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【二章〈初夏〉】彼女を知ろう編
09.デイオフ・スイーツオン
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休日の昼下がり。
学校で疲れたし、休日はのんびり過ごそう――と思っていた俺の周りに広がるのは、華やかなファッション品の数々だ。
「うーん。ザンセちゃんは背が高いからなあ。こういうのは、ちょっと子どもっぽくて似合わないかも」
「夏物って結構難しいわね。これだと暑いかな?」
お世話係の仁科さんと、原口さんという女性も一緒だ。
二人は次々と服を手に取っては、値段を見つつ、ザンセに当てて、頭を悩ませている。
「ねえ。ハチくんはどれがいい?」
本日は、普段より少し遠出してファッションビルにやってきていた。
数多くのアパレルショップが並び、豊富なテイストのファッションを楽しめる、おしゃれ好きな若者が集うスポットだ。
休日らしい賑わいの中はやはり女性客が多い。部外者を遠ざけるような活気と照明の強さのせいか、目がチカチカしてきた。
……なんで来ることになっちゃったんだろうな。
※ ※ ※ ※ ※
「そういえば、ザンセの服って、誰が選んでるんですか?」
テレビでちょうど流行りのファッションがどうのとか服のコーディネートがどうのという番組が流れていたときのことだ。
ザンセの普段着は結構スカートが多く、飾り気はなくてきっちりした印象だ。私服の事務員、といった雰囲気だろうか。テイストも統一されてるみたいだから、気になって仁科さんに聞いてみた。
お世話係の女性陣で、経費内でやりくりしつつ買い揃えているとのことだ。
「ザンセちゃん、若くてかわいいから、選ぶの楽しいのよね。あぁ、でも……」
「でも?」
仁科さんは何か考えるように表情を曇らせた。
「そうだ! 今度夏物揃えたいからさ。ハチくんもザンセちゃんの服、一緒に選んであげてよ」
「えっ。はっ?」
唐突にそんなことを言われた。目が点になる。
「ハチくんが選んでくれたら、きっとザンセちゃんも嬉しいだろうし」
「またそんな都合いいことを……」
「最近あんまりデートもしてないでしょ?」
「いや、デートじゃないですし」
いつものお出かけのことだろう。
学校に復帰したせいで、ザンセとの時間が減っていたのは事実だ。かといって、それと買い出しに付き合うことは関係ない気がする。
だいたい、女性物の服なんかさっぱりなわけで……などと言い訳を述べれば述べるほど上手いこと丸め込まれ、いつの間にか今さら断れない空気まで持っていかれていた。
大人の女性の押しの強さ、恐るべし。
※ ※ ※ ※ ※
「もー。せっかくのお出かけなのに。やっぱりザンセちゃんと二人きりのほうが嬉しいの?」
と後悔を巡らせる暇もなく、仁科さんはザンセに服を当てつつ不満げだ。
俺の反応が良くないせいだろう。さっきからなんとなくついていって、二人が選ぶのを眺めてるだけなのは事実だが。
「そういうわけじゃ……」
どっちかというと、大人の女性二人と一緒だと気が引けるってだけだ。嬉しいか楽かは違うだろう。
「それとも服には興味ない? 男の子はやっぱり無関心ねえ」
「ザンセちゃんも、ハチくんが選んでくれたら嬉しいよねー?」
原口さんは、ザンセに同意を求めるように笑いかける。原口さんも仁科さんと同じお世話係の女性だ。推定三十歳あたりの仁科さんよりやや年下だろう。敬語使ってるし。
もちろんザンセは言われたことをわかっているようには見えない。棒立ちで服を当てられていると、今度こそ本物のマネキンだな。
無関心、と言われてもだ。そりゃそうだろう。着たことないどころか初見のものばっかだし。俺が選んでもきっと変になるだけだ。
二人が選ぶのに夢中になってるから、他に目を向けてみる。
使い方がわからない服だらけだ。形も色も様々すぎて、なんか情報が処理できない。
そもそもどう着るのが正解なんだろう……あ、ちょうどマネキンが着せられて展示されてるわ。変な形の服だと思ったけど、こうして組み合わせたとこを見るとなんかいい感じだな。
周りの女性客や店員さんをちら見してみる。レースっぽい生地のトップスにパンツスタイル、爽やかな白と水色のボーダーの組み合わせ、モノトーン調なロング丈のシルエット、オーバーサイズのトレーナーなどなど……。
服なんてよく観察したことなかったけど、結構いろんな格好の人がいるんだな。単体で見ると意味不明でも、完成形を見るとなるほどとなる。そう考えると、パズルみたいでちょっと面白いかも。
「ねえねえ。ハチくんはどっちの色がいいと思う?」
仁科さんたちに呼びつけられた。シンプルだが襟元にフリルのついたブラウスを手に持っている。
色で悩んでるのか? くすんだ緑か、ネイビーか。それぞれザンセに当ててみせるが、うーん、と首をひねる。
「ちょっと、どっちも、オバサンくさくないですか……」
「うわっ、ひどい!」
今のザンセが膝丈のグレーのスカートだからだろうか。合わせてみるとなんか……年齢増しちゃうような。
「無難なのしか選べないんだからしょうがないじゃない!」
「そうですか……」
なんか、違うよな。ザンセの外見ならもっとこう、さっき見かけたみたいな、もっと軽そうなやつのほうが……。
「ああいうのは、だめなんですか?」
マネキンが着ているものを指差す。
同じくブラウスだが、オフホワイトで、裾もヒラヒラしていて夏っぽい。マネキンが着てるならオススメ商品なんだろうし、肌が白いザンセにはよく似合いそうだと思うけど。
「えーっ、あれだと腕出すぎじゃない?」
「透けそうだし、ちょっと着づらいんじゃないかなあ……」
「そうですか? じゃあ……いつもスカートばっかですし。たまにはこういうのもいいんじゃないですか?」
「えっ、下変えちゃうの!?」
「やだ、ちょっと露出多いよ」
適当に近くの服を引っ張ってくると、秒で否定された。
露出多いのか? いわゆるショートパンツってやつだろう。これぐらいの格好の人、普通に周りにいないか?
