ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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五章

八節

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 ランゲルハンスは採取した精子を元に錬金術でホムンクルスを鋳造した。

 ランゲルハンスはライルと別れてからもやり取りをしていた。互いの島へ行き来する事はないが魔術、錬金術の相談はしていた。ホムンクルスを鋳造していると聞いたライルはランゲルハンス島を訪れた。そして力を貸した。ホムンクルスを作るなら小さな者ではなく、人間のように大きな者にしようとライルは提案した。悪魔達は巨大な容器を用意した。

 彼らは精子を蒸留瓶に入れ密閉し丸四十日腐敗させた。そして生まれた小さな女にランゲルハンスは自らの血液を与え、小さな女が住まう巨大な蒸留瓶を三十八度に調節した。小さな女は日々成長し、四十週経つ頃には女姿のランゲルハンスと同程度の背になった。ホムンクルスが住むのに巨大過ぎた容器はいつの間にかちょうど良いサイズになっていた。

 ランゲルハンスは満足そうに微笑み、ライルは狂喜乱舞した。

 ホムンクルスの女は美しく聡明だった。精子提供者のヴルツェルに似て賢く、ホムンクルス故に魔術を多少扱えた。あたかもランゲルハンスとヴルツェルの間に設けられた生命のようだった。ランゲルハンスの品の良さとヴルツェルの利発さを併せ持っていた。彼女の髪はブロンドで、瞳は紫をベースに鈍色が混じった不思議な色だった。眼差しは優しい。妖艶なハスキーボイスで主人に声を掛けた。

「……造物主、何なりとご命令を」容器の中で膝を折り、彼女は頭を下げた。

「君には死神相手に働いて貰う。場所を用意した」大男姿のランゲルハンスは容器越しに彼女を見下ろす。

「しかし私は容器を出て生きる事は叶いません」ホムンクルスは瞳を伏せる。

「別の容器を用意した。ここよりもずっと広い空間だ。そこで君は死神の統括者となる。彼らの為に働き給え」

「畏まりました、造物主」ホムンクルスは深々と頭を下げた。

「ランゲルハンスだ」

「畏まりました、ランゲルハンス様」

 ランゲルハンスはホムンクルスにパンドラと名付け、事前に用意していた歪んだ空間に彼女を送った。聡明なパンドラは書籍を愛した。一人娘の為にとランゲルハンスは歪んだ空間を図書館のように設えてやった。

 死神の爛れた手が水辺の壁に触れると、歪んだ空間が現れ中に入れるようランゲルハンスは魔術で調節した。そしてパンドラの図書館から死神が冥府へ出入り出来るように設えた。こうして死神が集う図書館『ステュクス』は開館した。

 時折ステュクスへ訪れてはパンドラの仕事ぶりをランゲルハンスは眺めた。パンドラは事務や人事をそつなくこなし、死神の管轄区の交代制度や昇級制、賞罰等をハデスに提案した。短期間に提案が幾つも出るとは想ってもみなかったようで、ハデスは舌を巻いた。

