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第四章 皇帝の崩御と激動の刻
第四十五話 嵐の決闘
しおりを挟む建陽のその言葉に、今度は龍昇が嘲笑った。
「お言葉を返す様だが、丁将軍…以前あなたと手合わせをした時、わしはまだほんの子供だった。あの頃より、あなたは年老い、わしは壮年に差し掛かったばかりである。その様な勝負は無意味だと思われるが…?」
「ならば、お前は何の憂いも要らぬであろう。どうする?やるのか、やらぬのか?!」
建陽は酔眼を鋭く光らせ、龍昇を睨み付ける。
「お、叔父様、冗談はやめて!お酒の飲み過ぎだわ…!」
隣で玲華は、狼狽え焦りながら、叔父を宥めようとしている。
龍昇は暫し黙考した。
酒の席とはいえ、此処で公言するからには立派な果たし合いである。
例え建陽を殺したとして、言い出したのは相手である。自分が罪に問われる心配も無い。
建陽が死ねば、玲華を手に入れるだけで無く、彼の兵士たちも自分の兵として取り込めるであろう。
悪い話では無い…
龍昇は口元を歪めて不敵に笑うと、
「良かろう、受けて立つ!」
と、広間に響き渡る大声を放ち、建陽に言い返した。
「良し、では決まったな…真剣勝負と行こう!それと、もう一つ条件がある。」
「条件…?」
皿に盛られた肉を口へ運びながら、建陽は話している。
龍昇はその姿を、怪訝な眼差しで見詰めた。
「そうだ。もし、わしが勝った場合だ…」
そう言うと、すっかり肉を食べ尽くした骨を皿に放り投げる。
「その場合…わしは、その子を貰おう!」
建陽が指で指し示す先を、龍昇は振り返った。
彼が指しているのは、隣に座る奉先である。
困惑した顔を上げ、瞠目した奉先は思わず息を呑んだ。
「奉先を…?」
「そうだ…!どうした?弟を取られるのが心配になったか?わしは、可愛い姪を差し出すと言っておるのだ。そのぐらいは当然であろう!」
龍昇は少し驚きを示したものの、建陽を振り返ると、直ぐに不敵な笑いを浮かべた。
「あなたが、長年妻を娶らぬのは、男色が理由であったとは…」
その言葉に、周囲からくすくすと忍び笑いが漏れ聞こえる。
建陽は目を細め、まるで他人事の様に自らも声を立てて笑った。
「何、わしもそろそろ跡継ぎが必要だと思ってな…養子を取りたいと、考えていた所だ。」
笑いを収めた建陽は、鋭い眼差しを奉先に向けた。
奉先は戸惑いを隠し切れない様子であったが、眉間に皺を寄せ、顔を顰めて建陽を見詰め返している。
あの日、野営地を払って此処へ向かう事を彼に告げた建陽は、玲華の願い故仕方が無いが、送り届けた後は一切関わりを持たぬと約束するよう、彼に念を押して言って来たのである。
何故急に心変わりをし、その様な事を言い出すのか…
彼には、建陽の真意が測り兼ねていた。
やがて龍昇は、ふんっと小さく鼻で笑い、建陽を睨み据えた。
「良かろう…あなたが勝てば、奉先は差し上げる!一日猶予を与えよう…勝負は二日後に行う。異存は無いか?」
「勿論だ!」
不敵に告げる龍昇に満面の笑みを返しながら、建陽は良く通る大声で答えた。
「叔父様!どうしてあんな無茶な約束をしたの!?」
宴が果て、宿舎へと向かう道程を、ほろ酔いで歩く建陽に走り寄った玲華は、彼に掴み掛からんばかりの勢いで尋ねた。
「あいつは、一度目を付けた物を簡単に諦める男では無い…黙ってお前を奪われるくらいなら、戦って決着を付けた方がましであろう…!」
建陽は夜空に浮かぶ青白い満月を、憂いを帯びた眼差しで見上げる。