ちょっと見てみたい気はするんだけどな。
「じゃあこれはどうです? ワンピース……ですよね?」
これも明るい色で、軽い印象だ。それにワンピースだったら一枚でいいんだろうし、楽そうに見えるけど。
「ちょっと派手すぎなーい……?」
「どう組み合わせればいいのかわかんないよ……」
これで派手なのか。そうか……。
それならと、同じ形の落ち着いた色のほうを出す。
「こっちは?」
「えぇー、かしこまりすぎでしょ……」
「どこに着てく用だと思ってるの……?」
「……」
文句が多いな……。わざわざ俺を連れてきた意味とは。
「じゃあ、ちょっと着てみてもらおっか」
仁科さんらがチョイスした服をザンセに渡して、着るように指示して、試着室のカーテンを閉める。
一人で着替えはできるらしい。少しして二人がカーテンを開けている。
「あぁー、これだと太って見えちゃうなあ」
「ほんとだ。ザンセちゃんはお胸がね、ちょっとね……」
揃って渋い反応をしている。どんなんなったんだろう。
「こら男子、もう少し待ってなさい」
「試着結果見にきただけですよ」
覗こうとすると、なぜか原口さんにブロックされた。
それぐらい見せてくれてもいいだろ。見なきゃわかんないのに。
……本当、なんで連れてきた?
「難しいなあ。ザンセちゃんの体型だとなかなか合うもの見つからないわね」
「大きいサイズだと、さっきみたいに太って見えちゃいますしねえ」
最終的に、他に試着した中から何枚か無難っぽいやつを買って、店を出た。
俺が勧めたやつは一枚も候補にさえ上がらずだ。
「だったら俺が提案したやつ良さそうだったじゃないですか」
「あれだと、やっぱり派手だし……」
「体の線も出ちゃいそうだしねえ」
「でもそのほうが見た目いいんじゃ?」
せっかくのスタイルなんだし、良く見せたほうが……と思ったら、仁科さんが内緒話みたいにこそっと寄ってきた。
「ザンセちゃんの周り、結構男の人多いから、気になるのよ」
男の人?
俺のこと? と思ったけど、本人にそんなこと言わんか。研究所の人たちのことだろうか。
「今日だって、夏服揃えるのに、最初は通販で十分だーって空気だったのよ。ハチくんが一緒だってことで、こうしてお買い物できてるけどさ」
「え。反対されてたってことですか?」
仁科さんは頷く。
仁科さんたちはお世話係とはいえ、本来はただの事務員だ。ザンセを管理している大本の研究所が、服の買い物に反対してたってことか。
今さらなんで。学校に通わされてるぐらいなのに。
「試着してみないとわからないのにね。たかだか服ぐらいで……って雰囲気でしたよね」
「そうそう。ザンセちゃんは女の子なのに。着るものテキトーじゃかわいそうでしょ」
「そういうことなら、言ってくれたらよかったのに……」
「うーん。でも。私たちが勝手に気にしてることでもあるし」
俺が同伴することで許可が下りたんなら、言ってくれたらもう少し協力的になれたのに。
難しいんだな。大本の研究所と、施設内事務員は上下関係にあるわけではない。所属がバラバラで管理と実務を行っている状態だから、どちらが優先で何が筋なのか、話がややこしくなりがちなんだろう。
とはいえやはり本来は事務方である以上、仁科さんたちは強く出られる立場ではないのだろう。
「普段って、研究所の人たちと関わることあるんですか?」
仁科さんたちは、奥村さんや皆川さんとかと話す機会ってあるんだろうか。
「ううん。全然。必要なもの揃えるときとか、事務的な話しかしないかな。あー、でも……」
「たまにザンセちゃんの部屋に来てるのは見ますね。なんか、すごいチェックしてるみたいな雰囲気だけど……」
二人とも苦々しい顔をする。
基本は業務連絡のみで、たまに鉢合わせても関わりはなく、雰囲気的に好きになれない……って感じだろうか。
研究者にとっては、ザンセ本人のパーソナリティーについてよりも、管理状態のほうが気になるはずだ。服だって着れたらいいだろというスタンスなのか、そういうのが態度に滲み出てるんだろうな。俺もあんまり人のこと言えないから、悪くは思えないけど。
また、研究者に男性が多いのも事実だ。だからこそ公平性や安全性を主張するために、研究所内からではなく、無関係な事務方から世話係ができる女性陣を引っ張ってきたんだろうが。
だからザンセの格好はいつも地味めで、体型が隠れるような膝丈ぐらいのスカートばかりだったのか。肌が出すぎるやつとか、ラインがわかるようなものは避けていたんだろう。
「はち」
急に、後ろから声がしたと同時に、手に何かが触れてきたからびっくりした。
なんだザンセか。いつの間にか俺の背後に回り込んでいたのか。しかしまさか、その合図は。
「え? 手?」
思わず避けるが、ザンセは無言で手の平を突き出してくる。
「いや、いやいやいや」
ちょっと待てよ。
まさか、ここで?
