上 下
30 / 68
二章

12

しおりを挟む
 頭上には青空が広がっている。そこは王城に隣接する駐屯地の訓練広場で、二十八もの部隊が整列していた。自分は十三番隊に所属している。

 そっと周りを見渡せば、騎士服を纏った者のみで構成されていた。今回は内容が内容なだけに、騎士の位を授かった者しか警備につけないようだ。

 視線を戻しみなが見つめる壇上で、緩いウェーブがかかった紫髪、茶色の瞳を持つ警備統括騎士団長が号令をかける。

「気を付け! 休め! ――今回、この警備指揮、及び責任をになうのは自分、階級はイノイ、名はニーレエンベルク。諸君、よろしく頼む!」

 ニーレエンベルクと名乗った騎士最高位を持つ壮年の男は、その証拠だと言わんばかりに騎士服の二の腕、金糸で施された王家の紋章を見せつけた。それは内側から主張する筋肉で歪んでおり、今の自分が全盛期であると主張しているように見える。

 整った容姿と低い声、目を見張るほどのその体躯。同性もが感嘆のため息を吐いて心酔し、付いて行きたくなるようなカリスマ性を感じる。あまり他人に興味を持たないように心掛けている俺でさえ、どこか惹かれるものがあった。

 いかつい顔つきの、しかし人懐っこいその風貌は、どうやら青髪の同僚の遠縁らしい。

「アルトス、目が合っても叔父貴――じゃない騎士団長から視線を逸らすなよ? 変に目をつけられるからな」

 そう小声で忠告してきた右隣に立つダッドは、いつもの腑抜けた表情ではなく、変に真面目ぶった顔つきをしていた。こちらとて表情を取り繕うのには慣れているが、同僚のらしくない一面に瞬きが多くなってしまう。

「わかった」

 素直に忠告を受け取って、下がりかけた視線を騎士団長に固定した。
 
「配布した警備計画書の通り、二十八部隊、混合四人編成だ。主目的はギュス王太子殿下のお妃候補、及びに他、王家の方々をあらゆる危険からお護りすべく――」

 そうやって視線を固定しつつも、内心うわの空だった。王城敷地内であればゴードンがいる限り、王族に危険が及ぶことはない。つまり、“誰から”とは言わないがお妃候補を護れという、いつかダッドが言っていた婉曲的えんきょくてきな説明を聞き流し、今朝の出来事を思い出す。

 献花人は、俺だった。

 あの後、あいつは冷めた表情でこちらを見つめ続け、取り乱した俺を抱き止めたイーライに気取られた瞬間、消えたのだ。

 ――訳がわからない。

 自己像幻視ドッペルゲンガーの可能性も考えた。後から聞いた話、イーライにはそれが見えていなかったからだ。突然取り乱した俺に大層驚いたと告げられて、そう言われては自分の目に映ったものが信じられなくなって――。

 それでもイーライに霊園を調べさせたところ、黄色のスイセンは幻ではなく実像を持って墓に捧げられていた。墓周りは十日前より綺麗に清掃されていたし、そこに何かが居たのは確かなようだった。

 つまりそういうことだ。あれは幻視などではなく、実際に居たのだ。

 嫌な汗が額に浮かぶ。

 一体何なんだ。全くわからない……。

 気が付くと説明を終えた騎士団長が声を張り上げ、号令をかけていた。

「国に命を捧げし愛し子たちよ! 混合部隊を編成したのち、配置につけ!」

 百名を超える騎士たちが一斉におうと応える。自分も慌てて口を揃えた。

「アルトス、大丈夫か? 移動するぞ」

 どうやら酷い顔をしていたらしい。ダッドに肩を叩かれる。その左手に違和感。

「指、まだ治らないのか?」

 少し前からダッドは左手に革の指ぬきグローブをはめていた。本人曰く、人差し指の根元に怪我をしたらしい。武芸達者なダッドが刃物の取り扱いを間違えるなんて意外だと思ったが、どうやら原因は別にあるようだ。

