赤い車の少女

きーぼー

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第3章

対決

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シーン1

 わたしは松岡由美。
市内の小学校に勤務する女教師だ。
今は放課後わたしは児童たちの帰った後の教室で掲示板の整理をしていた。
掲示板にはさまざまなプリントと共に児童たちが美術の授業で描いた絵が展示してある。
わたしはその数多くの絵の中の一枚に目を止めた。
松岡先生「よしこちゃんの絵まだ貼ってあったんだ」
椎名よしこちゃんはわたしの受け持ちの生徒だった。
だがー。
約三カ月前に交通事故で亡くなってしまったのだ。
しかも轢き逃げにあったのだという。
犯人はまだ捕まっていない。
よしこちゃんの絵はよしこちゃん自身とご両親を描いたものだった。
よしこちゃんを真ん中にして左右にお父さんとお母さんがいて三人並んで仲良く手をつないでいる。
子供らしい純朴な絵だった。
わたしは掲示板からその絵を外し手に取って見ていた。
わたしの目からポロポロと涙が落ちてくる。
あんなに可愛い子だったのに。
なんでこんな酷い事が起こるんだろう。
わたしはよしこちゃんの弾けるような笑顔を思い出し一人で涙を流していた。
よしこちゃんは友達も多いけど一人で遊ぶのも好きな子だった。
いつもお絵描きををしたりお人形遊びをしていた。
一人娘を失ったご両親の心情を思うとわたしの胸は締め付けられた。
なんでもよしこちゃんのお母さんは彼女を亡くしてから少し精神的におかしくなってしまったという。
松岡先生「でもこの絵どうしたらいいんだろう」
わたしは掲示板から外したよしこちゃんの絵を見つめながら思い悩んだ。
本来ならご両親にお返しすべきだと思う。
よしこちゃんの形見なのだから。
でも今この絵をお返しする事はご両親にとってかえって負担にならないだろうか。
よしこちゃんの事を思い出させてしまうのでは?
特に精神的におかしくなっているというお母さんにとっては。
しばらくわたしが預かっていようか。
わたしは絵を手にしたまましばらく思い悩んでいたがふと背後に人の気配を感じた。
振り向くとそこには背の高い、シルクハットを被った若い男性が立っていた。
男性は黒の燕尾服に身を包みその上に赤いマントを羽織って顔には舞踏会で着けるような仮面を付けていた。
その姿はわたしが子供の頃に見たテレビアニメのキャラクターのようだった。
主人公である変身ヒロインを危機一髪で助けるタキシード姿の謎の美青年、そんな感じだった。
ともあれ完全に部外者であり不審人物だ。
わたしは職員室に通報するべきだったのに何故かそうしなかった。
何故だかそんな気になれない。
青年はわたしを優しく見つめる。
とても懐かしい気がする。
彼はわたしに言った。
謎の青年「その絵を私に譲ってくれませんか?轢き逃げの犯人を捜す為にその絵が必要なので」
もちろん見知らぬ人に彼女の形見の絵を渡すなんて決して許されない事だ。
だけどわたしはその人に「はい」と言ってよしこちゃんの絵を渡してしまった。
何故かそうすべきだと思ったから。
謎の青年「ありがとう」
その人はわたしから絵を受け取るとシルクハットを指で軽く持ち上げて会釈をした。
そして古風な赤いマントを翻し教室を出ていった。
わたしはその背中をいつまでもぼうっと見つめていた。


