地球温暖ガールと絶滅フレンズ

Halo

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第一章

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 翌朝は、前夜の雨がうそのように晴れあがっていた。午前六時三十分に設定した目覚ましがぴいぴいと鳴り、ダイゴはだるそうに体を起こした。窓を開けると、金色の太陽がぎらぎらと町を照らす。そろそろ十月も半ばなのに今日も真夏日。アラームの温度計を見ると気温は四十一度だ。午前中は九時からゼミの打ち合わせがある。

「あづい、ふう」

 ダイゴは栄養バーと合成牛乳だけの朝食を済ませた。リュックを背負い、玄関の隅に立てかけられていた日傘をひっつかむと、紫外線あふれる灼熱の外世界へと一歩足を踏み出した。無防備のまま三十分も歩けば、真っ赤に日焼けしてしまうこのご時世、男にとっても日傘は必需品だ。

 最寄りの駅は東京メトロ丸の内線茗荷谷みょうがだに駅。――電車が到着します。ご注意ください――アナウンスとともに、真っ赤な塗装の電車が到着した。丸ノ内線のシンボルカラー、ファイアーレッドは見るからに暑苦しい。

 電車の中も涼しくはない。温暖化防止対策で冷房は禁止されている。汗をふきながら吊革につかまっていると、スマホが震動した。

「もしもし」

「先踏君?」

「お早うございます。昨晩はお疲れ様でした」

「出雲です。早朝から申し訳ない。いや、昨日は迷惑かけちゃったね」

 教授は普段よく通る声ではきはきと話すが、今朝は奥歯に物が挟まったような口調だ。

「とんでもないです。お役に立てなくてすみません」

 スマホの時刻表示は午前七時五十分。打ち合わせがなければまだ寝ている時間だ。

「今、電車の中? すぐ済むから聞いていて。昨日中断になったワークショップの件だ」

「今晩二回目を行う予定ですよね」

 カーブに差しかかった地下鉄が大きくガタン、と揺れた。

「方針変更。オンラインではなく、直接対面して議論することにした」

 車内の乗客が迷惑そうな視線を向ける。ダイゴはスマホのスピーカーと口を右手で覆い、周囲に聞こえないよう小声で返答した。

「そうですか。対面なら勝手に退席できませんものね」

 出雲教授はダイゴのコメントを遮って、早口でプログラムの変更内容を告げた。

「場所なんだが、急遽先端大の幕張まくはりキャンパスで実施することにした」

「幕張キャンパスは理工学部の所轄でしたっけ? まだ行ったことないです」

「海浜幕張駅から歩いて数分だよ。開始時間は昨日と同じ十八時。東京駅から海浜幕張駅まではJR京葉けいよう線でだいたい三十分だ。来られるよね」

「夕方は予定ないので大丈夫だと思います」

「待っているよ。それから、お父上の件もね」

「あ、先生」

 ダイゴは内容について詳しく話を聞きたかったが、出雲教授はさっさと回線を切ってしまった。

「まあ、約束はあと今日一日だけだし」

 電車の中はむんむんと熱気が漂い、不快度二百パーセントだ。ダイゴは二つ隣の本郷三丁目駅で降車後ハンカチを取り出し、ごしごしと玉の汗をふいた。

 ダイゴの通う東京先端大学本郷キャンパスは、地下鉄丸ノ内線本郷ほんごう三丁目駅から徒歩十分の距離にある。上野の森の裏手は、落ち着いた雰囲気のある文教地域だ。

 ダイゴはスマホを取り出し、アドレス帳で先踏さきとう将門まさかどを選び、コールボタンを押した。

「ただいま、電話に出ることができません。発信音の後にメッセージをお残しください」

 ダイゴの父、先踏将門は先踏キャピタル株式会社の代表取締役社長だ。先踏キャピタルは、ベンチャー企業やスタートアップなど、高い成長が予想される未上場企業に対して出資を行う投資会社だ。

