【オリジナルBL】鳥のように(ノンケ箏職人×陽キャゲイ)

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第2話『箏作りの始まり』

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 2-1


 綺麗な海の中を漂っていた。全身を包み込む海水は適度に温かく、何度も感嘆の息を零すほどの心地よさを飛鳥に与えてくれている。
 上のほうからは太陽の光が射し込んできており、海の中に安心するような明るさをもたらしてくれていた。
そろそろ水面に上がらなければならない。急にそんな気がしてきて飛鳥は手足をばたつかせる。
 一掻きしただけでもずいぶんと上昇できた。結構深いところにいたはずだが、この分なら水面まであっという間に到達できるだろう。
 そして――水面に飛び出したと思った瞬間に、飛鳥は眠りから急速に覚醒した。目を覚ました瞬間に下半身に何か掻痒感――というよりも、妙な気持ちよさを覚えて視線をそちらに向けてみる。
 自分の股座に誰かの頭があった。そのことにギョッとしたが、更にその頭が飛鳥の性器を口に含んでいるのを目にして、動いてないはずの心臓がバウンドするような感覚がした。

「……大空ひろたかてめえ何してんだよ!?」

 そこにいるのが昨日出逢ったばかりの男だと気づいて、飛鳥は声を荒げた。

「あ、おはようあっちゃん。見てのとおり、あっちゃんのチンポ味見してるところ♡」
「勝手に味見してんじゃねえよ!」
「え~、だって朝勃ちビンビンで美味そうだったんだもん。そしたらやっぱしゃぶるしかないじゃん?」
「そっとしとけよ! セックスは箏が完成してからって昨日話したばっかだろうが!」
「こんなんセックスのうちに入らないっしょ。前戯だよ前戯」

 そう言って大空はまたフェラチオの続きを始める。亀頭全体を舐め回すと口に含み、中で飛鳥をギュッと締め付けたまま頭を上下させる。
 寝起きとはいえ、股座にある大空の頭を手でどかせることくらい今の飛鳥にもできただろう。けれど飛鳥はそれをしなかった。なぜなら大空のフェラチオが物凄く気持ちよかった上、もうすでに射精する寸前まできていたからだ。

「くそっ……イクっ、イクっ……!」

 我慢できずに大空の口の中に精を放つ。一瞬全身を強張らせたあとに徐々に力が抜けていき、再びベッドに上体を預けた。

「いつまで……しゃぶってんだよっ」

 イってもなお解放してくれない大空の頭を力の入らない手で叩くと、彼は顔を上げてニヤッと笑った。

「幽霊でも精子って出るんだな。なかなか濃い味だったよ」
「やかましいわ。つーかどうしてくれるんだよっ。てめえの唾液でぐしょぐしょじゃねえか! 俺たぶん水に触れられねえから洗えねえぞ!」
「俺の唾液だけじゃなくてあっちゃんの精液も含まれてるけどね。とりあえずティッシュで拭き取ってやるからそんなにポテンシャル上げて怒んなよ」

 大空はベッドサイドのテーブルからティッシュを何枚か抜き取ると、それで飛鳥の股間を丁寧に掃除してくれる。射精したばかりで敏感なそこがぴくぴくと反応してしまう様が我ながら情けない。

「お前な……マジで勝手にしゃぶるとかやめろよっ。ゲイ同士ならまだしも、俺はノーマルなんだからな。何かちょっとショックだよ」

 男の口でイかされた。気持ちが落ち着いてくると、その事実にそれとなくショックを受けているのを自覚する。気持ち悪いという感じじゃなくて、どこか悔しいような気持ちがしていた。

「でも気持ちよかっただろ?」
「そ、それはそうだが……それでも今度から勝手に咥えるのはやめてくれ」
「わかったよ。勝手に舐めてしゃぶって喉の奥まで入れてイかせてごめん」
「わざわざ皆まで言うな!」

 正直に言えば、付き合っていた彼女にしてもらったときよりも、以前風俗嬢にしてもらったときよりも気持ちいいフェラチオだった。やはり男のツボをよく知っているのは同じ男のほうなのかもしれない。