シーン2

 ざわざわざわっ
公園の木々が風に揺れていた。
ここは市内のある公園。
しかし遊んでいる子供の姿はない。
ざわざわざわっ
公園の住人A「そうじゃ、わしがこの公園に住むようになってから20年以上になるな。まぁ、ちょと手狭だが良い場所じゃよ。えっ?なんだって絵を見てくれだって。どれどれ」
ざわっざわっ
公園の住人A「おおっ、覚えているとも。この絵とは似とらんが確かにあの子供じゃ。この公園で一人で遊んでいていきなり突っ込んで来た車に跳ねられたんじゃ。可哀想にな。あんたと同じですごくめんこい娘じゃったのに」
公園の住人B「一人だったかしら。もう一人遊んでた気がするわ」
公園の住人C「いやっ、確かに一人だったよ」
公園の木が揺れている。
ざわっざわわっ
公園の住人A「それであんたわしらに何を聞きたいんじゃ。えっ?あの娘を跳ねた赤い車の事じゃと?車のナンバー?ナンバーというと車の後ろにくっ付いてるあれか。うーむ、どうじゃったかな」
ざわっざわざわっ
公園の住人A「まぁ任せなさい。わしらは物覚えはすごくいいんじゃ。そうじゃ、最初の文字はそれで間違いない。それから数字の4と9それからー」
公園の住人B「数字の8」
公園の住人C「最後は9」
公園の住人A「そうじゃそうじゃ!それで間違いない」
風が強く吹いている。
ざわわっざわっざわざわっ
公園の住人A「いや、礼などいらんよ。わしらもあの人殺しの車が捕まってくれれば嬉しい。あの事件が起きてからこの公園で遊ぶ子供はすっかりいなくなってしまった。わしらは子供達が遊ぶ姿を見るのが大好きなのに」
木々の枝が風でこすれる。
ざっざっざわわーっ
公園の住人A「それにしてもわしらの事が見えたり話まで出来るなんてあんた一体何者なんじゃ?名前は?何々「トイレの花子さん」というのか。なんだか変な名前じゃなー」
ざわっざわざわざわーっ
ざわっざわざわざわーっ


