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二章

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 ――俺は誰にも迷惑をかけず、心穏やかに過ごしたいだけなんだ。

 後頭部がズキズキと鈍痛を訴えてくる。そのお陰で闇に落ちていた意識が回復し、目を開けた。見慣れぬ薄汚れた床に混乱する。

「は?」

 椅子? ここはどこだ。さっきまで廊下にいたはずだ。 

 床のふんだんに使われた大理石から見ても、一応王城内であることは確かなようだった。だが、埃と湿気が混ざった不快な匂いが充満している。こんな掃除の行き届いていない場所が王城に存在するのかと、まず痛む後頭部に手をやろうと――。

「え?」

 引っ張られ、腕に縄が食い込む感触と木が軋む音が響いた。

 そうして気付く。自分はただ椅子に座らされているのでは無く、腕を背もたれに何重も縛られていた。

「起きたか」

 顔を上げると目の前に、あの三人が立っている。ヌヴァンがひび割れた両手を下向きに合わせて、言葉を続けた。

「こんなことをしてすまないと思っている。ただ少しの間、オレたちの気晴らしのために話を聞いてくれないか?」

 いや、そんなことより先に説明すべきことがあるのでは? と問いかけたい。が、そんな言葉を飲み込んで大人しく白旗を上げる。

「縛らなくても俺は貴方たちに何もしません。二度と名前も呼びません。靴を舐めろというなら、舐めます。逆に貴方たちが任務違反で罰則を受けかねません。後日呼び出して頂いて構いませんので……」

 今の気分ならリンチの約束を取り付けられても、ただ素直に受け入れられそうだった。

「いいやアルトス。オレたちは本当に、ただ話を聞いて欲しいだけなんだ」

 三人はそれぞれが用意した椅子に音を立てて座ると、じっと見つめてきた。眉間にシワが寄る。これを拒否する権利なんてあるのか? 無いだろう。だから沈黙で返した。

 ヌヴァンが息を吐き出すと、どこか遠くを見つめる。

「あの頃は楽しかったよな。よく四人でボール遊びをした。オレたち全員親が調律師をやっていたから、仲良くなるのも当然だった」

 ネメットとノアールが小さく頷いた。

「あれはただの悲惨な事故だったよ。いや、オレたちは被害者だった。アルトスに限っては小児性愛者に犯されかけたんだ。オレだって標的にされていたら、魔力を暴走させなかったとは言いきれない」

 一拍の沈黙の後。

「お前の能力でこいつは喉が裂けて、こいつは全身に火傷を負って、オレは魔力回路、両腕がぶっ壊れた」

 少年だったヌヴァンはひび割れた両手を軽く掲げる。

「最初は確かに、オレたち全員お前を恨んだよ。全身を襲う痛みと苦しみと、何より相手が悪かった。どんなにクズ野郎でもアイツは王族の血を引く一人、場所も君主貴族の居住区だったしな」

 そして手を下ろすとこちらに目を向けた。

「オレたち全員、安全をおびやかしクズ野郎を殺しかけた罪で死刑になるところだったんだぜ。信じられるか? 性犯罪者を野放しに被害者が殺されるとか、狂ってる」

 同感だ。ヌヴァンに瞬きを返すと、僅かに微笑まれる。

「ただそれを全部ひっくり返して、全てを救ったのがお前の母親だった」

「……母さん?」

「人伝に聞いた話だけどな。あの時アラクネが突然現れて、その区画まるごと巻き込んだ魔術戦争が始まる一歩手前までいったらしい。その怪物を収めて、死に体のオレたちとクズ野郎を救ったのが――」

 銀髪が脳裏をよぎる。

「お前の母親、“救国の魔女”だよ」

 まただ。ダッドも言っていた。“救国の魔女”?

「あの美しい人はオレたちの元へ足繁く通って、何度も何度も治癒を施してくれた。見ればわかる通り、跡は残ったがもう身体は完治している。逆に高濃度の魔力に触れ続けた結果か、下手な王族よりオレたちは強くなった」

 ヌヴァンはノアールを指差して言う。

「こいつが着けてるチョーカー、“救国の魔女”が特別に造ってくれた代物らしい。指向性を持たせて声を届ける、通信兵として活躍するための一点物だ」

 次にネメットを指差した。

「こいつだって身体に宿した魔術は五大元素の一つだ。人間が真っ先に手放した神秘と言われる、現存少ない火炎発生魔術。こいつが発する炎は化学じゃ大量の燃料と労力を駆使しなくては再現できない。色んなところで重宝されている」

 最後にヌヴァンは自身の両手を見る。

「オレは魔法石の代わりだな。魔術具でもいい、自身で発動できない魔術保持者の燃料になれる。流石にギュス王太子、グエン王女には負けるが、その辺のやつの十倍は行使できる。こんな魔力保有量を誇れるようになったのも、……これ全部、“救国の魔女”の、お陰なんだ」

 何故か、ヌヴァンの声が震え始めた。

「オレたちが騎士の位を、国王陛下からたまわったのだって……」

 ヌヴァンは急に俯き、肩を震わせてそれ以上言葉が出ないようだ。代わりに火傷跡が残るネメットが語り始める。

「私たち三人が騎士の位を賜った理由、ガロン国王陛下はこう仰っていた」

 ――あの生意気な魔女に“罪悪感”という首輪を着けた。なんと素晴らしい! これは傑作だ! お前たちは栄誉ある偉業を成し遂げたのだ! その功績に免じてこの罪をゆるそう、そして兵役の年齢に届いたとき、騎士の位を授ける。この意味、わかるな?

 悪魔のような、酷く歪んだ笑顔だったとネメットは呟いた。

 俺は国民に穏やかに手を振るガロン国王の顔しか知らない。

「国王陛下が、そんなことを……?」

「だから私たちはもう、過去の事件を、アルトスを恨んでなんかいない。“救国の魔女”より十分過ぎるほどの贖罪と力、栄誉を授かった。感謝しかないんだ。末端貴族だった、何の取り柄もない私たちがここまでのし上がれた」

 俺の手に残るもの全て、母さんが皆に慈しみを注いだ結果だということは知っていた。ただ実際何をおこなっていたのかは知らなかった、聞けなかった。あまりに驚きすぎて開いた口が塞がらない。

 ――でもその話が本当なら、この現状はあまりにも変ではないか?

「じゃあなんで。俺は椅子に縛られているんですか……?」

 まるでこれから起こることの、謝罪のようにしか聞こえなくなってくる。

 その問いに三人は顔を伏せ、答えることなく立ち上がった。

「オレたちを許してくれ。アルトス」

 ヌヴァンはノアールの肩に手をやり、ノアールは喉を手のひらで押さえる。するとチョーカーが赤く輝き始め、上を向くと何やらボソボソと呟いた。

「私たちが王族を傷つけたという事実は、何を持ってしても消せなかった。私たちはあの事件以降、どれだけ武勲を立て、功績を残しても――もう王族の犬として生きる道しかなかったんだ」

 ふいに鉄製の重い扉が開く音がする。そしてドカドカと階段をくだる品のない足音が響いたと思えば。

 巨体を揺らしながら、上等な服を着込んだ貴族と思われるけがらわしい人間が、埃を被った家具から顔を覗かせた。

 ニタリと、卑しく脂ぎった笑顔。記憶にある、タバコの匂い。

 いやだ、やだ、やだ。

「そいつが例の魔女の息子か。悪くない、見た目は合格だぁ! よくやった!」

 そいつはあの時の大人によく似た、人の形をした化け物だった。
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