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第八話 享楽
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多くの料理が、複数人の給仕によって運ばれてきた。しっかりと下ごしらえされ、丁寧に時間をかけたて調理されたであろう肉料理に、色とりどりの前菜が並ぶ。
そして、栓を抜いて開けるのを躊躇われるようなワインを置かれるが、わたしは飲めない。というかすでに三本目だ。どれも開けていない。
でも、スーツ姿の給仕の人たちは、置くだけ置いて、すぐさま、しかし優雅に立ち去ってしまう。
「どうした小娘、食べないのか?」
ゴブリンが、椅子の上に立ちながら器用に食事を進める。
「あ、食べます」
料理を口に運ぶときに鼻を近づけると、とてもいい匂いがする。しかし少しでも離すと、途端に血の臭いで上書きされる。口と鼻が離れていることをここまで悲しく思ったことはない。
「血生臭くてあんまりね」
「……洗ってきたらどうですか?」
血の臭いの根源は、微妙な顔をしている当のマリアだった。高級なレストランに入ろうとしたら止められ、何か言われる前に鉤爪で殺し、返り血を浴びた。
オーナーが衛兵に助けを求めたが、我関せずの衛兵に肩を落として戻ってきた。マリアは、この街の法の外の存在として扱われる地位を手に入れたのだ。
「頻繁に血に塗れるのも大変ね。人を殺すのは好きだけど、後始末は苦手だわ。水をバケツに汲んで持ってきてくれる?」
席からマリアが離れ、給仕にバケツ一杯の水を頭からかけてもらう。血と水が床に広がっていく。魚の血抜きみたいだった。
びちゃびちゃのマリアを乾かすために、恐る恐る給仕たちが拭いて回る。髪が長いから、拭くのも大変そうだ。
そして、また新しい服にその場で着替え始める。白い肌が露わになるが、扇情的なものは全く無く、洗いたての猫を思わせる。
「ふぅ。ご飯を食べたら、観光としゃれこみましょう。あぁ、それにしても、いくら殺しても邪魔されないなんて本当に素敵だわ」
うっとりとワインを飲みながらそう言うマリアに、ゴブリンが警鐘を鳴らす。
「マリア様、しかし昨日の件もあります。我としては、不意打ちが怖いのです。今のマリア様の肉体は脆弱すぎる」
意識を取り戻したカルドからルークが聞いた情報によると、深々とローブを被った女性に大金を手渡され、マリアを生きたままめちゃくちゃにしてほしいと頼まれたらしい。お金さえあればいいからと、即座に受け入れたので、それ以上何も知らないという。
そんな依頼をされるぐらいだし、ゴブリンの言うとおり不意打ちが怖い。
「それはどうにかするわ。ただ、恨まれてる相手に心当たりがないのよね。しいていうなら、森の魔法使いかしら?」
マリアはわたしと出会う前に、森に住んでいる魔法使いの関係者を殺している。その魔法使い周りの人間だとすると、かなり厄介そうだ。
「すでに恨まれまくりな気も……」
「はぁ。殺せば殺すほど恨まれるのは厄介だわ。この街みたいに、世界中の人が天災に巻き込まれたようなものだと思ってくれたらいいのに」
ソンヌの人たちも、天災に巻き込まれたとは思っていないと思う。ひしひしと恨みの視線を感じるから。
「さてさて、次は一番高いところにある、領主館を観光しにいきましょう」
領主館は観光しにいくような場所じゃないけど、マリアにはまったく通じない。
領主館の門兵たちが、マリアの姿を見てささっと退いた。改めて、ルークの影響力の強さに驚く。
「お屋敷よ、お屋敷。秘密の扉とかあるのかしら?」
「……あります」
領主が目をかけた女と秘密の逢瀬をするための隠し部屋があった。あまりにも連れ込む頻度が多かったから、公然の秘密と化していたけど。
わたしにとっては因縁の場所だ。まさかまた訪れるとは思わなかった。
「テレサ」
覗き込むように金色の瞳で見つめながら、名前を呼ばれる。いたずらをするような笑みを浮かべて。