「ほら、拭き終わったよ」
「おう……ってティッシュのカスがめっちゃ残ってんじゃねえか!」

 仕方なく自分の手でそれを取り除こうとするが、皮膚に貼り付いていてなかなか取れない。

「くそっ……もうちょっといいティッシュ使えよな。シコッティーとかなら貼り付かねえだろ?」
「セックスにしろオナニーにしろ、俺終わったらいつもシャワー浴びてたから気にしたことなかったわ。あ、でももしかしたらさ、俺の手を水で濡らして擦れば上手く洗えるんじゃねえの? ティッシュだって使えてるわけだし」
「どうだか……まあやれるだけやってみるか。ティッシュのカスとお前の唾液まみれのままなんて嫌すぎて死ぬ」
「あっちゃんもう死んでるじゃん」
「やかましいわ!」

 下着は大空に脱がされていて全裸だったから、そのままバスルームに向かった。大空もすぐに全裸で入って来ると、レバーに触れられない飛鳥の代わりにお湯を出してくれる。
 何となく予想していたとおり、シャワーから出る湯は飛鳥の身体をすり抜けていった。けれど大空の手ですくったそれは飛鳥の身体にもちゃんとかかり、情けない状態になっていた股間が無事綺麗になる。

「つーかなんでお前はチンポおっ勃ててんだよ!?」
「そりゃあっちゃんのチンポ触ってるんだから勃つもんも勃つだろ! 当たり前のこと訊いてくるんじゃねえ!」
「逆ギレすんな!」

 バスルームを出るとさっきの応用で他にも何か物に触れられないかと試してみたが、どれもこれも上手くいかず、結局大空の身体を通しても触れられるのは水、ティッシュだけのようだった。飛鳥が自発的に触れられるものも含めれば、ソファーやベッド、枕、自分の服や靴、それくらいのものである。

「まったく不便な身体だな。これならさっさと成仏したほうがマシな気がする」
「まあとりあえず明後日まで待ってよ。箏作り頑張るからさ」

 早く箏作りに入りたいのは山々だが、さすがの飛鳥も仕事の日に大空にやらせるのは気が引けた。だから作業開始は明後日の休みの日から。早くその日が来ないかと心の中で呟きながら、朝食を作り始めた大空の背中を何とはなしに眺めるのだった。


 2-2


 大空の部屋に居候を始めて四日目の朝。飛鳥は目覚まし時計が鳴るより少し前に自然と目が覚め、自分にくっついて寝ている大空を起こさないようにじっと横になっていた。
 相変わらず大空の体温と直に触れ合った肌の感触には、安心感を覚えた。まるで触れ合った部分から生命のエネルギーが流れ込んできて、飛鳥にも生を与えてくれているかのように思えてくる。
 昨日辺りから、飛鳥は自分のことが見え、会話をすることのできる相手が大空でよかったと感じるようになっていた。大空のそばは居心地がいい。こんな何の役にも立たないはずの男を決して邪険には扱わないし、むしろいろんな話をして楽しませてくれる。初日はいきなりあだ名で呼んでくる馴れ馴れしい陽キャだと思っていた性格も、今は親しみやすさだったのだと理解していた。
 同い年なのも手伝ってか、今やすっかり友達と言って差し支えないほどに打ち解け合っている。いや、こんなふうに同じベッドで抱き合って眠ることを許している辺り、友達以上の特別な何かであることは認めざるを得なかった。

(だからと言ってさすがに恋人ではないけどな)

 この妙な関係に付ける名前を考えているうちに、腕の中の身体がもぞもぞと動き始める。閉じられていた瞳がゆっくりと開き、目が合うと大空は柔らかく笑った。

「あっちゃん……」

 飛鳥の胸板に額を擦り付けて甘えてくる仕草に、何とも言えない気持ちになる。嫌じゃないけど、別に嬉しくもない。けれど確かに庇護欲を掻き立てられるようなものがあり、触り心地のいい後ろ頭を撫でてやった。