シーン3

 美湖「えっ!それじゃ例の赤い車見つかったんですか?」
護法先輩「ああオカルト科学研究会に情報収集が得意なメンバーがいてね。彼等に頼んだんだ。なんとか探し当てる事が出来た」
わたしは鈴木美湖、市内の中学校に通うJ Kだ。
わたしは今、夕陽の差し込む旧校舎の廊下を護法先輩と並んで歩いていた。
遠くから部活動に励む運動部員たちの声が微かに聞こえる。
わたしは今回の幽霊騒ぎに何か進展があったか確かめる為、護法先輩に会いに放課後この旧校舎までやって来たのだ。
ちなみに鈍太郎はまだ学校に来ていない。
幽霊少女の機嫌を少しでも良くする為に街頭活動を続けているのだろう。
わたしは帰宅しようとしていた護法先輩と旧校舎の廊下で鉢合わせをし、こうして歩きながら話をする事になったのだ。
でも鈍太郎はともかく警察でも見つけられなかった犯人を見つけ出すなんてすごい。
一度も会ったことがないけどオカ研の他のメンバーってどんな人達なんだろう。
美湖「それじゃ、いよいよ幽霊少女と彼女を跳ねた犯人とを引き合わせるんですね」
わたしは 護法先輩に聞いた。
護法先輩「ああっ。もうすでに白壁君を通じて犯人に関する情報は彼女に伝えた。おそらく2、3日中には犯人を自分の結界に捕らえる事だろう。その時は僕もその場に立ち会うつもりだ。彼女に僕との約束を守ってもらう為にね」
美湖「わたしも行きます」
だがわたしの願いを先輩はキッパリと拒否した。
護法先輩「駄目だ。今回は非常に危険な状況になる可能性もある。白壁君は呪いをかけられた当事者だから連れて行くが君は安全な場所で僕達の無事を祈ってくれ」
わたしは不安でいっぱいになって言った。
美湖「でもあの幽霊少女、ちゃんと先輩との約束を守るでしょうか?やっぱり犯人の人を目の前にして憎しみが募ってその人を殺そうとするんじゃ。わたし心配なんです」
護法先輩は少しの間沈黙していたがやがてゆっくりとした口調で答えた。
護法先輩「確かにその可能性は否定できない。だけどね、美湖君。僕が幽霊少女に話した事は間違いない事実なんだ。このまま怨みを抱いて現世をさまよい続ければ彼女はいつか恐ろしい悪霊になってしまうだろう。それを防ぐには彼女自身が怨みを捨てて成仏するしかない。彼女は犯人が心からの謝罪をすれば成仏すると言ってくれた。僕は彼女を信じてみたい」
わたしは先輩の気持ちが幽霊少女に届けばいいのにと思ったがやはり聞かずにはいられなかった。
美湖「でもそれでもあの子が犯人を殺そうとしたら一体どうすれば」
護法先輩の顔に暗い影が指す。
そして重々しい声で言った。
護法先輩「そのときは彼女を強制的に成仏させる」
美湖「強制的に成仏?そんな事できるんですか?」
わたしはびっくりして聞いた。
護法先輩「できる。これは一般的には除霊とか悪魔祓い(エクソシスム)と呼ばれる手法だ。おそらく白壁君の呪紋もこれで解呪できるはず」
へぇ、そんな方法があるのかとわたしは思ったが先輩の顔を見る限り簡単な方法ではなさそうだった。
護法先輩「だがこれは相手を無理矢理、力でねじ伏せるようなやり方なんだ。祓う側にも危険が伴うし、事態をさらに悪化させる事もある。最悪、成仏させようとした魂が消滅してしまう可能性だってあるんだ。だから本当は自分自身で納得して成仏してもらうのが一番いいんだ。だけどー」
先輩は話し続ける。
護法先輩「この世を怨みを背負ったままでさまよう悪霊になるほど恐ろしい事はない。それは地獄なんだ。そんな怪物になるくらいならいっそのこと消滅してしまった方がいい」
護法先輩の顔には深い苦悩の色があった。
何か辛い出来事があったのだろうか?
わたしはしつこいかもと思ったがもう一つ気になる事を聞いてみる。
美湖「でも先輩、もしも犯人が幽霊少女に謝らなかったら、自分の罪を認めようとしなかったらどうします?その時は彼女は納得しないんじゃないでしょうか?」
護法先輩「そうなったら僕がその犯人を叩きのめす」
美湖「えっ!!」
わたしは耳を疑った。
護法先輩の口からそんな激しい言葉が出るとは思わなかったから。
護法先輩「罪もない人間を殺しておいて謝りもしない。そんなクズは僕がこの手で叩きのめしてやる。もちろん殺しはしないが足腰が立たなくなるまで叩きのめしてその後で警察に突き出す。人の命の大切さを理解しない奴にはそのぐらいの罰は当然なんだ。幽霊少女にはいっさい手出しはさせない。あの子を悪霊には絶対にしない」
わたしはびっくりしていた。
護法先輩はもちろん冷たい人ではないがいつも沈着冷静で感情的になる事はないとわたしは思っていたのだ。
こんな激情が先輩の中に存在したなんて。
わたしは護法先輩の気迫に圧倒されそれ以上何も言えなくなってしまった。
二人の会話は途切れわたし達はしばし無言で旧校舎の廊下を歩いていた。


