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メロンとの出会いは唐突だった。
今年の夏、父さんが会社帰りに連れて来たのだ。
ただいま、の声がしたとたん、玄関先まですっ飛んで出迎えた。
「お土産だぞー」
父さんの掌には丸い物がのっていた。笑いながら、それを自分の目線に掲げる。
──なんてヘンテコなボールなんだろう!?
細い紐でグルグル巻きにされていたのだ。おまけに、てっぺんにTの形の取っ手がついている。何に使うのか、見当もつかなかった。まったくもって不可思議なボールだった。
「お父さん、これ、なーに?」
腕を組んで、大袈裟に首を傾げながら訊いてみる。
「何だと思う?」
「ボールだよね? どうやって遊ぶの?」
全身に元気をみなぎらせた。自然と健太の声も弾んだ。
父さんは、目を大きく見開いたあと、楽しそうに笑いながら、「おいで」と言って台所に入った。何やら母さんと相談してボールを手渡す。と、健太を見下ろした。
「あとでお母さんに教えてもらうといいよ」
健太の想像は膨らんだ。胸いっぱいに膨らんだまま夕食を済ませると、一つ違いの妹の歩美とソファに座ってテレビを見ていた。が、何もかもが上の空で、目の前に浮かぶのはさっきのボールだけだった。
「健太、歩美、いらっしゃい」
母さんの声の方へ移動する。
ダイニングテーブルの上には、あのボールが置かれていた。それぞれ自分の席に座り、じっとそれに見入った。
父さんもあとから入って来ると、腰を下ろす。
家族皆でテーブルを囲んでしばらくすると、母さんは包丁を取り出した。
次の瞬間、健太は息を呑んだ。
母さんはボールの取っ手部分に包丁を入れた。取っ手は無惨にもシンクの中へ放り込まれる。
刃はボールを真っ二つに切り裂いた。割かれた断面を見た健太の目は、釘づけになってしまった。鮮やかなオレンジ色に心を奪われた。その衝撃を例える言葉など知らない。唯々、健太は虜になってしまったのだ。
更に、半分を四等分に切り分けながら、母さんは嬉しそうに健太と歩美を交互に見た。残りの半分は、ラップに包まれて冷蔵庫へ直行した。
皿にのって目の前に差し出された宝石が輝いている。
「これ、なーに?」
「メロンよ……さあ、二人とも食べなさい」
さっそく健太は皿に添えられたスプーンを取った。だが、電灯の光をはね返して眩しい艶やかなオレンジ色に、どうしてもスプーンは突き立てられない。美しい物を壊してしまうことが憚れた。
父さんは、嬉しそうに「おいしい」を連呼しながら、あっという間に平らげてしまった。
歩美も口をもぐもぐさせながら満面の笑みだ。
「食べてみて」
母さんが優しく声をかけてくれた。
その声に押されるようにスプーンで最初のひと口目をすくい取ろうとして、ためらった。また母さんを見ると、笑顔で頷いてくれる。健太は勇気を出して、スプーンを宝物に差し込んだ。スプーンいっぱいにのったメロンの一欠片を恐る恐る口へと運ぶ。胸がドキドキして、口元にぶつかって逃げられた。もう一度、注意深く試すと、今度は口の中にうまく放り込むことができた。
頬張ったひと口目は、健太を幻想の世界へと誘った。噛むほどに口いっぱいに果汁が広がった、かと思えば、匂いは鼻に抜ける。その甘さに胸が温かくなる。いつまでも幸せな気分を味わいたくて、次から次へと頬張った。目前の魔法の果物は、健太の幸せと引き換えに、瞬く間に消えてしまった。
翌日の夕食後も、残りの半分を母さんが切り分けて皆の前にメロンは置かれた。
歩美は皿が置かれるや、さっそくスプーンを動かして口をもぐもぐさせると、直ぐに自分の分を平らげてしまった。その歩美の幸せそうな顔を見ていると、健太も胸が熱くなる。目の前の手つかずのメロンにスプーンを入れようとして途中でやめた。健太はいっとき考え込んだ。
──これを食べたら、ぼくはほんとうに幸せな気分になる……
──でも……
健太はスプーンでメロンの一角を削り取った。それを歩美の口元に近づける。
「あーんして……」
歩美は口を開けて頬張ると、キャッキャと声を上げて笑ってくれた。健太は嬉しくて堪らない。
健太のメロンは全部歩美の幸せな笑顔に変わった。そんな歩美を健太は抱き締めてやった。すると不思議なことに健太も幸せな気分になったのだ。
それ以来、健太は、またいつか、歩美のあの幸せそうな顔が見たい、と願い続けた。
「お母さん、また食べようね」
健太がせがむと、母さんはちょっとだけ困った表情を見せた。
「安くなったらね……」
しばらく黙り込んでから、微笑みながら返答してくれた。
──そうか、あれは特別なメロンなんだ!