 積極的に経営に関与する「経営支援型ファンド」として有名で、先踏キャピタルのバックアップがあれば、必ず成功すると言われている。

「お父さん、ダイゴです。至急相談したいことがあります。電話ください」

 正門から入ると講堂へと並木道が続く。研究室は講堂左手奧にある。時間は八時二十分、広いキャンパスなので、余裕を持って行動しないと遅刻する。

 進行方向斜め前をゼミの先輩と後輩が、ぺちゃくちゃとしゃべりながら歩いている。あの雰囲気にはなじめない、ダイゴは気づかれないように歩調を緩めた。

 出雲教授は九時からのゼミの打ち合わせに顔を出さなかった。普段から多忙の上、各種団体の役員や企業の顧問も引き受けており、必要な時以外は姿を見せない。

 ダイゴは午後の必修科目受講後、図書館で調べ物をして時間を潰した。

「先踏、久しぶり!」

 見上げると、見覚えのある男子学生が立っていた。思いがけなく探し物でも見つけたように、うれしそうに微笑んでいる。

「来週さ、大学院進学組で飲み会企画しているんだけど、来ないか?」

 学生の顔は覚えているが、名前を思い出せない。鈴木だったか、佐藤だったか、よくある苗字だったと思うが、はっきりしない。

「誘ってもらってうれしいけど、論文の準備とかいろいろあって、時間がないんだ」

「そうか。残念だな。また次回声かけるよ。とりあえずライン交換しておこうか」

「ごめん、ラインしてない」

「まじかあ、それで院生生活成り立つのかよ」

 本当はゼミの関係でラインのアカウントは持っている。友だちが増えると、雑多なメッセージが静かな生活に割り込んでくるから、極力増やさないようにしているのだ。

「じゃあ、約束があるから。またね」

 ダイゴはあたふたとテキストをバッグにしまった。ふと気づくと時刻は十六時を回っていた。そろそろキャンパスを出発しないと、指定の時間に間に合わない。本郷三丁目駅で丸の内線に乗車し、東京駅で京葉線に乗り換えた。暗いトンネルを出た時には既に日は暮れていた。

 東京先端大学幕張キャンパスは幕張メッセを抱える海浜幕張地域、幕張新都心に位置している。幕張新都心は日々二十三万人が活動する千葉県の中核都市だ。

 この地域は教育・研究関連に力を入れており、五つの大学、インターナショナルスクール、七つの研修施設の他、先端企業の研究開発施設が集積している。

 新都心は計画都市として整備され、道路はマス目状に交錯、モダンなデザインの建築物が数多く見られる。

 東京先端大学もその例にもれず、海外有名建築家を起用したスタイリッシュな建物は人々の目を引く。メインの研究棟は宇宙船を彷彿させる外観で、映画のロケにも使用されている。