シーン4

 やがて新校舎への渡り廊下へと続く急な上り階段が見えてきた。
この上り階段はとても狭く一人ずつでないと登れない。
護法先輩は「お先に」と言って階段を先に登り始めた。
その後にわたしが続く。
こういうのが先輩の素敵な所だとわたしは思う。
短いスカートを穿いた女子が本能的に上り階段で男子の前を歩くのを嫌がる事を知っているのだ。
こんな気遣いが出来る人って本当に大人だと思う。
鈍太郎なんかこないだ一緒にこの階段を歩いた時にわたしに前を歩かせたあげく後ろからわたしを見上げて「苺が食べたい」とか抜かしやがった。
本当、階段から蹴り落とそうかと思った。
まぁ、あいつの場合、無神経なだけでやましい気持ちはないんだけどね。
わたしは護法先輩の後ろで狭い階段を登りながら彼の広い背中を見つめて思う。
護法先輩ってモテるだろうな。
護法先輩はサイズの合わない厚底の眼鏡なんかを掛けているせいで目立たないが実は物凄い美男子だ。
実際、何人か護法先輩に告白した女子もいたらしいが全員丁重に断られたという。
ちなみに鈍太郎も顔はまぁ悪くはないのだがあの性格と中二病がすべてを台無しにしていた。
話を戻そう。
わたしは前に一度、護法先輩に好きな人がいるのか聞いて見た事がある。
護法先輩はその時何故か一瞬ひどく悲しそうな顔をしてただ一言「今はいない」とだけ言った。
「今はいない」という事は昔はいたという事だろうか?
わたしには護法先輩にそれ以上は聞くことができなかった。
わたしも今は好きな人はいない。
もちろん護法先輩の事はすごく尊敬してるけど。
実はわたしの初恋は鈍太郎だったのだが、それはわたしにとって最大の黒歴史といえた。
鈍太郎のあの変な性格が子供の頃のわたしには何故かかっこよく見えたのだから不思議だ。
ところで鈍太郎はどうなんだろう。
今まで恋をした事があるのだろうか?
まぁ、ないだろうな。
あいつにそんな繊細な神経があるとは思えない。
ふと、わたしの脳裏に幽霊少女の可憐な姿が浮かんだ。
うーん。
まさかね・・・。
わたしと護法先輩は階段を上りきって今度は旧校舎と新校舎を繋ぐ高架状になっている渡り廊下を並んで歩いていた。
屋根の隙間から差し込む黄昏の光がわたし達の歩く橋のような渡り廊下の欄干を金色に染める。
するとしばらく無言だった護法先輩がわたしに話しかけてきた。
護法先輩「僕にも少し気になっている事がある。実はあの幽霊少女はもしかしたら椎名先生の娘のよしこちゃんではないかもしれない」
わたしは驚いて尋ねる。
美湖「えっ!そうなんですか!?わたし椎名先生の娘さんだとばかり。なんでそう思うんですか?」
護法先輩が答える。
護法先輩「色々と気になる事はあるんだ。例えばあの絵とか。最初に違和感を覚えたのは彼女が「呪紋」を使う事だ。そういうこともあるかと思ったがやっぱりおかしい。あれは上級の悪魔や強力な魔術師が誰かをしもべとして従属させる為に使用するものだ。例えばオゥメン教団の13死徒とかがね。生まれてから10年ちょっとで亡くなった少女の霊が使う様なものじゃない」
13死徒。
闇の申し子たち。
ネットで見た彼らに関する情報を思い出しわたしの体に悪寒が走った。
わたしは護法先輩に疑問をぶつける。
美湖「それじゃ、あの幽霊少女はよしこちゃんとは無関係なんですか?ならどうしてよしこちゃんを轢き逃げした車を捜してるんでしょう?」
護法先輩は首を振りながら言った。
護法先輩「いや、あの幽霊少女がよしこちゃんと無関係とは思えない。彼女のよしこちゃんを轢き逃げした赤い車に対する強い憎しみを想えば」
美湖「それじゃ彼女は一体何者なんですか?」
わたしは訳が分からなくなっていた。
護法先輩「正直分からない。僕もほんの少し前まで、彼女はよしこちゃんだと思い込んでいた。もう詳しく調べる時間もないが、確かに彼女の正体こそが全ての謎を解く鍵なのかもしれない」
わたしの心は不吉な予感に包まれていた。
このまますんなりあの幽霊少女が成仏するはずがない。
そんな気がしたのだ。
ふと目を上げるとわたし達が歩く連絡通路の屋根と欄干の間から黄昏の空が見えた。
今、その空は不気味な多色に光り輝いてやがて来る長い夜の始まりを告げている様だった。
ともあれ決着の日は来ようとしていた。
そして全ての謎が解ける日が。