「繋ぐの……?」
ザンセは、手を差し出したまま止まっている。
ちらっと仁科さんと原口さんの顔を見ると、二人とも、なんだか頬の緩んだ顔をしていた。
「あれぇ? もしかして、いつも繋いでるとか~?」
「いや、い、いつもは……」
「繋いであげたら~?」
バカにされてる気しかしない。が、ザンセはずーっと手を差し出したままだ。いつもはいいのに、なんで? みたいな顔に見えなくもない。
ザンセに状況を見ろとか空気を読めとか、伝わるわけないんだよな……。
仕方ない。仕方ないことだ。子どものお守りだ。幼子とお手々繋いで、並んで歩いてあげるだけに過ぎない。このままだと、ザンセはずっと通行の妨げになる位置で立ち止まってそうだし。
そーっと手を出す。指先だけで軽くザンセの手を掴むが、ザンセはいつものように手の平を重ねて握ってきた。
外見的には同い年ぐらいの女の子と公然で手を重ねているという事実に、どんどん顔が熱くなっていく。いつもやってるといえばやってるのに、ニヤニヤした仁科さんらに注目されると手の平まで変に汗ばんでくる。
こんなの公開処刑もいいとこだ。心臓がばくばくして顔を上げられない。ザンセの見た目が本当に幼子だったらよかったのに。
「いいなあー、ハチくん。本当、好かれてて……」
「私たちにはそんな要求しないのにねえ」
「手、繋ぎたいって言わないんですか……?」
話を逸らすためにも聞いてみる。二人とも恨めしそうに、言わなーい、と異口同音だ。
子どもが親と手を繋ぎたがるようなもんだと思ってたけど、この二人はザンセ的には親認識ではないのか。一番親っぽいことしてるはずなのに。
「お世話係の私たちより懐かれてるってどういうことなんでしょうね……」
「何が違うんだろう……本当羨ましい、ずるい……」
代わってもらえるなら代わってほしいんだけど。そのほうが母子っぽくて普通だろ。
しかし、ザンセの中では俺ってどういう人物なんだろう。
犬猫だってなんやかんやいって、一番お世話してくれる人を好きになりそうなもんだけどな。
※ ※ ※ ※ ※
施設に帰ってくるなり、ザンセはソファで横になって寝てしまった。
何度も試着して疲れたんだろう。俺とザンセだけ広間に残され、荷物を部屋に置いてきた二人が戻ってくる。
「あらっ、お茶用意してくれたの?」
「はい。お疲れさまです」
帰ってきたら買ったお菓子を食べよう、と話していたから、先にお茶を用意しておいた。
仁科さんは感心したように言う。
「本当にしっかりしてるねぇー。うちの息子もこんなふうに育ってくれたらいいなあ」
「ハチくん、女子力高いって言われない?」
「えっ。いや、言われないです……」
女子力……? 女子っぽいとか言いたいのか?
知らんけど、その前に施設以外でこんなふうに喋れる人いない、とは言えなかった。
あれ。お茶用意するくらい普通じゃないのか……?
「すみません。少しお邪魔します」
お菓子を開封しているとザンセが起き上がり、そのタイミングで広間に人がやってきた。
荘司さんだ。研究所に所属している医療スタッフの若い女性だ。ザンセの日々の健康管理を担当しているらしい。健診のために来たんだろう。
「あ。ちょうどいいところに。荘司さんもよかったら一緒にどうですか?」
仁科さんは親しげに荘司さんにお菓子を勧める。お世話係の人たちとはよく顔を合わせるんだろうか。他の人には内緒ね、と言いながら席を指差す。一方で荘司さんは控えめな笑みを浮かべる。
「ありがたいんですけど……。このあとも忙しいので……」
「一個食べていきなって! ぱくっと食べちゃうだけよ、ほら!」
「あ、じゃ、じゃあ、一つ……」
荘司さんはセミロングくらいの黒髪に小柄な人で、ちょっと気弱そうな印象通り仁科さんの押せ押せで受け取ることになった。
「ザンセちゃんの体調どうですか?」
「ん……も、もんだいな、でふ」
まだ口に物入ってるな。恥ずかしそうに急いで飲み込んでから、もう一度、問題ないことを伝える。
「織部くんは、どう? ザンセちゃんのことで、何か気になったこととかない?」
「特には……」
俺個人にも聞かれる。曖昧に答えると、荘司さんはにこっと愛想のいい笑みを浮かべた。
俺とザンセの間の細かな変化に注意せよとでも言われているんだろうか。健診を済ませた荘司さんは足早に立ち上がる。
「じゃあ、頑張ってね。失礼します」
「あ……はい。どうも」
荘司さんは俺にも丁寧に会釈して、広間を出ていった。
「健診かあ。結構こまめにやってるみたいで、大変ですよね」
「ザンセちゃんは大事にされてるからね」
仁科さんはやや含みのある言い方をする。その"大事"には、いろんなニュアンスが含まれている。
ザンセが普通の女の子ではないことは当然仁科さんたちだって知っていることだろう。けどこうして買い物をしたり、一緒にお菓子を食べたりしてると、そうは思えなくなってくるのが心情だ。
接する人の立場によってザンセという存在の認識は変わってくる。誰かが正しくて誰かが間違っているとは思わない。俺は一番部外者で、一番近いような微妙なポジションだけど。
