは容赦なく叩き伏せるように言った。
「姫と、それに付き従うあなた方の覚悟には敬服します。しかし、一人の貴族の人生は一人のものではありません。あなた方が貴族である事を辞めれば、取り潰しになる家もあるかもしれません。ましてや、一国の姫ともなれば」
ゼノビアが黙ると、ティア姫が顔を上げる。
「姫様、メルビウスの国民を見捨てるおつもりですか? あんな王に国を任せるのですか?」
ティア姫にだって、それは分かっていた。父の愚行を嘆く余り、こんな場所にまで来て自分の成すべき事を探した。それが正しいなんて思ってはいなかった。
姫は自分の気持ちと王女としての責任の狭間で揺れ、手で顔を覆って苦悩の色を濃くする。
「わたしが戻るまでは、好きにして下さい」
「それはどういう意味ですか?」
「今は姫様の事をとやかくは言えません。これからわたしも、自分の我を通しますので」
「まさか……行くのですか、戦場に」
ゼノビアは姫に頷くと、颯爽とテントから出て行った。残ったマナは、姫に近づくと、精いっぱいの勇気を出して言った。
「ティア様、わたしにも何か手伝わせて下さい」
「マナ様……ありがとうございます」
こんな場所にあっても、ティア姫の笑顔は眩しかった。
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「重傷者はこちらに運んでください!」
テントの中から出てきた少女は白衣の天使だった。その姿は血で汚れていたが、顔にはねた鮮血や白衣に付いた赤黒い染みさえも美しく見える。見た目ではなく真実の美しさだ。
「ティア様……」
ティア姫は、看護師に支えられてきた重症の兵士を抱え込んで、テントの中に引き入れていた。血で服が汚れる事などお構いなしだった。
「行きますよ」
ゼノビアが先に馬から降りてマナを助ける。メラメラはマナの頭の上に乗った。
二人は護衛の騎士を残してティア姫のいるテントに入った。そこは外などとは比べ物にならない悲惨な状況であった。ひしめく様にけが人が横たわり、その誰もが体の半分以上を包帯で隠して血を滲ませていた。
嘔吐でもするような叫び声が上がった。そこに人が集まっている。けが人を避けながらそれに近づくゼノビアにマナも震えながら付いて行く。
七転八倒の苦しみを呈す兵士を数人がかりで抑えつけていた。その中にはマナの見知った女性もいる。
「ティア様、お願いします」
かつて姫の侍女として働いていたナスターシャが言った。ティア姫が何事か始めると、兵士が余計に苦しむ。マナは様子を除き込んで冷や水を浴びせられるようにぞっと立ちすくんだ。兵士の、槍を突かれて裂けたわき腹から内臓が露呈していた。姫は手袋を血で濡らしながら懸命に処置していた。裂けた腸を素早く縫い合わせて手袋を取る。そして手の平から穏やかな緑の光を発して傷を照らすと、縫い合わせた傷口が修復されていく。
「見事だわ」
隣でゼノビアの感嘆を聞いたマナは、足を震わせながらもティア姫の治療を見つめていた。姫は次の処置に移り、裂けたわき腹を縫い合わせ、先ほどと同じように手のひらから発する不思議な力で傷を癒す。
「あれは?」
「ティア姫様は回復魔法の使い手なのです。それと医術を組み合わせる事で、魔法だけでは回復不能な傷を癒し、かつ効率的に素早く回復する事ができる。魔医混合療法、これこそがメルビウスで生み出された最先端の医術です」
それにしても、とゼノビアは続ける。
「ティア姫様の腕は一流です。一国の姫としての責務の傍らで、これほどの医術を身に付けるとは並大抵の事ではありません」
ゼノビアの話が終わる頃には、死んでもおかしくなかった兵士の容体は安定していた。先ほどまで怪我の痛みで地獄の苦しみを味わっていた彼は、すっかり穏やかな表情になって姫に語りかけていた。
「ありがとうございます。よろしければ、あなたのお名前を聞かせて下さい」
