地球温暖ガールと絶滅フレンズ

Halo

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第一章

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「先生、すみませんが、おっしゃっている意味、まったく、理解できません」

 昨日の異様なWEB会議に集まった、六人の顔出し不可、本名非公開の影法師集団。彼らとデスティニーとの関係は一切不明だ。

「デスティニーは解離性同一性障害、すなわち多重人格者なのだ」

「えっ」

 解離性同一性障害とは、精神医学における神経症の一種だ。ダイゴは思わず目を見開いた。

「昨日、デスティニーさんを含む七人と会話しました。女性だけならともかく、ダミ声のやーさんやお調子者の関西人も、皆同一人物ですか? 声帯模写にしては出来すぎです。全員別人としか思えません」

「先踏君、まあ落ち着いてくれ。一つ一つ説明する。座ろうよ」

 出雲教授は車椅子の横にパイプ椅子を運び、ダイゴに着席を促した。その時階上のドアが開き、二つの影が階下へと長く伸びた。

「為国さん、知念さん……」

 ラボに現れたのは、昨日ビデオ会議に参加したシンクタンク社員、為国善次郎と、看護師の知念マリアだった。

「遅れてすみません」

「後は司会の細越さんですね」

 ダイゴはまだWEB会議を続けるものだと思っている。

「彼は来ないよ」

 出雲教授はさらりと言ってのけた。ダイゴは驚いた。では、なぜ自分はここに呼ばれたのか。

「二人は『プロジェクト・ART』のメンバーなんだ」

「ぷろじぇくと・えー、あーる、てぃー?」

 出雲教授はロイド眼鏡を軽く上にずり上げた。

「『プロジェクト・ART』は人間の脳の動きを可視化する試みだ。Artificial Reality Transformation、仮想現実変換、略してART。この『ブレイン・イメージャー』を使って頭の中に浮かんだイメージや思考を映像、画像、音声に変換し、脳の働きに対する理解を深めようという研究だ。現在はこの女性、海街デスティニーさんが被検者だ。我々は開発中のシステムで、デスティニーさんの解離性同一症の治療を行っている。別人格たちは彼女の脳の血流動態反応から、別々に抽出された思考を再構成したものだ」

「そんな、まさか、信じられない」

 ダイゴは言葉を失った。まさにサイエンスフィクションそのものだ。SF小説や映画では、決まって脳ハッキングの被験者は発狂し、悲惨な生涯を終える。ダイゴは有名なSFアクション映画の最終シーンを思い浮かべた。

「先生、脳と外部環境の直接接続に危険はありませんか?」

「心配しないでいい。何年も実証実験を続けてきたが、今までに大きな問題が発生したことはない。ちなみに最初の被験者は私自身だ」

「倫理的な見解は?」

「総合文化研究科の倫理委員長は私だ」

 出雲教授はツールワゴンに積まれたヘルメット型デバイスを取り上げた。稼働状況を示すLEDが緑色に点滅している。

「見たまえ。これが実験で使用するウェアラブルだ。脳に電極を埋め込むわけではない。頭皮に刺す針もついていない。非接触センサーが埋め込まれたヘッドマウント・ディスプレイを被るだけだ。君はVR(バーチャル・リアリティ)ゲームをしたことがあるかい」

「たまに。友人に誘われて、つきあいで始めました」

 ダイゴは秘かにゲームオタクだ。自宅にCPUクロック10GHzのハイエンドゲームPCと、30インチの8Kモニターを所有するほどの入れ込みようだ。とっさに取り繕ったが、実際にはVRゲームを一緒に遊ぶような友人はいない。

「この装置は、VRヘッドセットのハイエンド・バージョンだと思ってくれればいい。心配には及ばない。国はVRゲームを規制していないだろう」

 ダイゴのお気に入りは「ゾンビ・ユニバーシティー」。VRヘッドセットとコントローラーを駆使して、ゾンビ化した教員や学生を駆除する3Dシューティングゲームだ。弾丸命中時のスプラッター感が超リアルで、ストレス解消にはもってこいだ。