「え、はい」
「あなたの足は、武器にもなるわよ」
「はい?」
マリアに貰った左足は、先端が鋭い。武器として使えなくもない。でも、それ以上にも出来るだろうということは分かっていた。わたしの体の一部となってから、ずっと。ただ、認めるのが怖くて、素知らぬふりをする。
「領主館の話題を出すと、暗くなるのだもの。ねぇ、テレサ。楽しくやりましょうよ。いい機会だもの」
領主館を前に、テレサが両腕を広げる。いつかの光景を想起させるその姿に、目を奪われる。
「でも……」
「でも、嫌? そんなことないわ。路地裏で男を殺したときのあなた、喜んでいたもの」
「あ、あれは不可抗力ですって! それに喜んでなんか……いません」
マリアが、わたしの前に手を差し出してきた。
「一線を越えられないのね。でも、私がいるわよ? あなたを食べようとする悪い狼を、どさくさに殺せばいいの」
この手を握り返せば、いとも容易く一線を越える。わたしの矜持なんてその程度だ。いままでわたしを食い物にしてきた連中に、噛み返すことができるかもしれない。
マリアの瞳に、か弱い茶髪の少女が映っている。それは、ずっとずっと我慢して最後には親にも捨てられた少女だ。
そんな子は、森で死んだ。たしかにあのとき、楽しくやっていこうと思ったのだから。
「わたしは……。わたしは、もう、我慢しません」
マリアの手を握る。何人も殺したとは思えない小さな手が、ぎゅっとわたしの手を握り返す。
マリアが、すごく悪い顔をしてる。でも、その金色の瞳に映る少女も、負けず劣らず悪い顔を浮かべていた。
「領主を殺したら次の街を目指しましょう。ルークでも庇えないでしょうし」
「いよいよお尋ね者ですね……。最悪です」
でも、マリアの狂騒に付いていくのはきっと楽しい。
「さぁ。お先にどうぞ? 私はここでゴブリンとしばらく遊ぶから」
「ん!? 我と何を……?」
突然名を呼ばれ面食らうゴブリンに、また殊更に悪い顔を浮かべたマリアを置いて、領主館の入口に立つ。
左脚に集中する。すうっと息を吸って、大きな扉を見据える。
「やぁっ!」
掛け声と共に左脚を振り抜く。わたしの短かった左脚が、しなるようにして伸びる。黒い軌跡が、扉を破壊した。
壊れた扉を踏み抜いて、中に入る。以前は裏口から入っていたから、なんだか新鮮だった。
怯えてすくむメイド達を無視して、領主の部屋へ進む。異常に気づいた騎士たちが立ち塞がる。
「どいて、くれませんか」
槍を構えた騎士の一人が、槍で貫こうと突き、その槍先を、思い切り踏み抜いてへし折った。
いま、わたしの足は、象の足のように大きく平たくなっていた。
「どいてください!」
その足をさらに強く、床に打ち付けると、ぐらりと屋敷が揺れる。衝撃でヒビの入った床が大きく崩れ、廊下にいた騎士たちが階下へ落ちていく。
ぽっかりと空いた穴を飛び越え、領主の部屋へと辿り着いた。脚から力が湧いてくる。部屋の扉を切り開き、室内に入る。
「お前っ! ベーンの村の!?」
細身で陰気な領主が驚きの声をあげる。数多の女の一人でも、覚えていたらしい。
「なんだその、黒い脚は……! まさか、ベーンの騒ぎはそれか!」
「違うと思います。どうでもいいですけど。この脚は不満ですか? 領主様。でもいいです、私はすきですから」
「来るな!」
近づいて、蹴り倒す。そして何度も何度も、領主を踏みつける。何度も、何度も。
気がついたときには、領主なんて跡形も無かった。床ごと抜けていて、あやうく自分が落ちそうになった。
領主はわたしの、左脚の不格好な切断面を撫で回すのが好きだったから、この今の脚は気に入って貰えなかっただろう。
「あら、テレサ。随分素敵ね」
「あ、マリア……」
相変わらず血塗れのマリアが、部屋へと入ってくる。鉤爪から血が滴っていて、わたしが無視した人たちも無事ではすまなかったことが分かる。
ふと、視線を動かしたときに、窓に映り込むわたしが見えた。マリアとそう変わらない、血でどろどろの格好に苦笑する。
