ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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四章

二節

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 ローレンスは倒れたニエの代わりにランゲルハンスの看病をしていた。死神としての役目を終え、今は白くなった右手で甲斐甲斐しく世話を焼く。

 夫婦のベッドに寝かされた大男ランゲルハンスの顔色は酷く青ざめていた。

 枕許の丸椅子に座したローレンスは溜め息を吐く。

 夫が倒れた事、そして我が子と違わぬ愛情を注いでいたアメリアの腕を切断された事によりニエは精神的に参っていた。彼女も倒れ、現在キルケーの屋敷で看病されている。青ざめた肌の夫を間近で見たら体に障るだろう、とキルケーが配慮しニエを引き取ったのだ。

 しかし一体どうしたのだろうか。

 ローレンスは眉を下げた。

 ランゲルハンスが倒れたのは初めてだ。パーンに胸を刺された時でさえ冷徹な彼は平然と佇んでいた。どうして急に倒れたりしたのだろうか。

 肌が透け、静脈がうっすらと覗くランゲルハンスの顔をローレンスが見つめていると、ドアが開いた。

「水と砂糖とカップ、持って来たぜ」入室したのはシラノだった。

「ありがとう」

 シラノはランゲルハンスの所属者だ。その名の通り『シラノ・ド・ベルジュラック』を想い起こさせる程に長い鼻をしていた。『ピノキオみたいね』と微笑むユウに豪快に笑い返していた。本人は外見を気にしてないようだ。しかし長い鼻に慣れて居らず、時々窓に挟んで怪我をしたり、俯せで眠れないと愚痴を零したりしている。

 長い鼻に慣れていない。それもその筈だろう。シラノはローレンスの無二の相棒だったイポリトなのだから。彼はステュクスでヒュプノス神二柱に絡まれ、死の切っ掛けを与えられた。死の間際、イポリトはローレンスののアメリアに胸の内を告白した。命が尽き、この島にやって来た。無論水脈を通ったので記憶も失っている。記憶を失っているものの、ランゲルハンスの達しでアメリアはローレンスの娘だという事実をイポリトから隠した。彼にとってその事実は全ての記憶を取り戻すトリガーになる。簡単にトリガーを引かれては試練にはならない。その為の達しだった。

 砂糖壷を渡したシラノはニエのクラブサンに触れる。鍵盤が身を埋め軽い優しい音が鳴る。

 青白く光る瞳を潤ませるローレンスにシラノは声を掛ける。

「……おい。お前も具合が悪いのか?」

 涙を拭い、洟をすするローレンスは手を動かす。

「う、ううん。大丈夫だよ」

「……まあ、知り合いの腕を切り取られちゃ誰だって気分悪くなるよな」溜め息を吐いたシラノは腕を組んだ。

 湿らせたハンカチに砂糖水を含ませたローレンスはそれをランゲルハンスの唇に充てがった。

 舌に甘い露が落ち、ランゲルハンスは意識を取り戻した。

 鈍色の隻眼を伏せたランゲルハンスは焦点が定まっていないのか暫くぼぉっとする。しかしローレンスに気が付くと鼻を鳴らした。

「起きたんだね。倒れてからずっと眠ってたから心配したよ」

 安堵の溜息を漏らしたローレンスは身を起こそうとするランゲルハンスの介助を行う。しかし杖のような痩躯の男が大男の介助を出来る筈がない。ローレンスは重い筋肉の塊を動かせず困窮する。

 肩をすくめたシラノはローレンスを退かせるとランゲルハンスの介助をしてやった。

 上半身を起こしたランゲルハンスは浅い溜め息を吐くと眼の端で周囲を見遣る。……ニエが居ない。最愛の妻の所在を問おうとすると、シラノが『心配するな。アイアイエ島で療養している』と気を回した。

「……そうか」ランゲルハンスは瞳を伏せた。

 眉を下げて窺っていたローレンスが口を開く。

「一体どうしたって言うんだよ? 急に倒れたりして……」

「先日は細君共々憤っていたのに、今日は私の心配か。どういった風の吹き回しかね?」ランゲルハンスは冷笑する。

「友達を心配するのは当然の事だろ!」ローレンスは瞳に涙を浮かべて熱り立った。

「知己の乙女の腕を切断した男を心配してどうするのかね?」

「ああ! 悪魔の掟とは言え、勝手に契約を破ったアメリアの腕を切断した事を憤ってるさ! でもそれはそれ、これはこれだろ!? 君と僕は親友だろ!? 心配するのは当然の事だ!」

 儚い体躯のローレンスは肩を上下に揺らして激昂した。シラノはそんな彼の肩を掴むと擦ってやる。

「おい、悪魔のおっさん。あんまり苛めるなや」

 ランゲルハンスは深い溜め息を吐く。

「……夢を見た」

 洟をすするローレンスは問う。

「……どんな?」

「私が私で無くなる夢だ」

 大きな瞳を見開いたローレンスは涙を頬に伝わらせた。

 ランゲルハンスは気怠そうに言葉を続ける。

「普段眠らない私が倒れて夢を見るくらいなのだから、予知夢だろう。……土の精霊と対立し、喰って心臓に縛り付けた話をフォスフォロから聞いてるだろう? 貴奴が私の体を乗っ取る夢を見た」

