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一章
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――嘘。
「まだイくつもりなかったのに――」
魔女は突き抜けた快感に呆然とした。
真っ黒な空間に横たわるその身体を、何かが貪っている。それはいつも魔女が身体に纏っている影だった。
「んぁあ!」
影の、頭から丸呑みにする愛撫に魔女が跳ねる。
「ま、待ちなさい、一体何が」
慌てて影をたしなめて、ゆっくりと顔を上げ――。
「アルトス……?」
声は震えていた。
「――あぁ…、アルトス!」
恍惚の表情で両手を広げる魔女に向かって、影が勢いよく飛びついた。どぷんと粘着質な影が、その身体を這い回る。
「アルトス嬉しい! もっと! もっと私を求めて!!」
目を見開き笑う。
「きもちいい! アルトス、 !!」
涙が溢れる。
「 ! !! うれしいよぉ!!」
魔女が何かを言うたび、黒い影が膨れ上がる。それはまるで食事だ。
「あぁ、そこ! アルトスぅ、いい!」
濃度と体積を増してどんどん禍々しくなる。
「わたしもっとがんばるからぁ!」
足を突っ張って、空を抱きしめた。
「きもちい、 アルトスぅ!! あぁっ!!」
禍々しい影に蹂躙される魔女は全身を飲まれ、見えなくなった。
※※※
朝。
「ごめん、やりすぎた」
目を覚ましたら影がいた。
「そんな顔しないで、ごめんて」
眉間にシワが寄るのは仕方がない。朝日が差し込む寝室で、身体を仰向けに膝枕をされているのだ。
そのまま影を睨んでいると、間から柔らかな手が降りてきて頬を撫でられた。
「全部綺麗にしておいたから。いっぱい出たね、気持ち良かった?」
ピロートークのようなそれは酷く一方的なもので、相変わらず声は出ないし、身体も動かない。
「君が気を失った後もこっちで盛り上がっちゃって。無意識の君はそれはもう大変なことになってたよ」
何事か想像もしたくないが身体中が悲鳴を上げている。喉も乾いて体力はすっからかんだ。……つまり大変なことになってたよ、なのだろう。
「失礼いたします」
唐突にノックが響き、従者がやってきた。魔女はまだ膝枕をしている。顔が強張った。
「アルトス様。昨日の命令の更新に参りました」
従者は魔女に一切触れず、視線をまっすぐこちらに向けてくる。
――これが見えていないのか。
生憎、喋れない。必然と無視をし、誰もが沈黙を保ったまま、暫く小鳥のさえずりだけが響いた。大変気まずい。
「……指示がないため命令を自動更新いたします。失礼しました」
従者は目をそらして一礼し、去っていった。
「あーらら、何やらかしたの」
魔女が人差し指と親指を空中でひねる。
「全部お前のせいだ」
酷く掠れた声が出た。随分酷使したらしい。
「お前の目的はなんだ」
優しい手付きで目隠しされる。心地が良くて素直に目を閉じた。温かい手に、花の香り。魔女は何も答えない。
「俺をペットにしたいのか」
聞きたいことが山ほどある。突然消えて、現れて。昨日今日でこの変わりよう。訳がわからない。
「お前は誰だ。何を怒っている」
そして気が付いた。疲労感に包まれていた身体が生気に満ちて楽になっている。
「……この仕打ちは何だ」
上げては落とし、落としては上げる。堕落を促す悪魔の囁きに、俺はいつまで耐えられるのだろう。
「ふー。これで良し」
手が離れる。去っていく温もりを無意識に追って、たしなめるように指先で押された。不満げに目を開ける。やはり影を纏ったそれは、存在がぼやけていて見えない。
「顔が見たい」
頭であろう部分を見つめ、ねだった。
「残念、私は魔女だ。自力で探せ」
「ここにいるのに、変なことを言うんだな」
何故か魔女は動揺したらしい。無言で立ち上がり話を切り上げた。
