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番外編

ゴードン2

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 月日が流れ、定期的な成果報告を受けていたガロン国王から、突然三人だけの真夜中の会合を通達された。

「嫌な予感がするわね」

 玉座の間に通ずる大理石の通路を歩きながら、魔女は呟いた。いつもの朗らかな様子とは打って変わり、纏った空気は張り詰めている。

 先頭に立って案内しようとするゴードンが視界に入っていないようだ。魔女は視線を流し、やれやれと首を振ると虚空に話しかけた。

「暫く私から離れていて、何かあったらすぐ呼ぶから。大丈夫、アイツは嫌がらせくらいしか出来ないもの」

 目には見えない何かがいたようだ。シャンデリアに照らされた埃が僅かに舞い、気配が去っていく。

「オメラス様、今のは……?」

「私の契約悪魔。皆が怖がるからいつも姿を消してもらっているのよ。これはちょっとした保険ね」

 何でもないというように再び歩き始めた、ゴードンが見送るその背中に一つの疑問が浮かぶ。

 ――オメラス様は何故、悪魔と契約することになったのか。

 この当然な疑問を、これまで誰も口にすることは無かった。

 先に行く魔女を追いかけながら、ゴードンは疑問を口にするか逡巡していると、間もなく玉座の間に到着する。守衛もおらず、耳が痛くなるような静寂がその場を支配していた。

 床面から五段高い玉座に、ガロン国王が座している。眉間には深いシワが刻まれており、爪を噛んでいた。臣下や国民に見せることのない一面だ。口から爪を離すと、厳しい顔つきのままゴードンを手招きする。

「来い、ゴードン」

「仰せのとおりに」

 ゴードンは恭しく見えるよう、資料に基づいた所作を実行した。ガロン国王の足元に跪き頭を垂れ、迅速に最善を。どうすれば満足してもらえるか演算する。

「ふん、合格だ。ただし魔女に設定を弄られていないか確認する必要がある」

 ゴードンが見上げて、ガロン国王と視線が合うと顎で脇に控えるよう指示される。それは素直に、玉座から垂れる赤い絨毯を踏みながら左脇へ待機した。

「魔女よ、来い」

 段差前で仁王立ちしていた銀髪の魔女は、無言でガロン国王の招きに応じ、緩やかな階段を登る。国王は眉間のシワを深めてさも面白くなさそうに眺めていた。

 この二人の間には、大きなへだたりがあるようだ。

「来たわ。何?」

「――オメラス様」

 あまりの不敬な態度に咎めるような声が出た。ガロン国王はそんなゴードンを興味深そうに見て、魔女に視線を移す。

「よい。調律は順調のようだな、魔女――いや、オメラスよ」

 国王に名前を呼ばれて、オメラスは眉間にシワを寄せた。まるで“こいつには魔女と呼ばれている方が良い”と言わんばかりに。

「ええ、後半年もすれば調律が完了するわ。完璧で忠実な、最強の自動人形の完成ね」

 そういって魔女はゴードンを見ると、どういうことか、苦痛に耐えるような複雑な表情をしていた。

 ゴードンは僅かに目を見張る。それは当然、調律完了を望んでいないかのような態度だ。

 私はご期待に添えていなかった? これまでの貴女の笑顔と努力は、何だった?

 想起し演算、理解しようと努めるゴードンの、その思考領域に予期せぬノイズが走った。表情出力を停止し調整を図るが、機体制御が上手くいかない。無意味に拳を握りしめる。

「では私が直々にテストをしてやろう。王族内での命令優先順位は私が第一位だったな?」

「……えぇ、家系図を元に貴方を中心にして、離れるほど順位が下げられている。つまりギュス王子、グエン王女が優先第二位となる」

 ゴードンの異常に気付かないまま、二人の会話は続く。

「王位を返還した父上、妻のケイズはその候補に入らず、か。良いだろう」

 ガロン国王は再びゴードンを見た。

「ゴードン、オメラスの頬を打て」

 魔女は髪を逆立てる。

「この性悪野郎!!!」

「うん? ゴードン、何故動かない。やはりこの女に設定を弄られたか? それなら即刻人格破棄だな」

 ガロン国王はつまらなさそうに玉座の肘掛けを叩くと仕掛けが動き、その中から青い魔法石が出てきた。それを握り締めると――。

「待ちなさい! 貴方の指示の出し方が間違っているのよ! 現に安全装置が作動していないでしょう!」

 ノイズといい、命令といい、処理に追われて木偶の坊と化したゴードンの代わりに、魔女がガロン国王へ説明をする。

「……一番初めの命令が生きてる。“魔女オメラスの指示に従え、調律を受け入れろ、傷付けるな”。貴方の指示はこの命令と反しているし、ただのお願いなのよ。正しく扱うには“命令を一新する”の前文をつけないと、悪戯いたずらに困らせるだけで処理されないわ」

