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四章・前編「休息と成長の一時」
03.何もない日
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目を覚ましたら、明るかった。
窓の外からは、朝日よりも強い日差しが差し込んでいる。
通行人の賑わう声まで聞こえてくる。朝方のまだ静かな街の雰囲気とは明らかに違う。
俺は、何をしていたんだったか。
眠って、いたのか?
ここは、宿屋だ。ベッドの上だ。しかし。
……いつベッドに入ったんだったか?
思い出せない。
昨日、ミリアと、いつもどおりに夕食を取っていたような……。
起き上がろうとしても、体が、信じられないぐらいだるい。
なんでこんなだるいんだ。今まで、こんなこと、あったか。妙なくらいの不調だ。何かの病気というわけでは、さすがにないと思うが。
怠けてる場合か。反対側のベッドに、ミリアの姿はない。というか、窓の外の明るさと、人の賑わい的に、今は昼時だろう。そんな時間まで寝ていたのか、俺は。
最悪だ。規則正しい生活を心がけていたのに。なんでこんな怠けたことに……。
上体を起こすと、途端に脳みそが、ぐらっと揺れた。
少しの目眩程度ではなかった。このまま起き上がってもいいんだろうか、と不安になる。思い出したように、ガンガンと頭痛までしてきた。
とりあえず、脇に置いてあった水に手を伸ばす。その近くには、紙が置いてあった。ミリアの置き手紙だ。もしかしたら水も、ミリアが用意しておいてくれたのかもしれない。
ゆっくり水を飲んで、頭痛と目眩が収まるのを待つ。しかし、気だるさと、気持ち悪さは依然抜けないままだ。
これは、今日一日は、まともに動けそうにないな。こんな状態で魔物討伐など、死の危険がある。やめておいたほうがいいだろう。
しかし、なんだってこんな、意味のわからない不調に襲われているのだろうか。
とりあえず、上着を着て、宿を出る。
足下がおぼつかない。ふらふらする。が、ミリアの姿を探して、とりあえずギルドに向かう。置き手紙どおりなら、ミリアは一人で依頼を受けているはずだし。
ミリアは、街中での依頼を受けた、とギルドの人間に聞いた。
ぼうっと歩いている道中で、ようやく思い出してきた。昨日の夜の出来事。
……酒だ。
俺は、隣の席の冒険者に聞いてみて、ミリアに見たいと言われて、それならと試してみたんだった。
酒とは、こんなにも翌日まで影響が出るものなのか。いや、しばらく記憶が飛んでいたなど、危険極まりないのでは。一応、昨日は終始ミリアがついていたはずだ。さすがに大丈夫、だとは思うが。
……情けない。本当にいったい何をやってたんだ、俺は。
「ミリア」
街道で、ミリアと鉢合わせた。
依頼を終えて、ちょうど戻ってくるところだったのだろうか。ミリアは、俺を見て、ぎょっとした顔をしていた。
「あれっ? クロウさん! 今日は、一日宿で休んでてくださいって、手紙置いてったじゃないですか! なんでここにいるんですか!?」
「ミリアがいないから、と……探しに……」
「ああもー! そんな心配しなくても、もう勝手なことしないですよ! 気を付けてますよ!」
ミリアはそう怒っている。
たしかに最近は、ミリアに危なっかしさを覚えて肝を冷やすような場面は、減った気がする。すぐ他人と接触を持つし、一人でウロウロするところは変わっていないはずなのに、なぜか片時も目が離せないほどではなくなった、という印象だ。
しかし、それでも、心配で探しにくるのは当然じゃないだろうか。
とりあえず、ミリアと一緒にギルドに成果を報告しにいく。報酬金を受け取って、ギルドの外に出ると、ミリアは釘を刺すように言った。
「あ、さすがにわかってると思いますけど。今日はクロウさんは依頼受けるの禁止ですからね」
「当たり前だ。さすがにやらない……」
あとなんだか、こうして管理されているかのように叱られることが増えた気がする。なぜだろうな。