「お前を娶る男は、わしより強くなければ話にならぬ。もし、わしがあいつに斃されたら…お前は一生、あの男に付いて行けよ…」
「そんな…」
玲華は瞳を潤ませて、彼の横顔を見詰めた。
「丁将軍…!」
その時、背後から従者たちを掻き分け、奉先が二人に走り寄った。
「兄上は、本気であなたを斃す積もりでいる。兄上は誰よりも強く、あなたの敵う相手では無い…!どうしてもと言うなら、俺があなたの代わりに戦いましょう!」
奉先は二人の前に立つと、自分の胸に手を押し当て、真っ直ぐに建陽の瞳を見詰めながらそう言った。
「お前があいつと戦うなど、本末転倒であろう!それに、まだ傷が癒えておらぬではないか。それでは本気で戦う事も出来まい…」
建陽は苦笑を浮かべ、奉先の肩を軽く叩く。
「しかし…!」
言い掛けた奉先を手で制す。
「わしにあって、あいつに無い物が何か、分かるか?」
「…え?」
突然の問い掛けに、奉先は困惑した。
「心配する事は無い…それが何か、教えてやる。」
そう言うと建陽は目を細め、奉先を見詰めながら微笑した。
それから二日後は、朝から時折小雨が落ちる薄暗い日となった。
空は黒く厚い雲に覆われ、強い風が邑を吹き抜けている。
どうやら嵐が近付いているらしい。
邑内の店や建物は全て固く門を閉ざし、外を出歩く人影も疎らである。
強風が宿舎の戸をがたがたと鳴らした。
室内の建陽は、防具を身に纏い剣を佩くと、暗澹たる空の下へ足を踏み出し、宿舎の門を潜った。
門の外では玲華をはじめ、彼の配下たちが心配そうな面持ちで待っている。
建陽は彼らの顔を一度ぐるりと見回し微笑を浮かべた後、龍昇の待つ広場へと向かった。
その頃広場では、龍昇が配下の将たちをずらりと整列させて待っていた。
周りには更に、武装した兵士たちも立ち並んでおり、物々しい雰囲気を醸し出している。
一陣の風が吹き荒れ、湿った冷たい空気が広場へ流れ込むと共に、建陽が数名の配下を引き連れ姿を現した。
「待たせたな…!」
彼は余裕の表情で、龍昇とその隣に立つ奉先の前へとゆっくり歩み寄った。
彼の後ろからは、玲華と数名の配下が従っている。
龍昇が玲華に微笑を向け、
「玲華殿、あなたがわしの妻になる日が楽しみだ…」
と、甘い口調で言うと、それに対し顔を真っ赤に染めた玲華は、龍昇を上目遣いで鋭く睨み付けた。
奉先は眉を顰め、何かを言いたそうな目で建陽を見ている。
そんな彼に視線を送ると、建陽は目元に微笑を浮かべ僅かに首を縦に動かして小さく頷いた。
龍昇の配下が、広場に設置された大きな銅鑼を鳴らし、試合開始の合図を送る。
互いに剣を構えて対峙していた二人は、それを合図にほぼ同時に地面を蹴り、互いの剣を交差させた。
激しい火花が飛び散る。
龍昇は上段から攻め掛かり、建陽がそれを弾くと、次に素早く下段へと剣を走らせる。
その速さは尋常では無い。
だが、既にそれを躱し、今度は建陽が首筋を狙った素早い突きを繰り出す。
その攻撃を避け、龍昇は咄嗟に地を蹴って後方へと退いた。
その場の全員が、二人の戦いを固唾を呑んで見守っている。
再び龍昇が攻撃を仕掛ける。
彼は宝剣を閃かせ、疾風の如く建陽に迫ると、風を切る勢いで剣を振る。
建陽はその攻撃を巧みに躱したが、次の瞬間、突き出された剣刃に胸の防具を斬られ、留め具を破壊された。
龍昇は攻撃の手を緩める事無く、今度は素早く建陽の喉元を狙った。
が、その攻撃は建陽の刃が阻み、二人は剣を交差させ互いに押し合う。
二人の剣が擦れ合い、ぎしぎしと鳴った。
二人は額に汗を浮かべ、互いに睨み合う。