「先生、『プロジェクト・ART』については理解しましたが、今日の本来の目的、WEB会議はどうするんですか?」

 デスティニーが多重人格者である事実が告げられ、当初の『環境提言』は置き去りにされている。出雲教授は無言だ。為国も知念も口をつぐんだままだ。

 なぜここで押し黙る、ダイゴは不快な気持ちに包まれた。

「まさか、あのグループセッションはフェイクだったのですか?」

 冷房の効いた空間に聞こえてくるのは、しゃあしゃあしゃあ、かりかりかり、機械のノイズだけだ。

「ひどいじゃないですか! 昨日のドタバタもみんなお芝居だったんですね。僕一人何も知らず、馬鹿みたいだ!」

 ダイゴの目には出雲も、為国も、知念も、侮蔑的な薄ら笑いを浮かべているように見えた。

「いや、君を騙すつもりはなかった。気分を害したのならば、心からお詫びする。司会の細越さんも本当の目的は知らない。WEB会議は暴露ばくろ療法りょうほう実験の一環だった。実験は残念ながら失敗だったが、非常に有効な発見があった。君のプロジェクト適性だ」

 暴露療法とは精神医学における行動療法の一つで、不安に慣らせてゆく手法だ。この場合の目的は患者の社会復帰を目指し、まったく面識のない他人との接触を試みることにあった。

 出雲教授は、ばつが悪そうにダイゴを見上げる。

「プロジェクト適性ってなんですか?」

 ダイゴは何がなんだか、皆目見当がつかず、目を白黒させている。

「ジュラだ」

 出雲教授は真剣な眼差しでダイゴに向き合った。またか、ジュラ、自分似の国民的アイドル・スター。

「デスティニーは七つの人格に分離している。今回の目的は彼女の人格を再統合し、健全な状態に戻すことにある。主人格であるデスティニーは精神活動が著しく停滞している。つまり、覇気がなく、ずっと落ち込んだままなのだ。唯一彼女が反応するのはアイドルグループ、『6th Extinction』のリーダー、ジュラの話題だ」

「――昨日ジュラに似ていると言われました」

「まさかとは思ったが、試してみて良かった。本物でなくても心は動くようだ。お願いだ。君にも『プロジェクト・ART』に参加してもらいたい」

 終始無言のデスティニー。唯一のアクションはダイゴへのスマイル絵文字送信だった。あれが、あの時の全力の感情表現だったのだ。

「そう言われても、正直あまりうれしくないです……」

「頼むよ。ジュラはたった一つ判明している非常に重要なヒントなんだ。デスティニーに寄り添い、彼女を不安要素から守ってもらいたい」

 要するにダイゴには、話し相手の役割を期待されているのだ。

「出雲先生、話し相手なら他に適任がいると思います。男性ではなく、同じ女性の方がうちとけやすいですよ。ゼミの学生、世話好きの山本さんとか、陽気な藤田さんとか、どうでしょうか?」

「先踏君、私は君にお願いしているんだ」

 出雲教授は真顔でダイゴに迫った。断る選択肢は用意されていない。

「わかりました。そこまでおっしゃるなら」

 ダイゴはご機嫌をとるだけなら、それほど負担にはならないだろうと判断した。

「僕以外のプロジェクト・メンバーは出雲先生、為国さん、知念さんの三人ですか?」

「あと一人、わが研究室の三条さんじょう君もチームの一員だ。先踏君、彼とは面識あるかな?」

「博士課程の三条さんですね。本郷キャンパスではあまりお見かけしませんが、お名前は存じ上げています」

 機器類の陰から長髪で細身の男が立ちあがった。幽霊のように青白く、疲れているように見える。シルバーのメタルフレームがディスプレイの光を鈍く反射している。

「システムのユーザー・インターフェイスは彼が設計した。彼は非常に優秀だ。私の研究室ではITの知識が求められる。君も三条君から学ぶことは多いと思う」

「三条です。よろしく。インターフェイスはVRゲームの感覚で使えるよう工夫してみたんだ。完成度の高さに驚くよ」

 三条さんじょう健之たけゆきは二十七歳、出雲研究室のホープと呼ばれている。頭脳明晰でコンピューターの腕は一流だが、無口で変わり者という評判だ。本郷キャンパスで姿を見ることが少ない理由は、このラボに入り浸っているせいだろう。三条は軽く頭を下げて席に座った。

「君の言う通り、顔が見えないとコミュニケーションしにくいよね」

 出雲教授は左手に抱えたタブレット端末を操作した。ラボの壁面に設置された大スクリーンに、六分割画面が表示された。

「デスティニーの別人格だ」

 均等に並べられたマスの中に六人の顔が映し出された。生きている人間と見まごうほどの超リアル描写。この世に肉体は存在しない、六人はCG、コンピューター・グラフィックスによる合成アバターだ。

