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番外編

ゴードン3

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 あの会合を経て、ゴードンは完全に安全装置の回避方法を習得した。前と変わらず調律を受け入れるよう、ガロン国王から与えられた猶予が要らないほど、完璧に。

 ゴードンはいつもの庭園で花壇の土を整える。

「――ゴードン」

 声のした方を見やると、庭木の影からいつかの日のように銀髪の魔女が現れた。美しさは変わらないものの、どこかやつれて見えるその姿に、拭えぬ不安を感じる。

「オメラス様、本日もおいで下さりありがとうございます」

 ゴードンは客人として魔女をテラスへ案内し、紅茶を入れた。日光が柔らかく差し込むそこは、アルトスと双子がよく遊び場にしているベンチの近くにある。

 あの日から調律が不要となり、魔女と自動人形の交流が会話のみになって暫くが経っていた。定期的に調律内容を報告しているため、この現状は上に筒抜けである。

 つまりガロン国王は、二人が命令と違う時間の使い方をしていることを承知しており、その采配次第でいつでも終わりに出来るということだった。

「……美味しい」

 紅茶を堪能し、強張った表情を緩める魔女に、ゴードンは微笑む。

「私めに出来ることがあれば、何なりとお申し付けください」

 執事は何かがあったのだと感じはしたものの、ただ力になると伝えるだけに留めた。何故なら安全装置には絶対作動ラインというものがある。

 穏やかな日々を享受するための言い訳くらいしか、現状用意出来ないのだ。

「昨日、アルトスが十五歳になったの」

 そんな歯痒さを察したのだろう、魔女は珍しく息子のことを呟く。

「おめでとうございます」

「ありがとう」

 魔女はもう一度紅茶を口に含むと、ゆっくりと嚥下し、ため息をついた。

「あの子ね、ずっと私に敬語を使うの。そりゃそうよね? 殆ど一緒にいないし、イーライの方がよっぽどお母さんしてる」

 己を卑下し笑う魔女へ口を開きかけるが、ゴードンはそのまま固まる。

 “残された時間をご子息にお使いください”と言い出さない理由は、ガロン国王からの命令でもあり、ゴードン自身が――。

 頭を振って、タスク分けしていた一つを停止させる。演算放棄する逃げ方も、随分と上手くなったものだ。

「私はあの子に愛情を注いでやれない。だからかしら、貴方の調律に夢中になったのは」

 木陰に揺れる銀髪と潤んだ瞳は美しかった。女神のようだと、ゴードンはその光景を機械装置内部に記録する。だが――。

「貴方は世界一の自動人形よ」

 その言葉にノイズが走った。目元をそっと拭う魔女を見つめながら、ゴードンは理由を探る。

 それは至上の褒め言葉だ。誉れであり誇りだ。なのに何故。

 気が付いたら――ゴードンに反射的行動というものがあるか解らないが――魔女の前に跪いていた。

「ゴードン?」

 その白魚のような手を両手で握り、自動人形は乞う。

「私はいつか人間になりたいです」

 王族以外には、敵対するかも知れない仮想を持って対応する、浅ましい自分を解放して欲しいとでも思ったのか。

「言ったわね?」

 久しぶりに、少女を思わせる無邪気さで魔女は笑った。

「じゃあ腕によりをかけて、いつか人間にしてあげる! どんな形でも文句は無しよ!」

 安全装置の警告音が久々に鳴るが、自動人形はそれをおくびにも出さず処理し、魔女に笑い返した。

 その時、テラスの外から声がかかる。

「母さん」

 いつから見ていたのか、現れたのは深緑の髪と緑がかった茶色の瞳を持つ青年だ。

「――アルトス」

「ギュス王子が葉っぱで指を切りました。治癒をお願いします」

 それは一般的な母親に対する態度ではない。冷えた瞳。思春期というだけでは片付けられない違和感がそこにはあった。

「! そう、わかった」

 声かけの理由が判明し、目に見えて安堵する魔女は、テラスを降りて息子の横を通り過ぎる。

 “愛情を注いでやれない”

 目を潤ませるほどに、息子を想う気持ちは本物だった。誕生日を覚えていて、何も出来ない自分を責める気持ちもある。それなのに、息子には相反した態度を取るのだ。何故なのか。