この不調では、言われるまでもないが。今日一日は、なるべく安静にして、早く回復させるしかないな。
「しかし、となると……」
何をしていればいいのだろうか。
剣は修繕したばかりだし、装備品は揃ってるし、街中はだいたい見て回ったし。これといって、済ませておきたい用事はない。安静にしているにしろ、ずっと寝ていなければならないほどではないし……。
「うーんと……。じゃあ、あそこに行きましょう」
「あそこ?」
俺が悩んでいると、同じく悩んでいたらしいミリアは、言った。
「ネーヴェさんからおすすめだって聞いたんです。街のはずれのほうなんですけど、広い公園があるんです。景色もきれいで……あと、その」
「あと?」
「えっと、その。あー、これはいいです!」
ミリアは、やや頬を染めて、言葉を切った。
街の広場にある地図を確認してから、郊外に向かう。地図を見た限り、相当広い敷地面積のようだった。
公園にたどり着く。樹木で敷地をぐるりと囲った、鮮やかな萌黄色の草地が広がっている場所だ。樹木の均一的な配置や、草地の整い具合からして、一目で頻繁に人の手が入って管理されているのだとわかる。
その奥には、舗装された、遊歩道というのか。それが大きな池を囲うように敷かれていた。この池は、自然物を生かしたものなのだろうか。水上を気持ち良さそうにすーっと滑っている生物は、果たして純粋な野生なのかどうか。
ずいぶんと、金のかかった場所だな。しかし、疑問が募る。
ここに来て、何をしろというのか、と。
広いから、剣の鍛練には使えそうだが、武器を振るのは禁止だというマークがあった。そうしないと、無作法な冒険者連中の溜まり場になる可能性があるからだろう。
ここにいる人々は、家族連れで何かしら遊び道具を持ち込んで遊んでいるか。それか、舗装された道を散歩しているらしき、男女二人組が多い印象だ。
こういう、ただ広いだけの、管理された場所、というのは。人工的だから、景色がきれい、とかは感じようがないし。まるでどうしていいのかわからない。
「じゃあ、はい。どうぞ!」
ミリアに連れられるがまま、端のほうの木陰に入って、草地に並んで腰を下ろす。
草の長さが程好いおかげか、座り心地はいい。天気も晴れていて、木陰にいるとちょうどいいくらいの気温だ。
しかしミリアの動作に、首を傾げる。
ミリアは、俺に向かって、両腕を広げていた。
「……なんだ」
「さあ! どうぞ!」
「……なにがだ」
ミリアは、示すように、自身の膝を叩く。
威嚇か何かか。
「もー! 鈍すぎますよ! こうです、こう!」
ミリアは俺の後頭部を掴むと、自身のほうへと無理やり引き寄せた。
ミリアの膝に、頭を置いたような格好になる。逃げようとしても、上からぐっと頭を押さえつけられた。
「クロウさん、何かしてないと、すぐそわそわして落ち着かないんですから。だから、今日は、これです」
「これはなんだ」
「膝枕、です!」
「それはわかる」
その言葉と、行為ぐらいは知っている。
「なぜこんなことを――」
しかし、これをされる意味がわからない。
そう口を開くが、ミリアは遮るように、俺の目を手の平で覆った。
「今日はこういう時間です。やることは、これです」
絶対安静、というほどではない。しかしかといって、済ませておきたい用もない。剣を振るのも、体調的に危険だ。
だから、今日は、これがやること……。と言いたいのか。
聞こえてくるのは、風が鳴らす、頭上の木の葉の音だ。遠くからはうっすらと、人の楽しげな笑い声も聞こえてくる。
静かだが、静かすぎないぐらいの音があって、ちょうどいい。木陰という位置も、涼しくて適温だ。悪い居心地じゃない。
なら、今は、これでいいか。どうせ、することもないわけだし。
体の力を抜く。ミリアの手の下で、目を瞑る。そうすると、俺が逃げる心配がないとわかったからか、ミリアは俺の髪に触れてきた。
「なんか、懐かしいな」
ミリアは、ふと口を開いた。
「レヴィさんにも、同じことしたからかな」
ぴく、と耳が反応する。
レヴィにも?
