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第十五話 牧歌的

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 一面に広がる小麦畑が日差しによって輝き、時折吹く風によって揺れ動く。風車はその風によって緩やかに動き、緑の広がる草原でぱたぱたと耳を動かして風を感じる牛や羊たちなどの動物がいる。
 村育ちのわたしにとっては、規模こそ違えど懐かしくもある光景だった。

「風車よ風車。子羊もかわいいわ」

 マリアにとっては珍しい光景なのか、金色の瞳を輝かせながら農業地帯や畜産地帯を巡る。

「失礼かもしれないですけど、前からマリアがこういう平和な光景に興味を示すのは意外に思ってます……」
「本当に失礼よ? 私はね、どうやって人を殺すかずっと悩んでて、何も出来なかったのよ。だから落ち着いて観光出来るのは嬉しいわ」

 落ち着いて、とは言うが時折農家をちらりと見ては、右指を動かしている。たぶん、鉤爪を擦り合わせるときの癖だ。
 そして子羊をしばらく眺めていたマリアが振り返る。

「こういうところには、異常な殺人鬼がいたり異様な宗教があるのよ。探してみましょう?」
「え? 絶対に無いと思いますけど……」
「コロシアムはあったじゃない」
「あれは非合法でしたし、あぁ……」

 殺人鬼ならすでにマリアがいると続ける前に、どこかへ行ってしまう。わたしはゴブリンが隙あらば農家に襲われそうになるから、近くにいないといけなくて動けない。

「どうしましょうか?」
「コウモリが監視をしているから放っておいてもいいが……こっちは見るものもやることもない」

 ゴブリンは下手に動けないし、わたしも現状ではやることがない。

「じゃぁ、今日泊めてくれそうな場所でも探しましょう」
「ふむ。ならば黙っていよう」

 そして、ゴブリンへの敵意を放つ農家を説得し、無事に一日泊めてくれることとなった。


 日が落ち、明日の手伝いと引き換えに食事が振る舞われた。人を泊めることなんて無かったけど、かつては息子がいたという夫婦の作る料理は、すごく懐かしい味がした。

「ブルーシェイではテロに巻き込まれたわね。ソンヌではちょっと路地に入っただけで襲われたわ」
「まぁ。大丈夫だったのね? 女の子の二人旅なんて危ないわ。私の子も帰って来ないし、どう? ここで暮らすのは」
「悪くないわね……まぁ、そう簡単にとはいかないけど」

 色んな場所を旅してきた事を、一部秘匿しながら話すとすごく心配されてしまった。ソンヌもブルーシェイも、とにかく行く先ざきで襲われる話に帰結するから仕方ないのだけど。でも、かなり脚色されたマリアの話に、最後には談笑となる。
 食事を終え、掃除だけはしてあるという息子さんの部屋に入れてもらった。ベッドは一つだったが二人でも問題なく眠れる。ゴブリンはそもそも家に入れてもらえず、外で眠った。

「おやすみなさい」
「えぇ、おやすみ」

 次の朝、牛舎の掃除と餌やりを手伝い、放牧された牛を眺めながら、柵に寄りかかる。青空が綺麗で、流れ行く雲を眺めるだけでも一日を過ごせそうだ。

「いい景色……」

 なんとなくマリアの姿を探せば、黙々と雑草を食べる羊たちを穏やかな表情で見ていた。深窓の令嬢が牧場を眺めに来たかのような、絵画になりそうな光景だった。
 そうしていつか夢に見たような一日に一息ついたところで、夫婦に礼を言い別れた。

「のどかでいい場所でしたね」
「そうね」

 停めてある馬車に向かう最中、マリアが立ち止まる。気分が優れないような顔をしていた。

「マリア?」
「……」

 マリアが無言のまま、目を閉じ、その場で丸くなるように座り込んでしまう。慌てて駆け寄ると、ゆっくりと立ち上がり、目を開いた。

「昔の私からしたら、夢のような生活が見えてしまったの。お金さえあれば奴隷を殺しても文句は言われないし、あの夫婦は跡継ぎが欲しいみたいだった。穏やかな、そう、私にとってはこの上ない穏やかな暮らしが、もう、手に入るわ」
「それは……」

 まるで旅の終わりを見据えたような言葉に、目を見開く。でも、マリアに付いていくことにしただけのわたしにとっても、ここでの暮らしは悪く無い。

「わたしは、それでもいいと思います。マリアの自由にしてください」

 しかし、マリアが自身の左手の掌を見ながら、自問自答するように呟く。

「どうしてかしら。求めていた自由のはずなのに、この焦燥感は……」

 マリアが首を振るい、長く白い髪が揺れる。

「あぁ。これは自由じゃないのね。妥協だわ。お父さんと行った登山だって楽しかった。でも、私は殺したわ。満足はしていなかったから」

 マリアが、左腕を掲げた。少しずつ、黒い影が腕を侵食していく。元の白い肌が消え、真っ黒な金属のような肌へと置き換わる。

「今、分かったわ。ちょっとずつ殺しながら生き長らえるのは、嫌だって」

 マリアの左腕に、鋭く玉虫色の、黒い弓が作られていく。まるでバリスタのように、腕と弓が一体となる。

「マリア……でも、それは……」
「魔王様! 人間の殺戮を決断したのですね!」
「すべてを殺す気なんてないわ。まだ観光も冒険もしたいもの。だからこそ、こんなところで一瞬でも停滞しそうになった自分が、嫌」

 吐き捨てるようにそう言い、鈍色に光る玉虫色の矢が、弓の腕に沿って作られていく。

「ふふ、私は安寧の道を閉ざすわ。だって楽しくやるって決めたもの」

 そして、空中に向かって構えると、突然勢いよく弓から矢が放たれた。放たれた瞬間に風が吹きすさぶ。
 明るい青空の下に、黒い矢が鳥のように飛んでいく。そして、青い炎を纏った。
 青い炎と化した矢は空中で軌道が代わり、無数の火球を振りまきながら農場へと落ちていく。

「っ……」

 火球が、牧草地や家々に火を点ける。瞬く間に燃え上がった各地から悲鳴があがる。凄惨な光景に言葉が出ない。
 マリアがさらに矢を作り出そうとする。しかし灰のように風に流れ崩れてしまった。

「まぁいいわ」

 火に包まれる農場へ、マリアが駆け出した。右腕の鉤爪を振るい、動物すらも殺していく。火を背景に暴れる姿は悪魔のようだった。

「小娘、呆然としている場合か。我等も行くぞ。万が一があっては困る」
「……わかりました。マリアの選択に付いていくことにします」
 
 平和に生きることをやめてでも虐殺を選んだのは、そっちのほうが楽しいから。そう言うマリアにはまったく共感できない。
 けど、領主を叩き潰したときの悦楽は本物だった。わたしはその、知ってはいけないものから意識的に目をそらしているだけ。

「わたしも……」

 道を閉ざす。もう平和な夢は見れないかもしれない。


 灰燼の虐殺カルネージとして知られる事件では、突如発生した大火災により、シュギーズ領土の主要な農地が灰燼と化し、フレル子爵の尽力虚しく、飢餓により多くの死者が出る事となった。英雄の関与が疑われるも、誰一人として精査する者は現れなかった。表向きには……
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