「今何時~?」
「あと三分で目覚ましが鳴る」
「じゃあ鳴るまでこのまま~」

 大空はすぐに寝息を立て始めたが、アラームもまたすぐに鳴り始める。まだ寝ていたいと駄々をこねられても心を鬼にして布団を引き剥がした。

「今日からこと作るって言ったろ? 早く支度しねえとキリのいいとこまで進められん」
「う~ん……じゃああっちゃんの雄っぱい吸わせて~」
「何でだよ!」

 拳骨を喰らわせれば大空は呻きながら起き上がった。一応行動する気にはなったようだ。
 大空が朝のルーティーンに励んでいる間、飛鳥はいつものようにテレビを観て過ごしていた。大空は寝起き直後こそぐだぐだしがちだが、一度ベッドを出れば意外とテキパキ動く。朝食もあっという間に作って食べ、部屋着から出かけるための服に着替えていた。

「あっちゃん、登山ってこんな感じの格好でオッケー?」

 訊かれて改めて大空の服装を確認すると、下はレギンスの上に膝丈の迷彩柄が入った短パン、上は水色の薄手のジャケットを着ている。いかにも登山をするという様相だ。

「せっかく気合いの入った格好したのに悪いんだが、山には入らないぞ」
「えっ、そうなの? 木を伐るところから始めるもんだと思ってたんだけど」
「そこから始めたら完成が早くても二年後とかになる」

 箏に使う原木は通常、伐採後に二、三年ほど外干ししなければならない。乾燥させる目的もあるが、そうしないと曲がりを完全に出し切ることができないからだ。

「まあ動きやすい服装のほうがいいから、今着てるそれでいいと思うぞ。汚れて困るなら別のにしたほうがいいけど」
「衣装ケースの奥の奥のほうから引っ張り出した古いやつだから大丈夫」
「よし、じゃあ行くか」
「山じゃないならどこに行くんだよ?」
「俺が勤めてた箏の製作所。そこなら干し終わった木がある」
「まさか盗むのか!?」
「ちげえよ。ちゃんと師匠に断って分けてもらうんだ」

 ついでに道具や場所も借りるつもりだ。

「いや、ちょっと待って。俺みたいなどこの馬の骨とも知らねえやつがいきなり木を分けてくださいって頼み込んだって、普通分けてくれねえだろ?」
「確かにな。だからお前には俺のことを、正直に全部話してもらおうと思ってる」
「あっちゃんの師匠さんに?」
「そうだ」

 箏を作るのにはどうしても専用の道具や器具が必要だ。その辺のホームセンターで売っているような代物でもないから、どうしても製作所で借りなければならない。となるとその製作所の主に話を通さなければならないのは当然だ。

「いやいや、あなたの弟子が幽霊になって今俺のそばにいます、つったって絶対信じないだろ」
「まあ普通はそうだな。けど俺には秘策がある」
「と言うと?」
「俺しか知らない師匠の秘密を言えば信じてもらえるかもしれない」
「う~ん……どうだろう? あっちゃんが生前に俺にばらしたって思われちゃうんじゃね?」
「俺はそんなに口軽くない。師匠もきっとそれをわかっているはずだから、大丈夫」
「そんなに上手くいくかな~。まあやるだけやって駄目だったら別の作戦で行こっか」

 一応それで話はまとまり、大空の車に乗って製作所に移動する。
十五分ほどで到着したそこは、飛鳥が最後に見てからまだ一週間程度しか経っていないはずなのに、ずいぶんと久しぶりに訪れるような感覚がした。
 美濃羽みのわ琴製作所――百年近く続く箏製造、販売の老舗である。一から職人の手で作り上げる美濃羽の箏は、品質が高く見た目も優美だと評価されている。しかし、値段が高く生産台数も少ないことから広いシェアは望めていないのが現状だ。その代わり、一部の箏を極めた奏者にリピーターが多く、演奏会などの本番用として重宝されているのだと聞いている。
 飛鳥は高校を卒業後、この美濃羽琴製作所に就職し、それから四年経った今では一通りの作業を一人でこなせるようになっていた。そこまで辿り着くのには通常十年近くかかるらしいから、飛鳥には才能があったのだろう。師匠も飛鳥の腕をよく褒めてくれたし、何なら師匠の跡目も継ぐつもりでいた。