なんだと。これと同じことを、か。いつだ。いや連れ去られたときか。そのときしかないな。
相当、距離が近い行為だが。何があってそうなったのか知らないが、まさか先を越されていたとは。
複雑な気分だ。苛立ちというほどではないが。モヤモヤするような、ヤキモキするような。
「……レヴィさん、誰かに似てるって、思ったんですよね」
ミリアは、独り言のままのように、続けた。
「最初に見たとき。なんだか、すごく寂しそうな笑い方をする人だな、って思って。……誰に似てたのか。思い出しました」
ミリアは、指先で俺の髪をいじるように触れながら、言った。
「最初、会ったときの、クロウさんです」
「最初……?」
「二人旅になる前です。今はもう、似てるなんて思わないんですけど」
ミリアは茶化すような笑い声を漏らす。
最初に会ったとき。俺がまだ毒の森で生活していたとき、か。
「似てる……か……?」
言われて、レヴィのことを思い出す。
容赦なく剣で襲いかかられ、岩をぶつけられ。口を開けば、饒舌に嫌味と罵倒ばかりだった。
そう至るまでの事情があったのは、なんとなくは察した。しかしやはり思い起こされるのは、激情家な印象ばかりだ。
あれに似てる、とは。あまり思われたくないし、そもそもまるで似てるとも思わない。むしろ、真反対の性質じゃないだろうか。
「何が似てる、とかは、上手く言えないんですけど。なんだか、自分で自分を押さえつけちゃってる、みたいな。自分のことをわざと見ないようにして。一生懸命縛りつけようとしてる、っていうふうに見えて。そういうところが、似てたのかな、って」
ミリアは、よくわからない説明を口にする。俺のことを指し示すように髪を撫でる。
「クロウさんも、そうだったんですよ。なんとか冷たく振る舞おうとしてた、みたいな。わざと、そういうふうにしようとしてるみたいだったな、って。……本当は、こんなに優しい人なのに、ですよ」
ミリアの声が、やや近くなった。顔を近づけてきたらしい、というのがわかる。
しかしミリアは、すぐに、ごまかすように笑う声で言った。
「そういうところが、なんだか似てて。だから、ほっとけなかったのかも、って……」
ミリアは、そう言うと、黙り込んだ。
……わからない。俺とレヴィが似ている、というのもそうだが。ミリアが感じた印象というのが、あまりに抽象的というか、感覚的すぎて。あと説明も、やっぱりいまいち要領を得ないし。
自分で自分を押さえつけてる。前までの俺は、そうだったのだろうか。そして今は違うのだろうか。
思い出そうとしてみる。しかし、どうしてもわからない。そもそも、優しい、というのも、ただミリアが前向きなだけというか、他人の性質をとにかくプラスに受け取る性格なだけな気がするし。
優しい、か。優しいって、なんだろうな。
「……そうだ。ミリア」
「はい?」
レヴィの話が出たことで、ずっと疑問だったことを思い出した。
「レヴィは、結局のところ、なぜ精霊の力を欲していたんだ?」
レヴィは、精霊の降臨の儀式を行おうとしていた。そのためにミリアに接触し、俺に襲いかかってきたはずだ。
〈聖下の檻〉を裏切ってきたのは事実だろう。なのになぜレヴィは、精霊の力を求めていたのか。そしてなぜ途中で諦めたのか。
精霊を追う組織の一員としてではなく、あくまで一個人として。その理由が、ずっとわからなかった。
「……呪術を壊してほしかったみたいです」
ミリアは、ぽつりと呟くように言った。
風の音にかき消されそうなほど、小さな声だった。
言い淀んだ声、というよりも、何か感情を抑えるような言い方だった。
「あの呪術さえなければ。レヴィさんは、わたしたちに味方することができるって。あれさえなければ……って。そう言ってました。だから……」
しかし、俺に触れていたミリアの指先が、小さく震えた。
それと同時に、声音も、微かに震えていた。
「……助けてくださいって、言ってたんです。呪いが、自分ではもうどうにもできなかったみたいで。でもそれさえなければ、って。だから、精霊の力が、必要だったから……」
ミリアの声は、どんどん不安定になっていく。
目を開ける。しかしミリアの手は、また俺の視界を塞いでいる。
泣いてる、のだろうか。見られたくないのかもしれない。
どう返事すればいいのかもわからない。言葉が出てこなかった。
……そうだったのか。
呪術についての詳細は知らない。たぶん魔術の一種なのだろうという予想と、あとは呪いという言葉の意味合いどおりのものとして推測しているだけだ。