シーン5

 その青い車は家路を急いでいた。
家族が待つ家に早く帰りたかったのだ。
だが上空から見る者はその車が奇妙なコースを走っている事に気付くだろう。
その車は自宅との間の最短コースを走らず途中で大きく弧を描いて迂回する回り道をしていた。
まるである地域を走る事を避けるかのように。
それにはもちろん訳があった。
誰にも言えない理由が。
久留間「くそっ!幽霊なんて冗談じゃない。」
青い車の運転手はハンドルを強く握り吐き捨てる様に呟いた。
久留間「幽霊なんているわけ無い。でもそれにしてもなんで?」
彼の名前は久留間跳男といい市内に家を構え郊外にあるブラック企業で働く23歳の妻子持ちの青年であった。
実は彼は約三カ月前にある重大な事故を起こしていた。
今日と同じく会社から車で帰宅する途中で女の子を跳ねてしまったのだ。
仕事で疲れていたせいか車のブレーキとアクセルを踏み間違え、道路沿いにあった公園の敷地内に高速で侵入し、中で遊んでいた子供を跳ね飛ばしてしまった。
彼はあわてて車を停車させ車の外へ飛び出したがそこで見たのは地面に転がった少女の無残な死体であった。
どうやら公園で一人で遊んでいたらしい少女の死体のまわりにはおままごとで使った道具や人形などが散乱していた。
そして彼は逃げてしまった。
彼は少しの間、少女の死体を呆然と見つめていたが公園に他の人影がない事に気付くと慌てて車に乗り込み脱兎のごとく逃げ出したのだった。
猛スピードで公園から遠ざかる赤い車。
鬼の形相でハンドルを握る彼の脳裏には妊娠している妻の姿があった。
久留間「ううっ」
車を運転しながらおぞましい出来事を回想し久留間青年はうめき声を上げた。
彼は事件を起こしてからすぐに車を買い替え運転する時は絶対に事故現場付近には近づかないようにしていた。
事故を思い出したくなかった事もあるが例の赤い車の少女の噂も気になっていた。
あの噂は時期的に見て明らかに彼が「赤い車」で起こしてしまった事故に関係していると思われた。
久留間青年はもちろん幽霊など信じてはいなかったが自分が殺してしまった少女が化けて出ているなどという噂が広まっている事をとても薄気味悪く感じていた。
あの日以来、事故の事が頭から離れない。
今は夏、日は長くなっていたが既に太陽は大きく傾き、日没の刻が迫っている。
いわゆる逢魔ヶ刻であった。
こうして夕闇の中、車を走らせていると本当にいつか幽霊に出会ってしまうようなそんな気がしてくる。
久留間「馬鹿馬鹿しい。幽霊なんていない」
彼は自分自身にそう言い聞かせた。
いっそのこと車での通勤をやめようかとも思ったが彼の勤めるブラック企業は遠隔地にあり車以外での通勤は不可能であった。
もちろん警察の捜査の手が自分に伸びる事も彼は恐れていた。
そんなこんなであの事件以来、彼は幽霊と警察の影に怯えながら日々を過ごしていたのだった。
久留間「大丈夫だ。幽霊なんていないし、警察にだって捕まらない。今までだって何もなかったじゃないか」
彼は自分が逮捕される事はないと必死に思い込もうとしていた。
事故現場を見られていない事については自信があった。
公園にはあの少女以外には人の気配はなかったし他の車ともすれ違う事はなかった。
あの辺りには防犯カメラも設置されていないはずだ。
警察だって探しようがないはず。
とにかく俺は捕まる訳にはいかないんだ。
生まれてきた子供の為にも。
久留間青年はハンドルを強く握りしめて車のスピードを上げた。
一刻も早く家族の待つ自宅に帰るために。
彼が青い車を走らせる薄暮の街は次第に本格的な闇に包まれようとしていた。
道路の先にも闇が広がる。
そしてー
急に雨が降り始めた。


シーン6

 久留間「どういう事だ」
久留間青年の運転する青い車はどうやら道に迷った様だった。
さっきから同じ場所をぐるぐる回っている気がする。
久留間「くそっ!またさっきの場所だ!一体どうなってるんだ!?」
もう何回も彼は同じ悪態をついていた。
気を付けて運転をしてもいつのまにか元の場所に戻ってしまうのだ。
見知らぬ場所ではなく朝も通勤で使った道だというのに。
なのにこれは一体どういう事なのか?
そして先程から急に天気が崩れ、降り始めた雨はどんどんと強くなって運転する彼の視界を遮る。 
久留間「くそっ!!」
久留間青年の苛立ちは頂点に達しようとしていた。
そしてそれ以外の負の感情が徐々に彼の心を侵食しようとしていた。
恐怖がー。
雨はどんどん強くなる。
今や車のワイパーを使っても数メートル先の視界が定かではないほどであった。
久留間青年がイラついてワイパーの速度を上げようとしたその時ー。
彼の車の前面ガラス一面に巨大な少女の顔が映し出された。
久留間「うわあぁーっ!!」
巨大な少女の顔はケラケラと笑いながら彼を見ていた。
真っ赤に血走った大きな眼で。
久留間「うわああっあぁーっ!!」
絶叫とともに彼は急ブレーキを踏んだ。

