ランゲルハンス島奇譚(1)「天使は瞳を閉じて」

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

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二章

九節

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 フォスフォロ達と別れたクチバシ医者とニエは渓流から少し離れ、上流目指して森を歩く。せせらぎと枯れ葉を踏む音が響く。ニエの茜色の髪と同色の木々が互いの濃さを競う。クチバシ医者は風景に見蕩れていた。ニエの髪が空間に解け込み、彼女が纏うモスグリーンのショールが無ければ見失っていただろう。

 ニエは遅れて歩くクチバシ医者に歩み寄ると袖を引っ張った。

「あ、ごめん。森が真っ赤で見蕩れていたよ」

 ニエは微笑する。

「いい時期に籠るなぁ。渓流釣りも楽しいだろうけど僕は枯れ葉の絨毯に椅子を置いて読書したいなぁ」

 クチバシ医者の暢気な一言にニエは頷いた。二人は再び歩む。

「ニエは有能な魔術師なんだってね。魔術を使っている所なんて一度も見た事が無いや」

 ニエは首を横に振る。クチバシ医者の手を取ると、ランゲルハンスの万年弟子である事や大魔術師のキルケーには遠く及ばない事を綴った。

「フォスフォロの奴、人魚と組みたくて嘘を吐いたな。でも泣かさないならいいや。パーンが帰ってから人魚は寂しそうだったし。笑顔になれば嬉しいや」

 微笑んだニエは手を取り、人魚とは友達なの? と問う。

「よく分からないや。人魚は僕を子分と思ってるけど僕は彼女を親分と思ってないしなぁ。一度喰われかけたけど仲は悪くないよ。皆でご飯食べた時とかアイアイエ島へ渡して貰う時とか楽しかったし人魚も楽しそうだった。ニエは人魚をどう思う?」

 名無しの魂を食べる事は嫌だけど仲良くなりたい、とニエは想いを綴った。

「そっか。良かった。ユウもリュウも気に入ったみたいだし皆、人魚の事好きなんだな」

 頷いたニエも笑う。

「また食事会しよう。人魚やフォスフォロ、今度は井戸の管理者も誘って。人魚は悪魔が苦手らしいけどきっと仲良くなれるよ。じゃなきゃ懇親会で悪魔が人魚の好物作るものか。会場はどうしよう。大人数だからキルケーの屋敷かなぁ」

 ニエは満面の笑みを向ける。

「それよりもどうしてニエは悪魔が好きなの?」

 ニエは顔を赤らめた。

 すると空気を切り裂く音が空から聞こえた。クチバシ医者は空を仰ぐ。フォスフォロに預けた白鳩が滑空しニエの肩に止まる。白鳩は一言二言囁いた。ニエは頷き空を仰ぐ。

「どうしたの?」

 ニエは白鳩の伝言をクチバシ医者に伝えた。

「雨が降るの? こんなに晴れているのに」

 頷いたニエはクチバシ医者の手を取り、歩みを速める。雨宿りの場所を早急に探さなくてはならない。山の天気は変わり易い。白鳩を飛ばしたいがフォスフォロ達の許へ着くまでに天気が持つか心配だ。諦めたニエは帆布のリュックサックに白鳩を仕舞った。

 早足で歩いている内に木々の間から覗く空は厚い雲に覆われた。

 クチバシ医者はペスト帽をニエに被せた。

「キルケーに撥水加工して貰ったんだ。僕にはマスクがあるから大丈夫だ」

 ニエは微笑んだ。

「どういたしまして」

 クチバシ医者が親指を立てた途端に空は泣き出した。激しい雨が足許を打ち叩く。

「降って来た! 急いで雨宿り出来る場所を見つけなきゃ!」

 二人は激しい雨が降る森を走った。互いの手を離した。ニエは大きな帽子を両手で押さえ、クチバシ医者は雨を吸ったトレンチコートを脱ぎつつ走った。二人共無我夢中だった。

 二人は逸れた。立ち止まったニエは暗い森を見渡すがクチバシ医者の気配はない。雨が匂いを消したので後を追えない。ニエは小さな肩を震わせた。どうしよう、手を離したばかりにクチバシ医者を遭難させたら。ニエはランゲルハンスを探すのを諦め、クチバシ医者を探す為に来た道を戻った。

 クチバシ医者は穴の中に居た。丁度成人男性一人が膝を曲げて座れる程の穴だ。ニエとはぐれたクチバシ医者は身長の二倍程深い落とし穴に落ちたのだ。

 着地と同時に足をくじいたので這い上がるのは無理だろう。水分を含んだ土に足を掛けても滑るだろう。助けを呼ぶが激しい雨音に声がかき消されるので諦めた。ニエが心配してるだろうな。手伝いに来たのに足を引っ張ったな。溜め息を吐いたクチバシ医者は激しい雨に打たれつつ救助を待つ事にした。
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