「また来る」
そう言い残すと影は霧散して、姿を消した。
※※※
食堂に向かいながら魔女のことを考える。あれは本当に俺のことを知っていて、何かがあったらしい。でないと、嫉妬のような執着に説明がつかない。
記憶を消された? いや、それならイーライが気付かないはずがない。
直近ではない? いや、それなら何故このタイミングなのか。
そしてもう一つの可能性を考える。それは自覚なき接触だ。やった方は忘れていて、やられた方は覚えている、よくある話だ。
腕を組む。もう一度リストを見返し条件の洗い出しをしなければならない。そこまで考えて、何かに肩をぶつけた。
従者だ。気付かないうちに食堂まで来ていたらしい。
「あ、すまない。大丈夫か?」
「――朝食の準備は出来ております」
目を逸らしたまま食堂内に案内される。違和感。
「イーライ?」
いつものように椅子を引かれ、腰掛ける。侍女が配膳し、いつものように食べ始め、寝間着であることに気が付いた。
いつもは寝室でイーライに起こされ、そのまま着替えていた。今回は勝手が違って忘れていた。
「イーライ、着替えを手伝ってくれないか?」
食事を終えて立ち上がる。期待した返事が返ってこない。
「……イーライ?」
何度呼んでも目を伏せたままだ。代わりに侍女が食器を下げ、食堂から去っていく。
なんとも言えない沈黙が流れた。
「イーライ」
目の前に立つ。少しだけ目線の高い美丈夫を見上げ、手を振る。
「……ご容赦願います」
それを避けて従者は身体ごと向きを変えた。
――そうか。
原因に思い当たる。返事をしない主に対して従者はこう言ったのだ。“命令を自動更新する”と。
「あ……」
見るな、聞くな、出ていけ。
身勝手で理不尽な命令を、ひたむきに守ろうとする従者に胸を締め付けられた。“命令”と“お願い”では圧倒的に前者が勝る。故意では無いにせよ、従者を苛んだことは明らかだ。
「ご、ごめんイーライ! もう命令は無しだ。本当にすまない! 主人と自動人形とか、俺はそんな関係を築きたいんじゃないんだ」
従者は身体を少し揺らしたが、こちらを見ることはない。その反応に恐怖した。
――やーい、人殺し! 悪魔!
過去が反復される。幼心を切り刻まれたあの頃。
――関わっちゃ駄目よ、魔女に呪われるわ。
――おー怖っ、無視だ無視! おい! 息子に近寄るな! ここから出て行け!!!
泣いてうずくまる子供のそばに、誰がいた?
「ごめん、ごめんイーライ……! でも、でも仕方ないだろ!? 母さんより、いつでも……、ずっとそばにいてくれたお前だからこそ! イーライだから! イーライ、には……! 昨日のアレを、誰よりも見られたくなかった、知られたくなかったんだよぉっ!」
ぶちまけるように、柄にもなく必死にまくし立てる様は、きっと滑稽だろう。でも取り繕うのは無理だった。だって俺には何もない。何も、ない。
「お前はたった一人の、俺の……、家族、だから……」
わなわなと震える唇は、興奮か、それとも恐れのせいか。
ようやくイーライがこちらに振り返り、ゆっくりと片膝をついた。そして躊躇いがちに口を開く。
「……申し訳ありません、アルトス様。私がゴードンであれば、貴方様にそのようなお顔をさせることは無かったのでしょう」
いつもの、表情が乏しい従者の見上げてきた赤瞳に映るそれは、今にも泣きそうだ。
「イーライはそのままで良いんだっ……」
自然と身体は両膝をつき、イーライの手を取って、その手に祈るように額をつけた。この思いが伝われば良い。
「俺の馬鹿みたいなプライドのせいでお前を振り回して、本当にごめん。一人じゃもうどうしようもないんだ……。どうか、力を。貸してほしい」
目を強く瞑って、開ける。顔を上げてイーライを見た。
「喜んで」
朝日に照らされたそれは穏やかに微笑んで、子供の頃のように背中を撫でてくれる。あやされて、目頭が熱くなって、俺はまた俯いた。
