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第一章 降龍の谷と盗賊王
第十一話 討伐軍
しおりを挟む呂興将軍の屋敷の中を、血相を変えた伝令兵が走っていた。
将軍の前で膝を折り、急いで拱手する。
「刺史暁塊様の一行が、盗賊団に襲われた模様です…!重傷者はありませんが、金品は殆ど奪わたとの事…!」
将軍は伝令を見下ろし、眉を寄せた。
「…暁塊殿は、どうした?」
「それが…暁塊様の安否については…」
言い終わらない内に、次の伝令が駆け付けて来た。
「刺史暁塊様が、こちらの屋敷へ、向かわれております!」
暁塊は、小雨が降りしきる中、屋敷の門前で馬を乗り捨てると、門衛が声を掛ける間も与えず、憤然としながら門を潜った。
「師亜を始末しろと、あれ程申しておいたのに…!一体何をしておられたのか!?」
恰幅がよい暁塊は、大きな体を揺すり、濡れた髪を振り乱したままで、将軍の前まで来ると、吠える様に言った。
「大体、龍昇殿自らわしを迎えに来ず…貧弱な護衛兵など寄越すとは、言語道断であろう…!」
「昨夜この邑にも盗賊が現れ、警備を強化させている最中。某も何かと忙しく、そんな事に手を割いている暇は無かったもので…」
将軍は、悪びれる様子も無く答えた。
「そんな事だと…!わしは、朝廷から拝命を受けて参った、正式な使者だぞ…!」
暁塊は、鋭く将軍の顔を睨みつけたが、将軍は怯む所か、冷ややかな眼差しで睨み返して来る。
二人は暫く睨み合っていたが、次第に暁塊の額に、汗が浮かび始めた。
「師亜は、我々が必ず始末する。」
やがて将軍が口を開くと、ようやく緊張が解けた様に、暁塊は目を逸らした。
「二度と失敗は許されぬ…!肝に良く銘じておく事だな…!」
暁塊はふてぶてしく言い捨てると、将軍に背を向け、
「ふんっ…豎子めが…!」
と呟き、額の汗を袖で拭いながら、大股で歩き去った。
遠ざかる暁塊の姿を、苦々しく睨みながら、将軍は配下の将に命じた。
「兵を集めよ…!討伐軍を結成する…!」
「討伐軍が結成されるぞ!」
兵舎に集まった、呂興将軍の配下武将たちは、色めき立った。
「将軍自ら指揮なさるのか?誰が副将に任命されるんだ?」
「さあ、まだ分からぬ…」
「俺たちに、兵を預けてくれれば、功を上げられるんだがなあ…!」
等と、皆口々に話していた。
彼らの後方で、陵牙も落ち着き無く、そわそわとしている。
「俺たちにも、機会が与えられるかもしれぬ…そうなれば、昇格する事間違い無しだ!そうは思わないか?!」
陵牙は興奮気味に、奉先に語り掛けて来る。
「ああ、そうだな…だが、師亜は簡単に倒せる相手では無いであろう、危険だぞ…」
陵牙のやる気は認めるが、奉先が見る限り、彼は余り戦に向いている様には思えない。
増して、師亜の相手になる様な、武術の腕前も無いであろう。
奉先としては、陵牙に討伐軍に加わって欲しく無い、という思いがあった。
「盗賊など怖れていては、名が廃るというものよ!」
奉先の思いとは裏腹に、陵牙はやる気を見せて、胸を叩いた。
奉先は、軽く失望を感じながら、苦笑いを返すしか無かった。
「おい!馬当番…!お前たちだ!」
その時、先輩の武将がそう叫びながら二人の方へ近付いて来た。
「将軍の馬が、厩舎から脱走した…!お前たち、連れ戻して来い!」
「え…?!お、俺たちが…ですか?」
陵牙が驚いて答えた。
「何だ!?文句があるのか!さっさと行け!」
「でも…俺たちは…」
陵牙が渋っていると、奉先が彼の肩を叩いた。
「仕方が無い…行こう!」
そう言って、走り出す。
陵牙は、渋々奉先の後を追い、兵舎から出て行った。
外は相変わらず、小雨が降っている。
雨足は然程強くは無く、霧雨の様な雨だった。
道には、馬が走ったであろう蹄跡が残されている。
湿った地面を踏み締めながら、二人は邑の通りを走った。
「…ったく、自分たちが逃がしたくせによぉ…!何で俺たちが、こんな事を…」
陵牙は、ひたすら慨嘆を繰り返している。