「一番左がちゃまさん。この中で年齢最年少の中学生だ」

「ちーす」

 ちゃまは黒髪を切り揃えたオカッパ頭の少女だ。両目は前髪に隠れている。出雲教授に紹介されると、ふふふと不気味な笑みを浮かべ、肩を揺らした。ブレザータイプの制服を着ている。

「その隣はテルミさん。気象研究の専門家だ。環境問題にも詳しい」

「どうも」

 テルミは三十歳前後だろう。ロングヘアをポニーテールで縛り、細く描かれたアイラインはできる女という印象だ。オリーブグリーンのジャケットを肩に掛けている。昨日は災害の脅威について、熱弁をふるっていた。

「左から三番目はナカモト・サトシさん、伝説のプログラマ―だ」

 ナカモトは面長、オーバル型の眼鏡の奥に細く切れ上がった目が光っている。服装はカジュアルなアメリカン・トラッド。年齢は二十代後半か。軽く微笑んで会釈した。

「次は権堂さん。こう見えて読書家だ」

「ソクラテスも真っ青の高度な知性が顔ににじみ出ているだろ」

 権堂はリーゼントヘアを逆立てた髪型で、革のライダージャケットを着ている。不良が成長して中途半端な大人になったという感じだ。



「五人目はラッキィさん。バリバリの関西人。サラリーマンだ」

「本名は楽太郎らくたろういうねん。略してラッキィや。楽に暮らせるようにと付けられた名前やけど、正直ぜんぜん生活楽やない。金たんまり儲けて、はよ引退したいわ。毎日面白おかしく、遊んで暮らすのがモットーや」

 ラッキィは中年四十男。表情が豊かでオーバーアクション。よくしゃべり、漫才師も顔負けのやかまし屋だ。職業は会社員のはずだが、真っ赤なアロハシャツを着ている。

「最後はエレナさん」

 エレナは化粧が濃く、ボディラインがはっきりわかるギャルファッションに身を包んでいる。蠱惑的で、男好きのする顔だ。髪にはピンク色のメッシュが入っている。

「ジュラ似のダイゴ君、これが終わったら遊ぼうね!」

 ウインクと投げキス攻撃。解離性同一性障害とはいえ、堅物から不良までと、性格のギャップがあまりにも極端だ。

「先生、多重人格は複数の人格が交替で出現するはずです。これじゃ人格オールスターですよ」

「一般的にはね。だが、稀に複数の人格が同時に発現することがある。デスティニーはこのレアケースに該当する」

「別人格同士が自由に会話をしています。どういう仕組みなのですか?」

「各人格の思考を抽出して言語に変換している。AIスピーカーと同じ原理だ。人間の口は一つだが、機械なら同時に複数の発声合成が可能だ」

 出雲教授はデスティニーに近づき、頭をすっぽりと覆う入出力装置に手を置いた。前面のVRヘッドマウント・ディスプレイは、流線形のサイバーパンク風デザインだ。プロトタイプのためか、後付けの基盤や配線がむき出しになっている。

「これはヘッドギア型のウェアラブル脳信号スキャナーだ。内側に組み込まれたセンサーが、被験者の脳の状況をリアルタイムに捕捉し、無線で送信する。送信先のAIシステムは血流変化の色彩画像をデータベースと照合、該当する映像に置き換えて、VRゴーグルにフィードバックする」

 壁面ディスプレイ上の脳展開図は、オーロラのように絶え間なく色彩遷移を続けている。

「以前の脳スキャナーは、データ転送に多数のケーブルを必要とした。頭部には何本ものケーブルが接続され、蛇女メデューサのような見てくれだったが、装置を小型化、通信手段を無線に切り替えることで機能性が向上した。通信規格が6Gに世代交代し、回線の容量、スピードともに飛躍的に伸びたおかげだ。旧型システムでは検査中被験者は静止している必要があったが、この点も改善した」