「そうそう。今度のお弁当作り、ザンセちゃんもお手伝いしてみるつもりなんだ」
話のついでのように仁科さんは言う。
「できるんですか?」
「やらせてみないとわからないわよ」
やらせる気満々みたいだ。
久保田さんも、手伝いに行けとか言ってたしな。たしかにいつも貰ってばかりであれだし。
ザンセとは違うけど、俺も行ってみてもいいかもな。
※ ※ ※ ※ ※
平日の朝。
今日はザンセの登校日だということは確認済みだ。そして通路にはすでに食べ物の香りが漂っている。中に入ると、キッチンからは賑やかなお喋りの声が聞こえてきた。
広間の簡素なキッチンには仁科さんと原口さん、それから制服姿のザンセの三人が、すし詰めでぎゅっと並んで立っていた。
「……弁当作り、順調ですか?」
「わぁっ!? ハチくん!?」
「いつから!? 声かけてよ!」
「今かけました」
やっぱり気づいてなかったか。
わざわざ食材を持ち込んで弁当作りをすることは聞いていた。一応、手伝うつもりで来たんだけど、三人もいると手を出す隙間がなさそうだな。
しかしこうも女性だらけだと、広間に来たときはいつでも、化粧品コーナーみたいなにおいが染み付いて漂っている気がする。
「大丈夫なんですか? 原口さん……はともかく。仁科さんの家は……」
二人とも朝早くに来たり、休日も時間を割いたりと、だいぶな労働時間な気がする。
仁科さんは子供のいる家庭だったはずだ。お? 独身差別か? という原口さんの声が聞こえた気もするけど。
「一年だけだし、大丈夫よ。他の業務はだいぶ緩くしてもらってるもん」
仁科さんは楽しそうに笑ってるが、とはいえだいぶ善意で引き受けてくれてるんだろう。一年だけだとわかってるからっていうのもあるだろうけど。
「こういうのないと、ザンセちゃんもきっと寂しいだろうから……って高校生がそんなこと気にしてるんじゃないわよ」
仁科さんはダイニングテーブルに置いていた弁当箱に詰めるついでに、ばんっと俺の背中を叩いてくる。意外と強くてよろめいた。
言われてみれば。この人と俺、十歳以上も年離れてるんだよな。年下のガキにこんな心配されても困るか。
「あ、ついでだからこれ。味見してもらいなよ」
原口さんがザンセに箸を渡している。鍋の中のものに突き刺して、ご飯だよと指示を出して再度俺を指差す。
「はち。ごはん」
「ちょ、ちょっと待て」
ザンセが箸を突き出したポーズでまっすぐに歩み寄ってくる。まさか、このまま受け取れとな。
「自分で食うからいいよ」
箸を奪おうとするが、そもそも離す気があるかどうか。そうこうしてる間に、ほかほかと湯気が出たじゃがいもからは汁が滴り落ちそうだ。
観念するしか。箸じゃなくザンセの手のほうを掴んで、こっちから食べ物を迎えにいく。これならまあ自分で食ったような体にはなる。
うん。味は見た目通りだ。ちょっと熱いけど。じゃがいもの煮っころがし。醤油味がよく利いてた。
ザンセは箸の先端を間近で俺に向けたまま、じっと固まってる。
「……おいしいよ」
口を押さえてそう言うと、ザンセはくるりと踵を返してさっさとキッチンに戻っていった。仁科さんたちの顔は、はい。もう見るまでもなし。
てか、今さらだけどザンセも手伝ってるんだな。制服の上にちゃんとエプロンつけてると、家庭科の調理実習中みたいだ。小間使いくらいならできるんだろうか。
出来上がった弁当を渡されて、学校に行く。
渡されたといっても、二個ともザンセが保冷バッグに入れて持っている。俺が持つと言って引っ張ってもがっしり掴んで離してくれなかった。つまりはまた昼休憩に襲撃されること確定だ。
俺がいるということで、今日はザンセも徒歩で通学になった。
ザンセはいつもどおり送迎してもらえばいいのに。わざわざ一緒に歩く必要もない。が、登校時間に余裕はあるし、ザンセに合わせて、今日はゆっくり歩くか。
「はち」
呼ばれて、アピールされる前に、気づいた。
制服姿でちゃんと学生鞄も肩にかけて、片手には保冷バッグを提げたザンセが、手をずいっと差し出してきている。
本当、好きだな。
「……大通りに出るまでだからな」
ザンセの手を握る。なんだか不格好だけど、同じ学校の制服を着ていると、一緒に登校するほどイチャついてるカップルみたいなんだよな。
同校の生徒に遭遇しませんように、と祈りながら歩くしかない。大通りに出るまでなら平気だ、と思いたい。
諦めて手を繋いで、狭い住宅街の小道を並んで歩いた。
学校で疲れたし、休日はのんびり過ごそう――と思っていた俺の周りに広がるのは、華やかなファッション品の数々だ。
「うーん。ザンセちゃんは背が高いからなあ。こういうのは、ちょっと子どもっぽくて似合わないかも」
「夏物って結構難しいわね。これだと暑いかな?」
お世話係の仁科さんと、原口さんという女性も一緒だ。
二人は次々と服を手に取っては、値段を見つつ、ザンセに当てて、頭を悩ませている。
「ねえ。ハチくんはどれがいい?」
本日は、普段より少し遠出してファッションビルにやってきていた。
数多くのアパレルショップが並び、豊富なテイストのファッションを楽しめる、おしゃれ好きな若者が集うスポットだ。