ティア姫に看病してもらった兵士の殆どが、これと同じような事を聞いてくる。姫の持つカリスマ性と気品は、どんな場所においても燦然と光り輝いている。誰もがそれを感じて、聞かずにはいられなくなるのだ。
「わたくしの名は、ティア・アーティア・ミク・メルビウス。メルビウス国の姫です」
ティア姫はいつでも包み隠さずに自分を明らかにする。これは完全に父王アリメドスへの当てつけだった。権威主義者で何よりも体裁を気にするアリメドスが、もし姫が戦場で血にまみれて怪我人の世話をしているなどと知ったら卒倒するかもしれない。そう思うと、少しだけ気が晴れるのだ。
ああ、そうか。マナは思う。王妃候補として自分の入り込む余地などなかったのだと。アルメリアの国を憂う高尚な精神、ティア姫のその身を投げうつ慈愛、それは学校の成績とかテストの点数などでは計れない。もう彼女らは、普通の人間とは違う地平にいるのだ。最初から、マナの敵う相手ではなかった。
マナはまだアルカードの事を思っている。大好きだ。それでも、アルメリアやティア姫がアルカードと結婚するのなら、素直に祝福できると思う。
マナは我知らず、涙を零していた。アルカードの事が好きな気持ちはどうにもできないが、ティア姫の献身的な姿を見て、ようやく諦めがついた。
ゼノビアは時を見計らってティア姫に近づいた。
「あなたは、こんな所で何をしているのですか?」
「ゼノビア様!? どうしてここに……」
「姫様を連れ戻すように、エリーナ王妃に頼まれました」
「……わたくしは、帰る気はありません」
ティア姫の強い意志と声が、周囲の者の注目を集める。ナスターシャを初め、ティア姫に付いてきた人々も集まり、衆人環視の中で姫と侯爵令嬢が向き合う。
「姫様は、この救護所において中心的な存在となっているようですね。そうだとしても、国に戻って頂きます」
「嫌です! ここには、わたくしを必要とする方が多くいらっしゃいます。それに、大切な友人を平気で傷つけるような父の元には帰りたくありません。わたくしはこのまま#出奔_しゅっぽん__#するつもりです」
「何の後ろ盾もない庶民の娘であれば、称讃もされましょう。しかし、あなたは一国の姫です。これは我儘にしかなりません」
これを聞いたマナには話の意図がまったく分からない。一国の姫がこんな陰惨な救護所で兵士の怪我の手当てをする行為が我儘とは。
ゼノビアはナスターシャの事を一瞥して言った。
「ナスターシャ様は伯爵家の御令嬢でしょう。それだけではありません、姫に付いてきた者全てが大なり小なり貴族です。それがどういう意味なのか、分からないはずがありません」
ティア姫は何も言えなくなって目を伏せてしまう。それにゼノビアは容赦なく叩き伏せるように言った。
「姫と、それに付き従うあなた方の覚悟には敬服します。しかし、一人の貴族の人生は一人のものではありません。あなた方が貴族である事を辞めれば、取り潰しになる家もあるかもしれません。ましてや、一国の姫ともなれば」
ゼノビアが黙ると、ティア姫が顔を上げる。
「姫様、メルビウスの国民を見捨てるおつもりですか? あんな王に国を任せるのですか?」
ティア姫にだって、それは分かっていた。父の愚行を嘆く余り、こんな場所にまで来て自分の成すべき事を探した。それが正しいなんて思ってはいなかった。
姫は自分の気持ちと王女としての責任の狭間で揺れ、手で顔を覆って苦悩の色を濃くする。
「わたしが戻るまでは、好きにして下さい」
「それはどういう意味ですか?」
「今は姫様の事をとやかくは言えません。これからわたしも、自分の我を通しますので」
「まさか……行くのですか、戦場に」
ゼノビアは姫に頷くと、颯爽とテントから出て行った。残ったマナは、姫に近づくと、精いっぱいの勇気を出して言った。
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