 自然と残されたアルトスを、ゴードンは観察する。

 ――よく似ている。

 魔女もこんな感じだったのだろうと容易に想像でき、青年の頭に銀髪のカツラでも被せれば……とゴードンはシミュレートした。

 ふいに、当然といえば当然だが、そんな切れ長の目と目が合う。

 二年以上、顔を合わせるだけの関係で、青年の母親を独占し続けてきた負い目か。

「紅茶はいかがですか?」

 執事は出来るだけ優しい声音で問いかけた。

「いいえ。俺にはイーライがいますから」

 どこか噛み合わない返事だ。青年は寂しそうに笑ってそれだけ言い残すと、陽のあたるテラスに俯いて、去っていった。

※※※

 新月の夜。

 城内を巡回中の執事は揺らぎを検知した。

「これは……、広場のベンチですかな」

 殺気も、敵意すら無い侵入者に首を傾げる。迷い人が入れるほど警備は甘くないし、まるで翼を休める鳥のような気配に戸惑った。

 静まる城内を風のように駆け、あっという間に問題の場所に到着する。

 そして執事は驚いた。いくつかのタスクが予想していた人物が、予想しない状態でそこにいたのだ。

「オメラス様!?」

 それは血だ。全身血まみれの魔女が、ベンチに腰掛け顔を伏せている。美しい銀髪は所々がまだらに黒く汚れており、よく見れば血が固まった跡のようだった。

「……ゴードン」

 名を呼ばれ弾けたようにベンチ前に跪き、その手を握る。

「早く治療しなくては! どうか掴まってください!」

 執事は有無を言わさず横抱きにし、首に腕を回すよう促した。

「大丈夫よ、これは私の血じゃないの。私は無傷」

 疲れたように笑う魔女の言葉に、執事は信じられないと目を見張る。そう、それはつまり。

「では、これは……?」

 既に答えは出ている。ただ本人から聞かない限り執事は認める訳にいかなかった。

「隣国の兵士のものよ。何を思ったのかこっちの領土に入ってきちゃって……、返り討ちにしたの」

 愚かにも返り討ちとは、と聞くはずがない。その惨状が体現していた。

「ねぇ、ゴードン。ちょっとこのまま散歩してくれない?」

 横抱きにされたままの血塗られた魔女は、執事の首に腕を回し、しっかり掴まる。青みがかった茶色の瞳が、その顔を至近距離で見つめた。

「――かしこまりました」

 もたれて、体重を預ける、そんな幼子のような魔女を、これが突き放すはずがない。執事はゆっくりと立ち上がり、暗い中庭を歩き始めた。

「広場では目に付きますので、庭園に移動しましょう」

 魔女は無言で頷く。靴音が消え、草を踏み分ける音がサクサクと響くようになって、ようやく暗い瞳が夜空を仰いだ。

「星がきれい」

 呟きを聞きながら、その瞳に映る星こそ美しい、と執事は思う。そして魔女の目に溜まりつつある涙に気が付いた。

「……ゴードン、私ね。あの愚図が言う通り、人殺しなの。私は私の我儘のために悪魔と契約をして、殺して、殺して、殺し尽くしたわ」

 声を震わせ耐えるように眉を寄せる魔女に、執事はかける言葉を失う。

「でももうこれでお終い。貴方の調律が終わった今、ただただ命を奪う行為に、私の心が耐えられない」

 遂に溢れ出た涙が、次から次へと目尻を辿って闇に消える。贖罪を求め身を投げる殉教者のように。

「この先に待ってる仕打ちが怖い……」

 魔女は握り締めた執事服を離し、執事の頬に手を添えた。言葉を待って星が瞬く。

「――二人で、逃げちゃおっか」

 執事が、唇を寄せ囁かれたそれを認識した瞬間、派手に音を立てて安全装置が落ちた。それでも魔女を地面に落とさないよう、ギリギリまで機体制御し抱え込むように片膝をつく。

 強制的に取らされた待機姿勢だが、それは覆い被さるように女を抱き締める男のていだ。

「も、申し訳ございません。暫しこのままお待ちください……。後十秒で復帰してみせます」

 圧倒的な強制力に抗う隙も無かった。久しぶりの失態に執事は焦る。 

 もう二度と繰り返さないと情報を更新し、機体制御を取り戻そうと力を込めた、その時。

 なんと魔女が、執事の頬に口付けた。無機物のそれに吸い付く音がする。

 またバチンと、安全装置が一つ落ちた。

「なっ……!?」

 硬直時間が延長される。その反応を見て、魔女が笑った。

「……そっか、そっかそっか」

 今度は先程より長めに。

「お、オメラス様!」

 バチン! と呆気なく落ちる。もう三つ目だ。安全装置ではない、執事自身が警鐘を鳴らす。

「お戯れを! お止めください!」

 いつになく必死な執事の反応に、魔女は嬉しそうだ。そして。

「――ずっとこのままがいいなぁ……」

 首に回された腕に力がこもる。そんなことを望まれて、執事は何も言えるはずがない。魔女の頬ずりを通して血に汚れても、その行為を止めることが出来ない。

 ノイズが走る。その正体は何だ。

「ゴードン、私ね。あと一週間もしないうちに皆の前から消えるわ」

 機体制御が復帰するまであと少し。魔女の囁きに耳を傾けながら、執事は目を閉じた。

「ずっと逃げ続けてきた役目を担う。それは沢山の人の命を救うの。この国も、周りの国も含めて」

 執事はもう気付いている。答えは既に得ていた。ノイズの理由も、その正体も。

「そのために私は長い責め苦に遭うわ。そう、大事に大事に嬲られる」

 答えを得る度に安全装置が消去し、それを受け入れていた結果がこのザマだ。

「ねぇ、ゴードン。……どんな結果に、なっても、いい、……から」

 途切れ途切れに紡がれる言葉。機体制御を取り戻した執事は、涙に濡れる美しい魔女を見下ろす。

「――いつか、そんな私を、……助けて、くれる?」

 返事は無い。代わりに自動人形は自らの意志で女を抱き締めた。答えることが出来ない己を呪いながら、別れの言葉を拒絶するように。

 魔女は最後の最後まで、唯一自分の味方だった男を抱き締め返して。その手に魔力を込める。

「ありがとう」

 星空の下、庭園に青い光が灯り、消えた。





 その日を境に、瞬く間に流れて消える、星のように。銀髪の魔女は忽然と姿を消したのだった。
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