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二章

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 どうしよう、どうすれば、誰か教えて。

 執事が他の自動人形と同調したことにより、現場に居合わせた全員に非常事態発生が露呈してしまった。

「やだやだ、死にたくない!!」

 案の定、今見えていた野次馬以上に、舞踏会会場から王城から、大勢の人間が飛び出し自体を把握しようと周辺を埋め尽くす。

 好奇の目に晒された魔女は飛び回りながら様子を伺った。その反応は綺麗に三分割されている。

 一つ。無知な感嘆符。

「誰? あの人凄くきれい! 女神様みたい」 「本当だ! 見てみて、あんな女の人初めて見た!」

 そうか、私、彼女の姿のままだった――。

 一つ。既知の疑問符。

「あれは“救国の魔女”!? ご存命だったのか! 何故ゴードンはあの方にあのような横暴を!」 「誤作動でも起こしているのか!? 国王陛下に進言すべきだ!」

 最後に。

「はああ!? あり得ん!! すぐさま確認しに行け!!」 「早くあれを戻さないと……! この国はお終いだぁ!!」 「ガロン国王、ギュス王太子はどこへ行った!!」

 事情を知っているであろう王族全員を、侮蔑と憎悪を込めて魔女は睨んだ。あらん限りの殺意がその瞳に宿る。

 当然、その一瞬を執事は見逃してくれない。

「――え?」

 魔女の脇腹から、噴水のような鮮血が散った。

「……あ、うそ、だめ、駄目!」

 石片せきへんで抉れた腹部。慌てて脇腹を抑えその現実から目を逸らそうとした。意味は無い。認識してからの激痛。

「やだっ! いたい、痛いぃっ!!」

 ぎゅるりと影が止血のため巻き付き、高度が下がる。銀髪が血で染まり、それは天から堕天し地上に落ちる、黒翼の天使のようだ。野次馬から息を呑む声がする。

「“救国”!!」

 受け身も取れず地面に身体を打ち付ける寸前、颯爽と魔女をかっさらい執事から距離を離すのは――紫髪の騎士団長、ニーレエンベルク。

「“救国”! 目を開けてください! 早くご自身に治癒を!」

 落ちた先、広い中庭を疾風のように駆ける。その身に宿す魔術は遠縁の弟分と同じようだ。逞しい筋肉に横抱きにされた魔女は、顔を歪めて目を開けた。

「……ニーレエンベルク?」

「昔のようにニールと。美しい人よ、私はもう一度貴女に会えて嬉しい」

 魅了の魔術はこの身から離れてしまっている……、でもこれならいけそう……。

 この助っ人を逃す手はない。喋るのも苦痛だったが、魔女は必死に彼女を演じ、合わせる。

「……私も嬉しいわ……、でもごめんなさい。私もこの子もヘトヘトで、消費の激しい治癒は暫く無理そう……」

 騎士団長は頼もしく笑った。

「貴女に救われた命だ、恩を返したい。私は何をすれば良い」

 魔女は震える手でピッタリと追走する絶望を指差す。

「あの執事様が私の影を握って返してくれないの。あれがないと私はこのまま殺されるわ。お願い助けて、……ニール」

「お任せを」

 出来る男だ。事情の把握を後回しに、騎士団長は芝生の上にそっと魔女を降ろす。そして長刀を抜き、声を張り上げた。

「九番隊ノアール! 指揮を取れ! 今こそ“救国”に恩を返すときだ!! 十分で良い! 敵の進軍を止めろ! 出来るだけ中庭に近付けさせるな!!」

 騎士団長の耳に何処からともなく声が届いた。

『了解、しまし、た……』

「ノアール? 泣いているのか?」

『僕は恩を、仇で返してばかりだから、です……。お任せください、頑張ります……』

「そうか、頼む。通信終わり」

『通信、終わり』

 追いついた執事は騎士団長に警告する。

「王族の方々に少しでも殺気、危害を加えようとすれば死にますよ」

「なぁに、その辺はノアールも熟知している。やるのは交通整理のようなものだ。ご心配感謝する。――久しぶりにお手合わせ願おう、ゴードン」

 騎士団長が何かを唱えると更に筋肉が張り詰めた。彫刻のように完成された肉体が振るった剣は、風切り音と共に草花を細切れにする。

※※※

 切り合って数分が経った。彫りの深い顔に汗が浮かび、紫髪が張り付く。それは一向に影を取り戻せるビジョンが見えないからだ。

「――騎士たちを、私を殺すつもりは無いのか?」

 伏せる魔女に近付こうとする執事を牽制しつつ、騎士団長は握られた拳目掛けて剣を振るった。それは掠めることなく、再び両者拮抗状態に陥る。魔女への殺気はそのまま、明らかに手加減されていた。

「当然でしょう。貴方はクネスブラン屈指の名将です。他の騎士共々、死なせるなどと、この国、王族にとって避けるべき損失だ」

 執事は一旦距離を取り直して、乱れた襟を正した。

「私は“騎士団長ニーレエンベルクに傷一つ付けることなく、その魔女を排除する”ことが最良だと算出しました」

 まるで何かを説得するような物言いに笑いが漏れる。

「有り難い。そう、ずっと前から“救国”にメロメロなんでね、正気じゃないんだ」

 騎士団長は親指でこめかみをつつく。

「申告を受理します。そういう訳で私めはただ時間を稼げばいい」

 その言葉に魔女は顔を上げ、周りを見回した。十分もの時間稼ぎは難しかったようだ。ノアールの努力虚しく、青い光が灯った自動人形と王族、そして多くの人々が遠巻きに集まってきている。