その時、通りの向こうから悲鳴が聞こえ、声の方を振り返ると、祭りの出店が建ち並ぶ辺りで、色々な物が飛ばされて行くのが見える。
「いたぞ、あそこだ…!」
奉先は、陵牙の肩を叩いて、店の建ち並ぶ通りの方へ走った。
出店の人々が、暴れる馬の手綱を取って、何とか止めようと試みているが、その大きな黒い馬は、全く言う事を聞かない。
何人もが馬に蹴られては、出店に突っ込んでいる。
「げっ…!最悪だ、あの馬は"黒竜"と言って、将軍の一番のお気に入りなんだが…とにかく気性が荒くて、誰にも懐かない馬なんだ…!」
そう言っている間にも、黒竜は手綱を掴んだ人物を跳ね飛ばし、こちらへ向かって、再び走り出した。
「気を付けろ!危ないぞ!!」
誰かが叫んだ。
人々は悲鳴を上げながら、四方八方へ逃げ去って行く。
逃げようとする人波に揉まれ、一人の少女が路上に倒れ込んだ。
黒竜は、嘶きを上げながら、真っ直ぐに向かって来る。
咄嗟に、奉先は地を蹴って疾走し、少女をその場から攫う様に、腕に抱き抱えた。
黒竜の巨体が、二人の真上を掠める様に飛んだ。
少女を抱えた奉先は、そのまま転がる様に、向かいの店先に突っ込んだ。
背中を激しく打ち付け、思わず呻いたが、直ぐに体を起こし、倒れた少女を助け起こす。
「おい…!大丈夫か?!」
少女は一瞬、何が起こったのか分からないと言う顔で、奉先を見上げたが、自分の懐の辺りを手で探った後、慌てて辺りを見回し始めた。
何か、落としたか…?
そう思った奉先が、辺りを振り返って見ると、地面に散乱した店の品物に紛れて、書簡らしき物が落ちている。
奉先がそれを拾い上げると、少女は慌てて、その書簡を奉先の手から奪い取った。
少女は直ぐ様立ち上がり、衣服の汚れを払う事も無く、その場から逃げる様に走り去って行く。
「……?」
奉先は少女の行動に違和感を感じつつも、その後ろ姿を黙って見送った。
あの子は…確か、昨日出会った娘ではないか…?
「おい!奉先…!あっちだ!!」
陵牙が叫んで、広場のある方向を指差し、走り出す。
はっとして我に返った奉先は、急いで陵牙の後を追い、広場の方へ向かった。
広場には、大勢の人々が人垣を作っていた。
その輪の中心に閉じ込められた黒竜は、激しく嘶きながら、輪の中を走り回っている。
やがて、広場に到着した陵牙と奉先は、人垣を掻き分けて輪の中へ入り、暴れる黒竜を宥めようと、二人で黒竜の進路を塞ぐ。
黒竜は一度竿立ちになり、嘶きを上げたが、前脚を地に着けると、急に大人しくなった。
「やったぞ、奉先!今の内に、手綱を取る!黒竜の気を引いていろよ!」
「良し、わかった!」
陵牙は、そろりと奉先から離れると、ゆっくりと黒竜の背後に近付く。
黒竜の首の動きに合わせて、奉先は両腕を広げ、それ以上前に進めぬ様、気を配った。
黒竜は、前脚の蹄で何度か地面を掻いたが、やがて首を大きく振り、鬣から覗く左目で、鋭く奉先を睨んだ。
次の瞬間、黒竜は勢いよく地面を蹴って、奉先目掛けて猛烈に突進した。
「!?」
奉先は、避ける間も無く、黒竜の強烈な体当たりを喰らい、彼の体は宙を舞った。
「ほ、奉先…!!」
陵牙はその光景を、ただ呆気に取られて見ていた。
悲鳴を上げながら、人垣が割れたその先に、人工的に造られた大きな池がある。
その池の中へ、大きな水飛沫を上げながら、奉先の体が飛び込んだ。
陵牙は慌てて、池周りを囲む大きな岩に取り縋った。
すると黒竜は、今度は陵牙目掛けて体当たりを食らわし、勢い余って、陵牙も池の中へ突き落とされた。
池は然程の深さは無く、二人は池の中で体を起こし、水を吐き出したが、鼻から水が入り、激しく噎せ返った。
奉先が顔を上げると、割れた人垣から飛び出した黒竜が、嘶きを上げながら、再び走り去って行くのが見える。その姿は、次第に遠ざかって行った。
二人は呆然として、ただその姿を見送っているだけであった。
それから、二人はお互いの顔を見合わせたが、いきなり奉先が吹き出した。
それに釣られて、思わず陵牙も笑声を放った。
「ふっ…ははは!あっはっはっはっ…!!」
「あーはっはっはっはっはっはっ!!」
二人は池の水の冷たさも忘れた様に、腹を抱え、肩を大きく揺すって笑った。