「まだイくつもりなかったのに――」
魔女は突き抜けた快感に呆然とした。
真っ黒な空間に横たわるその身体を、何かが貪っている。それはいつも魔女が身体に纏っている影だった。
「んぁあ!」
影の、頭から丸呑みにする愛撫に魔女が跳ねる。
「ま、待ちなさい、一体何が」
慌てて影をたしなめて、ゆっくりと顔を上げ――。
「アルトス……?」
声は震えていた。
「――あぁ…、アルトス!」
恍惚の表情で両手を広げる魔女に向かって、影が勢いよく飛びついた。どぷんと粘着質な影が、その身体を這い回る。
「アルトス嬉しい! もっと! もっと私を求めて!!」
目を見開き笑う。
「きもちいい! アルトス、 !!」
涙が溢れる。
「 ! !! うれしいよぉ!!」
魔女が何かを言うたび、黒い影が膨れ上がる。それはまるで食事だ。
「あぁ、そこ! アルトスぅ、いい!」
濃度と体積を増してどんどん禍々しくなる。
「わたしもっとがんばるからぁ!」
足を突っ張って、空を抱きしめた。
「きもちい、 アルトスぅ!! あぁっ!!」
禍々しい影に蹂躙される魔女は全身を飲まれ、見えなくなった。
※※※
朝。
「ごめん、やりすぎた」
目を覚ましたら影がいた。
「そんな顔しないで、ごめんて」
眉間にシワが寄るのは仕方がない。朝日が差し込む寝室で、身体を仰向けに膝枕をされているのだ。
そのまま影を睨んでいると、間から柔らかな手が降りてきて頬を撫でられた。
「全部綺麗にしておいたから。いっぱい出たね、気持ち良かった?」
ピロートークのようなそれは酷く一方的なもので、相変わらず声は出ないし、身体も動かない。
「君が気を失った後もこっちで盛り上がっちゃって。無意識の君はそれはもう大変なことになってたよ」
何事か想像もしたくないが身体中が悲鳴を上げている。喉も乾いて体力はすっからかんだ。……つまり大変なことになってたよ、なのだろう。
「失礼いたします」
唐突にノックが響き、従者がやってきた。魔女はまだ膝枕をしている。顔が強張った。
「アルトス様。昨日の命令の更新に参りました」
従者は魔女に一切触れず、視線をまっすぐこちらに向けてくる。
――これが見えていないのか。
生憎、喋れない。必然と無視をし、誰もが沈黙を保ったまま、暫く小鳥のさえずりだけが響いた。大変気まずい。
「……指示がないため命令を自動更新いたします。失礼しました」
従者は目をそらして一礼し、去っていった。
「あーらら、何やらかしたの」
魔女が人差し指と親指を空中でひねる。
「全部お前のせいだ」
酷く掠れた声が出た。随分酷使したらしい。
「お前の目的はなんだ」
優しい手付きで目隠しされる。心地が良くて素直に目を閉じた。温かい手に、花の香り。魔女は何も答えない。
「俺をペットにしたいのか」
聞きたいことが山ほどある。突然消えて、現れて。昨日今日でこの変わりよう。訳がわからない。
「お前は誰だ。何を怒っている」
そして気が付いた。疲労感に包まれていた身体が生気に満ちて楽になっている。
「……この仕打ちは何だ」
上げては落とし、落としては上げる。堕落を促す悪魔の囁きに、俺はいつまで耐えられるのだろう。
「ふー。これで良し」
手が離れる。去っていく温もりを無意識に追って、たしなめるように指先で押された。不満げに目を開ける。やはり影を纏ったそれは、存在がぼやけていて見えない。
「顔が見たい」
頭であろう部分を見つめ、ねだった。
「残念、私は魔女だ。自力で探せ」
「ここにいるのに、変なことを言うんだな」
何故か魔女は動揺したらしい。無言で立ち上がり話を切り上げた。
「また来る」
そう言い残すと影は霧散して、姿を消した。
※※※
食堂に向かいながら魔女のことを考える。あれは本当に俺のことを知っていて、何かがあったらしい。でないと、嫉妬のような執着に説明がつかない。