 入口で出雲教授の名前を告げると、守衛はロビーで待つように指示した。十分ほどすると、ホールの右奥からロイド眼鏡の小柄な男がひょこひょこと近づいてきた。

「やあやあ、突然で悪かったね」

「先生、このキャンパス、新しくて素敵ですね。本郷の本校より全然立派です」

 決してお世辞ではなく、ダイゴは本心からうらやましいと感じた。自分の研究科が幕張だったら良かったのに、とまで思った。

「まだ完成してから二年だからね。優秀な学生を集めるには充実した学習環境が重要なんだよ。今日は遠くまで足を運んでもらって申し訳ない」

 出雲教授はやけに恐縮している。ダイゴは教授の態度がいつもと違うことに気がついた。

「東京駅から三十分ですから気になさらないでください。ただ、場所は本郷でも良かったような気がします。会議室が取れなかったのですか?」

「事情は研究室に着いてから話すよ」

 出雲教授はくるりと踵を返し、研究棟奧へ向かって歩き出した。

「研究室? 幕張キャンパスにも先生の研究室があるのですか? 知らなかった」

「ちょっとわけありでね。幕張ラボの存在は一部の人間しか知らない」

 通路の天井は高く、広い空間に長短二種類の残響音が入り混じる。

「先生、他の参加者は幕張まで来られるのですか?関西人のラッキィさん、てっきり住まいは大阪だと思ってました」

「あ、ああ、うん。まあ、なんとか」

 出雲教授はもごもごと言葉尻を濁した。

 いくつもの研究室を過ぎた。目的の場所は建物のずっと奥にあるようだ。二つの影はガランとした回廊を無言で歩いた。

「先生、これ三台目のゲートですよ。随分とセキュリティが厳しいんですね」

 出雲教授がカードを端末にかざすと、開閉式のドアが左右に開いた。

「ここ幕張キャンパスは最先端技術を中心に研究している。国や提携企業から、決して情報漏洩を起こさないように、と強く釘を刺されているんだ」

「最先端、ふうむ、例えばどういった研究ですか?」

 ダイゴの通う東京先端大学は設立十年とまだ新しいが、旧弊にとらわれない新しい理念に基づく、国内トップレベルの大学だ。実力があれば、予算や権限をふんだんに与えられる。

 教授陣の三割は外国人で二十代、三十代の教授も多い。米国や中国に負けてはならぬと、日本の科学技術力再興を目指して創設された、特別な目的を持つ研究教育機関の一つだ。

「IT、バイオ、環境、センシングとかだね」

「はあ、なるほど」

 IT、バイオ、環境、センシングに取り組む大学は山ほどある。ダイゴにはどこが特別なのか、わからなかった。

「我々の研究しているニューロ・サイエンスもその一つだよ」

 ニューロ・サイエンス、神経科学は人間の頭脳と「こころ」を研究する先進的な学問だ。他の生体組織同様、脳は水や炭素原子といった単純な化学物質の集合体でしかない。それにも関わらず、我々の神経中枢は複雑かつ自律的な思考ができる。

 ヒトと他の生物を分かつ知性とは、精神とはいかなるものか、がダイゴの研究テーマだ。

「着いたよ。ここだ」

 出雲教授が四つ目の端末に番号を入力すると、セキュリティロックが解除された。自動開閉式のドアの内側は半球状の広い空間だった。ドーム球場を圧縮したような構造で、床はすり鉢状に地下へと掘り下げられ、中心部は直径三十メートルほどの円形オープンスペースになっていた。スケートリンクのように周囲が壁で囲まれている。

 壁面には複数の大型スクリーンが取り付けられ、室内にはサーバーやデスク、コンピューター関連機器が、所狭しと置かれていた。配管むき出しの天井には、無数のケーブルが張り巡らされている。コンピューター・サイエンス専攻でなくとも、ラボ内の設備が最新鋭であることは容易に予想がつく。かりかりかり、マシンのハードディスクアクセス音が神経を逆なでする。

「昨日の歯ぎしりは、もしかしてこのコンピューターの音?」

 アリーナの中心には、見知らぬ人物が車椅子に座っていた。ヘルメットを被り、顔にはVR(バーチャルリアリティ・仮想現実)ゴーグルのような装置が取り付けられている。誰だろう、研究助手だろうか、ダイゴにとってすべては謎だ。

「先生、これは一体何の設備なのですか?」

「これは脳情報デコーディング視覚化装置『ブレイン・イメージャー』だ。人間の頭脳活動を画像化する試みを行っている」

 スクリーンには、色とりどりのマーブル模様が映し出されている。抽象画のようでもあり、細胞の顕微鏡写真のようでもある。映像は生き物のように、絶え間なく変化している。カラフルなスクリーンの隣は、会議室のリアルタイム映像だ。真っ白なインテリアで人影は見えない。