 ヴルツェルに似てパンドラは賢い一方、ランゲルハンスのように時折冗談を言っては死神を和ませた。そして死神の話に耳を傾け、よく微笑んだ。彼女は死神に好かれた。

 一方、ヴルツェルはパンドラの存在とランゲルハンスを快く想っていなかった。勝手に性を弄ばれた事、責任を取れぬ生命を生み出された事に憤りを感じていた。

 しかしランゲルハンスは取り合わなかった。自分が責任を持ってパンドラの後見人になる。ヴルツェルは飽く迄も精子提供者であるのがランゲルハンスの言い分だった。

 口論になった。言い争う二人の側のテーブルにはチャトランガや花の種が入った小瓶が置かれていた。

「しかしそれこそ相談して欲しかった」ヴルツェルは女姿のランゲルハンスを睨む。

「相談したではないか。良い統括者はいないかと」ランゲルハンスは涼やかな眼付きでヴルツェルを見据えた。

「確かに私は『何か手伝える事はあるか? ハンスの力になりたい』と言った。しかし子種を提供するとは言っていない!」

「ではもし私が『君の子孫が欲しい』と言ったなら君は首を縦に振ったか?」

「……馬鹿な事を! 私は愛を教えてやれないし、第一君は夢魔だ。子を生せない!」

 鈍色の瞳から涙が溢れた。

 ヴルツェルは思慮の無い発言を悔やんだ。

「……そうだ。私は自分の種を持つ事も、自分の腹から子を生む事も許されない」ランゲルハンスは悩ましげにくびれた腹に手を当て、鈍色の瞳でヴルツェルを見据える。

 鈍色の瞳に映るヴルツェルは俯き『悪かった』と頭を垂れた。

「……謝るな。これではあまりにも惨めだ」ランゲルハンスは瞳を閉じた。

「軽率だった。君の気持ちを顧みなかった」ヴルツェルは頬に伝ったランゲルハンスの涙を指で拭う。

「……私が夢魔ではなく人間だったら……君を欲するただの女だったら、君は私を抱いたか? 唇を許したか?」ランゲルハンスは花の種が入った小瓶を見遣る。

「私と君は無二の友人だ。……それに愛は性欲とは次元の違うものだ。私は君を愛しているが、君の体を欲した事は一度としてない」

 ランゲルハンスは項垂れると、ヴルツェルを軽く押し離した。

「……そうか。分かった。分かったよ。私が真に欲する物は決して君からは与えられないのだな。悪かった……これからも良き友人として側に居てくれ」

 ランゲルハンスはヴルツェルの家を出て行った。やり切れなくなったヴルツェルは血が滲む程に拳を握り締めた。生まれて初めて自分と他人に怒りを覚えた。

 その後もランゲルハンスとヴルツェルの友情は続いた。しかし以前のようにランゲルハンスは家を訪ねる事はなかった。

 増えゆく島民の為に働く事によってランゲルハンスはヴルツェルと距離を置いた。精力的に土仕事や酪農をする島主を島民は高く評価した。ランゲルハンスは持て得る限りの自然の知識を島民に与え、生活が現世に居た頃に少しでも近付くように心を砕いた。そんな心遣いに島民は感謝し、心優しい悪魔に寄り添った。

 島民に囲まれ微笑するランゲルハンスを遠巻きからヴルツェルは見守っていた。しかし声を掛ける事はなかった。

 二人の仲をケイプとプワソンは心配した。プワソンは中央地帯に居るフォスフォロにもその事を知らせた。三人でヴルツェルやランゲルハンスの許に押し掛けては仲を案じた。しかしランゲルハンスもヴルツェルも『仲違いした訳では無い。大丈夫だ』と言い張るばかりで、三大精霊に取り合わなかった。そんな日常が幾年も続いた。

 ランゲルハンスと共に島民は土に小麦を蒔いた。酪農では羊の乳を発酵させチーズを作り、羊毛から糸を紡ぎ機で布を織り、衣服を作った。ランゲルハンスは水を濾過する方法を教え、島民は病にかからず水を飲めるようになった。

 生活はある程度は豊かになった。しかし現世の生活とは比べ物にならない程原始的であった。食料は物々交換で賄っている。それ故に娯楽品を作る者もいない。また女が嗜みとしている化粧に使う道具も無い。そして男が学問に勤しむ事も無い。ただ生きる為だけに暮らしているという状態に過ぎなかった。

 これではローレンスが望んだ『笑ったり泣いたり怒ったりして楽しく暮らして欲しい』と言う願いにはほど遠い。ランゲルハンスは唇を噛んだ。生活に余裕がなければ所属者達は記憶を取り戻そうという気も起きない。

 しかしまた勝手に事を起こせば反感を買う。ランゲルハンスは溜め息を吐いた。四大精霊は記憶を失っている島民の管理者でもある。島主は自分とは言え、島の運営者は自分と四大精霊だ。一度四大精霊を集めて相談した方が良いだろう。

 四大精霊は招集を受け、ランゲルハンス宅に集まった。久し振りに顔を合わせたランゲルハンスはヴルツェルに微笑んだ。彼は瞳を閉じ軽く会釈した。

 今以上に島民の生活を豊かにさせたい、とランゲルハンスは話を持ちかけた。それを果たすには物々交換ではなく貨幣のやり取りで価値基準を作る事、そして子供の為に学校を作る事、商店を作って町を形成させる事、交通網や通信を発達させ、好きな土地に住める事を提案した。