「どうして……どうしてそんな夢を今更……」ローレンスはしゃくりあげる。

「……さあ、何故なのだろうな」

 ランゲルハンスは深い溜め息を吐いた。

 するとノックの音が響いた。

 ランゲルハンスは入室を促した。部屋に入ったのは白衣姿の悪魔ヘルマン・ファン・ライルと診療カバンを提げたホムンクルスのディーだった。

「やっほー」ライルは間の抜けた声で挨拶をする。

「……こんにちは、ランゲルハンス、ローレンス。それから……」上半身裸のディーはシラノに気付くと彼を見つめた。

 シラノは自分を喰い入るように見つめる鈍色の瞳を見つめ返す。

「俺はシラノだ」

「……そう。宜しく、シラノ」ディーは視線を落とすと診療カバンを床においた。

 彼らの挨拶を黄色と鈍色が混在する瞳の端で眺めていたライルは自分を見据えるランゲルハンスに視線を移す。

「招いていない」仏頂面のランゲルハンスは鼻を鳴らした。

「僕はキルケーちゃんに頼まれて来たのぉ。ハンスが倒れたって聞いたから診察しに来たんだよー」ディーにアルコールを渡されたライルは手指を消毒する。

「……余計な事を。手遅れだ」

「手遅れかどうか判断するのは医者の仕事ぉ。生は医者の領分、死は神と悪魔の領分。ま、僕は悪魔で医者だから最強だよねー」

 ケラケラと笑うライルをディーが窘める。

「ライル。口を動かすなら手も動かす」

「はぁい」

 ライルは問診するとディーがサイドスツールに並べた器具を使い、丁寧にランゲルハンスを診察した。先程のふざけていた様子とは裏腹にライルは真剣な眼差しで診る。シラノやローレンスには聞き慣れない単語や言語がライルとディーの間で飛び交う。

 一通り診察したライルはヘラッと笑った。

「うん。確かにヤバいねぇ。心臓に張り付いてるヴルツェル君おっきくなってるー」

「だから言っただろう」

 二人の悪魔の会話にローレンスは涙を滲ませた。

「話を聞く限り、この間交わした契約が第三者のアメリアちゃんによって破棄されたのが原因みたいだねー」

 ローレンスの表情が凍り付いた。

 ディーに渡されたカルテをライルは眺める。

「無理も無いよねぇ。第三者が悪魔の契約を破るなんて万死に値する行為だけど、ハンスはアメリアちゃんに手加減しちゃったもんねぇ。つまり悪魔の掟破りぃ。それが原因で魔力が急激に減少したみたい。殆ど空に近い状態だよぉ。それによってヴルツェル君がおっきくなってるんだから、医者の僕が正直言うと『よく呼吸してるね』って状態だよー」

「……土に還るのだな」

「うん。ニエちゃんと交わったとしてもヴルツェル君に魔力を吸収されるだけだと想うよ。このままだと土に還るかヴルツェル君に体を乗っ取られるかどっちかだねー」

 一同は俯き黙した。

「どうするー?」ライルは間の抜けた声で問うた。

「どうもこうも詮無いだろう。年貢の納め時だ」ランゲルハンスは鼻を鳴らした。

「えぇ? 僕が執刀するから治るよぉ」

 顔を上げた男達はライルを見遣った。

「僕が訊いてるのはハンスの心臓から引き剥がしたヴルツェル君の魂をどうするかって事ぉ」

 ローレンスとシラノはランゲルハンスを見遣った。

 隻眼を閉じていたランゲルハンスは瞼を開く。

「……私の勝手で自由を奪ったのだ。解放してやらねばならない」

「解放するって……また君を土に戻そうとしたらどうするんだよ!?」ランゲルハンスに近寄ったローレンスは肩を掴んだ。

「どうもしない。私は彼の裁きを受けるだけだ」

「残されたニエや僕、島民の気持ちを考えろよ!」

「案ずるな。この島の化身の私が土に還ったとて、死ぬ訳では無い。島は存続する」ランゲルハンスはローレンスを横目で見る。

「そんな事を言ってるんじゃないよ! 僕は君を心配してるんだ!」

「案ずれば心が圧し潰されるぞ?」

「心配したいから心配しているんだ!」

「無駄な事を」

 この一言には心根の優しいローレンスも流石に傷ついたらしい。『もういいよ!』と怒鳴ると足音を荒げて部屋を出て行った。

 静まり返った部屋でランゲルハンスは深い溜め息を吐き、ライルは『あーあ』と悪戯っぽく微笑む。

「おい。おっさん」シラノはランゲルハンスを睨んだ。

「……何かね?」ランゲルハンスは横目で見遣る。

「もっと他に言い方があんだろ?」

「……泣き暮れているよりかは憤っていた方がまだ楽だ」

「最もだと想うが、あーゆータイプは家で泣き暮れるぜ?」

「……そうか」

「不器用だな」

 鼻を鳴らしたシラノは『一つ貸しだからな』と言ってローレンスの後を追いかけた。
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