バベル 頂上を目指す者たち

tanuki

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第3話 レイ②

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どこまで続いているんだろう。入り口の明かりも微かになり、暗闇へ不安を感じ始めたときレイを強烈な浮遊感が襲った。

「っ……!!」

口から内臓が出てきそうな嗚咽感に思わず身体が丸まる。ギュッと目を瞑りなんとか吐き気に耐える。やがて波が引くように吐き気は去っていき、レイが顔を上げたときには辺りはさっきまでと様変わりしていた。

永遠の一階層。バベルができたばかりの頃、この場所はそう呼ばれていた。貧困の中を生きてきたレイでもそれぐらいの知識はあった。

レンガで作られた壁を見た。それは一見ただのレンガ造りのようにも思えるが、実際はどれだけ強力な爆弾を使用しても傷一つつかないという。いま手で触ってみても普通のレンガとの違いはわからなかった。

「ここが……バベル」

身に刻まれた不幸からか、レイの表情は乏しかったが心臓は先ほど盗掘者に絡まれていたときよりも早鐘を鳴らしていた。

「父さんや母さんもここを通ったのかな」

自分よりも早くにバベルを登ってしまった肉親の姿が思い浮かんだ。

「さぁ、行こう」

感傷に浸ってはいられない。レイには目的があった。

レンガ造りの鍾乳洞のような道は時折折れ曲がり、先を見通すことを拒んだ。規則正しく並んだレンガの道は、レイを神聖な場所へ足を踏み入れたような気持ちにさせた。

シャーリー、少し遅れても許してくれよ。

空想の妹は穏やかな笑顔を浮かべている。それはあくまで空想だった。現実では妹は病に犯され、頬はこけてしまい、手足も病と栄養不足により小枝のように痩せ細っている。レイが脳裏に浮かぶのは幼い頃の溌剌とした妹が健やかに成長した姿だった。

一階層は長年の盗掘によりその全貌が解明されている。内部の詳細な地図も出回り、ギルドに行けば安価で手に入れることができる。クランと呼ばれる盗掘者のチームを結成している者の中には一階層を新人の練習場として使用するところもあった。熟練の盗掘者にとって一階層はその程度のものだった。

ひたすらに通路が続いていた。レイの額からも少しずつ玉のような汗が浮き出ている。レイは地図を持っていない。単純に金銭的な事情で買えなかった。だがその代わりにかつて盗掘者だった父が遺したメモを持っていた。

バベルで盗掘者らしい末路を迎えた父の顔をレイはほとんど覚えていない。だが父が残したメモは幼い頃から絵本代わりに何度も読んだ。身体を壊すまで働いてレイを育ててくれた母もやはり盗掘者として認定されたらしいが、学業の成績も良かったため、ギルド特区で働くことで盗掘者の責務は免除となった。そしてそこで父と出会ったのだという。

「やっぱり……ないなぁ……」

レイは歩きながら狭い通路に目をやる。バベル内部には光源のようなものは存在しない。それなのに辺りが良く見えるというのはバベルの不思議の一つだった。改めてバベルの中にいることを実感する。そして聞いていた通り、今までレイはあれだけ盗掘者がいるにも関わらず誰とも出会っていない。

「すごいな。世界に僕一人しかいないみたいだ」

バベルには次元の層があると言われている。入り口を通ったとき、層を分けて人間をバベルの中へと運ぶのだ。だから、これだけ沢山の盗掘者がいるにも関わらずバベルの内部では共に入り口を通った者としか出会わない。ただそれは浅い層だけど、層を登るにつれて他の盗掘者とも顔を合わせるようになっている。何故そうなっているのかは誰にもわからない。ただ地下社会で生きる者たちはバベルの果実を「そうである」と受け止めることに慣れている。

何本かの分かれ道をメモを頼りに曲がり、階段までもう少しのところまできた。正しい道が分かっているとはいえ随分と歩いた。もし闇雲に歩き回っていたらどうなっていたか。レイは顔を思い出せない父に感謝した。足の裏にはサイズが合ってないせいかもおう豆が出来ている。