僅かに舌打ちをした龍昇は、さっと建陽の胸元から跳び退った。
「中々やるではないか、小僧!」
建陽は壊れた防具を脱ぎ捨て、苦笑いを浮かべながら龍昇に呼び掛けた。
龍昇は眉を吊り上げ、歯噛みをした顔を建陽に向けている。
周りで見ている者たちには、そこまで終始、龍昇が押している様に見えていた。
だが、彼は面白くない顔で再び剣を構え直す。
少し敵を侮ったか…
龍昇としては、もっと早くけりを付ける積もりであった。
だが予想外に、建陽はしぶとく食い下がり、彼の攻撃を巧みに捌いている。
彼には、建陽がまだ本気を出していない事も分かっていた。
老当益壮とは、正にこの事であろう。
建陽は以前と変わらぬ所か、その強さは更に、冷静沈着と質実剛健を備えている。
自分が彼の掌で弄ばれていると感じると、龍昇は無性に腹が立った。
苛立っているな…
建陽は口元を僅かに緩め、ふっと笑った。
それを見ると、龍昇は目を瞋らせ、湿った地面を蹴って再び打ち掛かった。
下段構えから地面を這う様に剣を走らせ、一気に振り上げる。
その瞬間、僅かに地に触れた剣先が、数粒の小さな小石を跳ね上げ、それが砕けて建陽の目の前に飛び散った。
それを咄嗟に左手で防ぎ、建陽は素早く身を躱したが、一瞬怯んで後退る。
その機を逃さず、龍昇の鋭い突きが飛んで来た。
危ないっ…!
奉先は思わず身を乗り出し、叫び声を上げそうになった。
同時に、それを見ていた玲華も大きく息を呑み、両手で自分の顔を覆う。
龍昇の剣は、建陽の胸を貫いたかに見えた。
だが、建陽は素早く上体を反らしながら剣刃を際どく避け、片手を地面に突くと、立ち上がり際に鋭い蹴りを繰り出し、龍昇の顎を狙って放つ。
龍昇はそれを、右腕で防御したが、体勢を崩され思わず身を引いた。
今度は立ち上がった建陽の方から仕掛ける。
二人は数合に渡り、火花を散らして打ち合った。
鋭く重い斬激が龍昇の剣を圧倒する。
両手で自分の胸元を押さえ、肩で激しく呼吸をしている玲華は、最早立っているのもやっとな状態である。
「玲華殿、しっかり…!」
背後から文遠が駆け寄り、玲華の両肩を強く支えた。
やがて暴風と共に、大粒の雨が落ち始めた。
瞬く間に豪雨へと変わる。
二人は互いに距離を置き、再び剣を構えて対峙し睨み合っていた。
激しい雨風が視界を遮って行く。
吹き荒れる雨粒が二人の剣刃に当たり、甲高い音色を奏でている。
それが暴風によって掻き乱された瞬間、二人は同時に剣を突き出した。
龍昇の剣は雨粒を切り裂きながら、建陽の心臓を狙って真っ直ぐに突き進む。
建陽の剣もまた、龍昇の心臓へ向かって走った。が、互いの剣が交差する瞬間、建陽は素早く剣把を逆手に握り返し、迫り来る刃を躱しながら、龍昇の右腕を斬り付けた。
「……!!」
腕を斬り付けられた龍昇は、咄嗟に傷口を押さえ、信じられないといった表情で建陽を振り返った。
傷はそう深くは無かったが、彼の着物の袖は見る間に赤く染まる。
龍昇の刃もまた、相手の胸元を斬り付けており、建陽の着物は裂け血が滲み出す。
だが建陽は平然とした表情で、再び剣を構えた。
「おのれ…!」
龍昇は小さく呻きながら、再び雨粒を切り裂き、建陽に挑み掛かる。
二人が激突した瞬間、激しい水飛沫が立ち昇った。
互いの剣がぶつかり合う毎に、切り裂かれた雨粒が飛沫となって辺りに飛び散り、剣の道筋が鮮やかに映し出される。
その光景はまるで、湖面の上を舞い踊るかの如くであった。
数合打ち合った後、やがて握る力を失った龍昇の右手から、渾身の力で打ち出された建陽の一撃によって、跳ね上げられた宝剣が天高く舞い上がった。
