ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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五章

四節

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 季節が幾つか過ぎた。ランゲルハンスとヴルツェルは時折ケイプやプワソンとワインを嗜んだり、黒ブドウの収穫時期にはディオニュソスのワイナリーまで旅をしたりと、友情を続けていた。

 その日は冬の訪れとワインの醸造を祝い、ヴルツェルの家で四大精霊、ディオニュソス、スーホ、ランゲルハンスで食卓を囲んだ。

 ヴルツェルが作った鳩料理を始めイワナの燻製、イワナの卵の塩漬け、そしてプワソンが作ったハーブのサラダや木イチゴのタルトがテーブルに並ぶ。四大精霊とランゲルハンスの名前が彫られたカップも食卓に並んでいた。

 フォスフォロは木のカップを出す。ディオニュソスとスーホの名前が彫られていた。

「持っててくれるとはね。嬉しいよ」フォスフォロはヴルツェルに微笑む。

「貴様が取りに来ないので置いているだけだ」ヴルツェルは鼻を鳴らした。

「素直じゃないなぁ」

 ヴルツェルは鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 視線の先にはケイプとディオニュソスが居た。彼らは御馳走にはしゃいでいた。ディオニュソスの付き人のスーホは、乾杯前に鳩料理に手を付けるケイプとディオニュソスを窘めた。

「スーホ、ケチケチするなよ」唇を尖らせたディオニュソスはパンパンに膨れた顔を更に膨らませた。

「ダメです」スーホは首を横に振る。

「そうだ、そうだ! スーホ、ケチケチするな! 減るモンじゃねぇだろぉ!」ケイプは子供のように駄々をこねた。

「ダメです。減るものです」

 彼らの駄々にスーホが溜め息を吐くと、見かねたプワソンがケイプの頬をつねる。

「ごめんなさいね、スーホ。このお馬鹿によく言って聞かせるから堪忍して下さいな」プワソンは眉を下げつつ微笑む。頬をつねる指は離さない。ケイプは悲鳴を上げた。

 一同は笑った。

「お二人さん、仲が良いな!」ディオニュソスは大きな腹を揺らす。

「まるで夫婦みたいだ」フォスフォロはウィンクをプワソンに投げた。

「結婚式が楽しみですね」スーホは微笑んだ。

「すると、この島初の夫婦だな」ランゲルハンスは喉を小さく鳴らして笑う。

 一同に揶揄われたケイプとプワソンは互いを見遣ると頬を染めた。プワソンはケイプの頬から手を離すとそっぽを向き、ケイプは鼻を鳴らした。

 カップにワインを満たすと一同は乾杯した。和やかな食事が始まった。

 ディオニュソスとケイプは料理に喰らい付く。それをスーホとプワソンが窘め、フォスフォロは女姿のランゲルハンスを口説く。しかし軽くあしらわれた。

 ヴルツェルはワインを嗜みつつ、賑やかな一同を眺めて長い耳を楽しげに動かしていた。

 するとプワソンのお小言から逃れたケイプが、ヴルツェルのカップにワインを満たす。

「やっと逃げられた。恐ぇのなんのって。ガミガミ雷落しやがって」ケイプは隣に座した。

「仲が良さそうだった」ヴルツェルはケイプのカップにワインを注いだ。

「仲はいいけどよ、カミサン面されるのはちとな。まだ可愛い彼女のつもりなんだがなぁ。縛られるにはまだ早すぎるぜ」ケイプは苦笑した。

「……やはり一緒になるのか?」

「ゆくゆくはなって……お前さん、そんなに喋った方じゃねぇだろ? いつの間に饒舌になっていやがんだ!?」

「ハンスと毎日話している」

「マジかよ!? 何話してんだよ?」

「島の水脈や自然、哲学、詩作等々話が尽きない」ヴルツェルはカップに口をつけた。

「っかぁーっ! 色気無ぇ話してんな。どうせボイン姿のハンスとつるんでるんだろ? もっとエロい話しろよ。あいつ、気があるだろうから絶対ヤらせてくれるぜ?」

「気がある? ヤらせる? それは何だ?」

「ヤるっつーたらもうアレしかねぇってのよ。男と女が一つ所で」

 グフフフ、と笑っているとケイプの首根っこを額に青筋を立てたプワソンが背後から掴んだ。驚いたケイプはワインが入ったカップを床に落とした。

「なにイヤらしい話をしているのかしらぁ?」プワソンはケイプに肉薄した。

「堪忍! 堪忍して、プー」ケイプは胸の前で両手を合わせて眉を下げる。

 仲良く喧嘩するケイプとプワソンを尻目にヴルツェルは床に溢れたワインを拭く。夫婦や恋人も決して楽ではなさそうだが、楽しいものだろうと想った。

 楽しい時間は直ぐに過ぎる。酔いが回った各人はテーブルに突っ伏し、椅子の背に凭れた。酒に強いランゲルハンスは暖炉の前で粛々とワインを傾けていた。火は色の白い顔を煌煌と照らす。時折薪が爆ぜる小さな音が聞こえる。