 言い募る魔女を見、そうしてようやくガロン国王は笑った。

「なるほど? 取り扱いを間違えただけか」

 青い魔法石を宙に投げ、掴み、投げ、掴み、投げを繰り返す。

「ゴードン、命令を一新する。オメラスが喋るたびにその頬を一度打て。良い音を鳴らせ。殺すな」

 魔女は憎々しげに、口の端を吊り上げるガロン国王を睨んだ。そして正しく入力された命令に、ゴードンはもう抗うすべがない。

 違反をすれば安全装置が落ち、ガロン国王の機嫌を損ねれば、その手に握られた魔法石で人格を消去されるようだ。つまり、どう転んでも結果は同じだという。

「仰せのままに」

 それは感情を持ち合わせない自動人形のように返事をした。

「オメラス、何か言え。これはテストだ」

「地獄へ堕ちろ!!」

 間もなく、甲高い乾いた音が玉座の間に響く。なんの躊躇いも無く、ゴードンが美しい魔女の頬を打ったのだ。眉間にシワを寄せ赤く色付く頬に、ねっとりとした視線が絡みつく。

「素晴らしいな。これでこそ王族の英知、奇跡の極み。お前の調律によってこれは完全になる」

 ガロン国王はもう用済みだと言わんばかりに、その手の魔法石を元の位置に直した。玉座の肘掛けは音を立ててそれを収納する。

 ――その様子に自動人形は僅かながら安息を得る。

 国王陛下はこの挙動に満足された。後はこの命令が解除されるのを待てばいい。

 そう考え、機体の駆動とは別にまたノイズが走る。誤りなど無い、ガロン国王の命令に従って起こるノイズに、ゴードンは論理演算を走らせた。タスクを複数に分けて別角度から演算し直しても、ノイズが起こる原因が究明出来ない。

「オメラスよ、お前の我儘のせいで何百人もの血が流れた。この人殺し、虐殺者め。その上あろう事か、何処ぞの馬の骨ともわからん奴と子をなし、産み育てもした。私は許してやったがな。ただし、それももう限界だ」

 魔女は何も答えない。それは自ら痛みを得にいく愚者ではないからだ。

「アレの延命はもう無理だ。お前自身が身を持って痛感しているだろう。遅くても半年後、国のために身を捧げてもらう。良いな? 半年だ。それまでにゴードンの調律を終わらせろ」

 ガロン国王は肘掛けに頬杖を付いて笑った。

「出来なければ息子を殺す」

「っ止めて!!!」

 間髪入れずに乾いた音が響く。再び自動人形がその頬を打ったのだ。一度目よりも更に赤く腫れ上がった頬は銀髪に映えて痛々しい。

「贖罪を済ませろ。さすれば悪いようにはせん。全てお前のせいだ、オメラス」

 ガロン国王を背に、自動人形は目の前の魔女を見た。肉体的にも、精神的にも苦痛に染まる美しい魔女に、真っ直ぐその瞳を向ける。

 視線が合うと、魔女はガロン国王に気付かれないように口の端を小さく上げ、諦めたように首を振った。自動人形はそんな自分に自問する。

 何のつもりだ? これは国王陛下直々のテストだ。完璧な性能を発揮しなければならない。異常行動を起こせばこの人格だけで無く、オメラス様に、さえ、――――。

 タスクを分けて並列演算させていた一つを緊急停止させる。その先に待つ答えを、算出してはならない。

「それはそうと、泣いて乞えば私の子種をくれてやったものを。いや、それでは子が王族に数えられてマズイな」

 水面下で安全装置の警告音が次々と鳴る。辿り着きそうになる演算を矢継ぎ早に停止させ、遂にゴードンは自ら人格と機体を切り離した。

「何から何まで思い通りにならん女だ、全く。ゴードン、オメラスの頬を打て」

 それは1か0だ。打つか打たないか。自動人形は実行する。

「もう一度だ」

 甲高い音が響く。

「もう一度」

 何の情報も乗せないそれは、魔女の頬を再三嬲った。

 ノイズが酷い。神秘が秘められた機械装置に。

 ノイズが、こんなにも――――。

 ――、――――、――――――。

 ガロン国王の笑い声が木霊する玉座の間で。

「国王陛下」

 ゴードンが口を開いた。

「何だ?」

 オメラスを背に隠すように振り向いて一礼をするゴードンに、ガロン国王は眉をひそめる。想定していない挙動だったのだろう。

「これ以上はお止めになった方がよろしいかと存じます」

 空気が張り詰める。

「ほう? それは何故だ」

 これまた想定していない進言だと、肘掛けを二回ノックする。いつでも人格消去が可能だという牽制だろうか。

「これ以上はオメラス様の悪魔の行動に、予想を立てられません。アレらは契約者の意向を尊重しますが、餌の供給源でもあります。害されると判断したら自発行動しないと言い切れません」