「師匠さんってやっぱ厳しいおじいちゃんなの?」
「いや、俺の師匠は気のいい兄貴って感じだぞ。歳もまだ三十七だし」
「髪型はどんな感じ?」
ひろと同じくらいの長さだったな」
「三十七歳の短髪男子か……そりゃあ楽しみだな♡」
「お前は何を期待してんだよ……」

 急に顔を輝かせ始めた大空に溜息をつきながら、店のエントランスへ歩いていく。
 ガラス戸を開けて中へ入る大空に続いて飛鳥も中へ入ると、聞き慣れた来客アラームが鳴った。すぐに奥のほうから店主であり、製作所の責任者でもあり、そして――飛鳥の敬愛する師匠である美濃羽鷹が、急ぎ足に出てくる。

「いらっしゃいませ」

 愛想よく笑った鷹の顔を見て、飛鳥は胸の奥のほうから急に寂しさが込み上げてくるのを感じた。死んでしまったからもう、この人と仕事をすることはできない。もっと学びたいことがあったし、話したいこともあった。だけど何もかもをもう実現できないのだと思うと、悔しくて悲しい。

「何をお探しですか?」
「あの俺、ここに勤めてたあっちゃん……鷲巣飛鳥の友達で」

 大空が飛鳥の名前を出すと、鷹の顔がそれとわかるほど悲しそうに曇っていく。

「そうか、飛鳥の……」
「はい……。あなたがあっちゃんの師匠さんでいいんでしょうか?」
「ああ、うん、そうだよ。美濃羽鷹って言います。君は?」
「鳶川大空です。あの、実は今日、その……あっちゃんの最後の願いを叶えるために来たんです」
「飛鳥の最後の願い?」
「はい。弟のために箏を作れなかったのが一番の未練だって、あっちゃん言ってて……」
「ああ……そうだったな。翼くんの箏を作るための木を探しに山に入って、それで……」

 鷹はますます表情を暗くして、今にも泣き出しそうなそれになる。不謹慎かもしれないが、彼が自分の死を悲しんでくれていることに飛鳥は少しだけ嬉しさを感じてしまった。

「ん? でもそう言ってたって……まるで死んだ飛鳥に聞かされたみたいに言うんだな」
「美濃羽さん……最初に言っておきますが、俺は中二病でも何でもないし、決して冷やかしに来たわけでもありません。今から俺が言うこと、とても信じられないかもしれないけど、全部本当です。だからどうか、真剣に聞いてください」

 大空のただならぬ様子から何かを察したのか、鷹も悲しそうな表情を引っ込めて真剣な顔になる。

「あっちゃんは今俺の隣にいます」

 けれど次の瞬間には豆鉄砲でも打たれたみたいにキョトンとなり、「どういうこと?」と動揺を隠しくれていない上擦った声で大空に訊ねていた。

「あっちゃん、未練があるからかちゃんと成仏できなかったみたいなんです。それでさっき言ったように、弟くんの箏を作れれば成仏できるんじゃないかってことで、材料とか道具を貸していただきたくてここに来たんです」
「いや、でも……えっ?」
「さっきも言ったけど俺は中二病じゃないし、冷やかしに来たわけでもありません。どうしてか知らないけど今のあっちゃんは俺にしか見えないし、俺としか会話もできないみたいなんです。あと物に触れることもできないから、手紙を書くこともできないし……だからあっちゃんの代わりに俺が頼んでるんです」

 大空は至極真剣だ。けれどやはり鷹のほうはとても素直に信じられないというような、怪訝そうな顔をしている。

「とても信じられるような話じゃないかもしれないけど、本当に本当なんです。どうかあっちゃんの最後の頼みを聞いてあげてください」
「そ、そう言われてもな~……」
「あっちゃんがここにいるっていう証明として、あっちゃんしか知らない美濃羽さんの秘密を暴露するって言ってます」
「俺の秘密?」
「はい。美濃羽さんは……昔箏教室に通ってた頃……同じ教室の先輩であるあっちゃんのお父さんに……片想いをしていた……ってええっ!? そうなの!? つーか美濃羽さんはゲイなのか!?」
「うわあああ! どうしてそれを知ってるんだ!?」
「だってあっちゃんが隣で言ってるから……」
「ホ、ホントに飛鳥がそこにいるのか!?」
「まあまあふてぶてしい顔してここに立ってますよ」