宝剣は激しく回転しながら落下し、泥濘んだ地面に突き立つ。
龍昇は思わず片膝を泥濘みの中へ突き、その場に崩れ落ちた。
その瞬間、誰一人として声を上げる者は無かった。
その場にいた全員が、息をするのも忘れている。
強く剣把を握ると、建陽は剣刃を高く振り翳し、一気に龍昇の首筋を狙って振り下ろした。
だが、剣刃は彼の首を切断する事は無く、既の所でぴたりと止まっている。
龍昇は鋭い目を上げて、建陽を睨み付けた。
「龍昇…わしにあって、貴様に無い物が何か…分かるか?」
「…?!」
その問い掛けに、龍昇は怪訝な様子で眉を顰める。
後方で二人を見ていた奉先も、はっとして建陽を見詰めた。
「それはな…執念だ…!決して負けられぬという、強い思いだ。愛し護らねば成らぬ物が、わしには有る…!」
建陽はそう答えると、龍昇の首筋から一度剣を引いた。
「お前は、誰かを護る為に命を懸けて戦った事が有るか?無いであろう…!お前は、自分以外の者を決して信用せぬ。故に、人を愛するという事が出来ないからだ…!人を愛さぬお前が、わしに敵う事は決して無い!」
龍昇は建陽の言葉を聞きながら、不満を表情に表した。
「馬鹿な…!執念などが、技を上回るなど有り得ぬ…!」
「お前には、死んでもそれは、理解出来ぬであろう…」
建陽は静かに、再び剣を振り上げる。
刃を閃かせて一気に振り下ろした瞬間、その剣刃は龍昇の首筋へ届く寸前、激しい金属音と共に遮断された。
「お待ち下さい、丁将軍…!」
彼の攻撃を剣で遮ったのは、奉先である。
龍昇を庇う様に、二人の間に立っていた。
「真剣勝負の邪魔を、するのでは無い…!」
建陽は目を瞋らせ、奉先を怒鳴り付けた。
「既に、勝負は着いている!兄上が斬られるのを、黙って見過ごす訳には参りません…!」
「奉先、こいつはお前を"義弟"と呼んではいるが、お前を愛してはおらぬ。威を以て、服従させているだけだ…!」
奉先は少し眼差しを下げると、背後の龍昇へ視線を送った。
泥濘みの中、龍昇は右腕の傷口を押さえ、悔しげに唇を噛み締めながら奉先を見上げている。
「それは、良く分かっている…心の底から彼を憎んだ事も有った…しかし、龍昇様は俺にとって、たった一人"義兄"と呼べる存在なのです…」
少し悲しげな声でそう言うと、奉先は建陽の前に膝を突き、彼に拱手した。
「どうか、兄上の命だけは…お助け願いたい。」
「………」
降り頻る雨の中に佇み、建陽は暫し奉先を見下ろしていたが、やがて剣を静かに鞘へ収めた。
「龍昇よ…命拾いをしたな。弟に感謝しろ…」
そう言うと建陽は仲間たちの方を振り返り、ゆっくりとそちらへと歩き去る。
「叔父様!!」
涙を流しながら玲華は叫ぶと、走って彼の胸に飛び込んだ。
玲華を強く胸に抱いて、建陽は彼女の頭を優しく撫で下ろす。
「玲華…お前の言う事は、正しかったな。」
建陽はそう言いながら微笑した。
「叔父様…」
涙を溜めた瞳を上げ震える声で言うと、玲華は再び彼の胸に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくった。
やがて、一刻余り降り続いていた雨風は嘘の様に上がり、雲間から眩ゆい光が地表へと降り注ぐ。
「何をしている…?お前は、丁将軍の物になったのだ…わしの気が変わらぬ内に此処を去らねば、後悔するぞ…!」
龍昇は赤い目を上げながらそう言うと、彼の前に立ち尽くしている奉先を睨み付けた。
奉先はただ黙って、龍昇を見下ろしているが、その目には憐憫の情が漂っている。