休日らしい賑わいの中はやはり女性客が多い。部外者を遠ざけるような活気と照明の強さのせいか、目がチカチカしてきた。
……なんで来ることになっちゃったんだろうな。
※ ※ ※ ※ ※
「そういえば、ザンセの服って、誰が選んでるんですか?」
テレビでちょうど流行りのファッションがどうのとか服のコーディネートがどうのという番組が流れていたときのことだ。
ザンセの普段着は結構スカートが多く、飾り気はなくてきっちりした印象だ。私服の事務員、といった雰囲気だろうか。テイストも統一されてるみたいだから、気になって仁科さんに聞いてみた。
お世話係の女性陣で、経費内でやりくりしつつ買い揃えているとのことだ。
「ザンセちゃん、若くてかわいいから、選ぶの楽しいのよね。あぁ、でも……」
「でも?」
仁科さんは何か考えるように表情を曇らせた。
「そうだ! 今度夏物揃えたいからさ。ハチくんもザンセちゃんの服、一緒に選んであげてよ」
「えっ。はっ?」
唐突にそんなことを言われた。目が点になる。
「ハチくんが選んでくれたら、きっとザンセちゃんも嬉しいだろうし」
「またそんな都合いいことを……」
「最近あんまりデートもしてないでしょ?」
「いや、デートじゃないですし」
いつものお出かけのことだろう。
学校に復帰したせいで、ザンセとの時間が減っていたのは事実だ。かといって、それと買い出しに付き合うことは関係ない気がする。
だいたい、女性物の服なんかさっぱりなわけで……などと言い訳を述べれば述べるほど上手いこと丸め込まれ、いつの間にか今さら断れない空気まで持っていかれていた。
大人の女性の押しの強さ、恐るべし。
※ ※ ※ ※ ※
「もー。せっかくのお出かけなのに。やっぱりザンセちゃんと二人きりのほうが嬉しいの?」
と後悔を巡らせる暇もなく、仁科さんはザンセに服を当てつつ不満げだ。
俺の反応が良くないせいだろう。さっきからなんとなくついていって、二人が選ぶのを眺めてるだけなのは事実だが。
「そういうわけじゃ……」
どっちかというと、大人の女性二人と一緒だと気が引けるってだけだ。嬉しいか楽かは違うだろう。
「それとも服には興味ない? 男の子はやっぱり無関心ねえ」
「ザンセちゃんも、ハチくんが選んでくれたら嬉しいよねー?」
原口さんは、ザンセに同意を求めるように笑いかける。原口さんも仁科さんと同じお世話係の女性だ。推定三十歳あたりの仁科さんよりやや年下だろう。敬語使ってるし。
もちろんザンセは言われたことをわかっているようには見えない。棒立ちで服を当てられていると、今度こそ本物のマネキンだな。
無関心、と言われてもだ。そりゃそうだろう。着たことないどころか初見のものばっかだし。俺が選んでもきっと変になるだけだ。
二人が選ぶのに夢中になってるから、他に目を向けてみる。
使い方がわからない服だらけだ。形も色も様々すぎて、なんか情報が処理できない。
そもそもどう着るのが正解なんだろう……あ、ちょうどマネキンが着せられて展示されてるわ。変な形の服だと思ったけど、こうして組み合わせたとこを見るとなんかいい感じだな。
周りの女性客や店員さんをちら見してみる。レースっぽい生地のトップスにパンツスタイル、爽やかな白と水色のボーダーの組み合わせ、モノトーン調なロング丈のシルエット、オーバーサイズのトレーナーなどなど……。
服なんてよく観察したことなかったけど、結構いろんな格好の人がいるんだな。単体で見ると意味不明でも、完成形を見るとなるほどとなる。そう考えると、パズルみたいでちょっと面白いかも。
「ねえねえ。ハチくんはどっちの色がいいと思う?」
仁科さんたちに呼びつけられた。シンプルだが襟元にフリルのついたブラウスを手に持っている。
色で悩んでるのか? くすんだ緑か、ネイビーか。それぞれザンセに当ててみせるが、うーん、と首をひねる。
「ちょっと、どっちも、オバサンくさくないですか……」
「うわっ、ひどい!」
今のザンセが膝丈のグレーのスカートだからだろうか。合わせてみるとなんか……年齢増しちゃうような。
「無難なのしか選べないんだからしょうがないじゃない!」
「そうですか……」
なんか、違うよな。ザンセの外見ならもっとこう、さっき見かけたみたいな、もっと軽そうなやつのほうが……。
「ああいうのは、だめなんですか?」
マネキンが着ているものを指差す。
同じくブラウスだが、オフホワイトで、裾もヒラヒラしていて夏っぽい。マネキンが着てるならオススメ商品なんだろうし、肌が白いザンセにはよく似合いそうだと思うけど。
「えーっ、あれだと腕出すぎじゃない?」
「透けそうだし、ちょっと着づらいんじゃないかなあ……」
「そうですか? じゃあ……いつもスカートばっかですし。たまにはこういうのもいいんじゃないですか?」
「えっ、下変えちゃうの!?」
「やだ、ちょっと露出多いよ」
適当に近くの服を引っ張ってくると、秒で否定された。
露出多いのか? いわゆるショートパンツってやつだろう。これぐらいの格好の人、普通に周りにいないか?