 久留間「こ、ここは?」
気が着くと彼は今まで車で走っていた道路とはまったく別の場所にいた。
まるで一瞬でワープしたかのようだ。
いつのまにか雨は止んでいた。
薄暮の青い闇が周囲を包んでいる。
そして久留間青年にはこの場所に見覚えがあった。
久留間「こ、この公園はっ!!」
彼は恐怖の叫びを上げた。
そう、この場所こそ彼が約三カ月前に少女を赤い車で跳ねた公園その敷地内であった。
なんと彼は車を走らせていた公道から遠く離れているこの場所まで一瞬で移動したのだった。
彼は慌てて車のエンジンを掛けようとした。
一刻も早くこの公園から脱出しようとしたのだ。
しかし彼が何度試してもエンジンはかからない。
久留間「うわぁああーっ!!」
ついに彼は車を捨てて外に飛び出した。
全力で走って公園から逃げ出すために。
だが公園の出入り口に向かって駆け出そうとした彼の進路の前に立ち塞がる三つの人影があった。
公園の出入り口付近には三人の人物がいた。
思わず立ち止まった彼の方へゆっくりと近づいてくる。
二人は男性もう一人は異様に背の高い女性だ。
薄暮の青い闇の中、うっそうと繁る公園の立ち木を背にして彼に近づく三人にはそれぞれどこか奇妙なところがあった。
一人は中学生ぐらいの男の子でケガでもしたのだろうか腕に包帯を巻き眼帯もしている。
もう一人もやはり若い男で長身だがやはり中学生ぐらいかもしれない。
彼は変わった服装をしており神社の祭司が着るような着物を身に付けていたがその色は白ではなく真っ黒であった。
そして彼を驚愕させたのは最後の人物だった。
ドレスを着たまだ小さい女の子。
彼女は宙に浮いていた。
最初は遠目で薄暗かった為、周りの景色に溶け込み背の高い女性に見えたのだが実は彼女は空中で浮遊していたのだ。
顔が確認できるほど側にやって来た彼女を見て久留間青年は悲鳴を上げた。
空に浮いている事はもちろんだが何よりその顔を見て驚いたのだ。
その少女の事を彼は知っていた。
この公園で約三カ月前に確かに会っていた。
久留間「ぎゃあああーっ!!!」
薄暮の公園に「犯人」の悲鳴がこだまする。


シーン7

 わたしは鈴木美湖、JCである。
放課後、わたしは学校の廊下を考え事をしながらうつ向き加減で歩いていた。
美湖「・・・先輩達どうしてるんだろう。上手くいってるのかな」
実は今日はここしばらくわたしを悩ませている「幽霊少女」の事件に決着が着くはずの日だった。
今頃おそらく幽霊少女は自分を跳ねた犯人と会っているはずだ。
うまく成仏してくれればいいけど。
わたしの胸は不安でいっぱいだった。
わたしも現場について行きたかったけれど護法先輩に危険だからと止められたのだ。
仕方ないとは思ったがわたしの気持ちは中々落ち着かず授業が終わっても家に帰る気にならなかった。
だから放課後しばらくは旧校舎の図書室で過ごしていたのだがさすがに遅くなったので帰宅する事にしたのだ。
鈍太郎のやつ大丈夫かな?
護法先輩の足を引っ張ってなきゃいいけど。
そんな事を考えながら歩いていたわたしはやがて旧校舎の廊下を抜け新校舎へと向かう連絡通路にたどり着いた。
この連絡通路は旧校舎と新校舎を繋ぐ屋根のついた橋の様な形状をしており鉄製の欄干からは遠くの景色を見る事が出来た。
この中学校は高台にあり市街地に比べて夜になるのが少し遅いのだがすでに日は大きく傾いており夕陽の最後の光がわたしが歩く連絡通路にも差し込んでいた。
いわゆる逢魔ヶ刻だろうか。
あれっ?
その時わたしは連絡通路にわたし以外に人がいるのに気付いた。
ふと見ると連絡通路の真ん中で一人佇み鉄製の欄干にもたれかかって外の景色を眺めている人がいた。
後ろ姿がなんだか寂しそうだった。
最初は夕陽の逆光でシルエットになっていて誰か分からなかったが側に近づくと誰なのかが分かった。
椎名先生だ。
わたしはそのまま静かに通り過ぎようかと思ったが先生の寂しそうな後ろ姿が気になりつい声をかけてしまった。
美湖「椎名先生。何を見てるんですか?」
先生に声をかける瞬間、何故かわたしの頭に車のブレーキの様な警報音が鳴り響いた。
椎名先生がこちらを振り向く。
その顔を見てわたしは驚愕した。

