飛翔英雄伝《三國志異聞奇譚》〜蒼天に誓う絆〜

銀星 慧

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第六章 反逆の迅雷と戦火の都

第六十一話 戦火の追想

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駆け抜ける馬蹄ばていが地面を削り、土煙を巻き上げている。
そのうしろから、更に多くの馬蹄の音を轟かせながら、山賊たちが馬を走らせていた。
山間やまあいの狭い山道さんどうを、彼らは馬を飛ばしている。

「この餓鬼!待ちやがれーーー!!」
山賊たちは怒鳴り声をき散らしながら、前を走る騎馬を追う。
騎馬には頭から布を被った人物が乗っているが、小柄な体型から少年の様に見えた。

やがて山道を抜け、開けた場所へ出ると、そこは行き止まりである。
「……!!」
少年は馬の足を止め、そびえる岩肌を見上げた。

背後から山賊たちが追い付いて来る。
彼らは馬を降り、各々武器を手にしながら少年に近付いた。

「もう逃げられねぇぞ!有り金、全部置いて行きやがれ!」
山賊たちは薄笑いを浮かべ、馬上の少年を取り囲み、崖下へと追い詰める。

「くっ…!」
少年は興奮する馬を御しながら、強く歯噛みをした。

その時、山道の脇のくさむらを、風の如く駆け抜ける大きな影が現れ、山賊たちの頭上を飛んだ。

「!?」
その影に驚き、彼らが振り返って頭上を見上げた瞬間、放たれた矢が彼らの腕や肩を貫いた。
「うぎゃ…!!」
矢は先頭に立っていた三人の男たちを同時に射抜く。
更に着地する瞬間にも矢は放たれ、後方の男たち三人も次々に倒れて行った。

腕や肩を射抜かれた男たちはおののき、地面を這って叢へ隠れようとしたが、叢の中から更に別の騎馬が現れ、彼らの前に立ちはだかった。

「詰まらぬ山賊共、さっさと失せろ…!!」

馬上の男は山賊たちを睨み付けると、大声で怒鳴る。
「ひいぃぃ…!いっ命だけは…!」
山賊たちは慌てふためいて、体を引きずりながら全員その場から逃げ去って行った。
馬上の男は少年を振り返り、

「危ない所であったな、怪我は無いか…!?」
と、今度は優しく声を掛けた。

馬から降りた少年は、頭から被った布をそっと取り払う。
その下から流れ落ちる長い黒髪が風になびき、そこには美しい少女の姿が現れた。

「ええ、大丈夫よ。叔父様…!」

少女は満面の笑みで答えると、男の方へと走り寄る。
男は馬から降り、飛び付く少女の体をたくましい腕で受け止めた。

「玲華!再び、このような危険な場所へ来るとは…全くお前は、お転婆てんばな娘だ…!」
そう言いながら、男は少女の頭を優しく撫でた。

「ごめんなさい、でも…どうしても、叔父様に会いたかったの…!」
胸に顔を埋める玲華は、男の体に回した腕でぎゅっと強く抱き着く。
男はふっと笑うと、

「お前が会いたかったのは、本当にこのわしか…?」
と、少し意地悪な口調で問い掛ける。

「お、叔父様…!」
顔を上げた玲華の頬は、たちまち赤く染まった。


「玲華殿!!」


背後から呼び掛けるその声にドキリとして、玲華は思わず肩をすくめる。
振り返ると、そこには弓を片手に歩み寄る、愛おしい青年の姿があった。
山賊たちに馬で頭上から矢を放ったのは彼である。

「久しぶりだな、玲華殿…元気だったか?」
彼は目を細め、優しい瞳で彼女を見詰めている。

「奉先…」

玲華が小さく呟いた時、山道の方から大声で、
 「お嬢様ーーー!!」
と叫びながら、こちらへ走って来る集団があった。

「みんな…!無事だったのね!」
玲華は振り返り、彼らの方へと走って行く。

「自ら山賊たちのおとりになるなんて…!私共がどれだけ心配したか、分かりますか!?」
大きな荷を背負った従者の青年は、そう言って玲華を叱り付けた。
「ご、ごめんなさい…かん…!」
思わず玲華は苦笑し、彼に謝る。