レイは着古されたズボンのポケットから小さな袋を取り出した。メモによれば階段の前には必ず悪魔が陣取っているらしい。レイは小袋から何かを取り出した。メモを除けばこの小袋がレイの唯一の持ち物だった。

別れ道を右に曲がり、長い一本道の先に開けた空間に見える。そこには一匹の悪魔がいた。

『ハングリードッグ』と呼ばれる悪魔は、四つ足で本当に犬とよく似た姿形をしていた。悪魔特有の真っ赤に染まった瞳が見えなければ街を迷い込んだ犬と思うかもしれない。昔はこの悪魔に挑み、命を落とすものも数多くいたが、盗掘者に経験が蓄積されていくにつれ今では若い盗掘者の登竜門的存在になった。

とはいえ、13歳のレイにとって野犬と戦うことは無謀がすぎる行為だ。獰猛な顔つきに思わず腰がひけそうになる。

「フー……」

ゆっくり息を吸って、吐き出す。父のメモに書いてあった。大きなことをする前にはこうやって心を落ち着けると良いらしい。

「スー……」

愚直に繰り返す。少しだけ恐怖がなくなった気がした。倒す必要はない。あいつに追いつかれずに奥の階段をかけ登ることが出来れば僕の勝ちだ。レイが足の指に力を入れると、豆の痛みとは別に靴越しの地面の感触が伝わってくる。

あいつが背中を向けたら……。

背中を向けたら……。

背中を……──今だっ!!

「っああああああああああ!!!!」

それは声はレイの意図したものではなかった。自分を奮い立たせるためについ出てしまったものだった。

レイは奥にある階段へと疾走する。しかし、それを上回る速度でハングリードッグは反応した。

ハングリードックの動きは早かった。四つ足の身体は危険に対して機敏に動けるようにできていたし、レイの走りは力が入りすぎてややから回っていた。

ハングリードッグはすぐさま振り返り、レイの姿を視界に入れたと思ったときには弾けるように飛びかかっていた。

──かはっ!

レイの喉から声にならない声が漏れる。ハングリードッグは頭から横殴りにレイの腹部へ飛び込んでいった。肝臓が衝撃に揺れる。声を張り上げたせいでただでさえ縮んでいた肺からは最後の搾りかすが漏れた。

ハングリードッグは転がり痛みに悶えるレイを前足で押さえつけた。身体をおさえる体躯はレイよりも大きいぐらいだった。獣特有の唸り声が漏らし、涎を垂らす口からは牙がのぞいている。

両腕を押さえ込まれてしまったレイが足でもがくが、ハングリードッグの体躯は揺るがない。

獲物の足掻きを楽しんだ後、ハングリードッグは恐怖を煽るようにレイの顔に鼻先を近づけた。開いた口が歪んで笑っているようにも見える。まさしく悪魔そのものだった。

ゆっくりと牙をレイに見せつけ、その顎がより大きく開かれたその時──

「──ぺっ!」

レイの口から何かが吐き出され、油断しきった悪魔の口の中へと飛び込んだ。

ハングリードッグは口腔内への刺激に「きゃん!」と犬らしく吠えた。警戒からか距離をとったハングリードッグだったが、それは大きな間違いだった。いくらか弱い獲物といえども、生殺与奪の権利を手放すべきではなかった。まず息の根を止めるべきだったのだ。

レイは素早く身を起こして、口元を拭う。口の中が痺れている気がした。もしかしたらカプセルを口に含みすぎたのかもしれない。手指を動かして、動作に支障は無いかを確認する。

レイが吐き出したもの、それは強力な痺れ薬だ。これ父が遺したものだ。メモによるともともとは二階層の果実の一つである「七色の花弁を持つ毒花」から精製したものらしい。今では加工されカプセル状になっていた。レイは走り出す直前にこのカプセルを口に含んでいた。唇の裏に挟み、なるべく唾液で濡らさないように。ハングリードッグはしばらく唸りながらレイを警戒する素振りを見せたが、そのうち電池が切れたようにコロンと横になった。レイはホッと息を吐いた。そして奥にある階段へ向かおうとして……止まる。

