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七海美桜

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今宵彼女の夢を見る

過去・下

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 話の流れを、篠原には理解できなかった。笹部はいつの間にか取り出したノートパソコンで、安井の話を記録しているようだ――付き合っていた二人の男と女が、性別を変えた?しかも、まだ十代の少年少女が。
「光汰は、暴行された後悠子ちゃんに「殺される」と連絡したみたいです。慌てた彼女は光汰の姿を見つけて、光汰から『安心できる唯一の大人』と教えられていた私に助けを求めてきたんです。雪が冬あの寒い夜、光汰を抱き締めて泣いている彼女を見つけた時は――正直、私も泣きたくなりました」
 安井は、ビールの力に頼る様に缶を傾ける。あまり酒に強くないようで、すぐに安井の顔は赤く染まっていた。
「光汰がタイに渡った時も帰って来てからも、悠子ちゃんはずっと光汰と連絡を取っていたそうです。返信がなくても根気強く。私にも、何度か連絡がありました。そして、「光汰が女になるのなら、自分が男になって助けたい。汚い男から、光汰を守る」と、悠子ちゃんは両親に頭を下げて性別を変えたんです。私には詳しい事は分かりませんが、戸籍の性別を変える時は精神科医の診断書やら色々必要な書類がいるみたいで…悠子ちゃんの父親はお金を積んで、成人した時に光汰と悠子ちゃんの戸籍の性別を変える手続きをしたそうです」
 安井はスマホを取り出すと、アイリに送った写真を表示して懐かしそうにそれを眺めて瞳を細めた。
「この頃が、一番光汰も悠子ちゃんも平和な時期でしたなぁ。光汰は悠子ちゃんと相談して、『紗季』と名前を選びました。悠子ちゃんは、本名から漢字を取って『はるか』としましたが光汰はずっと『ユウ』と呼んでいました」
 スマホの画面で笑顔を見せる二人の姿を、安井はじっと見ている。子供を早くに亡くした彼は、亡き子の姿を重ねて自分を慕ってくれる彼らを見守っていたかったのだろう。
「私には、何も出来ません。慕ってくれても、私は結局彼らを助けてあげる事が何もなかったんです――身体も心も落ち着いてそろそろ仕事を始めようとした時に、不良グループにいた『佐々木絵麻』と再会してしまったんです」
「『セシリア』のエマさんですね?」
 櫻子の問いに、安井は頷いた。スマホの画面を閉じて、それを無造作にズボンのポケットにしまう。
「エマちゃんは、サキちゃんに自分が働いてる『セシリア』に来ないかと勧誘したんです。ユウは、キタの『レジェンド』で黒服として働き始めだしていました。昼間は大学に通っていたんですが、サキちゃんと一緒の店で働こうと考えていたようです」
「サキさんは、『レジェンド』で働くつもりだったんですか?」
「はい。先にユウが働いて、安心できる環境ならサキちゃんも同じ店に従業員《キャスト》として入る予定でした――でも、エマちゃんの誘いを断れなかったんです」
 安井の言葉には、サキが『エマに脅されている』と暗喩あんゆしているようだった。
「ユウは大学で格闘技を習い始めて、夏休みはライフセイバーのバイトもしていたそうです。学校を出たら父親の会社に入社して跡を継ぐ予定で、そして安定したらサキと結婚するつもりらしいです。彼女が水商売しなくてもいいように、頑張って慣れない水商売でお金貯めてたそうですわ。ホンマに、あの子は真面目で真っすぐです」
 彼氏がレイプされて女性になってしまって、そして彼を守るために自分は男になった『ユウ』の強さ。サキは、ユウがいたからこそ『国府方紗季』として生きていけたのだろう。
 櫻子は、二人を憐れに想う。しかし、だからと言って犯罪者を見逃す訳にはいかないのだ。それが、『市民の安全を守る警察官』の理念だ。
「笹部君、SNSのアカウントの発言の流れと合うかしら?」
「DMは開示請求してないので読めてませんが、『コウタ』のアカウントが消えた時期と『サキ』のアカウントが作成されて『ユウ』と会話している親密さで、間違いなさそうです。DMを読むなら、潜り込みますが」
 ハッキングするという事だろう。しかし、櫻子は首を振った。
「もう、終わりにしましょう。安井さん、話してくださって有難うございました。国府方紗季と渡部悠に、会いに行きます」
 櫻子が頭を下げると、安井はビールの缶を脇に置いた。
「――私も、連れて行ってください。最後に、あの子たちの為に何かしてあげたいんです」
 正座をして、安井は深々と櫻子に頭を下げた。篠原は、安井の肩に手を置いた。
「課長、俺からもお願いします」
「いいわ。一緒に行きましょう」
 櫻子はそう返すと、宮城に電話をした。
「『セシリア』のサキさんはもう自宅に戻ったんですか?――はい、なら今から彼女のマンションの部屋の前に着ていただけますか?」
 電話を切ると、4人は車に乗り込んで『セシリア』の寮になっているマンションへ向かった。
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