 ケイプやプワソンの肩にブランケットを掛けたヴルツェルはワインを嗜むランゲルハンスの隣に座した。

「皆潰れてしまったか」ランゲルハンスは呟いた。

「ああ。君はうわばみだからな」

 ヴルツェルはポケットに手を忍ばせた。夏の終わりに採取した黄色い花の種が入った小瓶を取り出した。モノクロームの縞の種をランゲルハンスに差し出す。

「食べるか?」

「……いいのか? 大切な種だろう?」

「一つの花からうんざりする程取れる。五つ程残してある」

「だったら花畑を作れば良い」ランゲルハンスは微笑んだ。

「春になったら蒔くのか?」

「そうだ。背高の黄色い花の海が出来るだろう」

 瞳を閉じたヴルツェルは瞼の裏に花畑を描く。

「……確かに美しいが、一斉に枯れたら私が種を取るのだろう? 気が遠くなりそうだ」

「眉を顰め汗水垂らして、日がな一日花の種を採取する君を想像すると愉快だな」ランゲルハンスは失笑した。

「ハンスは手伝ってくれないのか?」

「私は君の料理を食べるのが専門でね。手伝う気など毛頭ない。……相伴しよう」

 ランゲルハンスは種を握り締めたヴルツェルの手を優しく取る。しかしヴルツェルは手を固く握り締めたままだ。

「どうした? 開き給え」

 ランゲルハンスは掌をこじ開けようとした。しかしヴルツェルは手を開かない。ランゲルハンスは苦笑した。

「……気が変わった。この花の種は全部蒔く」ヴルツェルは鼻を鳴らした。

「そう言われると無性に食べたくなるな」

「幾つか食べて貰っても構わないが……種蒔きと生育は手伝って貰う。正直一人では手に負えない。頼む」ヴルツェルはランゲルハンスを見据えた。

「……精霊の君が悪魔の私に物事を頼むとはね。悪魔に願うには対価が必要だ」

 ヴルツェルは思案する。瞳を伏せて握った手を見つめる。

「……ではハンスが望むものを一つ与えよう。……何が良い?」

 ランゲルハンスは失笑する。

「冗談を真に受けるとはな。……しかし何を望むかと聞かれても答えられないものだな。何でもいいのか?」

「ああ。何でも良い。ハンスが好きなハト料理でも燻製でも新しい料理でも作ろう」

「待て。まるで君の料理が私の物ではないような言い方をするではないか」ランゲルハンスはヴルツェルを見据えた。

「当然だ。毎食作ってはトウゾクカモメのような隣人に横取りされ憤らない馬鹿が何処に居る。あれは島主様の風変わりな家賃徴収法と想って我慢しているんだ」

 ヴルツェルは鼻を鳴らした。ランゲルハンスは毎食、皿とカトラリーを持って料理をたかりに行くのが日課だった。

「……君の料理を食べるのは当然の権利だと想っていた」

「なんたるモノポリストだ」ヴルツェルは溜め息を吐いた。

「では仕方ない。毎食の料理は家賃として受け取ろう」

「……詫びの一言も口に出さないのはハンスらしい」ヴルツェルは柔らかなブロンドの髪から覗く長い耳を動かした。

「私は悪いと想っていないからな。悪いと想ったら謝る。この前、君の書籍に水をこぼしただろう。あの時は本当に申し訳ないと想って謝った。大切な書籍だったのだろう? 今でも悔やんでいる」

「知っている。ハンスの言葉には重みがある。『ありがとう』も『すまない』も心の底から想っていると分かるから聴けるんだ」

「君の言葉だってそうだろう」

「お互い様と言う事か」

 二人は互いを見遣った。ランゲルハンスは喉を小さく鳴らして笑い、ヴルツェルはユリの蕾のような長い耳をピョコピョコと楽しげに動かした。

 静かに笑う二人を時折爆ぜる暖炉の火が優しく照らした。
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