しかしレヴィにかかっていた呪術は、精霊ほどの力でなければ解除不能だったのか。自力ではどうしようもなかったのだと。
だから、精霊に頼ることを選んだ。それさえなければ、俺たちに味方することもできた。そんなことも、言ってたのか。
「……知らなかった」
レヴィは、ミリアの前では、いったいどんな人物だったのか。
何も知れなかった。聞くことさえできなかった。俺はただ生け贄に捧げるためだと、襲いかかられただけだ。
しかし、レヴィの目的自体は。何も根本から俺たちに敵対しようとしていたわけではなく。
ただ自分が、助かるためだったのではないか。
「うん……そうですよね。知らなかった、んですもんね」
ミリアは、確認のように呟く。
「クロウさんからしたら、当然なんだと思います」
何が当然なのか。
あのときの俺の行動が、という話だろうか。
しかし言葉が続かなかったのか、ミリアはそのまま、押し黙った。
なぜか、不意に、謝る言葉が出てきそうになった。
レヴィは敵だ。敵対しようとしたわけじゃなくとも、危害を加えられたのは事実だ。その認識は今でも変わらないし、間違っているとも思わない。
だから謝るのはおかしいし、そもそもミリアに謝っても意味がない。
なら、何に対する謝罪なのか。
答えが見つからずに、結局口を閉ざした。
「暗い話になっちゃいましたね」
ミリアは、話を逸らすように、笑い声を漏らす。
「……あのときは本当に、勝手なことして、ごめんなさい」
ミリアは、改まったように、謝ってきた。
「いや……」
ミリアは、勝手な行動を取った。俺は、一応は、それに巻き込まれるような形になっていたのだ。
当時の自身の行動。……それは正しかったのだろうか。
正しいとは、なんなのだろうか。
何が正しくて、悪いのか。
いったい誰が、それを決めるのだろうか。
「あ、そうだ。たしか今日です」
するとミリアは、唐突に言った。
「夜、街の広場でイベントがあるみたいなんです」
「イベント?」
「あ、参加費とかは特にかからないみたいです! 見るだけなんですけど、規模も大きくてすごいんだって」
関係ないことを話し出す。
わざと、なのかもしれない。
「人混みは絶対すごそうですけど。せっかくですし、見に行きませんか?」
レヴィのことは、もう過ぎたことだ。終わったことだ。再び思考の奥に封じ込めようとする。
……それでも、どうせどうしようもなかったのだからと、考えるのをやめるのは、違うのかもしれない。
けど今は、目の前のミリアに意識を戻す。
「わかった」
イベント事となると、人混みを想像しただけで、嫌になる。
けれどミリアが行きたいと言うなら。ミリアと一緒なら。
その隣なら、たぶん俺も、悪い気分にはならないはずだ。
窓の外からは、朝日よりも強い日差しが差し込んでいる。
通行人の賑わう声まで聞こえてくる。朝方のまだ静かな街の雰囲気とは明らかに違う。
俺は、何をしていたんだったか。
眠って、いたのか?
ここは、宿屋だ。ベッドの上だ。しかし。
……いつベッドに入ったんだったか?
思い出せない。
昨日、ミリアと、いつもどおりに夕食を取っていたような……。
起き上がろうとしても、体が、信じられないぐらいだるい。
なんでこんなだるいんだ。今まで、こんなこと、あったか。妙なくらいの不調だ。何かの病気というわけでは、さすがにないと思うが。
怠けてる場合か。反対側のベッドに、ミリアの姿はない。というか、窓の外の明るさと、人の賑わい的に、今は昼時だろう。そんな時間まで寝ていたのか、俺は。
最悪だ。規則正しい生活を心がけていたのに。なんでこんな怠けたことに……。
上体を起こすと、途端に脳みそが、ぐらっと揺れた。
少しの目眩程度ではなかった。このまま起き上がってもいいんだろうか、と不安になる。思い出したように、ガンガンと頭痛までしてきた。
とりあえず、脇に置いてあった水に手を伸ばす。その近くには、紙が置いてあった。ミリアの置き手紙だ。もしかしたら水も、ミリアが用意しておいてくれたのかもしれない。
ゆっくり水を飲んで、頭痛と目眩が収まるのを待つ。しかし、気だるさと、気持ち悪さは依然抜けないままだ。
これは、今日一日は、まともに動けそうにないな。こんな状態で魔物討伐など、死の危険がある。やめておいたほうがいいだろう。
しかし、なんだってこんな、意味のわからない不調に襲われているのだろうか。
とりあえず、上着を着て、宿を出る。
