時の力は永遠に

風波瞬雷

文字の大きさ
上 下
7 / 12

7話・追い求める武士像

しおりを挟む
7話・追い求める武士像

 信長の命を受けて浅井長政の収める近江へと足を運んだ。居城・小谷城に入城すると彼の直臣に案内され、浅井長政との対面を許された。
 俺は早速、預かった書状を彼に手渡す。彼は真剣な眼差しで書状に目を通す。
「義兄上は遂に越前に兵を向けるのですね」
「はっ、是非とも浅井様のお力添えをお願いしたいとのことです」
「この戦を避ける手立ては無いのであろうか。黒生殿」
「さあ、私は身分が低い故にそのあたりの心中は分かりかねますが、伺ったところでは朝倉殿は信長様の再三の上洛命令を無視したのみならず、将軍・足利義昭公と内通して天下を狙っているとのこと。そうなれば京が再び火の海と化すことは必定です」
「朝倉殿を止めるには武力をもって止めるしかないということか……義兄上に承知したとお伝えいただきたい」
「御意」
 話し合いは難航することなく終わった。その場を立ち去ろうとした時……
「黒生殿」
「はっ?」
「戦までまだ少し時がある。少し、某の話相手になってはいただけませぬか?」
「はあ?」
 浅井長政は俺に優しい口調で言った。彼と面と向かって話をするのは初めてだ。物腰が柔らかく穏やかな表情をする。織田信長とはまるで正反対な人物と言える人間であった。
 また、表情がどこかくらい感じを俺は受けていた。その理由はその後の会話で明らかになった。
「正直に申すとこの戦は某はあまり気乗りしません。朝倉家は我が父の代より浅井家に大恩あるお家です。無論、義兄上に背く態度を取ったことが許されるのかという話とは別になるかと思いますが……」
 長政の言い分は理解できた。俺も喧嘩をするときに理不尽さこそがこの世で一番嫌いなことであるからだ。
 朝倉家が信長の言葉を蔑ろにしているという行為が信長の怒りに火を付けたのかもしれないが、危害を加えられた訳ではない。
 彼の気持ちは痛いほど理解できる。
「黒生殿は織田家に入られて日が浅いと伺いましたが?」
「はい。今は柴田勝家様の馬回り衆を務めております」
「先の京での戦では首級を幾多も挙げられたとも、相当腕の立つ武辺ぶりとも」
「滅相もない。前田利家殿の助力があった部分も多く、某など未熟者です」
「謙虚な方ほど強きお力を持っている証」
「買いかぶり過ぎでは?」
「いや、目を見ている何か強い信念を感じる。迷いない真っ直ぐな目線を」
 長政は俯いて話を続けた。そこには武将らしからぬ弱音を感じた。
「某は義兄上を尊敬しております。黒生様同様に義兄上も強い信念を持って天家布武を体現しようとなされている。某はその背中に憧れ、同盟を結びました。ですが、日が経つにつれて義兄上の背中がどんどん遠くに感じてしまう」
「某は、以前に信長様に尋ねられたことがございます。お主は何を望むのかと」
「何を望むか?」
「はい。それに対して某は力を望むと答えました」
「力?」
「私は生きる意味というものが分からない状態で織田家の家臣となりました。今も自分にとって何が大切なのかはいまいち分かっておりませんぬ」
「では、黒生殿は何故力を求める?」
「守りたいものを失いたくないのかもしれません」
「守りたいもの?」
「とは言え、私も正直なところは目の前の敵を倒すことがその近道であると信じて人を切っているだけです。今の言葉は忘れてください」
「いや、其方と話せて良かった。加勢の義は承知したと義兄上にお伝えくだされ」
「御意」
 長政の加勢を取り付け、俺は京にいる信長にその旨を報告した。
「長政も加われば朝倉攻めなど容易にけりがつく」
「そう、思い通りことが運ぶでしょうか?」
「どういう意味だ。黒生」
「柴田のおっさんや利家は信長様へ強い忠誠心を目から感じられるのですが、今日の浅井様は何か迷っているような感じというか、悲しそうな表情をしておられました故に」
「長政は情に厚い男だ。少なからず朝倉攻めへの抵抗があるのであろう。だが、時代の流れを見誤る男でもない。信ずるに値する男よ」
「であれば良いのですが」
 信長と話しているところに勝家がやってきた。
「親方様、朝倉攻めの用意が万時整いました」
「うむ、大儀である勝家」
「戻っておったのか義麗」
「はっ」
「勝家、黒生と共に越前侵攻の先鋒を務めよ」
「御意」