「村から街になるのか! 面白そうじゃねぇか! あっしは賛成だ!」ケイプは親指を立てた。

「お店をやるなら私もやりたいわ! 貨幣のやり取りなら私も賛成よ」プワソンは微笑む。

「交通網や通信が発達するのは嬉しいね。ワイナリーの近くは人っ子一人居ないから住人が来ると活気づくよ」フォスフォロはウィンクを投げた。

 ランゲルハンスは微笑んだ。

 しかし眉根を寄せて自分を見つめるヴルツェルに気付く。

「……君はどう思う?」苦り切った顔つきのヴルツェルを見つめた。

 三大精霊達はヴルツェルを見遣った。彼はもぞもぞと口を動かしていたが腕を組む。

「……人が喜ぶ事なら何でもしてやりたい。しかし貨幣を流通するのは反対だ。金は悪だ。金は人の心を鈍らせる」

「何故そう想った?」ランゲルハンスは問うた。

「……以前、人嫌いの女の話をしただろう。女は人を嫌っていた。そして金を持たずに自然に寄り添い暮らしていた。きっと女の人嫌いは金の所為だと私は想う」

「詳しく話せ」ランゲルハンスは瞳を閉じた。

「……確かに貨幣が流通した事によって人間の暮らしは豊かになった。しかし持つ者と持たざる者で貧富の差が生まれ不満が生じ、争いになる。使い方を誤れば驕り、善き道から足を踏み外し、破滅する。人間とてゴブリンとて同じだ。ゴブリンは金で嫌われた。金は火のようなものだ。かつてゼウスが人間から火を取り上げただろう。与えたのにも関わらず取り上げるのは不憫だ。だったら与えなければいい」

「しかし人間を哀れに想ったプロメテウスはヘリオスとゼウスを欺き、再び人間に火を与えた。……火や金は人間にとって無くてはならない。原動力であり、文化であり、光だ」ランゲルハンスはヴルツェルを見据えた。

「私は変わった容姿ばかりか特異能力の所為で殺された。握り締めた鉱石を瞳と同じ色の鉱石や金に変える事が出来る。そのお蔭で一度は仲間に迎えられた。……隠しておくべきだった。欲に目が眩んだ仲間は殺害計画を企てた。特異な力が宿る私の手さえあればいい。手を切り落としてやれ、と。私は欲によって殺された。金によって殺されたのだ」

 ヴルツェルは涙を流した。ランゲルハンスは瞳を伏せて唇を引き結んだ。

 重い沈黙をプワソンが破る。

「……ねぇヴルツェル。あなたも大変だったわ。でもこれ以上島民が苦しい想いをするのも見過ごせないの」

 ヴルツェルはプワソンを見遣った。

「私達は精霊だから眠ったり食べたりしなくても平気よ? それに多少の不便な事を霊力や魔術で対処出来るわ。お洒落をしたり、歌を歌ってのんびり暮らせるわ。……でも島民は何も保証されていないの。作物が獲れなければ鳴り続けるお腹を抱えるしか無いわ。食べ物の事ばかりを考えて心に余裕が無いの。貴方が好きな学問をしたり、私が好きなお化粧やお洒落をする余裕もないのよ。だから……どうか、お願い」

「あっしからも頼む、ヴルツェル」

 ケイプは頭を下げる。

「あっしの所属者の夫婦に子供が生まれたんだ。あっしは学なんてねぇけどよ、その子供にゃ学校に行かせてやりてぇんだ。でもよ、学校の先生って小麦作って売ってる訳じゃねぇだろ? 小麦と教育がどれくらいの量で同じくらいなのかって分からねぇだろ? だから金って基準は必要だと想うんだ」

 フォスフォロも頭を下げる。

「貨幣文化を認めて欲しいんだ。俺はワイナリーを手伝ってる。時々所属者達にワインを振る舞ってる。でも水が安全に飲めるようになった今、酒は小麦やチーズに比べれば優先度が低いだろ? 嗜好品故に食物と交換して貰えないんだ。ディオニュソスが折角美味しいワインを醸造してくれたんだ。今は貧しくて手が出ないだろうけど豊かになれば皆が美味しいワインを飲めると想うんだ。どうかな?」

 三大精霊に頭を下げられたヴルツェルの表情は苦り切った。ランゲルハンスは彼の紫色の瞳を見つめた。

 ヴルツェルは噛み締めていた唇を開く。

「……それでも金は悪だ。金は人の心を汚す。欲を生み、争いが起き、血が流れる」

 そう言い捨てると家を出て行った。
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