「そのようだな。一気にカタをつけたいところだが――!」

「無理でしょうなぁ」

 片腕と剣が斬り結んで、ギリギリと軋んだ音が中庭に響いた。執事は剣を押し留めながらその手に握り込んでいた小石を親指で弾き、魔女へ飛ばす。

 すかさず影が護りに行くが、その小石は魔女の頬も掠めず後方へ飛んでいった。

「おや、お嬢さんが大変見辛い。どちらにいらっしゃるのかな?」

 白々しい説明口調。それに反応し魔女は目を見開いた。

「まさか……、野次馬の集団認知に概念強化されて、記録を封じてる執事様に映り辛くなっている……?」

 魔女は銀髪を揺らし、力を振り絞って立ち上がった。

 わたし、がんばって、お願い頑張って、まだ動こうっ……。

「――ニール! ちょっと化けて貰うわよ!」

 指が鳴る音と同時に紫髪の騎士団長に影が巻き付き弾けて散る。そこには二人目の銀髪の魔女が現れた。周辺から驚きの声が上がる。

「これは!」

「悪くはない手だ」

 執事は目を鋭く細め、騎士団長は感激したようにおのが身体を見回した。

「“救国”! 後でこの胸、揉んでも宜しいですかっ」

 それは青みがかった茶色の瞳をキラキラと輝かせ、血塗れの魔女を見やる。突飛な願いに視線を合わせた魔女は目を丸くし、堪らず吹き出した。

「あはは! ニール、それは貴方の胸よ!」

 その様子に二人目の銀髪の魔女は人懐っこく笑う。そして両腕を掲げ剣を構え直した。

「やはり貴女には笑顔が似合う」

 それは絶望的な戦いに一筋の光明なのか。執事を中心に銀髪の魔女――騎士最高位を持つ男は武舞ぶぶを披露した。

「ふむ」

 渦巻きでも描くように身体全体をしならせ剣を振るう。その動作を影は補助し、威力を増させていた。

「お前は近付きすぎないで! 捕まえられたら水の泡!」

 魔女は焦る。現状、用意出来るだけの最高の剣と盾が揃った。でも影奪還にはまだ足りない、まだ届かない。指先さえかからない!

 見えていないはずの動きを予想し執事はいなす。握り締められた拳が緩むことはない。

 徐々に完成されていく魔女包囲網。周りには執事が操る自動人形と王族の面々が、執事を援護しようと距離を詰め始めていた。残された時間はあと僅か。

「うぅぅっ」

 血を流し、魔女は必死の形相で近付く雑魚を散らす。

 ――やっぱり駄目だ、何も届かない。

 歯を食いしばって支援する。

 ――全然見えてこない、取り返せない!

「ぐうぅぅっ!」

 わかってる、明らかに詰んでいる。でも私はここで死にたくない。嫌だ、私は絶対に諦めたくない。生かしてみせる、今度こそ、君を、貴方を!

 アルトス、アルトスっ、アルトス!

 アルトス!!!

「アルトスのためにぃっっ! 私は生きないといけないのぉっっ!!!」

 叫んで魔女の口から、腹部から、赤い華が散る、芝生を汚していく。

 すると野次馬の誰かが、金色に染まる上空を見上げ何かを指差した。こんな状況から目を離すなんて、そいつはきっと空気の読めないひねくれ者だ。

 何処からともなく、ヒラリと一枚の布が。

 騎士団長の舞いを躱し、なんと執事の首元に――そっと巻き付いた。

 よだれかけの様な、滑稽な姿だった。そして布は斬られ力尽き、パサリと地面に落ちる。執事はそれを見た。

「――、――――、――――――」

 バチン。

 何故か場違いな音が響くと、執事は片膝をついて固まった。自動人形たちの青い光も消え、その場に崩れ落ちる。

「――え?」

 それは千載一遇の、二度と訪れない奇跡。一同が目を剥く中、唯一動けたのは場数の差。

「好機!!」

 騎士団長は長刀の柄頭で執事の拳をかち割って、緩んだ隙間から黒霧が漏れ出た。

 ワッと歓声が上がる。

「ああ! ニール、ニール!! ありがとう! その胸は好きなだけ揉んでちょうだい!!」

 魔女は今にも泣き出しそうな笑顔ですぐさま影に呑まれ、残り香も残さず霧散する。しかし退去したと同時にニーレエンベルクの姿が元に戻った。

 その事実に気付き、荒げた息のまま、俯いてウェーブのかかった紫髪に瞳が隠れる。刀身剥き出しの長刀を足元に落とすと、騎士団長は自分の立派な大胸筋に両手を当てて呟いた。

「……これじゃない……」

 国を背負う広い背中は、まるで少年のように縮こまった。

※※※

 認識阻害も発動することが出来なくなった女は、うつ伏せに悪魔の体内で血を吐いた。

「カハッ! ぐ、ぅぅ……。……ね、アルトスは……? アルトスは……、大丈夫なの……?」

 己を後回しに、感覚共有先の身を案じる。影は蠢いた。

「呪詛返しは止めてある……? 本当……? あの人は痛くない……? そう、よかったぁ……」

 ほぅ……と息を吐き出し、脇腹を押さえて仰向けになった。影は女に巻き付いて何やら懸命に処置をしている。

「がんばったね、私……、でも早く、はやく傷を治して行かなくちゃ……。あの人、またすぐ殻に閉じこもっちゃう……」

 影を撫でて、笑う。その手は失われた体温のせいで震えていた。

「ふふ……、取っ掛かりは得たもん……。“おまえのくちに”……だってさ……、ふふ、ふふふ……。あーおかしい……、ざまあみろ……」

 大きく息を吸う。

「……今度はどうやって……、あの人を、ひっぱりだそうか、なぁ……」

 暗闇の中、血溜まりに沈む黒髪の女は、独り幸せそうに目を閉じた。
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