辺りを取り囲んだ邑内の人々は、二人を訝しそうに見ていたが、やがて集まって来た童子たちが、二人を指差して笑い始めると、周りの大人たちも、一様に笑った。
結局、黒竜には逃げられ、不首尾に終わった二人は、ずぶ濡れのまま、仕方なく厩舎へ向かった。
二人が門を潜ると、先輩武将が二人を見咎め、走って来る。
「お前たち…!何をやっていたんだ!馬は既に厩へ戻っておるわ…!」
「え…!?」
二人は呆気に取られて、お互いを見合わせた。
走って厩の中を見ると、黒竜は既に馬柵の中に入れられ、大人しく飼葉を食んでいる。
「腹が減って、自ら戻って来おったわ…!この馬鹿共!祭りは台なしだ!お前たちは邑民たちの良い笑い者だぞ!!」
先輩は声を荒げ、二人を激しく罵った。
「もう良い!さっさと兵舎へ戻って、風呂へでも入れ!」
先輩に怒鳴られながら、二人は渋々厩舎を後にした。
「討伐軍からは外され、馬にまで馬鹿にされるとは…本当にツイてないぜ…!」
風呂から上がり、裸のままの陵牙は、濡れた衣服を竿に掛けながら、深い溜息をついた。
「構わぬではないか…討伐軍になど加わら無くても、他に仕事は幾らでもあるだろう。」
奉先も陵牙の隣に、濡れた衣服を掛ける。
「お前は、それで良いかも知れぬが…俺は嫌だ…!功を上げ、将軍に認めて貰いたいのだ!」
「………」
悔しがる陵牙を、奉先は黙ってじっと見詰めた。
やがて奉先が室内から出て、廊下を歩いていると、後ろから男に呼び止められた。
振り返って見ると、将軍の側近二人が立っている。
「将軍がお呼びだ。直ぐに着替えて参れ。」
そう言って、奉先に急ぐよう指図した。
二人の側近に付き添われ、奉先は呂興将軍の屋敷へ向かった。
雨はいつの間にか上がり、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。
側近が持つ炬火の明かりだけが、道を照らしている。側近の二人は、終始無言であった。
奉先もただ押し黙って、二人の後を付いて歩いた。
やがて屋敷に着くと、直ぐに将軍の待つ部屋へ通された。
室内に、将軍と奉先の二人きりになると、将軍が口を開いた。
「街での事は聞いたぞ。黒竜を捕らえ損なったそうだな…」
将軍は薄明かりの中で、微笑した。
「…はい…」
奉先は、どこか気まずい空気を感じながら答えた。
「まあ、心配するな。汚名返上の機会を与えてやる。」
そう言うと、将軍は奉先に床の筵へ座るよう手で指示する。
「お前には、討伐軍に参加して貰う。」
「討伐軍に…?」
奉先は複雑な面持ちで俯いたが、やがて顔を上げた。
「それなら、陵牙を連れて行っては如何です?」
「陵牙…?ああ、あいつか…あいつに兵を指揮する能力は無い…!」
将軍はきっぱりと言った。
「それに、この任務はお前でなければ、駄目だ。お前の任務は、師亜暗殺だ…!」
「暗殺……!」
奉先の表情は曇った。
「師亜を、確実に仕留めねばならぬ…!それが出来るのは、お前を措いて他には居ない…」
将軍は静かだが、鋭い眼光で奉先を見据えている。
奉先が、気乗り薄な様子である事を見抜いている将軍は、更に言葉を続けた。
「この任務を成功させれば、お前の一番欲しい物をやろう…」
奉先は、微笑する将軍の目を見詰めた。
「…自由だ!お前をわしの下から、解放してやる…!」
その言葉に、奉先は思わず瞠目した。
「だが、しくじれば…一生わしの配下となり、命に従って貰う…!」
将軍はどうだと言わんばかりに、問い掛ける眼差しを送って来る。
奉先は、暫く押し黙って、将軍の目を見据えた。
「俺に…選択の余地など、あるのですか…?」
それを聞くと、将軍は白い歯を見せて笑った。
「それもそうだな…!これは極秘任務だ…決して他の者に漏らしてはならぬ…!」
そう言うと将軍は席を立ち、奉先を残したまま、部屋を出て行った。
薄暗い部屋に取り残された奉先は、沈黙の中で、ただ虚空を見詰めていた。
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