「はぁ…全くお嬢様ときたら…」
その後、"貫"と呼ばれたその青年は、急に力が抜けた様にその場にへたり込んでしまった。


玲華と旅の一行は、丁建陽ていけんようの陣営へ案内された。
建陽は董卓支配下の雒陽を離れ、郊外に野営地を築きそこに駐屯している。

「逆賊董卓に屈する事無く、父上は漢王朝の為に戦っておられる。狭い所で窮屈きゅうくつであろうが、我慢してくれ…」
奉先は玲華と従者たちを宿舎へと案内し、荷を解く彼らに語り掛けた。

「大丈夫よ、心配しないで。それにしても驚いた!あの山賊たちを、同時に三人も倒すなんて…一体、どうやったの?」
不思議そうな顔で問い掛ける玲華に、

「はははっ!簡単な事だ。矢を三本同時に放ち、三人に当てる。」

奉先は笑って弓矢を射る格好をして見せた。
玲華は益々不思議そうな顔になり、呆気に取られた様子で彼を見上げている。
その二人を、脇で荷物を片付けながら、従者の貫が眉をひそめて見ていた。

「それでは、玲華殿。何か困った事があれば、何でも言ってくれ。」
そう言って玲華に笑顔を投げ掛けると、奉先は幕舎ばくしゃの入り口から出て行く。

「お嬢様、冗談に決まってますよ。矢を三本も同時に射るなんて、出来っこ有りません。我々を揶揄からかっているんですよ。」
立ち尽くしている玲華を見上げた貫は、呆れた口調でそう言ったが、玲華は去って行く奉先の後ろ姿に向かって、黙って微笑んだ。


「丁将軍…!!」

夕刻が迫り、大地に赤々と夕日が照り反される頃、偵察へ出ていた兵士が帰還し、慌てた様子で建陽の幕舎へ報告に訪れた。

「雒陽より、董卓配下の牛毅ぎゅうき率いる討伐軍が発せられました!その数、凡そ二千…!」
額に汗しながら報告する兵の言葉を、建陽は冷静に座したまま聞いている。

「慌てるな、直ぐに部隊を編成する。将を呼び集めよ…!」
建陽は素早く立ち上がると、側近たちを振り返り、彼らに指示を言い渡す。
それから鋭く眼光を光らせ、やや口角を上げながら呟いた。

仲穎ちゅうえいめ、そろそろしびれを切らしておるな…我々を一気に揉み潰しに掛かったか…」


遥かな地平線の上、赤い夕日の中から、もうもう々と土煙を上げながら浮かび上がる軍勢がある。
部隊を率いて馬に跨がるその男は、身の丈八尺以上の大男である。

「逆賊丁原、このわしが誅殺ちゅうさつしてやる…!首を洗って待っておるが良い!」 

片腕に巨大な刃を持つ鉄斧てっぷを担ぎ、鋭い二本の角を生やしたかぶとの下で、大きな傷のある顔を歪めて不気味に笑みを浮かべる牛毅ぎゅうきは、舌嘗したなめずりをしながら鋭い目を光らせた。

小高い丘の上から、こちらへと向かって来るその軍勢を遠望しながら、馬上の建陽は腕を胸の前に組み唸る。
「二千の軍勢とは…」
やがて鋭く目を上げると、口元でふっと笑った。

「わしも随分と見縊みくびられたものよ…!!」

それを隣で聞いていた側近の雅敬がけいは、驚いた顔で建陽を見上げた。
「お言葉ですが将軍…!牛毅は董卓配下の中でも、その武勇は一二を争う程の猛将。簡単には撃ち破れぬと思われます!」