 人の良さそうなこいつは苦く笑って、ひらひらと左手を振る。

「治癒魔術を利用してないんだな、これが。女を馬鹿にすんなって教訓に、痕でも残れば良いと思ってる。ちょっと激しくヤりすぎてよ」

「……聞くんじゃなかった」

 申し訳ないが少しだけ嫌悪した。今はそういう話題に触れたくない。顔をしかめてダッドから視線を外すと、混合部隊の集合場所に歩き出した。

 二十八もの数字が割り振られた地点にそれぞれ集まり、今日一日限りの盟約を交わさなければならない。

 買収、連れ込み、派閥結託などの不義理を憎み、清廉潔白であるとお互いに誓い合うのだ。

 手元には六と書かれた紙がある。

「本日はよろしくお願いします。十三番隊のアルトスです」

 集合場所に着いて早々、ろくに相手を確認せず頭を下げた。仕事だというワンクッションが置いてあっても、俺は他人が怖いのだ。

 頑張ろう、大丈夫、落ち着け。

 そう息を吸って見上げた瞬間、宥めた気持ちが無駄になる。全身から血の気が引いて、逃げ出したくなった。

「な、なんで……」

 運命に呪われているのだろうか。こんな偶然、あっていいはずが無い。いい加減にしてくれ。

「久しぶりだな、アルトス」

 消えない過去が追いかけてくる。

 見回した混合部隊の三人、みな――映像によく出てくる、少年三人の面影を残していたのだ。

「オレは二十七番隊のヌ――」

 言葉を挟んで中断させる。

「皆さんのお名前は! ……大丈夫です。本当に……、大丈夫ですから……!」

 知っている、わかっている。忘れるものか。この人の、この人たちの名前は二度と呼ばないと誓ったから。むしろ名乗らせることで、相手のトラウマを抉る可能性が高いと判断した。きっと言葉を交わすのも嫌だろうに。

 全然知らなかった。騎士団にいたなんて。

「――そうか。お前がそう言うなら名乗りは遠慮しておこう。今日は……よろしくな」

 ヌヴァンは利発さを思わせる茶の短髪で、両手が無数のあかぎれのようなものでひび割れていた。戸惑いながら手を差し出して握手する。

 手汗が滲んで、相手を不快にしていなければいいと願った。

「では私も。よろしく」

 ネメットは凛とした空気を纏っていて、赤髪を緩く後ろに束ねている。垂れる前髪から覗く顔右半分に、火傷の跡が見てとれた。同じように握手する。

「……」

 最後のノアールは無言で手を差し出してきた。か弱い印象で、その黒髪と同じ黒を基調としたチョーカーを首に巻いている。よく見ると魔術具のようだ。手を握る。

「よ、よろしくお願いします……」

 答えない代わりにウインクされた。何故。

 最後の挨拶をし終わって俯き、思考を回す。

 あまりにも出来過ぎている。混合部隊はこういう関わりがある者をバラバラに配置するための措置では無かったのか。移動し始めた部隊を眺める騎士団長を、恨めしい気持ちで見やった。

「じゃあ行くぞ。付いてこい」

 両手がひび割れたヌヴァンが最年長者のため、自然と先頭を任せ歩き始める。火傷跡のネメットとチョーカーのノアールが次に続き、自然と自分が最後となった。

 徒歩で城門を潜る。この四人で。少年だった三人の背中を見、思考が止まる。こんな日がこんな形で来るなんて、なんて皮肉なことか。

 揺れる銀髪と幼い子供が、目の前をよぎった気がした。空を見上げる。暗雲無き、青い空。

 自然と唇が動いて、声無き声で“ごめんなさい”と謝った。

 そしてエントランスホールの赤い絨毯が敷かれた階段を上り、二階、謁見室のある廊下へ。

 ――着いてしまった。

 ギュス王子と他、君主貴族の結婚活動はこれから十分後、三時間を予定している。その間この気まずい空気を耐えねばならない。

 無言で廊下の一番奥、突き当たりの大きな花瓶の前に立つ。

 今回のイーライとの計画は失敗に終わるだろう。昨日は魔女に心を折られ、今朝は献花人に平静さを奪われた。今は過去の罪に心を抉られている。

 こんな状態で自慰? ふざけるな。

「ははっ!」

 思わず自虐的に笑った。なんだ、俺もうボロボロじゃないか。身体を壁に向け、ホルスターに下げた長刀を鞘付きのまま抜き出す。

 イーライは給仕として活動することをゴードンに許可されたらしい。舞踏会会場に集まる魔女候補を、きっと完璧に観察してくれているはずだ。

 ならば、俺はそれに応えなくてはならない。魔女の昨日の発言が確かなら、確実にここにいる。もう子供じゃないんだ。失敗なんかさせるか。早く呪いを解いて、この果てのない不安を解消したい。

 自暴自棄という単語が頭に浮かぶ。

 ごめん、イーライ。腕なら少しくらい切っても死なないさ。痛みは我慢するよ。それ以上に心がもう耐えられない。

「何やってんだ、俺……」

 長刀から刀身を抜き出そうと、両手に力を込めた。その時。

「アルトス」

 全身に唐突な衝撃と、後頭部の激痛――!

「いっっ!!」

 視界が揺れ、壁に手を付き倒れる。すごく痛い。長刀が廊下に転がるのが視界の端に見えた。そして目元を覆うひび割れた手。

「すまない」

 なんで、どうして。

 泣きたい。何もかも上手く行かない。

 視界が奪われると急激に意識が遠退き、俺はそのまま漆黒の闇に落ちた――。
しおりを挟む

処理中です...