その目を直視する事を嫌い、思わず龍昇は視線を逸らした。
奉先は無言のままであったが、徐に片膝を地面に突き、顔を逸らした龍昇に向かって拱手する。
その後、黙って立ち上がると、広場の片隅で抱き合う玲華と建陽に歩み寄った。
「丁将軍、俺は…」
言い掛けた奉先を、建陽は手で制した。
「わしはただ、あの男の鼻を明かしてやりたいと思っただけの事…お前は、もう誰の物でも無くなった。行きたい所へ、行くが良い。」
そう言うと建陽は目を細め、玲華の肩を胸に抱き寄せたまま、奉先に微笑んだ。
奉先は少し戸惑いを見せたが、やがて建陽に向かって拱手した。
「丁将軍、俺はあなたに付いて行きたい…!」
雲間から差し込む光を瞳に映しながら、奉先は瞳を輝かせて建陽を見詰めている。
建陽は顔を綻ばせると、
「そうか。では、本気でわしの養子となってみるか?!」
と、明るい声色で答えた。
翌朝、空は明るく晴れ渡り、何処までも青々と広がっていた。
その下を、城邑を去る建陽の兵士たちが、次々に城門を通過して行く。
見送りに現れた陵牙に、奉先が走り寄った。
「陵牙、お前も一緒に行かないか?」
「お前が居なくなるのは寂しいが…俺は、呂興将軍の側に付いていてあげたいと思う。」
陵牙は少し悲しげな眼差しで、彼を見詰めた。
「それに、お前には残念だが…白は、今ではすっかり俺に懐いているしな!俺が面倒を見てやらないといけないんだ。」
そう言って笑うと、陵牙は着物の懐から、白の頭をこっそりと覗かせる。
小さく、「にゃあ」と鳴き声を上げ、白はごろごろと喉を鳴らした。
「お前、生き物が苦手だったのでは無かったか?!」
奉先は白の小さな頭を撫でながら、陵牙の顔を驚きの目で見た。
「陵牙…お前が俺を支えてくれたお陰で、俺は今日まで生きて来られた。感謝している…!」
奉先は陵牙を見詰めながら、少し瞳を赤くした。
「降龍の谷で、俺の命を救ってくれたろう?俺がお前を支えるのは、当然だ!」
そう言って、陵牙は奉先の胸を、握った拳で軽く叩く。
次の瞬間、奉先は陵牙の肩を強く引き寄せ、彼の体を強く抱き締めた。
「お前は俺の一番の親友だ…!白と、兄上の事を頼むぞ…」
瞳に涙を浮かべた奉先が、声を震わせながらそう言うと、陵牙は黙って涙を流した。
やがて全ての兵士が城から出ると、城門が音を立てて閉まり始めた。
馬上で振り返ると、見送る城邑の人々と陵牙の姿が、閉じ掛けた門の間からまだ小さく見えている。
ふと、城門の上の櫓を見上げると、そこには一人佇む管狼の姿が目に映った。
そこから彼の表情を読み取る事は出来なかったが、奉先には一瞬、彼が笑った様に見えた。
陵牙、管狼…お前たちの事は、決して忘れない…!
奉先は霞む視界を手で払い除け、馬の腹を蹴ると、前を行く建陽と玲華に馬を並べた。
「奉先、仲間と別れの言葉は充分に交わせたか?」
建陽は微笑を浮かべながら、彼に問い掛ける。
その様子を隣で見詰める玲華も、彼に微笑を向けていた。
「はい、父上。…しかし、彼らには語り尽くせぬ思いの方が、ずっと多いのです…」
そう言うと奉先は二人に微笑みを返し、遠い空の彼方を見詰める。
遥かな地平線の先へと伸びて行き、やがて青空へと繋がる長く白い道は、その先に一体何が待っているのか、想像も付かない。
だが、確実に新たな一歩を踏み出して行く奉先の胸には、この先暗い未来が待ち受けているなど、思いも寄らぬ事であった。
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