ランゲルハンス島奇譚(3)「シラノ・ド・ベルジュラックは眠らない(下)」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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六章

十五節

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 一日だけ休診日が設けられたので、その日、アメリアはトゥットと共に海へ出掛ける運びになった。ディーに魔術でモノトーンストライプのビキニを出して貰った。水着を着たアメリアをディーは甚く褒めた。アメリアは頬を染めた。同じく休暇を与えられたイポリトは小屋の寝藁に寝そべり思案を巡らせていた。

 眉を下げたアメリアはイポリトの顔を覗く。

「……ねぇ。水着の女の子に何か言う事無いの?」

「……あ?」イポリトはアメリアを見上げた。

 アメリアは唇を尖らせた。

「あー……臍出して寒くねぇか? 腹下すぞ?」欠伸をしたイポリトは気怠そうに鼻をほじった。

「もういいよ!」

 憤慨したアメリアはディーに出して貰ったラッシュガードパーカーに袖を通す。すると小屋のドアを誰かが叩いた。

「きっとトゥットだ。行って来るね。水着、ありがとね」アメリアはディーに微笑むと、ドアを開け、出て行った。

 小屋の外からトゥットとアメリアの雑談が聞こえる。トゥットは『可愛いじゃん』と褒める。アメリアは照れ臭そうに笑うと礼を述べる。

 若者達の笑い声に耳を傾けたディーが溜め息を吐き、問う。

「……いいのか?」

「……あ?」

「……これでいいのか?」

 イポリトは鼻を鳴らす。

「いいんだよ」

 取り留めの無い話をしつつ白い砂浜へとアメリアとトゥットは向かった。診療所へ向かう道と同じ道を歩く。アメリアは笑顔を向ける。

「お休みの日っていいね。こんな素敵な所で休みを過ごせるなら、みんな喜ぶよ」

「そだね。観光地にするって凄い。宿泊施設作って他の地域から人を集めれば賑やかになるし、楽しくなる。それに住みたくなる。緑があればもっと良いけど、それでも素敵じゃん。……イポリトさんって頭いいじゃん」トゥットは微笑み返した。

 最愛の男を褒められ、アメリアは微笑を浮かべる。腰に白い布を巻いたトゥットはそんな彼女を見て溜息を漏らす。

「羨ましいなぁ。アメリアみたいな一途な彼女が居るなんてイポリトさん勝ち組じゃん。俺も早く彼女欲しい。そんな可愛い水着着た泳げる彼女欲しい」

「この街じゃ泳げる女性がいないもんね。漁は男の仕事になってるもの。今度水泳教室開こうよ。泳げる彼女出来るかもよ?」

「いいアイディア。アメリアも先生やってくれる? それで俺をヨイショしてよ。『女の子に優しいよ』って」

「いいよ」

 砂浜に着くと軽く準備運動をして二人は海に入った。冷ややかな海水が陸の湿気を纏った肌から熱を奪う。漁から戻って来た仲間にトゥットは揶揄われつつも軽く潜る。アメリアも息を吸うと彼の後を追い、潜った。

 トゥットの案内でアメリアは海中に住む様々な生物に出会った。彼らはイポリトとの口喧嘩で悲しみに沈んだアメリアの心を慰めた。以前トゥットが話していた黒い斑点や細かい三角形の柄、紫の巻貝を眺めた。思わず触れたくなったが『毒があるからダメだよ』とトゥットに諭された。貝以外にもオレンジの縞の魚、白と黒の縞を纏った魚、団扇のような大きな胸びれを広げた魚、真っ青な体色に眩しくなるような黄色の尾びれをした魚、細い口を尖らせた黄色い魚に出会った。