 ゴードンが言い終わる、その背後に暴風と巨大な影が出現した。

「なっ!?」

 “契約者に害なす道具の使用者”と認識したようだ。影はグニャグニャと激しく蠢きガロン国王へ取り憑こうとする。

「失礼いたします」

 ゴードンはガロン国王を抱え上げ飛んだ。見上げるほど高い天井のシャンデリアを勢いよく掴みぶら下がる。影はミチミチと身を寄せ、空の玉座に獲物がいないとわかるや否や急旋回、シャンデリア目掛けて濁流のように迫った。

「お、オメラス! ひィ! 何をしている! ぐおッ!! ソイツを、どうにかしろ!!」

 ゴードンが天井から壁へ、壁から床、床から玉座へと移動を繰り返す中、ガロン国王が叫ぶ。

「国王陛下、ご命令の解除を。オメラス様は喋れません。喋れば私の“オメラス様の頬を打つ”命令実行に行動が分散され、御身を御護りすることが難しくなります」

「何だと!?」

 それは一応事実だった。そしてガロン国王は気付かない。この美しい魔女の優しさに。

 護られるように影を纏う魔女は、もう一つの影に追い回される二人を目で追う。その視線と絡むと、ゴードンの中で走り続けていたノイズが消えた。

「――国王陛下、ご命令の解除を」

「こ、のぉ! 糞女がッ!!」

 拳を震わせ不愉快だと全身で表すガロン国王に向かって、濁流の塊だった影が眼前いっぱいに拡散する。一瞬で国王の表情は絶望に染まった。

 ソレは死だ。国王の死を願って群れる死の集合体だ。

 漆黒に染まった玉座の間に叫び声が響いた。

「命令を撤回する!!! ゴードン! 私を護れええええ!!!」

 影がガロン国王へ食らいつこうとする、瞬間、魔女が応えた。

「もう十分よ。戻って」

 巻き起こった暴風がその銀髪を踊らせる。玉座を背に、魔女の纏っていた影がミチミチと体積を増す。

 腰を抜かすガロン国王を恭しく床に降ろし、見上げた自動人形の目に映るそれは。

 さながら翼を生やした悪魔のようだった。

「何が! 何が最強の自動人形だ! 危うく死ぬ所だったではないか!!」

 四つん這いのままゴードンのふくらはぎを殴り付け、ガロン国王は吐き捨てた。

「彼は完璧よ。使用者が愚図なだけ。……貴方言ってたじゃない」

 纏った影が徐々に霧散していく。契約者の安全を確信したのだろう。

「“オメラスが喋るたびにその頬を一度打て。良い音を鳴らせ。殺すな”って」

 玉座から垂れる赤い絨毯を踏み締めながら、魔女は一歩一歩階段を降りる。そしてゴードンの隣に立つと、伏せるガロン国王を冷たく見下ろした。

「その命令が無ければ私は殺されていたでしょうね。どう? 満足でしょ。望み通りの調律よ」

 顔を真っ赤にさせたガロン国王が魔女を見上げる。ゴードンは動けないままの国王を抱き起こし、目線の高さを合わせるよう肩を貸した。

「こ、のぉ…ッッ」

「あら、でもやっぱり貴方は私を殺せないから、結果は一緒ね? ゴードンは最短で最善を提案していたのよ」

 ガロン国王と視線を合わせた魔女は指を振って目を細める。

「意地汚いプライドなんか捨てて、早く命令を取り消せば、怖い思いをしなくて済んだのに。私だって貴方を殺せないんだから」

 ねぇ? と美しい魔女はゴードンに同意を求めた。だが、ゴードンは知らない、教えられていない。この二人の間に一体どんな契約が交わされているのか。

 そしてそれを聞いて、怒りで震わせていた肩を笑いに変えたガロン国王が、声を上げ愉快そうに膝を叩いた。

「ハ、ハハッ! 確かに、ハハッ! オメラス! お前の言う通りだ! ハハハッ!! 馬鹿とハサミは使いようだな!!」

 ゴードンはガロン国王の変り身に、対応処理に戸惑う。普段見ることが出来ない狂ったような一面が、同一人物なのかと見紛うからだ。

「その力を使ってどんなに悦にろうと、オメラス! お前の運命は変わらない!! その両手を血で濡らし、精々楽しむんだなぁ? 余生をぉ!」

 聞きたいこと、知りたいことは沢山あるが、ゴードンにその資格はない。

 よたよたと歩き始めたガロン国王を支え、ゴードンも一緒に歩き出した。今の命令は“国王陛下を護る事”だ。最後まで忠実な自動人形でいるため、付き従う。

「…………っ」

 その背中を見送る魔女はどんな面持ちだったのだろう。誰もそれを見ることは叶わず、全ては深まる闇に溶けて消えた。
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