レイの想定では最後の保険である痺れ薬を使おうとも、いち早く上の階層へ向かうつもりだった。しかし、命を失いかけたことによる興奮はレイに別の選択肢が生み出した。

ハングリードッグは地に伏して動かない。その姿はそこらの野良犬が寝ているようだった。そもそも、なぜ悪魔の姿が動物と酷似しているのかは今だにわかっていない。階層毎に現れる悪魔の種類には法則があったが、それには個体差というものが存在した。その中には『ユニーク』と呼ばれる非常に強力な個体は多く盗掘者たちの命を奪っていた。

バベルの毒も決して万能ではない。効く種族と効かない種族があり、発揮する効果も個体によって違う。目の前の悪魔は一時的に動けないだけかもしれない。次の瞬間にはレイに襲いかかる可能性も十分にあった。レイもそのことは承知している。毒薬のことも過信していない。ただ、原始的な本能が13歳の理性を上回った。

「……」

すでに頭の中にはなんの言葉も浮かんでいない。レイと悪魔、ただその立場が逆転しただけだ。本能は恐怖を抑えつけ、レイの足を寝転がる悪魔の元へ進めた。

悪魔を見下ろすまで近づいた。レイは武器の類を持っていない。悪魔の息の根を止めるには己の身体を使うしかなかった。レイは目一杯の力を込めて悪魔の前足の付け根にあたる部分を抑えつけた。両前足がレイに押さえつけられ無様に左右に広がった。

真っ赤な目がレイを見ている。

上下は入れ替わっていたが、さっきとそっくり同じ体勢だった。命のやり取りの経験を持たないレイは、ハングリードッグの真似を無意識にしたのかもしれない。

レイは腕にしっかりと力を込め、己の最も硬い部位を振りかぶる──トマトが潰れるような音がした。勢い余って牙に当たったか、レイの頭からも血が流れていた。悪魔が呼吸をするようにか細い唸りをあげた。

レイは両手を使って悪魔の頭をしっかりと固定し──また自分の頭を振り下ろした。

ぬかけるんだ土を踏むような音がしばらく続いた。

機械的に動作を繰り返し、興奮と振り下ろした頭の痛みからその行為の意味があやふやになってきたとき、その瞬間は訪れた。

悪魔が青白く輝き、身体が解けるように粒子状の光へと変わっていく。その光はレイへと吸い込まれていった。

バベルが授ける果実は形あるものだけではない。

この現象もまた人類がバベルを崇める要因の一つだ。

特定の悪魔は絶命するときに、敵対者へ祝福を授ける(もちろん人間が便宜上祝福と呼んでいるだけだが)祝福は人間の能力を強化し、様々な効果を発揮する。とはいえ、発生する確率は高くはないし、悪魔がいる階層によって祝福の内容は変化した。

レイがうけた祝福は所詮は一階層の悪魔のものだ。それでも成人男性より圧倒的に劣る13歳のレイには大きなものだった。

粒子の吸収が終わった時、額にあった傷はかさぶたになっていてレイが指で触るとポロポロと剥がれた。

レイは賭けに勝った。命をテーブルにのせ、バベルの果実を得た。

レイは立ち上がり階段へ向かう。体力まで回復したのか、足の重さや倦怠感も無くなっていた。

無心で階段を登っていると覚えがある浮遊感がレイを襲う。しかし、もう身体を丸める防御姿勢はとらない。

「シャーリー……」

胸の前で拳を握る。目を閉じると痩せ細った妹の姿が浮かんだ。それは最後に見た妹の姿だった。レイの顔にはまだ血の汚れが残っていたが、笑みを浮かべる横顔は13歳の少年のものだった。
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