足下がおぼつかない。ふらふらする。が、ミリアの姿を探して、とりあえずギルドに向かう。置き手紙どおりなら、ミリアは一人で依頼を受けているはずだし。
ミリアは、街中での依頼を受けた、とギルドの人間に聞いた。
ぼうっと歩いている道中で、ようやく思い出してきた。昨日の夜の出来事。
……酒だ。
俺は、隣の席の冒険者に聞いてみて、ミリアに見たいと言われて、それならと試してみたんだった。
酒とは、こんなにも翌日まで影響が出るものなのか。いや、しばらく記憶が飛んでいたなど、危険極まりないのでは。一応、昨日は終始ミリアがついていたはずだ。さすがに大丈夫、だとは思うが。
……情けない。本当にいったい何をやってたんだ、俺は。
「ミリア」
街道で、ミリアと鉢合わせた。
依頼を終えて、ちょうど戻ってくるところだったのだろうか。ミリアは、俺を見て、ぎょっとした顔をしていた。
「あれっ? クロウさん! 今日は、一日宿で休んでてくださいって、手紙置いてったじゃないですか! なんでここにいるんですか!?」
「ミリアがいないから、と……探しに……」
「ああもー! そんな心配しなくても、もう勝手なことしないですよ! 気を付けてますよ!」
ミリアはそう怒っている。
たしかに最近は、ミリアに危なっかしさを覚えて肝を冷やすような場面は、減った気がする。すぐ他人と接触を持つし、一人でウロウロするところは変わっていないはずなのに、なぜか片時も目が離せないほどではなくなった、という印象だ。
しかし、それでも、心配で探しにくるのは当然じゃないだろうか。
とりあえず、ミリアと一緒にギルドに成果を報告しにいく。報酬金を受け取って、ギルドの外に出ると、ミリアは釘を刺すように言った。
「あ、さすがにわかってると思いますけど。今日はクロウさんは依頼受けるの禁止ですからね」
「当たり前だ。さすがにやらない……」
あとなんだか、こうして管理されているかのように叱られることが増えた気がする。なぜだろうな。
この不調では、言われるまでもないが。今日一日は、なるべく安静にして、早く回復させるしかないな。
「しかし、となると……」
何をしていればいいのだろうか。
剣は修繕したばかりだし、装備品は揃ってるし、街中はだいたい見て回ったし。これといって、済ませておきたい用事はない。安静にしているにしろ、ずっと寝ていなければならないほどではないし……。
「うーんと……。じゃあ、あそこに行きましょう」
「あそこ?」
俺が悩んでいると、同じく悩んでいたらしいミリアは、言った。
「ネーヴェさんからおすすめだって聞いたんです。街のはずれのほうなんですけど、広い公園があるんです。景色もきれいで……あと、その」
「あと?」
「えっと、その。あー、これはいいです!」
ミリアは、やや頬を染めて、言葉を切った。
街の広場にある地図を確認してから、郊外に向かう。地図を見た限り、相当広い敷地面積のようだった。
公園にたどり着く。樹木で敷地をぐるりと囲った、鮮やかな萌黄色の草地が広がっている場所だ。樹木の均一的な配置や、草地の整い具合からして、一目で頻繁に人の手が入って管理されているのだとわかる。
その奥には、舗装された、遊歩道というのか。それが大きな池を囲うように敷かれていた。この池は、自然物を生かしたものなのだろうか。水上を気持ち良さそうにすーっと滑っている生物は、果たして純粋な野生なのかどうか。
ずいぶんと、金のかかった場所だな。しかし、疑問が募る。
ここに来て、何をしろというのか、と。
広いから、剣の鍛練には使えそうだが、武器を振るのは禁止だというマークがあった。そうしないと、無作法な冒険者連中の溜まり場になる可能性があるからだろう。
ここにいる人々は、家族連れで何かしら遊び道具を持ち込んで遊んでいるか。それか、舗装された道を散歩しているらしき、男女二人組が多い印象だ。
こういう、ただ広いだけの、管理された場所、というのは。人工的だから、景色がきれい、とかは感じようがないし。まるでどうしていいのかわからない。
「じゃあ、はい。どうぞ!」
ミリアに連れられるがまま、端のほうの木陰に入って、草地に並んで腰を下ろす。
草の長さが程好いおかげか、座り心地はいい。天気も晴れていて、木陰にいるとちょうどいいくらいの気温だ。
しかしミリアの動作に、首を傾げる。
ミリアは、俺に向かって、両腕を広げていた。
「……なんだ」
「さあ! どうぞ!」
「……なにがだ」