ギィィィーッ!!
キキィィーッギギィッ!!


シーン8

 薄暮れの公園そこにはいま一台の車を囲んで四つの人影があった。
二人の若い男と車の側で怯えるもう少し年上の男そして彼を空中から睨みつけるまだ幼い少女の姿が。
車の側にいる男は怯えきった顔で宙に浮かぶ少女を見つめている。
あまりの恐怖に目が離せないのだ。
宙に浮いている少女は燃える様な憎しみの目で男を見下ろしている。
まさにヘビに睨まれたカエルであった。
すると中学生ぐらいの男のうちの一人、黒い着物を着た長身の人物が一歩前に出て車の側で怯える男に話しかけた。
護法先輩「あなたは約三カ月前この公園で子供を車で跳ねましたね。そして救護もせずに逃げた」
久留間「うううっ」
車の運転手すなわち久留間跳男は何も反論できずブルブル震えている。
彼の頭の中には恐怖と疑問がぐるぐると渦巻いていた。
黒い着物の男、護法先輩はさらに久留間を問い詰めた。
護法先輩「この少女はー」
隣に浮かんでいる幽霊少女を指し示す。
護法先輩「あなたに命を奪われた女の子の幽霊です。あなたのせいで呪われた存在となり成仏もできずに復讐のため現世をさまよっている。哀れだとは思いませんか?」
久留間「ううっ」
久留間青年がうめく。
護法先輩「もしあなたに少しでも良心があるというならこの娘に謝罪して欲しい。心から。そうする事によって彼女は少しでも救われるかもしれない。あなたはそうすべきだ」
久留間「うううっ」
久留間は呻きながらガクリと膝を落とし地面に跪いて言った。
久留間「うううっ、す、すいませんでした。車で女の子を跳ねたのはこの俺です」
久留間の中で何か緊張の糸が切れたようだった。
脱力して地面に跪き怯えた目で宙に浮いた幽霊少女を見上げる。
具現化した彼の罪の形象を。
彼の中に急速に諦念の気持ちが広がっていく。
久留間青年は思う。
これでいいのかもしれない。
あの事故以来、心の休まる日は一日もなかった。
そうだ、血で汚れた手で子供を抱き続けるよりはこの方がずっと。
彼の頬をひとすじの涙が流れる。
跪いていた彼はさらに腰を落とし両手を地面につけ土下座をするような体勢で幽霊少女の方へ向き直った。
彼女に謝罪するつもりなのだ。
護法先輩「明日になったら警察に自首するんだ。いいね」
久留間「わ、わかりました」
久留間が答える。
だが彼には一つ大きな疑問があった。
土下座のような姿で怯えながら幽霊少女と向き合っていた彼であったがどうしてもそれだけは聞かずにはいられない。
久留間青年は土下座の姿勢から顔を上げて宙に浮いている幽霊少女を怯えた目で見上げた。
そして震える声で彼女に聞いた。
久留間「でもなんで君が?だって君は俺が跳ねた女の子じゃない。だって!だって君は!!」