「飛んだり切ったり踏んだり。楽しかったですけど、わたしもこの後始末はいやです」
そして、栓を抜いて開けるのを躊躇われるようなワインを置かれるが、わたしは飲めない。というかすでに三本目だ。どれも開けていない。
でも、スーツ姿の給仕の人たちは、置くだけ置いて、すぐさま、しかし優雅に立ち去ってしまう。
「どうした小娘、食べないのか?」
ゴブリンが、椅子の上に立ちながら器用に食事を進める。
「あ、食べます」
料理を口に運ぶときに鼻を近づけると、とてもいい匂いがする。しかし少しでも離すと、途端に血の臭いで上書きされる。口と鼻が離れていることをここまで悲しく思ったことはない。
「血生臭くてあんまりね」
「……洗ってきたらどうですか?」
血の臭いの根源は、微妙な顔をしている当のマリアだった。高級なレストランに入ろうとしたら止められ、何か言われる前に鉤爪で殺し、返り血を浴びた。
オーナーが衛兵に助けを求めたが、我関せずの衛兵に肩を落として戻ってきた。マリアは、この街の法の外の存在として扱われる地位を手に入れたのだ。
「頻繁に血に塗れるのも大変ね。人を殺すのは好きだけど、後始末は苦手だわ。水をバケツに汲んで持ってきてくれる?」
席からマリアが離れ、給仕にバケツ一杯の水を頭からかけてもらう。血と水が床に広がっていく。魚の血抜きみたいだった。
びちゃびちゃのマリアを乾かすために、恐る恐る給仕たちが拭いて回る。髪が長いから、拭くのも大変そうだ。
そして、また新しい服にその場で着替え始める。白い肌が露わになるが、扇情的なものは全く無く、洗いたての猫を思わせる。
「ふぅ。ご飯を食べたら、観光としゃれこみましょう。あぁ、それにしても、いくら殺しても邪魔されないなんて本当に素敵だわ」
うっとりとワインを飲みながらそう言うマリアに、ゴブリンが警鐘を鳴らす。
「マリア様、しかし昨日の件もあります。我としては、不意打ちが怖いのです。今のマリア様の肉体は脆弱すぎる」
意識を取り戻したカルドからルークが聞いた情報によると、深々とローブを被った女性に大金を手渡され、マリアを生きたままめちゃくちゃにしてほしいと頼まれたらしい。お金さえあればいいからと、即座に受け入れたので、それ以上何も知らないという。
そんな依頼をされるぐらいだし、ゴブリンの言うとおり不意打ちが怖い。
「それはどうにかするわ。ただ、恨まれてる相手に心当たりがないのよね。しいていうなら、森の魔法使いかしら?」
マリアはわたしと出会う前に、森に住んでいる魔法使いの関係者を殺している。その魔法使い周りの人間だとすると、かなり厄介そうだ。
「すでに恨まれまくりな気も……」
「はぁ。殺せば殺すほど恨まれるのは厄介だわ。この街みたいに、世界中の人が天災に巻き込まれたようなものだと思ってくれたらいいのに」
ソンヌの人たちも、天災に巻き込まれたとは思っていないと思う。ひしひしと恨みの視線を感じるから。
「さてさて、次は一番高いところにある、領主館を観光しにいきましょう」
領主館は観光しにいくような場所じゃないけど、マリアにはまったく通じない。
領主館の門兵たちが、マリアの姿を見てささっと退いた。改めて、ルークの影響力の強さに驚く。
「お屋敷よ、お屋敷。秘密の扉とかあるのかしら?」
「……あります」
領主が目をかけた女と秘密の逢瀬をするための隠し部屋があった。あまりにも連れ込む頻度が多かったから、公然の秘密と化していたけど。
わたしにとっては因縁の場所だ。まさかまた訪れるとは思わなかった。
「テレサ」
覗き込むように金色の瞳で見つめながら、名前を呼ばれる。いたずらをするような笑みを浮かべて。
「え、はい」
「あなたの足は、武器にもなるわよ」
「はい?」
マリアに貰った左足は、先端が鋭い。武器として使えなくもない。でも、それ以上にも出来るだろうということは分かっていた。わたしの体の一部となってから、ずっと。ただ、認めるのが怖くて、素知らぬふりをする。