「ディスプレイに投影されている、ロールシャッハ・テストのような模様は何ですか?」

「人間の脳を平面図に展開したものだよ。今君が見ているのは、被験者の思考活動だ」

 画面上では各部位が赤、黄、オレンジと次々に変色している。まばゆい光の饗宴は、クリスマスのイルミネーションを思わせる。

「これはすごい……。最先端の研究だ。厳重なセキュリティもこのためですね。驚きました」

 ひけらかし屋の出雲教授は口元が緩み、研究の成果を自慢したくてうずうずしている。

「『ブレイン・イメージャー』の仕組みについて知りたいかね」

 脳の可視化については様々な取り組みが行われているが、一般に実物を目にする機会は少ない。

「是非、お願いします」

 人工知能が発達すると、人間の脳や臓器の仕組みや働きはすべて解明され、人体のサイボーグ化が可能になると言われている。『ブレイン・イメージャー』はその先駆けになるかもしれない、ダイゴは胸がわくわくした。

fMRIエフエムアールアイはわかるかな」

「磁気共鳴機能画像法のことですか? MRIを使用すれば脳の活動を調べることができます」

 MRI(マグネティック・レゾナンス・イメージング)は医療分野において広く利用されている。強い磁石と電波を用いて、体内の状態を画像化する検査手法だ。様々な病気に対応しているが、特に脳やがんなどの疾患に有効だ。

「fMRIは機能的(ファンクショナル)なMRI、すなわちMRIの脳構造情報の上に、活動部位の画像を重ねる拡張技術だ。私は一定の刺激に対する、脳内各部位の血流動態反応に着目した。刺激に対する反応を、パターン情報としてデータベースに蓄積し、AIに学習させた。ブレイン・イメージャーでは脳構造情報の上に血流動態反応を重ね合わせている」

 ダイゴは自ら言葉を置き換えて、出雲教授の発言を理解しようと試みた。

「つまり、こういうことでしょうか? リンゴを見た時、脳のどの部分で血流が変化するかを色彩パターン化する。例えば、前頭葉がピンク色に変化したとします。計測時に前頭葉がピンク色であれば、被験者はリンゴのことを考えているとみなすのですね」

 脳展開図は朝焼けに染まるマジック・アワー、蒼穹にまたがる七色の虹、さらにはネオン輝く夜の都市へと、目まぐるしく偏移した。例えるなら、生きた万華鏡だ。

「このシステムでは三十ビットで階調処理を行うため、表現可能な色数は十億色以上だ。赤っぽいピンク、黄色っぽいピンク、オレンジっぽいピンク、数えきれないほどのピンク色が存在する。精細すぎて、人間の目では色調の微妙な差を認識できない」

 自然と科学の織り成すハーモニー、めくるめく光のダンス。ダイゴは息をのむ美しさにしばし見とれ、時間を忘れた。

「君には仮想空間でデスティニーの手助けをして欲しいんだ」

 出雲教授の一言がダイゴを現実へと引き戻した。

「デスティニー? 昨日一言も口を開かなかった絵文字使いですか?」

 パソコンモニターの闇空間、首尾一貫の沈黙、スマイルとアングリーの絵文字、すべてはダイゴの記憶に新しい。

「彼女、今日ここに来るんですか?」

 ダイゴは秘かに、問題の人物は変質者ではないかと勘繰っていた。一言も話さず対面会議に参加する気なのか。

 出雲教授は質問には答えず、研究室中央に向かって顎をしゃくった。

「まさか、あの車椅子に乗った人が……」

「そう。海街デスティニーだよ」

 出雲教授は一歩一歩、底面へと続くステップを下り、ダイゴをフロアへと誘導した。

 車椅子の人物には、天井からまばゆいスポットライトが当たっている。頭部全体がヘルメットで覆われているため、目鼻立ちや表情はわからない。ヘルメットの下から肩へはダークブロンドの髪が広がっていた。体にフィットしたトレーニングウェアが、女性らしいフォルムを表現している。

「さらに、ちゃまであり、テルミであり、権堂であり、ナカモトであり、エレナであり、ラッキィでもある」

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