その時、建陽の前に馬を進めて来た者が素早く馬から降り、建陽を見上げて拱手した。

「父上、俺にお任せ下さい。牛毅の軍など、俺一人で充分です!」

「なっ…!?」
その言葉に、雅敬は驚きの余り声を詰まらせる。

「奴を討ち取る自信が有ると申すか…!」
建陽は冷静な顔付きのまま、鋭い眼差しで目の前の奉先を見据える。
そこへ、

「奉先殿、余り大きな口を叩かぬ方が良いぞ…!牛毅討伐は、この俺にご命令下さい!」

そう大声を放って、更に馬を前へ進めて来るのは張文遠である。
文遠は馬から降りると、奉先の隣に同じように片膝を突き、建陽に拱手する。

そらから二人はおもむろに立ち上がると、鼻面を付き合わせる程に顔を近付け、互いに睨み合った。

「ここは、新参者しんざんものが出る幕では無いと言う事だ…!建陽様に気に入られ、養子となったからといって…良い気になるのでは無いぞ…!」
「………」
奉先は息巻く文遠を黙って睨み返している。

再び玲華と再会した時、文遠は彼女の気持ちが、自分より奉先にある事に気が付いた。
彼女が戻って来た理由も、奉先に会いたいが為である。

武勇に於いて、自分は彼には到底及ばない…
そう思うと、る瀬ない気持ちと共に、奉先に対する嫉妬と怒りが込み上げて来る。
その思いが、睨み付ける彼の瞳にふつふつ々と沸き上がっていた。

互いに火花を散らしている様子を、暫く無言で見詰めていた建陽だったが、突然大きな笑声を放つ。

「はっはっはっはっ!もう良い!奉先、ここはお前に任せよう!文遠、退がっておれ…!」

文遠はやや悔しげに歯噛みをしたが、建陽の言葉に従い大人しく身を引いた。
奉先は建陽に晴れやかな顔を向けると、

「はい、かしこまりました…!」

と、爽やかに笑って答え、再び馬に跨がり手にげきを取ると、勢い良く馬をり砂塵を上げながら一気に丘を走り降りて行った。


「牛将軍!前方から一騎、こちらへ向かって来ております!」
砂塵を上げて近付く騎馬に気付いた兵士が、振り返って牛毅に報告する。

それを聞くと、牛毅は鉄斧を肩に担いだまま、額に手をかざして訝しげに前方を凝視した。
見ると、確かに騎馬が単身で向かって来ている。

牛毅は全軍に命令を送り部隊を停止させ、全軍の前へ馬を進めると、

「おい、貴様…!何処のどいつか知らぬが、たった一人でわしに挑む気では有るまいな…!」

そう叫び、口を歪めながら鼻で笑った。
すると彼の率いる部隊からも、失笑しっしょうする声が上がる。

奉先は馬の足を緩めながら、ゆっくりと牛毅に歩み寄り、その距離は凡そ二十じょう(約60m)程度にまで近付いた。

「俺は、丁将軍の配下、呂奉先と申す!牛将軍とお見受けした。その首を貰い受ける…!」
奉先は大声たいせいを放ち、そこから牛毅に呼び掛ける。

「何を、生意気な…!貴様の様な豎子じゅしなど、捻り潰してやる…!!」
牛毅は目をいからせ、担いでいた鉄斧を頭上で大きく回転させると、馬の腹を蹴って奉先に向かって走り出した。

奉先も馬を走らせ、牛毅に向かって行く。
擦れ違い様、振り下ろされる斧を戟の柄で受け止め、首を反らして斧の刃を避けたが、牛毅はその名の通り牛の様な大男である。その腕から繰り出された斧の威力は想像を絶するものであった。

奉先は両腕で戟を支えたが、牛毅の押さえる力が余りにも強く、彼の体は馬上で仰向けになった。
それと見た瞬間、牛毅は素早く背中にもう一本背負っていた斧に片腕を伸ばし、左腕にも斧を掴むとそれを振り下ろす。