ちょっと見てみたい気はするんだけどな。
「じゃあこれはどうです? ワンピース……ですよね?」
これも明るい色で、軽い印象だ。それにワンピースだったら一枚でいいんだろうし、楽そうに見えるけど。
「ちょっと派手すぎなーい……?」
「どう組み合わせればいいのかわかんないよ……」
これで派手なのか。そうか……。
それならと、同じ形の落ち着いた色のほうを出す。
「こっちは?」
「えぇー、かしこまりすぎでしょ……」
「どこに着てく用だと思ってるの……?」
「……」
文句が多いな……。わざわざ俺を連れてきた意味とは。
「じゃあ、ちょっと着てみてもらおっか」
仁科さんらがチョイスした服をザンセに渡して、着るように指示して、試着室のカーテンを閉める。
一人で着替えはできるらしい。少しして二人がカーテンを開けている。
「あぁー、これだと太って見えちゃうなあ」
「ほんとだ。ザンセちゃんはお胸がね、ちょっとね……」
揃って渋い反応をしている。どんなんなったんだろう。
「こら男子、もう少し待ってなさい」
「試着結果見にきただけですよ」
覗こうとすると、なぜか原口さんにブロックされた。
それぐらい見せてくれてもいいだろ。見なきゃわかんないのに。
……本当、なんで連れてきた?
「難しいなあ。ザンセちゃんの体型だとなかなか合うもの見つからないわね」
「大きいサイズだと、さっきみたいに太って見えちゃいますしねえ」
最終的に、他に試着した中から何枚か無難っぽいやつを買って、店を出た。
俺が勧めたやつは一枚も候補にさえ上がらずだ。
「だったら俺が提案したやつ良さそうだったじゃないですか」
「あれだと、やっぱり派手だし……」
「体の線も出ちゃいそうだしねえ」
「でもそのほうが見た目いいんじゃ?」
せっかくのスタイルなんだし、良く見せたほうが……と思ったら、仁科さんが内緒話みたいにこそっと寄ってきた。
「ザンセちゃんの周り、結構男の人多いから、気になるのよ」
男の人?
俺のこと? と思ったけど、本人にそんなこと言わんか。研究所の人たちのことだろうか。
「今日だって、夏服揃えるのに、最初は通販で十分だーって空気だったのよ。ハチくんが一緒だってことで、こうしてお買い物できてるけどさ」
「え。反対されてたってことですか?」
仁科さんは頷く。
仁科さんたちはお世話係とはいえ、本来はただの事務員だ。ザンセを管理している大本の研究所が、服の買い物に反対してたってことか。
今さらなんで。学校に通わされてるぐらいなのに。
「試着してみないとわからないのにね。たかだか服ぐらいで……って雰囲気でしたよね」
「そうそう。ザンセちゃんは女の子なのに。着るものテキトーじゃかわいそうでしょ」
「そういうことなら、言ってくれたらよかったのに……」
「うーん。でも。私たちが勝手に気にしてることでもあるし」
俺が同伴することで許可が下りたんなら、言ってくれたらもう少し協力的になれたのに。
難しいんだな。大本の研究所と、施設内事務員は上下関係にあるわけではない。所属がバラバラで管理と実務を行っている状態だから、どちらが優先で何が筋なのか、話がややこしくなりがちなんだろう。
とはいえやはり本来は事務方である以上、仁科さんたちは強く出られる立場ではないのだろう。
「普段って、研究所の人たちと関わることあるんですか?」
仁科さんたちは、奥村さんや皆川さんとかと話す機会ってあるんだろうか。
「ううん。全然。必要なもの揃えるときとか、事務的な話しかしないかな。あー、でも……」
「たまにザンセちゃんの部屋に来てるのは見ますね。なんか、すごいチェックしてるみたいな雰囲気だけど……」
二人とも苦々しい顔をする。
基本は業務連絡のみで、たまに鉢合わせても関わりはなく、雰囲気的に好きになれない……って感じだろうか。
研究者にとっては、ザンセ本人のパーソナリティーについてよりも、管理状態のほうが気になるはずだ。服だって着れたらいいだろというスタンスなのか、そういうのが態度に滲み出てるんだろうな。俺もあんまり人のこと言えないから、悪くは思えないけど。
また、研究者に男性が多いのも事実だ。だからこそ公平性や安全性を主張するために、研究所内からではなく、無関係な事務方から世話係ができる女性陣を引っ張ってきたんだろうが。
だからザンセの格好はいつも地味めで、体型が隠れるような膝丈ぐらいのスカートばかりだったのか。肌が出すぎるやつとか、ラインがわかるようなものは避けていたんだろう。
「はち」
急に、後ろから声がしたと同時に、手に何かが触れてきたからびっくりした。
なんだザンセか。いつの間にか俺の背後に回り込んでいたのか。しかしまさか、その合図は。
「え? 手?」
思わず避けるが、ザンセは無言で手の平を突き出してくる。
「いや、いやいやいや」
ちょっと待てよ。
まさか、ここで?