 出雲教授はダイゴに脳スキャナーのサンプルを手渡した。重量は普通のバイクのヘルメットと同じ程度。数時間被ったままでも、首が痛くなることはなさそうだ。

「この脳スキャナーを使うと、考え事がすべて出力される、すなわち、隠し事は一切できなくなるのですか?」

「その通りだ。嘘をつき通すことはできなくなる。『ブレイン・イメージャー』が実用化されれば、犯罪捜査が飛躍的に向上する」

「怖いですね。国家も、企業も、個人も、秘密を守ることができなくなる」

「このラボに四重のセキュリティ・ゲートが設置されている理由がわかったかい?」

「僕がそんな重要な技術に触れて良いのでしょうか?」

「君の経歴について、事前に調べさせてもらった。スクリーニング調査の結果、問題なしと判定された。この建物には至る所に監視カメラが配置されている。脳スキャナーをこっそりと持ち出すことは不可能だ。君は研究室入室時に秘密保持契約にもサインしている」

「技術を持ち出すつもりは毛頭ありません」

「さて、本題に戻ろう。先踏醍醐君、『プロジェクト・ART』に正式参加してもらえるかね? その上でデスティニーの人格再統合に協力してもらいたいのだ」

 ダイゴはプロジェクトには興味津々だ。だがコンプライアンス、プライバシー、秘密保持、と様々な心配事が頭をよぎり、即答を躊躇した。

「君は人の『こころ』に強い興味を抱いていると話していたね」

「その通りです。それが出雲研究室を志した理由です」

「今回の実験は君のテーマにぴったりだと思うが、違うかね?」

 ダイゴの胸の中で好奇心と不安がせめぎ合う。

「どうする? 無理強いするつもりはない。今なら辞退は可能だよ」

 答えは喉まで出かかっているが、それでも漠然と懸念が残る。

「わかった。では別の院生に頼むとするか」

 ああ、あの時決断していれば……、といった後付けの後悔は負け惜しみにしかならない。

「待ってください。是非やらせてください。これは運命的な出会いかもしれません」

 ダイゴは誰のものかわからない視線を感じた。はっ、と隣を見るとVRゴーグルをかけた女性が、ダイゴを見上げている。

「決まりだね。ではこのプロジェクト誓約書にサインしてくれ」

 差し出されたタブレット型端末には「プロジェクト・ART誓約書」と記された電子契約書が表示されていた。ダイゴは一字一字押し込むように「先踏醍醐」と署名した。

「ああああ、やっちまった。ダイゴぉ、あんた、あとで後悔するでえ」

 頭上のディスプレイを見上げると、嬉しそうにニタつく軽薄中年男の顔があった。

「これでOK。それでは、君にも脳スキャナーを着してもらう」

「先生、質問があります。なぜ仮想空間で治療を行うのですか? 現実空間ではいけないのでしょうか?」

「デスティニーの入院先、国立湾岸精神医療センターでは考えうるすべての治療を行っている。だが改善の兆しがまったく見られない。既存の医薬品や医療機器には限界がある。メタバース空間では、患者の心理に直接働きかけることができる。私はVRこそ、精神疾患治癒の革新的な医療ツールになる、と信じているんだよ」

 メタバースとはインターネット上に構築された仮想空間のことをいう。分身を介してその仮想空間に入り、他の利用者とコミュニケーションすることができる。

「人間の頭脳は真の科学フロンティアだ。私はVRで精神障害を解明し、先進医療分野のパイオニアとして歴史に一歩を刻みたい」

 人間の脳は宇宙と同様、不可侵未知の領域と言われてきた。出雲教授の構想は人類史に残る壮大なチャレンジと言える。

「為国さん、知念さん、私もスキャナーを付ける。デスティニーと六人の別人格、我々四人は仮想空間で合流し、デスティニーの意識に働きかける」

「先生、もしもプライバシーに関わる情報が出力されたら、削除に応じていただけるのでしょうか?」

「もちろんだよ」

 被検中は邪念や、いやらしい想像はご法度だ。ダイゴは腹を括った。

 ツールワゴンにはヘルメット型スキャナー、データ・グローブ、リング型の装着具が四セット、準備されている。デスティニーと同じウェアラブルだ。

「リングは歩行用のマーカー。足にはめるものだ。座位からプログラムを開始するが、立ち上がっての歩行も可能だよ。壁に当たらないように、被験者の動作は自動ガイダンスされるから安心してください。実験中は三条君がリアルタイムでモニターしている。緊急事態発生やログオフの場合はすぐに合図するように」

「三条君。為国さん、知念さん、先踏君、私の順で装着を頼む。皆さんは仮想空間に入れたら、そのまま待っていてください」

 デスティニーの左右にバケットシートが集められた。三条は一人一人にデバイス一式をセットし、ヘルメット側頭のスイッチを入れた。一瞬消えた視覚は二分ほどで復活した。

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