だが、奉先は渾身こんしんの力で、組んだ牛毅の斧を弾き返し、振り下ろされた攻撃をすんでに避ける。
牛毅は舌打ちをしながら、馬を巡らし馬首を返した。

二人は再び激突し、重い斧の攻撃を奉先が馬上で巧にかわせば、鋭く突き出す戟の攻撃を、牛毅も体に似つかわしくない敏捷びんしょうさで避ける。

暫し打ち合いは続いたが、奉先が戟を引く瞬間、えん(横に突き出た刃)で斧の柄を引っ掛けて組み敷いた。
「くっ…!」
牛毅は振り解こうと、もう一本の斧を振り降ろして戟の柄を断ち切ろうとしたが、咄嗟に奉先が左手に掴んだ剣でそれをね退ける。

弾かれた牛毅の斧から激しい衝撃が伝わり、腕が痺れた。
「?!」
思わずその斧を取り落とし、牛毅は蒼白になる。

「…っの餓鬼ガキ…!」
牛毅は目をいからせて奉先を睨み付けたが、奉先は動じる事無く素早く剣を鞘へ仕舞い、左手で牛毅の斧の柄を掴み取る。
牛毅はあらがったが、押さえ付ける奉先の腕を押し戻す事が出来ない。

「貴様、利き腕は左か…!?」

奉先は右腕に戟を構えていた為、牛毅は当然、彼の利き腕は右手であると思い込んでいた。
牛毅の額に浮いた汗の量が次第に増して行く。
奉先は深く息を吸い込むと、目をいからせながら渾身の力を左腕に込める。

組み合った戟と斧の柄がぎしぎしと唸りを上げている。
次の瞬間、遂に互いの武器の柄は激しい音を立てて砕けてしまった。

「なっ…何だと…!!」

鉄斧の柄は鉄製であったが、その硬度こうどは現代の物には遥かに劣る。とは言え、それを破壊するには相当な腕力を要するのである。

折れた斧の刃は回転しながら頭上を飛び、遥か後方の地面に突き立った。
思わず肩越しにそちらへ視線を送った牛毅の胴体に、折れた戟の柄が勢い良く食い込み、牛毅の体は弾かれる様に馬から放り出された。

「うぐっ!!」

牛毅の体は激しい土煙を上げながら、後方で唖然としながら見ていた仲間の兵士たちの方へと、もんどり打って転がった。

「ぎ、牛将軍!」
配下の将は顔面蒼白となり、慌てて馬から飛び降りると、倒れた牛毅へと走り寄る。
見ると彼は白目をき、口から大量の泡を吹いて気絶してしまっていた。

「牛将軍が…たっ倒された…!!」
それを見た兵士たちに、明らかに動揺が伝わる。

「こうなっては致し方ない、一度退却だ…!」
ざわめき始める兵士たちを振り返った部隊長は、牛毅の体を起こして支えながら、強く歯噛みをして撤退命令を下した。

二千の軍勢は、やがて雒陽らくようへと引き返し始める。
丘の上からその様子を遠望していた丁建陽の兵士たちもまた、皆驚きを隠せない表情で見ていた。
言葉通り、彼はたった一人で敵兵を追い返してしまったのである。

やがて奉先が馬で駆け戻り、建陽の前で爽やかに笑って拱手する。

「良くやった、奉先…!」
その建陽の言葉に、兵士たちは一斉に、どっと歓声を上げた。
互いの肩を叩き合って喜ぶ兵士たちを周りに見ながら、面白く無い顔をしているのは側近の雅敬と文遠の二人である。

「だが…」
建陽はそう言葉を続けながら、奉先の肩に手を乗せた。

「お前には、ただ敵をたおすだけの"兵器"にはなって欲しく無い…!」

憂いを帯びた眼差しで見詰める建陽に、奉先は強くうなづいて微笑した。

「はい、父上。良く肝にめいじます!」

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