「繋ぐの……?」
ザンセは、手を差し出したまま止まっている。
ちらっと仁科さんと原口さんの顔を見ると、二人とも、なんだか頬の緩んだ顔をしていた。
「あれぇ? もしかして、いつも繋いでるとか~?」
「いや、い、いつもは……」
「繋いであげたら~?」
バカにされてる気しかしない。が、ザンセはずーっと手を差し出したままだ。いつもはいいのに、なんで? みたいな顔に見えなくもない。
ザンセに状況を見ろとか空気を読めとか、伝わるわけないんだよな……。
仕方ない。仕方ないことだ。子どものお守りだ。幼子とお手々繋いで、並んで歩いてあげるだけに過ぎない。このままだと、ザンセはずっと通行の妨げになる位置で立ち止まってそうだし。
そーっと手を出す。指先だけで軽くザンセの手を掴むが、ザンセはいつものように手の平を重ねて握ってきた。
外見的には同い年ぐらいの女の子と公然で手を重ねているという事実に、どんどん顔が熱くなっていく。いつもやってるといえばやってるのに、ニヤニヤした仁科さんらに注目されると手の平まで変に汗ばんでくる。
こんなの公開処刑もいいとこだ。心臓がばくばくして顔を上げられない。ザンセの見た目が本当に幼子だったらよかったのに。
「いいなあー、ハチくん。本当、好かれてて……」
「私たちにはそんな要求しないのにねえ」
「手、繋ぎたいって言わないんですか……?」
話を逸らすためにも聞いてみる。二人とも恨めしそうに、言わなーい、と異口同音だ。
子どもが親と手を繋ぎたがるようなもんだと思ってたけど、この二人はザンセ的には親認識ではないのか。一番親っぽいことしてるはずなのに。
「お世話係の私たちより懐かれてるってどういうことなんでしょうね……」
「何が違うんだろう……本当羨ましい、ずるい……」
代わってもらえるなら代わってほしいんだけど。そのほうが母子っぽくて普通だろ。
しかし、ザンセの中では俺ってどういう人物なんだろう。
犬猫だってなんやかんやいって、一番お世話してくれる人を好きになりそうなもんだけどな。
※ ※ ※ ※ ※
施設に帰ってくるなり、ザンセはソファで横になって寝てしまった。
何度も試着して疲れたんだろう。俺とザンセだけ広間に残され、荷物を部屋に置いてきた二人が戻ってくる。
「あらっ、お茶用意してくれたの?」
「はい。お疲れさまです」
帰ってきたら買ったお菓子を食べよう、と話していたから、先にお茶を用意しておいた。
仁科さんは感心したように言う。
「本当にしっかりしてるねぇー。うちの息子もこんなふうに育ってくれたらいいなあ」
「ハチくん、女子力高いって言われない?」
「えっ。いや、言われないです……」
女子力……? 女子っぽいとか言いたいのか?
知らんけど、その前に施設以外でこんなふうに喋れる人いない、とは言えなかった。
あれ。お茶用意するくらい普通じゃないのか……?
「すみません。少しお邪魔します」
お菓子を開封しているとザンセが起き上がり、そのタイミングで広間に人がやってきた。
荘司さんだ。研究所に所属している医療スタッフの若い女性だ。ザンセの日々の健康管理を担当しているらしい。健診のために来たんだろう。
「あ。ちょうどいいところに。荘司さんもよかったら一緒にどうですか?」
仁科さんは親しげに荘司さんにお菓子を勧める。お世話係の人たちとはよく顔を合わせるんだろうか。他の人には内緒ね、と言いながら席を指差す。一方で荘司さんは控えめな笑みを浮かべる。
「ありがたいんですけど……。このあとも忙しいので……」
「一個食べていきなって! ぱくっと食べちゃうだけよ、ほら!」
「あ、じゃ、じゃあ、一つ……」
荘司さんはセミロングくらいの黒髪に小柄な人で、ちょっと気弱そうな印象通り仁科さんの押せ押せで受け取ることになった。
「ザンセちゃんの体調どうですか?」
「ん……も、もんだいな、でふ」
まだ口に物入ってるな。恥ずかしそうに急いで飲み込んでから、もう一度、問題ないことを伝える。
「織部くんは、どう? ザンセちゃんのことで、何か気になったこととかない?」
「特には……」
俺個人にも聞かれる。曖昧に答えると、荘司さんはにこっと愛想のいい笑みを浮かべた。
俺とザンセの間の細かな変化に注意せよとでも言われているんだろうか。健診を済ませた荘司さんは足早に立ち上がる。
「じゃあ、頑張ってね。失礼します」
「あ……はい。どうも」
荘司さんは俺にも丁寧に会釈して、広間を出ていった。
「健診かあ。結構こまめにやってるみたいで、大変ですよね」
「ザンセちゃんは大事にされてるからね」
仁科さんはやや含みのある言い方をする。その"大事"には、いろんなニュアンスが含まれている。
ザンセが普通の女の子ではないことは当然仁科さんたちだって知っていることだろう。けどこうして買い物をしたり、一緒にお菓子を食べたりしてると、そうは思えなくなってくるのが心情だ。