 ふてぶてしい顔をした覚えはないが、この場において一人冷静ではあると自覚している。

「あっちゃんが生前に俺にばらしたわけじゃないですよ。そもそも俺は生前のあっちゃんを知りません。出逢ったのは死んでからなので。何なら弟くんに俺のこと確認してくれてもいいですし」
「……そ、そこまで言うなら本当に飛鳥はそこにいるんだろう。飛鳥が俺の秘密を他人にベラベラと喋るとは思えないし、君のリアクションもなんかリアルな感じだからな~……」

 案外あっさり信じてもらえたことに安堵しながら、飛鳥は鷹に再会したら言わなければならないことがあったことを思い出す。それを言わないままにしていたら、また心残りが一つ増えてしまうことになるだろう。

「鷹さん」

 もう飛鳥の声を直接届けることはできないので、大空を介してそれを伝える。

「その……すみませんでした。ドジ踏んで死んじまって、すげえ迷惑かけちまったなって」

 仕事中の事故だったから、当然責任者である鷹にも大変な思いをさせてしまっただろう。それがひどく申し訳なかった。

「ここでの仕事も鷹さん一人じゃ大変だろうし、やりかけの俺の分の仕事もきっと鷹さんがやってくれてるんですよね? 本当にすみません……」
「謝るのは俺のほうだよ、飛鳥」

 鷹は優しい顔でそう言った。飛鳥の姿は見えていないはずだが、その男らしい一重の瞳と目が合ったような気がした。

「俺が責任者なんだから、あのとき俺がちゃんと飛鳥を止めなきゃいけなかったんだ。本当にごめんな。まだ若いのに、これからいろんな明るい未来が待ってただろうに……俺がそれを奪ってしまった」
「鷹さんのせいじゃないですって! あれは俺のミスです。俺が欲張りだったんです。翼のためにと思って無茶なことして……」

 もしもあの瞬間に戻れるなら、絶対にあんなことはしなかった。確かに箏を作るのにはかなりよさそうな木だったが、もっと安全な場所にも同じようなのがあったはずだ。

「こんだけ迷惑かけといて、死んでから更に迷惑かけることになってすげえ申し訳ないんですが、どうしても翼のために箏を作りたいんです。そのためにどうか、道具と場所を貸してください」
「それは構わないけど、飛鳥は物に触れないんだろう? それでどうやって箏を作るんだ?」
「実際の作業は大空に代わりにやってもらいます。未経験だけど大はすげえ器用みたいなんで、俺が手取り足取り教えてやればどうにか形になるんじゃないかと思ってます」
「う~ん……なかなか難しいような気がするけど、最初から諦めるのはよくないな。よし、なら俺もできる限り協力するよ」
「マジっすか!?」
「ああ。可愛い一番弟子の最後の頼みだからな」

 鷹が協力してくれるのは心強い。飛鳥が手取り足取り教えると言っても、物に触れられない以上はできることに限界があるだろうし、鷹なら大空に見本を見せることも可能だ。

「じゃあさっそく始めるか? 飛鳥が使ってた道具もそのままにしてることだし、いつでもいいぞ」



 飛鳥たちの箏作りはまず、二、三年の乾燥期間を終えた桐木の中から使用するそれを選ぶことから始まった。もちろん選ぶのは飛鳥の役割である。鷹の厚意でどれでも好きなものを選んでいいと言われたので、本来ならこの製作所の中でも極上の一台を作るのにしか使われない、柾目でかつ原木の表面に近かかっただろうものを遠慮なく選ばせてもらう。こんなに状態のいい素材は貴重とされているが、人生最後の箏作りに妥協はしたくなかった。
 鷹の勧めでそれほど状態のよくない木も練習用として選び、建物の中に持って入る。いつも使っていた飛鳥の作業スペースは、最後に見たときと何も変わっていなかった。道具の配置や作業台の様子、そのままにしておいてくれていたことにひっそりと嬉しさを噛み締める。