ミリアは、示すように、自身の膝を叩く。
威嚇か何かか。
「もー! 鈍すぎますよ! こうです、こう!」
ミリアは俺の後頭部を掴むと、自身のほうへと無理やり引き寄せた。
ミリアの膝に、頭を置いたような格好になる。逃げようとしても、上からぐっと頭を押さえつけられた。
「クロウさん、何かしてないと、すぐそわそわして落ち着かないんですから。だから、今日は、これです」
「これはなんだ」
「膝枕、です!」
「それはわかる」
その言葉と、行為ぐらいは知っている。
「なぜこんなことを――」
しかし、これをされる意味がわからない。
そう口を開くが、ミリアは遮るように、俺の目を手の平で覆った。
「今日はこういう時間です。やることは、これです」
絶対安静、というほどではない。しかしかといって、済ませておきたい用もない。剣を振るのも、体調的に危険だ。
だから、今日は、これがやること……。と言いたいのか。
聞こえてくるのは、風が鳴らす、頭上の木の葉の音だ。遠くからはうっすらと、人の楽しげな笑い声も聞こえてくる。
静かだが、静かすぎないぐらいの音があって、ちょうどいい。木陰という位置も、涼しくて適温だ。悪い居心地じゃない。
なら、今は、これでいいか。どうせ、することもないわけだし。
体の力を抜く。ミリアの手の下で、目を瞑る。そうすると、俺が逃げる心配がないとわかったからか、ミリアは俺の髪に触れてきた。
「なんか、懐かしいな」
ミリアは、ふと口を開いた。
「レヴィさんにも、同じことしたからかな」
ぴく、と耳が反応する。
レヴィにも?
なんだと。これと同じことを、か。いつだ。いや連れ去られたときか。そのときしかないな。
相当、距離が近い行為だが。何があってそうなったのか知らないが、まさか先を越されていたとは。
複雑な気分だ。苛立ちというほどではないが。モヤモヤするような、ヤキモキするような。
「……レヴィさん、誰かに似てるって、思ったんですよね」
ミリアは、独り言のままのように、続けた。
「最初に見たとき。なんだか、すごく寂しそうな笑い方をする人だな、って思って。……誰に似てたのか。思い出しました」
ミリアは、指先で俺の髪をいじるように触れながら、言った。
「最初、会ったときの、クロウさんです」
「最初……?」
「二人旅になる前です。今はもう、似てるなんて思わないんですけど」
ミリアは茶化すような笑い声を漏らす。
最初に会ったとき。俺がまだ毒の森で生活していたとき、か。
「似てる……か……?」
言われて、レヴィのことを思い出す。
容赦なく剣で襲いかかられ、岩をぶつけられ。口を開けば、饒舌に嫌味と罵倒ばかりだった。
そう至るまでの事情があったのは、なんとなくは察した。しかしやはり思い起こされるのは、激情家な印象ばかりだ。
あれに似てる、とは。あまり思われたくないし、そもそもまるで似てるとも思わない。むしろ、真反対の性質じゃないだろうか。
「何が似てる、とかは、上手く言えないんですけど。なんだか、自分で自分を押さえつけちゃってる、みたいな。自分のことをわざと見ないようにして。一生懸命縛りつけようとしてる、っていうふうに見えて。そういうところが、似てたのかな、って」
ミリアは、よくわからない説明を口にする。俺のことを指し示すように髪を撫でる。
「クロウさんも、そうだったんですよ。なんとか冷たく振る舞おうとしてた、みたいな。わざと、そういうふうにしようとしてるみたいだったな、って。……本当は、こんなに優しい人なのに、ですよ」
ミリアの声が、やや近くなった。顔を近づけてきたらしい、というのがわかる。
しかしミリアは、すぐに、ごまかすように笑う声で言った。
「そういうところが、なんだか似てて。だから、ほっとけなかったのかも、って……」
ミリアは、そう言うと、黙り込んだ。
……わからない。俺とレヴィが似ている、というのもそうだが。ミリアが感じた印象というのが、あまりに抽象的というか、感覚的すぎて。あと説明も、やっぱりいまいち要領を得ないし。
自分で自分を押さえつけてる。前までの俺は、そうだったのだろうか。そして今は違うのだろうか。
思い出そうとしてみる。しかし、どうしてもわからない。そもそも、優しい、というのも、ただミリアが前向きなだけというか、他人の性質をとにかくプラスに受け取る性格なだけな気がするし。
優しい、か。優しいって、なんだろうな。
「……そうだ。ミリア」
「はい?」
レヴィの話が出たことで、ずっと疑問だったことを思い出した。