 織田軍による朝倉攻めが開始されたのは1570年4月のことでした。3万の軍勢を編成した織田軍は朝倉家の収める越前への侵攻を開始した。支城の一つ天筒山城を柴田勝家を先鋒とする8000の軍勢を投入した。俺も槍部隊の一翼を担い城を落城させた。
 織田軍は破竹の勢いで進軍し、敵の砦をことごとく撃破、ついに朝倉家の要所の一つ、金ヶ崎城に侵攻した。
「勝家、黒生よ。天筒山城での働きぶり大儀である」
「ありがたき幸せ」
「この勢いで金ヶ崎城にも一気に攻勢をかける」
「御意」
「金ヶ崎城攻めの折は、浅井長政殿が5000の軍勢を率いて加勢されるとのことです」
「そうか。まあ、金ヶ崎城如きであれば長政の力を借り津までも無かろう」
 織田軍の士気は凄まじく、連戦となった金ヶ崎城もあっけなく開城に追い込んだ。織田軍の勝利は揺るがぬと誰もが思っていた。
 しかし、ある男の動きが事態を一転させるとは誰も予想もしていなかった。
 その男とは金ヶ崎城の戦いの最中に出会った。
その男は木下藤吉郎秀吉と名乗っていた。
「其方が黒生義麗殿か?」
「いかにも」
「ほう、噂の通りお強そうな体つき。此度も既に十数の首を挙げているとか」
「はあ?」
「某ばかりお喋りが過ぎましたな。織田家家臣・木下藤吉郎秀吉と申します」
「お噂は聞いております。稲葉山の城を落とした策は木下殿が講じた物であると」
「おう。わしのことを知ってくれているとは嬉しい限りです。まあ、挨拶はこの程度にして黒生殿は感じませぬか?」
「感じるとは?」
「金ヶ崎城の開城、あまりにもあっけないとは思いませぬか? とても百年の栄華を誇る家名の戦いぶりとは理解しがたい」
「確かに柴田のおっさんからも相当に強いと聞いていたが、京での戦いに比べれば歯応えは感じませぬな」
「そうでござろう。まるで我々を誘い込むかのような動き」
「誘い込む? 何か秘策でも朝倉にあるのか?」
「例えば、誰かの内応を待っているとか?」
「裏切り?」
 その時、俺は頭の中で考えたくないことを想像してしまった。この状況で朝倉の窮地を逆転に転換できる人が一人だけいる。
「木下殿、もしあなたの思うことが本当に起こればまずいことになりますよね?」
「それは、そうですな」
「浅井が万が一にも裏切ったとしたら……」
「そ、そんなことが?」
「いや、義理堅い長政殿なら考えられないこともない」
「では、ことの詳細を確かめるべきと存じます」
「そんなことが出来るのですか?」
「この秀吉、平民の上りでござる。潜入や奇襲は得意中の得意でござる」
 木下藤吉郎の協力を得て、俺は浅井家の動きを探るために織田軍の背後を取るルートに先回りをした。
 すると、そこには浅井長政率いる5000の軍勢が進軍しているのを確認出来た。
 このルートで進めば織田軍は背後を挟撃されることになる。
「黒生殿の予想が当たりましたな」
「木下殿、すぐに引き返しましょう」
 俺と木下藤吉郎はこの情報を金ヶ崎攻めをしている信長の下へと届けた。
「浅井長政殿、ご謀反」
「それは誠か義麗」
「間違いございません。木下殿とこの目で確かめて参りました」
「浅井勢は落ち合いの道筋から外れ、我らの背後より進軍しております」
 しかし、信長は話をなかなか聞き入れようとしなかった。
「長政が裏切るなどあり得ぬ」
「信長様、時間がありません。早々に退却しなくては
北に朝倉、南を浅井に責められ、我らは挟み撃ちとなります」
 その時……
『親方様』
 大きな声を上げて早馬が陣内に駆け込んだ。利家であった。
「浅井の軍勢がこちらに目掛けて進軍を開始いたしました」
 浅井が織田家に刃を向けた瞬間であった。信長の顔つきが変わる。
「全軍撤退じゃ、そうそうに陣を引き払え」
「親方様、どうか殿の役目をこの藤吉郎めにお命じください。命を賭して全軍を引き返す時間を稼いで見せます」
「任せる」
「はっ」
「信長様、敵は大軍です。この黒生も木下殿に協力することをお許しいただけませぬでしょうか」
「勝家、どうする?」
「義麗よ。殿とは生きて帰れる保証がない厳しい戦ぞ」
 命を落とすのは正直、一度死んだ身でも怖い。
 だが、ここで戦わないことの方が後悔すると俺は感じていた。既に俺の心の決心は硬かった。
「ここで死ぬのなら、それまでの実力ということ」
 その言葉に信長は笑みを浮かべた。
「好きにするがよい。参るぞ」
 世に言う金ヶ崎の撤退戦の始まりであった。総勢3万の軍勢が撤退を開始した。
しおりを挟む

処理中です...