 海面から顔を出したアメリアは嬉々として感想を述べる。

「凄い! 栄養が乏しい海って聞いたけど色んな種類の魚が居るんだね。カラフルで絵を眺めてるみたい!」

「アメリアの水着みたいな白黒の魚も居た」

「ね。お揃いだった!」

 満面の笑みを浮かべるアメリアにトゥットは微笑む。しかし瞳を伏せる。

「……準備運動はこのくらいにして、そろそろ本格的に潜ろう」

 アメリアは頷く。

「うん。目的はあの渦だものね」

「……今更聞くけど、本当に大丈夫?」

「うん。あたしでも出来るって見せつけたいもの」アメリアは拳を握った。

 トゥットはアメリアを見つめた。

「大丈夫。きっと上手くやってみせるから。だから……芝居打つのは宜しくね」

「怒ってない?」

「全然。あたしはトゥットを助けたい。友達だもん」

 眉を下げていたトゥットは微笑んだ。

「ありがとう。……そうだ。これ飲んで」トゥットはアメリアに銀の鱗を差し出した。

「鱗?」

「ん。これを飲むと暫くの間、水中で呼吸出来る。一人前の漁師だってカシラに認められると一枚だけ貰えた」

「ライセンスみたいなもの? そんな大事な物貰っていいの?」

「ん。だってアメリアは俺の代わりに務めを果たしてくれんだからさ。だから大切な物を上げなきゃ」

「ありがとう」

 微笑んだアメリアは鱗を口に入れると飲み込む。

「……因に何の鱗?」

「何って……マーマン、カシラの鱗。今じゃ一枚も残ってないから宝物。闇取り引きにも出ない程」

「カシラって……ポンペオさんの?」

 アメリアは表情を顰めた。トゥットは笑った。

 二人は微笑み合うと海中へ潜った。



 素っ気無く接していたものの、イポリトの内心ではアメリアが気になった。寝藁に寝そべっていたがどうも落ち着かない。暇そうなディーを背負ってスクワットをして気を紛らわすがそれでも頭の片隅では彼女の事を考える。

 ああ畜生。あんな格好しやがって。全部トゥットの為だってのが気に喰わねぇ。……俺が言える立場じゃねぇよな。現世に恋人いるんだからよ。しかしそれでも腹が立つ。俺には眉を下げてつまらなそうな顔を向けるのに、トゥットの隣じゃヘラヘラ笑いやがって。

 歯を食いしばっていたが、いつの間にやら歯ぎしりをしていたらしい。ディーに咎められた。

「おい、筋トレするか嫉妬するかどっちかにしろ」

 溜め息を吐き、ディーを下ろしたイポリトは胡座をかいた。正面に座したディーが問う。

「そんなに気になるなら地獄耳を使えば良い」

「ンな事するかよ」

「じゃあ浜に行けばどうだ?」

「デートを尾行する程野暮じゃねぇよ」

「だったら尾行じゃなくてぶち壊してくればいい」

「阿呆か」

「ディーは阿呆ではない。要領が悪いだけ。進退窮まってアメリアに当たるだけのお子ちゃまイポリトにそんな事言われたくない!」ディーは鼻息を荒げて憤慨した。

「……言うじゃねぇか」イポリトはディーを睨んだ。

「ディーはイポリトに後悔させたくない。それだけ」

 イポリトは小さな溜め息を漏らす。

 ディーはイポリトを睨み返す。

「イポリトは気付いてる筈。アメリアはイポリトが好き。イポリトもアメリアが好きだ。現世に置いて来た女の義理立て? そんな中途半端な気持ちで顔も想い出せない女に会うのか? その女もアメリアも不憫だ!」

 イポリトは唇を噛み締めた。ディーは声を荒げる。

「魂は自由だ! 誰かに、法に、束縛されるものではない! それがこの島の理だ!」

 イポリトは瞳を閉じた。

 すると脳裡にある記憶が甦った。遊びの女を上がらせないと決めていた自室のベッドで自分が横たわり、女を抱きしめていた。女の薬指から糸を外すと、ベッドサイドテーブルの引き出しに仕舞う。安らかな女の寝顔を少しだけ眺める。眼下に大きな隈を作りつつもあどけない表情で眠るのはアメリアだった。

 青白く光る瞳から一筋、涙が溢れ、床に落ちた。

 ……なんで……なんでこんな記憶が出て来る? 俺とアメリアは家族なのか? 一緒に住んでいたのか? 俺はアメリアの監視役だったのか? だとしたら何故、ローレンスの居ない部屋に一緒に居る?

 唇を噛み、頭を抱えるイポリトにディーは問うた。

「想い出したのか?」

 イポリトは顔を歪める。

「分からねぇよ。頭ん中ぐっちゃぐちゃだ。……でも何かが喉に支えていて出てきそうな感じもするんだ」

 ディーは小さな溜め息を吐く。

「……アメリアの許に行け。きっと答えはそこにある」

 眉を下げたイポリトはディーに背を押され、小屋を出た。

 何をアメリアに聞けっていうんだ。どんな顔をすればいいんだ。

 イポリトの足取りは重く、ふらふらと往来を進む。

 すると海の方からトゥットの叫び声が聞こえた。アメリアが渦に巻き込まれた、と叫んでいる。

 イポリトは砂浜へと駆け出した。
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