──あんなに甘くておいしいんだもの……
今年の夏、父さんが会社帰りに連れて来たのだ。
ただいま、の声がしたとたん、玄関先まですっ飛んで出迎えた。
「お土産だぞー」
父さんの掌には丸い物がのっていた。笑いながら、それを自分の目線に掲げる。
──なんてヘンテコなボールなんだろう!?
細い紐でグルグル巻きにされていたのだ。おまけに、てっぺんにTの形の取っ手がついている。何に使うのか、見当もつかなかった。まったくもって不可思議なボールだった。
「お父さん、これ、なーに?」
腕を組んで、大袈裟に首を傾げながら訊いてみる。
「何だと思う?」
「ボールだよね? どうやって遊ぶの?」
全身に元気をみなぎらせた。自然と健太の声も弾んだ。
父さんは、目を大きく見開いたあと、楽しそうに笑いながら、「おいで」と言って台所に入った。何やら母さんと相談してボールを手渡す。と、健太を見下ろした。
「あとでお母さんに教えてもらうといいよ」
健太の想像は膨らんだ。胸いっぱいに膨らんだまま夕食を済ませると、一つ違いの妹の歩美とソファに座ってテレビを見ていた。が、何もかもが上の空で、目の前に浮かぶのはさっきのボールだけだった。
「健太、歩美、いらっしゃい」
母さんの声の方へ移動する。
ダイニングテーブルの上には、あのボールが置かれていた。それぞれ自分の席に座り、じっとそれに見入った。
父さんもあとから入って来ると、腰を下ろす。
家族皆でテーブルを囲んでしばらくすると、母さんは包丁を取り出した。
次の瞬間、健太は息を呑んだ。
母さんはボールの取っ手部分に包丁を入れた。取っ手は無惨にもシンクの中へ放り込まれる。
刃はボールを真っ二つに切り裂いた。割かれた断面を見た健太の目は、釘づけになってしまった。鮮やかなオレンジ色に心を奪われた。その衝撃を例える言葉など知らない。唯々、健太は虜になってしまったのだ。
更に、半分を四等分に切り分けながら、母さんは嬉しそうに健太と歩美を交互に見た。残りの半分は、ラップに包まれて冷蔵庫へ直行した。
皿にのって目の前に差し出された宝石が輝いている。
「これ、なーに?」
「メロンよ……さあ、二人とも食べなさい」
さっそく健太は皿に添えられたスプーンを取った。だが、電灯の光をはね返して眩しい艶やかなオレンジ色に、どうしてもスプーンは突き立てられない。美しい物を壊してしまうことが憚れた。
父さんは、嬉しそうに「おいしい」を連呼しながら、あっという間に平らげてしまった。
歩美も口をもぐもぐさせながら満面の笑みだ。
「食べてみて」
母さんが優しく声をかけてくれた。
その声に押されるようにスプーンで最初のひと口目をすくい取ろうとして、ためらった。また母さんを見ると、笑顔で頷いてくれる。健太は勇気を出して、スプーンを宝物に差し込んだ。スプーンいっぱいにのったメロンの一欠片を恐る恐る口へと運ぶ。胸がドキドキして、口元にぶつかって逃げられた。もう一度、注意深く試すと、今度は口の中にうまく放り込むことができた。
頬張ったひと口目は、健太を幻想の世界へと誘った。噛むほどに口いっぱいに果汁が広がった、かと思えば、匂いは鼻に抜ける。その甘さに胸が温かくなる。いつまでも幸せな気分を味わいたくて、次から次へと頬張った。目前の魔法の果物は、健太の幸せと引き換えに、瞬く間に消えてしまった。
翌日の夕食後も、残りの半分を母さんが切り分けて皆の前にメロンは置かれた。
歩美は皿が置かれるや、さっそくスプーンを動かして口をもぐもぐさせると、直ぐに自分の分を平らげてしまった。その歩美の幸せそうな顔を見ていると、健太も胸が熱くなる。目の前の手つかずのメロンにスプーンを入れようとして途中でやめた。健太はいっとき考え込んだ。
──これを食べたら、ぼくはほんとうに幸せな気分になる……
──でも……
健太はスプーンでメロンの一角を削り取った。それを歩美の口元に近づける。
「あーんして……」
歩美は口を開けて頬張ると、キャッキャと声を上げて笑ってくれた。健太は嬉しくて堪らない。
健太のメロンは全部歩美の幸せな笑顔に変わった。そんな歩美を健太は抱き締めてやった。すると不思議なことに健太も幸せな気分になったのだ。
それ以来、健太は、またいつか、歩美のあの幸せそうな顔が見たい、と願い続けた。
「お母さん、また食べようね」
健太がせがむと、母さんはちょっとだけ困った表情を見せた。
「安くなったらね……」
しばらく黙り込んでから、微笑みながら返答してくれた。
──そうか、あれは特別なメロンなんだ!
──あんなに甘くておいしいんだもの……
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