接する人の立場によってザンセという存在の認識は変わってくる。誰かが正しくて誰かが間違っているとは思わない。俺は一番部外者で、一番近いような微妙なポジションだけど。
「そうそう。今度のお弁当作り、ザンセちゃんもお手伝いしてみるつもりなんだ」
話のついでのように仁科さんは言う。
「できるんですか?」
「やらせてみないとわからないわよ」
やらせる気満々みたいだ。
久保田さんも、手伝いに行けとか言ってたしな。たしかにいつも貰ってばかりであれだし。
ザンセとは違うけど、俺も行ってみてもいいかもな。
※ ※ ※ ※ ※
平日の朝。
今日はザンセの登校日だということは確認済みだ。そして通路にはすでに食べ物の香りが漂っている。中に入ると、キッチンからは賑やかなお喋りの声が聞こえてきた。
広間の簡素なキッチンには仁科さんと原口さん、それから制服姿のザンセの三人が、すし詰めでぎゅっと並んで立っていた。
「……弁当作り、順調ですか?」
「わぁっ!? ハチくん!?」
「いつから!? 声かけてよ!」
「今かけました」
やっぱり気づいてなかったか。
わざわざ食材を持ち込んで弁当作りをすることは聞いていた。一応、手伝うつもりで来たんだけど、三人もいると手を出す隙間がなさそうだな。
しかしこうも女性だらけだと、広間に来たときはいつでも、化粧品コーナーみたいなにおいが染み付いて漂っている気がする。
「大丈夫なんですか? 原口さん……はともかく。仁科さんの家は……」
二人とも朝早くに来たり、休日も時間を割いたりと、だいぶな労働時間な気がする。
仁科さんは子供のいる家庭だったはずだ。お? 独身差別か? という原口さんの声が聞こえた気もするけど。
「一年だけだし、大丈夫よ。他の業務はだいぶ緩くしてもらってるもん」
仁科さんは楽しそうに笑ってるが、とはいえだいぶ善意で引き受けてくれてるんだろう。一年だけだとわかってるからっていうのもあるだろうけど。
「こういうのないと、ザンセちゃんもきっと寂しいだろうから……って高校生がそんなこと気にしてるんじゃないわよ」
仁科さんはダイニングテーブルに置いていた弁当箱に詰めるついでに、ばんっと俺の背中を叩いてくる。意外と強くてよろめいた。
言われてみれば。この人と俺、十歳以上も年離れてるんだよな。年下のガキにこんな心配されても困るか。
「あ、ついでだからこれ。味見してもらいなよ」
原口さんがザンセに箸を渡している。鍋の中のものに突き刺して、ご飯だよと指示を出して再度俺を指差す。
「はち。ごはん」
「ちょ、ちょっと待て」
ザンセが箸を突き出したポーズでまっすぐに歩み寄ってくる。まさか、このまま受け取れとな。
「自分で食うからいいよ」
箸を奪おうとするが、そもそも離す気があるかどうか。そうこうしてる間に、ほかほかと湯気が出たじゃがいもからは汁が滴り落ちそうだ。
観念するしか。箸じゃなくザンセの手のほうを掴んで、こっちから食べ物を迎えにいく。これならまあ自分で食ったような体にはなる。
うん。味は見た目通りだ。ちょっと熱いけど。じゃがいもの煮っころがし。醤油味がよく利いてた。
ザンセは箸の先端を間近で俺に向けたまま、じっと固まってる。
「……おいしいよ」
口を押さえてそう言うと、ザンセはくるりと踵を返してさっさとキッチンに戻っていった。仁科さんたちの顔は、はい。もう見るまでもなし。
てか、今さらだけどザンセも手伝ってるんだな。制服の上にちゃんとエプロンつけてると、家庭科の調理実習中みたいだ。小間使いくらいならできるんだろうか。
出来上がった弁当を渡されて、学校に行く。
渡されたといっても、二個ともザンセが保冷バッグに入れて持っている。俺が持つと言って引っ張ってもがっしり掴んで離してくれなかった。つまりはまた昼休憩に襲撃されること確定だ。
俺がいるということで、今日はザンセも徒歩で通学になった。
ザンセはいつもどおり送迎してもらえばいいのに。わざわざ一緒に歩く必要もない。が、登校時間に余裕はあるし、ザンセに合わせて、今日はゆっくり歩くか。
「はち」
呼ばれて、アピールされる前に、気づいた。
制服姿でちゃんと学生鞄も肩にかけて、片手には保冷バッグを提げたザンセが、手をずいっと差し出してきている。
本当、好きだな。
「……大通りに出るまでだからな」
ザンセの手を握る。なんだか不格好だけど、同じ学校の制服を着ていると、一緒に登校するほどイチャついてるカップルみたいなんだよな。
同校の生徒に遭遇しませんように、と祈りながら歩くしかない。大通りに出るまでなら平気だ、と思いたい。
諦めて手を繋いで、狭い住宅街の小道を並んで歩いた。
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