シーン9

 椎名先生は泣いていた。
わたしの方を向いた椎名先生の顔は涙でぐしょぐしょに濡れていた。
かなり前から泣いていたのだろう。
彼の頬には涙の跡が黒いすじとなって残っていた。
美湖「椎名先生ー」
わたしは絶句して椎名先生の顔を見つめた。
椎名先生はおそらく亡くなったよしこちゃんの事を思い出し涙していたのだろう。
それ以外考えられない。
生徒に泣いている姿を見られたのが恥ずかしかったのだろう。
椎名先生は連絡通路の鉄柵にもたれかかってその顔を伏せた。
美湖「先生、これ」
わたしは思わず自分のハンカチを椎名先生に差し出していた。
椎名先生「ありがとう」
生徒の好意を無にしたくなかったのか椎名先生はわたしのハンカチを受け取った。
鉄柵にもたれたまま、わたしのハンカチで涙を拭う椎名先生。
その姿を見ていたわたしは聞いてはいけないと思いつつ先生に聞いてしまった。
美湖「椎名先生。先生は轢き逃げをした犯人に復讐したいと思いますか?」
その言葉を聞いた椎名先生は一瞬顔をしかめた後大きく首を左右に振った。
椎名先生「そんな事をしてなんになる。もうどんな事をしてもあの子は戻らない。戻ってこないんだ。うううっ~」
絞り出す様にして発せられた先生の声は次第に嗚咽へと変わっていった。
椎名先生「ううっ~うっうっ~ううう~うう~っ」
涙を流し歯を食い縛りながら椎名先生は嗚咽していた。
美湖「椎名先生ーっ」
わたしは愚かな質問をした事を後悔していた。
そうだ。
そうなのだ。
一度失われた命は絶対に元には戻らない。
どんな事をしても決して取り戻す事はできないのだ。
神でもない限りは。
おそらくそれが唯一の真実であり最後の真実なのだ。
そして誰もが誰かにとって大切な命であり、だからこそ我々はお互いを認め合い尊重しなければならないのだろう。
そういえば護法先輩が言っていた。
命の価値は本人や他人が決めるものではない。
それは最初からそこに存在していると。
そしてそれに気付くかどうかが問題なのだと。
美湖「ごめんなさい、椎名先生。ごめんなさい」
嗚咽する椎名先生を見つめるわたしの頬を熱いものが流れる。
夕日の差し込む校舎の連絡通路に二人の影が長く延びていた。
しばらくして椎名先生は少し気分が落ち着いたのかわたしに謝ってきた。
椎名先生「すまなかった。見っともない所を見せたね」
美湖「いいええーっ!」
ハンカチを先生に貸してしまったので制服の袖で涙目をぐしぐし擦るわたし。
椎名先生はそんなわたしを少し可笑しそうに見ていたがやがて視線を連絡通路の外の夕暮れの景色に向けた。
椎名先生「なんだか夕日を見ていたら娘の事を思い出してね。あの子の髪の色もあの夕日のような明るい色だった」
美湖「えっ?黒髪じゃないんですか?」
わたしは驚いて言った。
幽霊少女の髪は鴉の羽根のような艶のある黒色だ。
椎名先生「いや、わたしの髪は黒色だが娘は妻に似たんだ。彼女の髪は明るい亜麻色だったよ」
どういう事だろう。
でも護法先輩は幽霊が生前とは違う姿になる事はよくあると言っていた。
もしかしたら髪の色だって変わるかもしれない。
「黒」は死の色だし。
でも。
美湖「先生、この写真を見てください」
わたしはどうしても気になって椎名先生に、こないだ鈍太郎の家でこっそり携帯で撮った幽霊少女の写真を見せた。
わたしの携帯電話を手にとって幽霊少女の写真に見入る椎名先生。
最初は無反応だった椎名先生であったがやがてその目は驚愕に見開かれた。
椎名先生「こ、これは!?」
椎名先生は慌ててポケットから自分の携帯電話を取り出すとフォルダを開いて今度は逆にわたしに自分の携帯に保存してある写真を見せた。
美湖「?」
それは誰かの部屋を写した写真のようだった。
そしてその部屋の中にはー
彼女がいた。

[第四章に続く]











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