「領主館の話題を出すと、暗くなるのだもの。ねぇ、テレサ。楽しくやりましょうよ。いい機会だもの」
領主館を前に、テレサが両腕を広げる。いつかの光景を想起させるその姿に、目を奪われる。
「でも……」
「でも、嫌? そんなことないわ。路地裏で男を殺したときのあなた、喜んでいたもの」
「あ、あれは不可抗力ですって! それに喜んでなんか……いません」
マリアが、わたしの前に手を差し出してきた。
「一線を越えられないのね。でも、私がいるわよ? あなたを食べようとする悪い狼を、どさくさに殺せばいいの」
この手を握り返せば、いとも容易く一線を越える。わたしの矜持なんてその程度だ。いままでわたしを食い物にしてきた連中に、噛み返すことができるかもしれない。
マリアの瞳に、か弱い茶髪の少女が映っている。それは、ずっとずっと我慢して最後には親にも捨てられた少女だ。
そんな子は、森で死んだ。たしかにあのとき、楽しくやっていこうと思ったのだから。
「わたしは……。わたしは、もう、我慢しません」
マリアの手を握る。何人も殺したとは思えない小さな手が、ぎゅっとわたしの手を握り返す。
マリアが、すごく悪い顔をしてる。でも、その金色の瞳に映る少女も、負けず劣らず悪い顔を浮かべていた。
「領主を殺したら次の街を目指しましょう。ルークでも庇えないでしょうし」
「いよいよお尋ね者ですね……。最悪です」
でも、マリアの狂騒に付いていくのはきっと楽しい。
「さぁ。お先にどうぞ? 私はここでゴブリンとしばらく遊ぶから」
「ん!? 我と何を……?」
突然名を呼ばれ面食らうゴブリンに、また殊更に悪い顔を浮かべたマリアを置いて、領主館の入口に立つ。
左脚に集中する。すうっと息を吸って、大きな扉を見据える。
「やぁっ!」
掛け声と共に左脚を振り抜く。わたしの短かった左脚が、しなるようにして伸びる。黒い軌跡が、扉を破壊した。
壊れた扉を踏み抜いて、中に入る。以前は裏口から入っていたから、なんだか新鮮だった。
怯えてすくむメイド達を無視して、領主の部屋へ進む。異常に気づいた騎士たちが立ち塞がる。
「どいて、くれませんか」
槍を構えた騎士の一人が、槍で貫こうと突き、その槍先を、思い切り踏み抜いてへし折った。
いま、わたしの足は、象の足のように大きく平たくなっていた。
「どいてください!」
その足をさらに強く、床に打ち付けると、ぐらりと屋敷が揺れる。衝撃でヒビの入った床が大きく崩れ、廊下にいた騎士たちが階下へ落ちていく。
ぽっかりと空いた穴を飛び越え、領主の部屋へと辿り着いた。脚から力が湧いてくる。部屋の扉を切り開き、室内に入る。
「お前っ! ベーンの村の!?」
細身で陰気な領主が驚きの声をあげる。数多の女の一人でも、覚えていたらしい。
「なんだその、黒い脚は……! まさか、ベーンの騒ぎはそれか!」
「違うと思います。どうでもいいですけど。この脚は不満ですか? 領主様。でもいいです、私はすきですから」
「来るな!」
近づいて、蹴り倒す。そして何度も何度も、領主を踏みつける。何度も、何度も。
気がついたときには、領主なんて跡形も無かった。床ごと抜けていて、あやうく自分が落ちそうになった。
領主はわたしの、左脚の不格好な切断面を撫で回すのが好きだったから、この今の脚は気に入って貰えなかっただろう。
「あら、テレサ。随分素敵ね」
「あ、マリア……」
相変わらず血塗れのマリアが、部屋へと入ってくる。鉤爪から血が滴っていて、わたしが無視した人たちも無事ではすまなかったことが分かる。
ふと、視線を動かしたときに、窓に映り込むわたしが見えた。マリアとそう変わらない、血でどろどろの格好に苦笑する。
「飛んだり切ったり踏んだり。楽しかったですけど、わたしもこの後始末はいやです」
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