「レヴィは、結局のところ、なぜ精霊の力を欲していたんだ?」
レヴィは、精霊の降臨の儀式を行おうとしていた。そのためにミリアに接触し、俺に襲いかかってきたはずだ。
〈聖下の檻〉を裏切ってきたのは事実だろう。なのになぜレヴィは、精霊の力を求めていたのか。そしてなぜ途中で諦めたのか。
精霊を追う組織の一員としてではなく、あくまで一個人として。その理由が、ずっとわからなかった。
「……呪術を壊してほしかったみたいです」
ミリアは、ぽつりと呟くように言った。
風の音にかき消されそうなほど、小さな声だった。
言い淀んだ声、というよりも、何か感情を抑えるような言い方だった。
「あの呪術さえなければ。レヴィさんは、わたしたちに味方することができるって。あれさえなければ……って。そう言ってました。だから……」
しかし、俺に触れていたミリアの指先が、小さく震えた。
それと同時に、声音も、微かに震えていた。
「……助けてくださいって、言ってたんです。呪いが、自分ではもうどうにもできなかったみたいで。でもそれさえなければ、って。だから、精霊の力が、必要だったから……」
ミリアの声は、どんどん不安定になっていく。
目を開ける。しかしミリアの手は、また俺の視界を塞いでいる。
泣いてる、のだろうか。見られたくないのかもしれない。
どう返事すればいいのかもわからない。言葉が出てこなかった。
……そうだったのか。
呪術についての詳細は知らない。たぶん魔術の一種なのだろうという予想と、あとは呪いという言葉の意味合いどおりのものとして推測しているだけだ。
しかしレヴィにかかっていた呪術は、精霊ほどの力でなければ解除不能だったのか。自力ではどうしようもなかったのだと。
だから、精霊に頼ることを選んだ。それさえなければ、俺たちに味方することもできた。そんなことも、言ってたのか。
「……知らなかった」
レヴィは、ミリアの前では、いったいどんな人物だったのか。
何も知れなかった。聞くことさえできなかった。俺はただ生け贄に捧げるためだと、襲いかかられただけだ。
しかし、レヴィの目的自体は。何も根本から俺たちに敵対しようとしていたわけではなく。
ただ自分が、助かるためだったのではないか。
「うん……そうですよね。知らなかった、んですもんね」
ミリアは、確認のように呟く。
「クロウさんからしたら、当然なんだと思います」
何が当然なのか。
あのときの俺の行動が、という話だろうか。
しかし言葉が続かなかったのか、ミリアはそのまま、押し黙った。
なぜか、不意に、謝る言葉が出てきそうになった。
レヴィは敵だ。敵対しようとしたわけじゃなくとも、危害を加えられたのは事実だ。その認識は今でも変わらないし、間違っているとも思わない。
だから謝るのはおかしいし、そもそもミリアに謝っても意味がない。
なら、何に対する謝罪なのか。
答えが見つからずに、結局口を閉ざした。
「暗い話になっちゃいましたね」
ミリアは、話を逸らすように、笑い声を漏らす。
「……あのときは本当に、勝手なことして、ごめんなさい」
ミリアは、改まったように、謝ってきた。
「いや……」
ミリアは、勝手な行動を取った。俺は、一応は、それに巻き込まれるような形になっていたのだ。
当時の自身の行動。……それは正しかったのだろうか。
正しいとは、なんなのだろうか。
何が正しくて、悪いのか。
いったい誰が、それを決めるのだろうか。
「あ、そうだ。たしか今日です」
するとミリアは、唐突に言った。
「夜、街の広場でイベントがあるみたいなんです」
「イベント?」
「あ、参加費とかは特にかからないみたいです! 見るだけなんですけど、規模も大きくてすごいんだって」
関係ないことを話し出す。
わざと、なのかもしれない。
「人混みは絶対すごそうですけど。せっかくですし、見に行きませんか?」
レヴィのことは、もう過ぎたことだ。終わったことだ。再び思考の奥に封じ込めようとする。
……それでも、どうせどうしようもなかったのだからと、考えるのをやめるのは、違うのかもしれない。
けど今は、目の前のミリアに意識を戻す。
「わかった」
イベント事となると、人混みを想像しただけで、嫌になる。
けれどミリアが行きたいと言うなら。ミリアと一緒なら。
その隣なら、たぶん俺も、悪い気分にはならないはずだ。
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