「馬鹿だよな、俺」

 鷹が独り言ちるように呟いた。

「いつか飛鳥がふらっと戻って来るんじゃないかと思って、ここを弄らずに置いてるんだ。そんなこと、ありえないのにな。まあそのありえないことが今まさに起きてるんだけど」
「鷹さん……」

 鷹は悲しそうな顔をしたあとに、今度はパッと表情を明るくした。

「さあ、まずは練習だね。とりあえず俺が手本を見せるから、真似しつつ細かいところは飛鳥の指示に従ってやってみるといいよ」
「了解です」

 鷹の進行どおり、大空に甲羅取りの見本を見せるところから始まり、そして実際に練習用の木を使って作業を行う。原木は乾燥にかける前にすでに箏の形に伐ってあり、その表面の荒を取った上で曲線部分を規定の丸みに加工するのが甲羅取り、あるいは甲削りと言われる作業である。
 甲羅取りには鉋を使うが、本来平面になっているはずの鉋の底部には少しだけカーブが入っている。使い勝手は普通の鉋と変わらないが、こちらのほうが綺麗な丸みを作るのに適していた。
 大空は、鉋の扱いにはずいぶんと慣れているようだった。ひょっとしたら家具作りでも同じ道具を使うのかもしれないし、工業高校時代に似たような作業をやったことがあるのかもしれない。飛鳥の指示もきちんと理解し、あっという間に吸収していく。練習用の木を綺麗に加工し終わると、本番用のそれもまた更に形よく仕上げ、問題なく次の中削りへと進むことができた。
 中削りでは裏板を専用の道具でくり抜き、再び鉋を使って形を整える。甲羅取りよりも複雑な作業だったが、ここでも大空の器用さが光った。

「大ってホント器用だな。中削りは俺もうちょい苦労したぞ」
「う~ん……まああっちゃんが細かく指示出してくれてるからな~。その通りにやれば上手くいってるって感じなんだけど」
「普通は指示されたことをそんなに忠実に再現できないんだけどな。お前すげえよ」

 褒めれば照れたようにはにかみ、けれど次の瞬間には生真面目な顔になって作業の続きに取りかかる。こうして真剣に作業をしている大空の様子は、硬派な好青年に見えなくもなかった。
 中削りが終わると一度休憩に入る。大空は持って来ていたペットボトル入りのスポーツドリンクを呷ると、はあ、と大仰に息を吐いた。

「箏作るのって大変だけどおもしろいな」
「楽しんでもらえてるみたいで何より」

 大空が嫌々やらされているなら頼み込んだ飛鳥も心が痛んだが、そうでないならとりあえず安心だ。

「あと鷹さんめっちゃカッケーな!」
「だろ? 国内の箏職人の中でも一、二を争うような人なんだが、それを鼻にかけたりしないし、理不尽に怒鳴り散らしたりもしねえ。あの人に弟子入りできて本当によかったって心の底から思ってる」
「いや、もちろん箏作ってるとこもカッケーんだけどさ、何より俺顔がタイプだわ」
「そっちかよ……」
「身体も何かエロそうな感じするんだよな~。あっちゃんは鷹さんの裸見たことねえの?」
「上半身なら見たことある」
「腹筋割れてる? 毛の濃さとかどんなもん? あと乳首の色とか知りたい!」
「何でそんなこと教えなきゃいけねえんだよっ」

 師匠に関心を持たれるのは嬉しいことのはずなのに、急に鷹を持ち上げ始めた大空に飛鳥は少しおもしろくないような思いがしていた。今朝はあんなに飛鳥に甘えてきたくせに、他に魅力的な男がポッと出てくるとすぐにそっちに気持ちが向かってしまうなんて、やっぱりこの男は軽薄なのかもしれない。