記憶を消された? いや、それならイーライが気付かないはずがない。
直近ではない? いや、それなら何故このタイミングなのか。
そしてもう一つの可能性を考える。それは自覚なき接触だ。やった方は忘れていて、やられた方は覚えている、よくある話だ。
腕を組む。もう一度リストを見返し条件の洗い出しをしなければならない。そこまで考えて、何かに肩をぶつけた。
従者だ。気付かないうちに食堂まで来ていたらしい。
「あ、すまない。大丈夫か?」
「――朝食の準備は出来ております」
目を逸らしたまま食堂内に案内される。違和感。
「イーライ?」
いつものように椅子を引かれ、腰掛ける。侍女が配膳し、いつものように食べ始め、寝間着であることに気が付いた。
いつもは寝室でイーライに起こされ、そのまま着替えていた。今回は勝手が違って忘れていた。
「イーライ、着替えを手伝ってくれないか?」
食事を終えて立ち上がる。期待した返事が返ってこない。
「……イーライ?」
何度呼んでも目を伏せたままだ。代わりに侍女が食器を下げ、食堂から去っていく。
なんとも言えない沈黙が流れた。
「イーライ」
目の前に立つ。少しだけ目線の高い美丈夫を見上げ、手を振る。
「……ご容赦願います」
それを避けて従者は身体ごと向きを変えた。
――そうか。
原因に思い当たる。返事をしない主に対して従者はこう言ったのだ。“命令を自動更新する”と。
「あ……」
見るな、聞くな、出ていけ。
身勝手で理不尽な命令を、ひたむきに守ろうとする従者に胸を締め付けられた。“命令”と“お願い”では圧倒的に前者が勝る。故意では無いにせよ、従者を苛んだことは明らかだ。
「ご、ごめんイーライ! もう命令は無しだ。本当にすまない! 主人と自動人形とか、俺はそんな関係を築きたいんじゃないんだ」
従者は身体を少し揺らしたが、こちらを見ることはない。その反応に恐怖した。
――やーい、人殺し! 悪魔!
過去が反復される。幼心を切り刻まれたあの頃。
――関わっちゃ駄目よ、魔女に呪われるわ。
――おー怖っ、無視だ無視! おい! 息子に近寄るな! ここから出て行け!!!
泣いてうずくまる子供のそばに、誰がいた?
「ごめん、ごめんイーライ……! でも、でも仕方ないだろ!? 母さんより、いつでも……、ずっとそばにいてくれたお前だからこそ! イーライだから! イーライ、には……! 昨日のアレを、誰よりも見られたくなかった、知られたくなかったんだよぉっ!」
ぶちまけるように、柄にもなく必死にまくし立てる様は、きっと滑稽だろう。でも取り繕うのは無理だった。だって俺には何もない。何も、ない。
「お前はたった一人の、俺の……、家族、だから……」
わなわなと震える唇は、興奮か、それとも恐れのせいか。
ようやくイーライがこちらに振り返り、ゆっくりと片膝をついた。そして躊躇いがちに口を開く。
「……申し訳ありません、アルトス様。私がゴードンであれば、貴方様にそのようなお顔をさせることは無かったのでしょう」
いつもの、表情が乏しい従者の見上げてきた赤瞳に映るそれは、今にも泣きそうだ。
「イーライはそのままで良いんだっ……」
自然と身体は両膝をつき、イーライの手を取って、その手に祈るように額をつけた。この思いが伝われば良い。
「俺の馬鹿みたいなプライドのせいでお前を振り回して、本当にごめん。一人じゃもうどうしようもないんだ……。どうか、力を。貸してほしい」
目を強く瞑って、開ける。顔を上げてイーライを見た。
「喜んで」
朝日に照らされたそれは穏やかに微笑んで、子供の頃のように背中を撫でてくれる。あやされて、目頭が熱くなって、俺はまた俯いた。
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