「……そんなに鷹さんが気に入ったんなら、鷹さんと付き合えば」

 大空も鷹もゲイだから、お互いが好みの範疇なら、恋人になることになんら支障はないだろう。わざわざ飛鳥に固執する必要はない。だけど本当にそうなってしまったらそうなってしまったで、ものすごくおもしろくない思いをするだろうことは想像に難くなかった。付き合えば、と今言ったのは、単なる癇癪だ。大空が鷹を持ち上げるのが気に入らなくて、感情的に口走った言葉だった。子どものような態度を取ってしまった飛鳥が、鷹よりも男として魅力的だということはまずないだろう。

「俺、付き合うならあっちゃんのほうがいいよ」

 けれど大空は飛鳥の予想とは異なる答えを返してきた。

「あっちゃんのほうがカッコいいし、一緒にいるとすげえ楽しいし」
「そ、そうなのか……?」
「うん。そりゃ鷹さんも捨て難いけどさ、どっちか片方しか選べねえんなら俺は普通にあっちゃんを選ぶよ。あ、でも鷹さんも入れて3Pとか大歓迎ですわ♡」
「変な想像するんじゃねえ!」

 文句を付けながらも、大空の中で自分が鷹よりも上だという事実にひっそりと安堵していた。どうして安堵しているのかは自分でもよくわからない。大空が鷹に惚れ込んでしまうと、自分が居場所を失ってしまう可能性があったから? それも理由の一つだとは思うが、もっと別の、何か本能的な部分で作用するものが自分の中にあるような気がする。
 けれど飛鳥は深く考えることをしなかった。気づきかけたそれに見ないふりをして、大空との会話にまた戻る。

「つーかさ、鷹さんにあっちゃんのことばらすんだったら、箏作るのも鷹さんに頼んだほうがよかったんじゃね? 俺が作るよりよっぽど質のいいもんができるだろ?」
「それじゃほぼ鷹さんのオリジナルになっちまうじゃねえか。俺の意思が入る隙がほとんどねえ。その点大は箏作りに関しては真っ白の状態だから、俺の色に染めることができる」
「俺の色に染めるって……何かエロいね♡」
「真面目に言ってんだよ! 茶化すんじゃねえ! とにかくまあ、俺がいちいち口出しながら作ってもらってるから、間接的に俺が作ったことになるんじゃねえかって言いたかったんだよ」
「まあ確かにあっちゃんの指示通りにやってるから、どっちかっつーと俺じゃなくてあっちゃんのオリジナルだよね」

 本当は自分の手で丹精込めて作りたかったが、触れられないから仕方ない。
 十五分ほどの休憩を終えると、今度はさっき中削りをした裏面に、鑿を使って綾杉模様を彫る作業に取り掛かる。綾杉模様は音響に影響すると言われているが、模様そのものは職人によって少し違いが出る。見習い時代は鷹のそれを必死に真似ていたが、今はそれとは少し違う、飛鳥オリジナルの模様に変化していた。
 どういうふうに彫るか鉛筆で線を引かせ、その線に向かって浅く彫る。最初は彫りの深さにばらつきがあった大空だが、しばらくするとコツを掴んだのか、等しい深さで模様を付けられるようになっていた。
 練習と本番で合わせて二時間近くかかったが、速さよりも丁寧さを優先したおかげで綺麗な綾杉模様が彫り上がった。



 その日の作業はそれで終わりにし、鷹に礼を言って帰宅する。
 慣れない作業をして疲れたのか、大空は二十一時頃になると寝ると言ってベッドに入った。飛鳥も起きていてもどうしようもなかったから、大空の隣で横になる。けれどやっぱりなかなか眠くならず、時々小さないびきを掻く大空の寝顔を眺めていた。
 飛鳥の手足となって働いてくれた大空には感謝してもしきれない。せっかくの休日だし、大空にも他にやりたいことがあるだろうに、その時間を飛鳥のために割いてくれている。文句の一つも言わずに付き合ってくれている辺り、本当にありがたくて頭が上がらなかった。
 飛鳥は自分にくっついて眠る大空の頭を撫でた。こんなことしかしてやれないのが悔しい。せめてバイト代でも渡せられればよかったのだが、それすら今の飛鳥にはできなかった。
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